∪ 文学放談の部屋 ∪

 ここでは、昔読んだことのある文学作品をあつかってみましょう。
国語が苦手で、読書感想文を書くのが苦痛だった学校時代を思い出します。

 私の高校の時の国語の先生は、いま小樽の文学館の館長です。こちらがその先生のHPです。

トルストイ: 人はなんで生きるか

 世の富を持っていながら兄弟が困っているのを見てあわれみの心を閉じる者には、
どうして神の愛がかれのうちにあろうか。(ヨハネの第一の手紙・第三章第十七節)

ひとりのくつ屋が、女房と子どもたちをかかえて、その日ぐらしの苦しい生活を
おくっている。自分の腕一本だけで暮らさないといけないのに、手間賃は安くて、
パンは高い。稼いでも稼いでも手元にお金は残らない。

くつ屋は1着の毛皮の外套を女房と共用していた。それもすっかりいたんだから
新しい外套を作るため、羊の毛皮を買いに出かけた。
わずかの蓄えをふところにして、村の百姓たちに貸した金を返してもらうため、
百姓たちの家を回るが、言い訳ばかりで、お金を返してもらえない。

結局お金が足りないから、羊の毛皮は手に入れられなかった。
寒いので、つい手元のお金でウォッカをちょっとひっかけて(飲んで)しまう。
家に帰ったら何と女房に説明しようかと考えながら歩いていると、礼拝堂のかげに
裸の若い男の行き倒れを見つける。ほっておこうと通り過ぎるが、やっぱり考え直して
自分の長い外套をその若い男に着せて、家につれて帰る。

女房は金をもらってこない上に、見ず知らずの行き倒れの若い男を連れ込んだ
くつ屋にあくたいをつく。しかし、夫からおまえには神様がいないのかと言われて
はっと気がつき、若い男に食事を与える。
すると今まで表情の無かった若い男の顔が一瞬ぱっと輝く。

やがて、くつ屋の家に世話になった若い男は、身の上は話そうとしないが、
くつ屋から技術をしこまれ、あたりで一番腕のよい仕事をする職人となる。
あまりはっきり書いてはいないが、くつ屋は商売が繁盛し、一家はひといき
つけたのだろう。

あるとき、一人の金持ちが靴を注文に来る。立派なドイツ製の皮を持ってきて
1年間こわれない丈夫な靴が作れたら、1年後に10ルーブリ払うと言う。

くつ屋はそんな立派な靴はとても作られそうもないから断ろうと思うのだが、
若い男に相談したら大丈夫というから、若い男の腕を信用して、
金持ちの仕事を引き受ける。

そのとき、若い男は金持ちの後ろの方を見ていたが、急ににっこり笑う。
それを見て金持ちは怒りだしたが、くつ屋にとりなされ帰っていく。

金持ちが帰ったらすぐ、若い男は仕事にとりかかった。くつ屋は若い男の大胆な仕事
を見ていたら、なんと若い男は靴を作らずスリッパを作ってしまった。
あっと驚いたくつ屋は、金持ちに何と言い訳をしたらいいか、悩んでしまった。

そのとき、ドアを叩く音がして、さっきの金持ちの下男がやってきた。
靴はもういらなくなった。金持ちが自宅についたとき、そりの中で死んでいた。
金持ちの奥さんから、靴はもういらないから、あの皮でスリッパを作ってくれ
とことづけに来たのであった。そして下男はできたばかりのスリッパを持っていった。

それか2年たった。若い男はあいかわらず無口であったが、仕事を続けていた。
女の人が二人の女の子の手を引いて、くつ屋の家に来た。かわいい二人の女の子に
靴を作ってほしいというのである。

女の人の言うことには、二人の女の子は自分の子どもではない。
この子たちの父親は森で働いていると、倒れてきた木に打たれて
死んでしまった。そして、母親は翌日に双子を生むと死んでしまった。
生まれたばかりの双子はみなし子になってしまったのだ。

その女の人には自分の男の子がいて、乳が出るものだから、みんなに
双子の女の子の世話を頼まれた。自分の子どもと双子の女の子を一緒に育てたら、
もう女の子も自分の子どものようにかわいくなった。息子のほうは2つの時
亡くなってしまった。そして自分の子どもはもう生まれなかった。

やがて財産がふえ生活はよくなった。もし、この女の子たちがいなかったら、
どうやって生きていけばよいだろう。この子たちはかけがえのない子どもたちなのだ
と女の人は説明した。

それまで、にこにこしながら女の人の話を聞いていた若い男は、急にくつ屋夫婦に
向かって自分の身の上を話し出した。

彼は実は天使だった。
神様のいいつけで、父親を森でなくし、双子を生んだばかりの母親のもとに行き
魂を抜きとろうとした。しかし、母親は自分も死んだら、この子どもたちは誰も
育てる人がいなくなる。どうかこの子どもたちが一人で生きていけるまで
自分の命をとらないでほしいと懇願される。そこで、かわいそうに思った天使は
母親の魂を抜き取らないで天国に帰ってくる。

すると神様は「行って、その女の魂を抜き取ってきなさい。そうすれば3つの
言葉の意味がわかるだろう。つまり、人間の心の中にはなにがあるか、人間に
与えられていないものはなにか、人間はなんで生きるか、ということだ。
それがわかったら、天に帰れるだろう」と言って、天使を地上に戻す。

母親のもとに行った天使は母親の魂を抜き取ると、天使は翼を失い、気がつくと
裸で野原に倒れていた。しかたがないから、礼拝堂のうらで寒さをしのいで
いたのだった。

天使はくつ屋の家につれて行かれ、あくたいをつくおかみさんに死相を感じたが、
反省したおかみさんが食事を出してくれたとき、おかみさんの顔から死相が消え
生き生きとした顔になっていた。

そのとき、神様の「人間の心の中にはなにがあるかわかるであろう」という
言葉の意味がわかった。それは、人間の心の中にあるものは愛である、
ということだった。天使は嬉しくなって、つい笑ったのだった。

くつ屋の家でくらすようになって、あるとき金持ちがやってきて靴を注文した。
そのとき、天使はその金持ちの男の背中に仲間の天使が立っているのに
気がつく。人間には見えないが、この若い男の天使にだけ見えたのだ。

そして、天使は「この男は、今日の夕方までも生きられないのに、
1年さきのことまで用意している」と考えて、神様の「人間に与えられていない
ものはなにかわかるであろう」という言葉を思い出す。
人間に与えられていないものは、自分の肉体にとって必要なものがなんであるか
を知る能力だったのだ。そこで、天使は笑ったのだ。

最後のテーマ「人間はなんで生きるか」ということの答えがわからなかった天使も、
やがて自分が魂を抜き取ったあの母親の双子の女の子たちが大事に育てられ、みんなと
幸福に暮らししている姿を見たとき、神様の考えを了解したのだった。

父親も母親もいなかったら、子どもたちは生きていけないと考えて、
母親が命乞いをしたとき天使は真に受けてしまった。しかし、母親でない女の人が
乳をやって育ててくれたのではないか。その女の人が双子に同情して泣いたり
一緒に暮らして満足している姿を見て、その女の人の中に神様を見て、
人間はなんで生きるか、ということがわかった。

天使はみんなに言った。「わたしは、すべての人間が、自分のことだけを考えて
生きているのではなく、愛によって生きているということがわかりました。」

「わたしが人間であったときに生きていけたのは、自分で自分のことを考えたからでは
なく、通りすがりのくつ屋さんとそのおかみさんの心のうちに愛があって、わたしを
あわれんで、愛してくれたからです。二人のみなし子が生きていけたのは、
みんながその子たちのことを考えてやったからではなく、
母親でもない女の人の心のうちに愛があって、その子たちをあわれんで
かわいがったからでした。だから、すべての人間が生きていけるのは、みんなが
自分自身のことを考えているからではなく、人々の心のうちに愛があるからなのです」

トルストイは、だれでもわかる言葉でやさしく、神の愛を語ったのだ。
人間は一人で生きていけるものではなく、お互いに助け合って生きていくものなのだ。

人の世話をしたくつ屋がしだいに裕福になっていったように、双子のめんどうをみた
女の人が幸福になっていったように、人の世話をすることが、自分のしあわせに
つながる。それは目的ではなく、結果なのだ。自分の幸せのために人の世話をすることを
あまりにも意識するとみにくくなる。

トルストイ: 人にはどれほどの土地が必要か

 人から借りた土地で苦労している百姓が、土地さえあれば悪魔もこわくない
といったため、悪魔のたくらみに....

人にはどれほどの土地が必要か(あらすじ)

あまりにも欲を出しすぎた。ほどほどのところでやめておけばよかったのに
という教訓ものでまとめる解説もあるかもしれない。

でも、この話は冒頭で、百姓のつぶやきを悪魔がとがめて、おもいしらせてやると
悪魔がしくんだできごとだから、百姓の欲はとどまることを知らず
破滅の道をまっしぐらつきすすむよう、悪魔のプログラムは進行するのだろう。

人間の欲は限りがないものだ。学問も芸術もスポーツも、もっと先へもっと先へ
という強い意欲がなせるものであるから、ここでやめるというのは
なかなか人間にはできないことなのではないだろうか。

ほどほどのところで止めておけば、賭事も株もバブルも怪我をしなくてすむのだが、
なかなかそれをできる人間は少ない。

トルストイ:カフカズの捕虜

 カフカズ(コーカサス)で軍務についていた若者が母親の待つ国元に帰る途中で、
タタール人に捕らえられてしまう。

カフカズは黒海とカスピ海を結ぶカフカズ山脈にまたがる地域。
グルジヤ共和国、アルメニア共和国、アゼルバイジャン共和国などが
いまもあり、きな臭い地域。
これらのカフカズの南にはトルコとイランがある。だから、カフカズの人々は
回教徒なのだ。

カフカズ(コーカサス)がどこにあるのかわからない人のために
カフカズの地図       カフカズの道路図
をリンクしてみました。

昔から多くの民族が移り住んできて、戦争の歴史も長かったようだ。

だから、辺境に駐留するロシア兵の要塞があった。
そして、主人公である貴族の若者が士官として軍務についていた。
彼の母親から手紙が届いて、もう年だから死ぬ前に一度会いたい、息子の嫁も
探しておいたから、気に入ったら結婚するようにと書いてあった。

彼は隊長に郷里に帰るため休暇を願い出て、仲間に別れをつげた。
カフカズでは、昼でも夜でも危険であり、ロシア人が要塞の外に出たら
馬に乗っていても用心しない、タタール人に殺されるか、タタール人の村に連れ
去られ、そこで監禁される。そこで、要塞から要塞に移動するには、護衛兵が
前後を付き添うことになっていた。

主人公は同僚と一緒に次の要塞まで移動する途中であったが、道が悪いため
なかなか護衛と荷物を積んだ馬車が後から来ない。それで馬車を待っていたが、
自分たちの馬は早いから、タタール人に襲われても逃げ切れるだろうと考えて、
二人だけで先に進んだ。それが間違いで、タタール人の集団に発見され、
二人の馬は銃に撃たれ、ついにはタタール人の捕虜になってしまう。

タタール人も仲間をロシア兵に殺されているから、互いに憎みあっていたのだ。
タタール人は二人を捕らえて、彼らの村へ連れていき監禁した。
そして、彼らの親に手紙を書かせて身代金を要求した。
しかし、主人公の母親は身代金を払う余裕などないから、書いた手紙の宛名を
うそを書いた。

捕虜生活をおくり足かせをつけられた主人公は、やがてタタール人の女の子から特別に、
食べ物や飲み物を与えられ、自分もその女の子に人形をつくってやったり、村人の
時計を直したりして、少しずつタタール人とのつきあいに慣れてきた。
そうこうしているうちに、山の上に上り、回りの地形を調べ、ロシアの要塞が
どちらにあるか見当をつけ、逃げ出す準備もおこたりなかった。

そして、月の欠けた闇夜に同僚とともに村を抜け出したのだが、同僚は早く歩けず
道を間違えたりして、ついに追っ手に捕まえられる。

とうとう穴の中に入れられ、待遇は悪くなった。食事もそまつとなり、水も水差し
に入れて下に降ろしてよこす。穴の中は変なにおいがするし、蒸し暑いし、
じめじめしている。とうとう、同僚は病気になって、横になってしまった。

落胆した主人公だったが、あのタタール人の女の子が棒を差し出してくれ、
なんとか穴から脱出するのを手助けしてくれた。主人公は病気の友人をおいて、
一人で足かせのついた足をひきずりながら、夜中ずっと森まで歩いてくる。

やっとの思いで森を抜けたら、要塞が見えてきた。近くにコサック兵のたき火が
見え、そこまで行けばなんとかなると思われたとき、近くにいたタタール人に
発見され馬で追われる。大声をあげてコサック兵の方に走った主人公は
あわやのところで仲間のコサック兵たちに助けられ、無事要塞まで戻ることができた。

この話はタタール人(カフカズ人)を悪人でも善人でもなく、たんたんと
描写している。
トルストイはクリミア戦争に将校として参加し、そのときの経験をもとにして
この作品を書いたという。
世界中にある民族紛争に毎日このようなドラマがあるのだろう。

私が子どもの時読んだのは、この話の全編の一部だった。逃げ出した主人公が
再び捕らわれて、穴の中で絶望感におそわれる場面だけ覚えている。
それはコーカサスの虜(とりこ)という題だった。
子どもの頃読んだ印象は、もっと悲しい話だった。それは解説文の影響だった
かもしれない。今読み直してみると、特別 悲惨な話でもなく、この程度のことは
現代にもありえる話で、民族問題とか国境問題を考えるてがかりになりそうだ。

国連タジキスタン監視団の一員としてタジクの星になったサムライがいました。
こちらタジキスタンの地図です。

さて、これらのトルストイの3編の話が載っている本は、1週間前に都南の古書店
で買ったもの。
4号線のパチンコ屋の向かいのカラオケボックスやラーメン店が並ぶ
一角にあった古書店で、こんな良書がわずか100円で買えたとは
盛岡もなかなか文化的な町だ。
リサイクル、資源の有効活用は、知的書物においても大事なこと。
日本はまだすてたものではない。

竹山道雄:ビルマの竪琴

 はにゅうの宿、ビルマの臥仏像、水島上等兵、

この話を映画で見たのが最初である。中学生の時である。はにゅうの宿の歌も
中学校の音楽で習っていたので、音楽の力はこんなにも偉大だと音楽の先生が言う
のも実感として納得できた。日本軍の兵士の白骨がこれでもか、これでもかと
スクリーンで映し出され、親兄弟や身内の悲しみが子ども心にも理解できた。
そういうわけで中学生には悲しい映画だった。

中井貴一の映画はリバイバルです。(われわれ世代には彼の父親の方がなじみがある)

本を読んだのはそれからずっとずっと後。

敗戦当時の頃、兵隊たちが復員してかえってきたが、みなやせて、元気もなかった。
そんな中に、大変元気よく帰ってきた一隊があったという。
聞いてみると、隊長が音楽大学を出たばかりの音楽家で、兵隊たちに熱心に
合唱を教えていたのだった。この隊は歌のおかげで苦しいときにも元気が出るし、
退屈なときには気がまぎれるし、いつも友達同士の仲もよく、隊としての規律も
たもたれていた。この隊の一人の兵士がこの話をしてくれた、というはじまりになっている。

竪琴のうまい水島上等兵は風貌もビルマ人に似ている。
そういう書き出しで、のちに主人公の水島上等兵がビルマ僧となって、竪琴を
弾きながら、死んだ兵士の遺骨を弔う仕事をする伏線を書いているのはさすがだ。

村人の歓迎を受けて、合唱を繰り返すうちにいつしか村人がいなくなり、
敵に取り囲まれたことを知ったこの隊は、隊長の判断で合唱を続けながら
戦いの準備をする。武器の用意もできたとき一瞬静まり返った。
あわや戦闘開始かと思われたとき、取り囲んでいるイギリス兵の中から
英語の歌がまきおこり、いつしか敵味方一緒に大合唱になっていったところで
第一話が終わる。

イギリス兵から3日前に日本は降伏したことを聞かされ、この音楽の得意な隊は
捕虜生活をおくる。隊長はみんな一緒の行動をとろう、そして全員無事日本に帰ろう
と言う。こういう立派なことを言って部下をまとめて、無事帰国させた隊長も
いたのであろう。

そして、水島上等兵は隊長から頼まれた。
遠くの山(三角山)に、日本兵がたてこもっていて、どうしても降伏しない。
それをイギリス軍が攻撃して、いまだに戦闘が続いている。
自分はイギリスの将校に頼んだ。どうか、われわれのうちの一人をその山にやって、
説得をさせてもらいたい。一人でも無駄死をする者がないように、できるだけの
ことをしたい。それではやってみろという許可をもらったから、おまえが行ってくれ
ないかというわけだ。水島上等兵が行かなかったら、隊長が行くというものだから、
水島上等兵はしばらく考えてから自分が行くと決心する。

そして、水島上等兵が無事任務をはたしたら、この隊がムドンの町の捕虜収容所
におくられることになっているから、そこで落ち合おうと約束する。
こうして、水島上等兵は一人任務について、隊のみんなと別れた。

それっきり、水島上等兵は帰ってこなかった。彼の竪琴の伴奏のない合唱は
つまらないものになった。

やがて、人づてに彼らは水島上等兵の消息を聞く。
終戦となってもなお抵抗した部隊 が全滅しなかったのは、よそから説得に来た兵士のおかげだった。
戦闘は続いたが、説得の功があって、結局は何人かの日本兵は降伏し命が助かったということだ。
しかし、弾の中を走り回って降伏を説得し続けたその兵士がどうなったか誰も知らない。

こういう話を聞きながら、ときおり見かける水島上等兵によく似たビルマ僧のことが、
隊長はどうしても気になってしようがない。
捕虜収容所の日本人たちに物売りに来るビルマ人のおばあさんから、隊長は青いインコを譲り受ける。
このビルマ人のおばあさんは日本語が上手だ。
その青いインコは水島上等兵によく似たビルマ僧の肩にとまるインコの弟だという。
隊長は青いインコに「おーい、水島、一緒に日本に帰ろう」と教え込む。
隊長は4日後に隊の全員は日本に帰ることをビルマ僧に伝えてもらうよう
ビルマ人のおばあさんに頼んだ。

そして、明日日本に帰るというとき一行の前にビルマ僧が現れ、水島上等兵だという証拠の演奏をする。
しかし、彼は隊には戻って来なかった。彼はビルマに僧として残るのだった。

どうしてとみんなが疑問に思っていたとき、あのおばあさんがビルマ僧の
いつも肩にとまっていたインコ(隊長が水島帰ろうよと教えたインコの兄インコ)
と手紙を届けに来る。そのインコは「ああ、やっぱり自分は帰るわけにはいかない」
と叫ぶのだった。

一行の帰国の船がマラッカ海峡をすぎたころ、隊長は水島上等兵からの手紙の封を
切って、みんなの前で読み始めた。

「みんなと一緒に日本に帰りたい。しかし、どうしてもしなければならない仕事が
ある。この仕事がすんだら、それがゆるされるなら、日本に帰ろうと思う。
しなければならないことというのは、ビルマのいたるところに散らばっている日本人の
白骨を墓におさめ、てあつく葬ることである。この悲惨なものをそのままにして、
日本に帰るわけにはいかない」

そして、彼の手紙は特別任務がどうなったかという報告へと続く。
三角山で30分だけ休戦が与えられ
彼の必死の説得が実を結ばず、彼も戦いに巻き込まれ、怪我をしてしまう。
親切な現地人に助けられ、怪我が治ってから、にわか僧侶として生き延びてきた
話がたんたんと続く。

彼が日本兵の遺骨を埋葬することを決心したのは、部隊と再会するためムドンの町
まできたとき、三角山の戦いで死んだイギリス兵と日本兵の合同葬儀にであった
からだった。イギリス人たちが
三角山で死んだ日本兵の無名戦士の墓を作ったのを見たからであった。
彼がそこに来るまでに、日本兵の白骨死体やそばに落ちていた子どもの写真を
一緒に土に埋めたりしたが、後から後からそういうものがあって、とても一人で
短期間にできることではないので、そのままにして一行のいる収容所へ
来てみたのであった。イギリス人ですら日本兵のことを手厚く葬ってくれたのに、
自分には日本人としてこのまま何もしないで日本に帰るわけにはいかない。
そう思ったのであった。

あとがきで作者は書いている。
この読物を書くのに、日本兵が合唱をしていると、とり囲んでいる敵兵もそれに
つられて合唱をはじめ、ついに戦いはなくてすんだ、というような筋を考えた。
しかし、日本人と中国人が歌う共通の歌はない。それで、われわれが子どもの頃から
歌っている「はにゅうの宿」を一緒に歌える相手は、イギリス兵でなくてはならない
と考えるにいたった。
こういう事情から、舞台はビルマになってしまったという。

作者はビルマに行ったことはなかった。だが、台湾に行ったことがあり、現地の部落
を訪れたこともあり、台湾の風土を思い出しながら、この話を書いたという。
終戦後すぐのころなので、進駐軍の検閲があった。(映画も芝居もみんな検閲された)
第1話を書いてそれを検閲に提出した。

検閲の結果、戦争をあつかっているからと不許可になった。出版社の方で何度か当局と
交渉してやっと、書いてから半年後に掲載されることになった。
そして、その続きは、この話が終わりまで完成した後に、全部を調べて大丈夫だと
判断されたら、許可されることになったという。そのため、全部を書くのに時間的な
余裕ができて色々調べることができたそうだ。

ビルマ全国に日本兵の白骨がたくさん野ざらしになっていること、日本兵が敗戦後に
脱走してビルマ僧になっている者がある等の話を聞いて、作者は話の筋立て構成を
決めた、とあとがきに書いてある。

しかし、現地の体験がないため、細かいところでは数多くの間違いがあったようである。
たとえば、僧がはだしで歩いているように書いたが、僧にかぎって「ポンジー草履」
と呼ぶものをはいているそうだ。

子ども向きに書いたせいもあって、非常に筋の展開がなめらかだ。
説明が飛躍するところがない。だから、読者は素直に話についていける。
教室で講義をするときも、あるいは教科書の説明文を書くときも
一連の経過を少しでも省略することなく説明するべきだと思った。
この作家のていねいな書き方を知って、初心者の学生に説明するべき方法を
反省した。

作者はドイツ文学者で、子ども向きの話はこれ以外には書かなかった。
この話が反戦的だともてはやされてから、のちに保守的な発言をするようになった作者
は転向したのではないかと一部には誤解されていたようであった。
本人が語るように、本人の思想はやはり一貫していたのであろうか。

今日の日本の発展を考えるとき、この戦争でたくさん死んでいった無名兵士の
ことを忘れるわけにはいかない。私と同世代にも、戦死した父をもつ友人が
多い。もし、両親がそろっていたら、彼らはそんなにも人生の苦労をしなかったろう。

竹山道雄はアルベルト・シュヴァイツー著作集の翻訳をした。

この物語がきっかけとなったのか、あるいは同じようなことを考えた人が他にも
いたのか、その後今にいたるまで、大陸や南方などに墓参団が訪れ、日本兵の遺骨を
手厚く葬る仕事は続けられている。

  インパール作戦から奇跡的に生還した人     ほんとうのビルマの竪琴

        

太宰治:ダス・ゲマイネ

太宰治の「人間失格」の未発表の草稿157枚が発見されました。
昨年2月に死去した津島美知子夫人が保管していたもの。

完成原稿と比較してみると
今回発見された草稿は独立して書かれたものではなく
完成原稿を書き継ぐ過程で生まれた ほごの集成と考えられる。

草稿と完成稿を比較してみると
主人公の造形や登場人物相互の関係が変化しており
詳細に調べれば捨てられた表現や付け加えられた 言葉がわかるという。

「太宰はこれらのほごを常に手元に置いて、
構想の羅針盤にしたり、表現の貯金箱にしたのではないか。
作家の生産現場を 生々しく伝えてくれる第1級の資料」
(安藤宏東大助教授)

高校生の時、(読むと自殺したくなるから)決して読むなと言われた太宰治の小説。
それをまにうけて大学に入ってから読んだ私。
世の中に太宰ファンは多い。

とうとう芥川賞を受賞できなかったが、芥川賞を受賞した作家の中には
作品、ファンにおいてとうてい太宰に及ばない作家もいる。

私が読んで、印象的だったのを思いつくまま書くと以下のようである。

ロマネスク(神童といわれながら村びとから尊敬されなかった仙術太郎、
喧嘩の練習をして実際に使う機会のなかった喧嘩次郎兵衛、神業級の嘘をつく嘘の三郎)

満願(3年たってお医者さんのおゆるしが出た)

駆込み訴え(ユダはキリストを愛していたのに、裏切られたと思い愛は憎しみに変わった)

走れメロス(死を賭けた友情。池田大作も誉めた名作)

人間失格(罪のアントニムは罰。ただ一さいは過ぎて行きます。自分はことし、
27になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、40以上に見られます)

太宰は人間的なあまりに、無責任無計画な面を強調されすぎたが、
彼をよく知る友人は、彼の真面目さや計算して小説を書いていたことを
述べている。

彼は日常生活が実に勤勉であった。
午前中にはきちんと原稿を書き、午後には読書や交友、そして
夜は全く野放図に酒を飲んで楽しむという風であったが、それが
実に規則的なのだ。外観はだらしなくみえるし、事実彼はだらしなそうに、
つまり無頼派風に振舞ったけれど、それは彼にとっては友人への
奉仕であり、根は勤勉で実直な人であった。
(亀井勝一郎)

さて、太宰治のダス・ゲマイネについて印象を書いてみよう。
次の言葉を読んでなるほどと思った。
自称音楽学校(今の東京芸大)の学生が東大生の主人公に語る言葉である。
「僕はそこの音楽学校にかれこれ8年います。なかなか卒業できない。
まだいちども試験というものに出席しないからだ。ひとがひとの
能力を試みるなんてことは、君、容易ならぬ無礼だからね」
「さうです」「と言ってみただけのことさ。つまりは頭がわるいのだよ」

人が人を評価するとは、とうてい完全なことは期待できない。
ある面では人気投票、あるいはひいきの引き倒しにもなりかねない。
しかしながら、その価値がわからない人には引き立ててもらえない。
その価値をわかる人はやはり同じ分野の人でないとだめなのだ。

美術にしても学術研究にしても、先生に負の評価を受けたら
抹殺されることもある。いや、過去にもあったのではないか。
だから、相当の力をつけてから、たいていの人は先生から独立して
先生を客観的に評価するようになる。

ダス・ゲマイネとはドイツ語 das Gemeine
これは英語にもフランス語ある形式で、形容詞が名詞をさす。
定冠詞+形容詞で「ゲマインな人」ということ。
つまり「フツーの人」「凡人」「低俗なやつ」「いやらしいやつ」

この小説では誰が低俗な人間なのであろうか。
主人公かあるいは全員か。

太宰治の5つ目の書き下ろし長編小説「惜別」がある。
昭和20年9月刊。日本文学報国会の募集で、
資料集めや切符人手、印税、用紙割り点てなどの便宜が
図られる好条件で、執筆希望者は約50人に上った。

太宰や高見順ら5人が選ばれたが、作品を完成させたのは
太宰と森本薫2人だけ。

取材のため訪れた河北新報社で取ったメモは、
200字詰め原稿用紙14枚と厚手の紙などにぎっしり
書かれている。うち3枚は「惜別」の構成案を書き込んだ
創作メモであった。

太宰治は「惜別」を書くため魯迅の資料を集めようと
仙台の河北新報社、東北大学などを訪れ、関係者から取材した のであった。

  文学至上主義を唱えた「惜別」

遠藤周作:(作品は何にしようか)

 「シュッ、マッチ。ポッ、ケムリ。タバコ、ノミタイナ』。
九歳の子どもが書くには、あまりにませたポエムだが、
このころから、その鬼才ぶりを発揮していた。

 これは、作家遠藤周作の幻の”処女作”。
父、常久の転勤で旧満州の大連にいた昭和七年、地元の日本語新聞
の少年文芸欄に掲載された。当時、大連市の大広場小学校三年だった
遠藤が、担任の先生の勧めで初めて作った詩だ。一番喜んでくれ
たのは母・郁であった。郁は死ぬまで肌身離さず、その新聞の切
り抜きを持っていたという。

 遠藤は、二男として生まれた。父は、東大卒後銀行員に、
母は幸田露伴の妹、安藤幸とともに著名な外国の音楽家の弟子で、
東京芸大でバイオリンを学んだ。二歳年上の兄正介は、学生時代常に
開校以来の秀才として誉れ高かった。一方、エリートー家に育った周作は、
学校の成績も悪く、友人も少なく、動物と戯れる日が多かったという。

 ”できが悪い”と言われた周作の能力を信し、励ますことをやまなかった
のは郁だった。「あなたには、みんなにはない素晴らしい才能があるのよ」。
周囲も羨ましがるほどの優秀な長男、正介と決して比較することはなかった。

 遠藤をカトリック作家として大成させたのも母の影響。母を通して
十二歳で洗礼を受けたそのカトリック体験は、遠藤文学の根幹をなし、
人間のずるさ、弱さ、孤独を生涯みつめ続けさせた。

 エリートー家の”醜いアヒルの子”から、大空に舞う美しい白鳥に
育てたのは「白分を信じなさい」という母の一言だった。

 家庭崩壊、教育荒廃などで自らを見失い、焦燥感にかられる若者が
増えている。こんな一言で未来の”命”を蘇らせ、息を吹き返らせることが
できるのではないのか。
(遠藤周作を白鳥に育てた、東京コラム、産経新聞 1998.5.31)

遠藤周作の「童話」、「私のもの」には大連で暮らしていた両親が離婚して、
銀行員の父親につくか、バイオリニストの母親につくか、子ども心にゆれ、
結局母と一緒に日本に引き揚げて来て、叔母夫妻に世話になる話が書かれてある。

妹は叔父夫婦にうまくとけ込んでたくましく生きているが、自分は
なかなか回りとうまくやっていけない。いわば不器用なのだ。
そんな心のひだを小説家らしく上手に書いている。

実際には彼には妹ではなく兄がいたのだ。兄のいやらしさを仮想の妹として作り上げ
その妹に兄の負の姿を投影したのだ。
小説家のフィクション(虚構、うそ)のテクニックだ。
これは他の作家にもよく使われる手だろう。

読者はしたがって、すべて作者の自伝だとは思わない方がいい。
また全部が作り話だと考えるべきではない。
虚実をまぜながら、創作をしていくのだから。

インターネット記事にこういう創作的なものが掲載されると
迷惑すると考える人もあろう。
インターネットに書かれてあることをすべて真実だと信じたいから。

「私のもの」には、彼がカトリックに自分の意志ではなく、叔母に義理立てして
入信したことのこだわりが書かれている。

そして、そのこだわりは彼が妻を選んで結婚したことにも及ぶ。
母が亡くなって父に引き取られた彼は、父が結婚を世話するとき
「父さんは結婚に失敗したからな。若いうちは女を見る目がないもんだ」と言って、
父が世話をしたがるのに反発を覚える。

それは自分の結婚相手を他人から左右されたくないという気持ちと、
死んだ母をさげすむような父の言い方が気に入らなかったのだ。

子どもは自分で両親のそれぞれを否定していても、他人からそれを指摘されると
いやになるものだ。自分が両親の一部であるからだ。

彼は父の勧める縁談をすべて断ったため、いきがかり上、自分で結婚相手を
父に紹介しなくてはならなくなる。

彼は死んだ母親を更に孤独に追いやらないため(母を裏切りたくないため)
当時つきあっていた5、6人の女性の中で、一番目立たない女性に、結婚申し込みをした。
それもわざと事務的に処理するために、うどん屋でしたとは。
(とても私には彼の気持ちは理解できない)

ある時、妻に言ってはならない言葉を言ってしまった。
「君なんか 本気で選んだんじゃないんだ」
そうして妻を泣かせてしまった彼は、キリストにもそう言いたかったのだろう。

そして、動機はともかく選んでしまったからには、一生つきあっていくという
固い気持ちも言いたかったのだろう。

本当は作者は、回りの大人からしむけられ、自分の気持ちからではなく
なかば強制的に、キリスト教に入信したことにこだわっていたのだろう。
そのこだわりをストレートに文章に書かずに、ひとつのたとえとして
いきがかりで妻を選んだ男の話をもちだしたのだろう。

したがって、実際の彼の結婚が、この話のように
いきかがりで選んだ妻ではなく、誰の意志でもなく自分の意志で選んだ妻で
あったのかもしれない。

現実はどうだったのか、作者の真実はどうだったのか。
それは作品には何の関係もないことである。

入信の動機やいきさつはどうであれ、もはや弱いキリストを捨てないぞという
強い意志を作者はいいたかったのだ。

キリストは王の中の王ではなく、弱いものの味方でかっこうもよくない
本当は弱い存在だからこそ、彼は信じてついていきたいと思っていたのだろう。

強くてはれがましい存在なら、彼のような人間の弱さを受け入れたい人間には
近づきたくない存在だろうから。

山本有三:路傍の石

 炭坑の映画館で見たのが「路傍の石」の映画。そのとき、私は中学生だった。
母親役は山田五十鈴、頑固な父親は伊藤雄之助だった。名優だった。
このシリーズの最初に書いた、「ビルマの竪琴」もやはり中学生の時、映画で見たのだった。
考えてみると、竹山道雄と山本有三は、どちらも東大独文科の卒業生で
ありながら、作風は全然違う。

どちらかというと真面目、固いという印象の山本有三の作品は、義務的に読んだものだった。
しかし、読んでみると「真実一路」や「波」は、あたりまえのことが書かれてあり、
波瀾万丈という内容ではないが、考えさせられるものもあり、一度読む価値が
あると思う。

路傍の石は、自伝的な要素が強い内容といわれる。家庭の事情で、進学できずに、
主人公の吾一少年は、近所の呉服屋に丁稚奉公に入る。
それまで友だちとして遊んでいたのに、彼が丁稚奉公に入ると、そこの家の
子どもは、もはや雇い主が奉公人に対するような口のききかたをするというのも、
子どもの世界とはいえ、残酷な現実が始まったことを知らせる。
(おしんに、奉公人の辛い苦労の場面が出てくる。あれは作者のテクニック)

いくつかの経験をして苦労して、主人公はやっと印刷屋で職を見つける。
そして、恩師に再会し喜ぶのもつかの間、恩師から意外な話をうち明けられる。
先生もぎりぎりで生きてきたのだ。

路傍の石を書いているうちに、作者はどうしても社会背景にふれざるをえなくて、
その結果、原稿は当局から、何度も書き直しを命じられる。
書きたいことが書けず、大変な制約の中で苦痛を感じながら、とうとう筆を折って
この作品は中断してしまった。

頭の良い太宰は、この時期無難なテーマを選んで、文学に生き甲斐を見つける
中国人作家<魯迅>をモデルとしながら、自分の生き様を作品に書くことに成功した。
真面目で不器用な山本は、時代が変わるのを待たなければならなかった。

時は移り、敗戦となり、執筆は自由になった。
(ビルマの竪琴で書いたように占領軍の検閲はあったが)路傍の石については
続編を書ける環境は整った。
しかし、作者は書けなかった。(他の作品は書けても)路傍の石の続きは
書けなかった、とあとがきに書いてある。

なぜ書けなかったのだろうか。自由な世の中になり、検閲で妨害されることも
なくなり、いくらでも続きを書けたのに。
私には、書ける環境なのに、なぜか書けなくなったと正直に告白している
山本有三の言葉が印象に残った。

いま考えるに、抑圧された社会環境という中でこそ、書かねばならない、
書きたいと思ったのだろう。

ところが、もはや自分が感じていた当時の社会の抑圧というものは、
目の前になくなってしまって、目標を失ったからではないだろうか。
(あの作品が書かれるためには、重苦しい戦前の世界がやはり必要、
といえば、皮肉になってしまうだろうか)

もちろん、問題のない社会というものはありえず、現代も社会の別な
問題はあるはずであるが、路傍の石の扱ったテーマを当時の社会環境という
条件のもとに書くことは、現実から目をそらす、一種の歴史小説のようなことに
なって、(山本有三としては)書く意欲がなくなったのではないだろうか。

もし、この推定が正しいとしたら、その時代の社会背景が、その作家の作品創作に
大きな影響を与えるものではないだろうか。

        

森鴎外:かのやうに

森鴎外は本当に穏健保守の人だった。体制を壊すよりはなんとか守ろうとした。

小説「かのように」のテーマは、歴史学における神話と科学の調和の問題であった。
わが国の歴史は戦前においては天孫降臨から始められていた。
即ち神話は絶対的に歴史に重なっていた。

かのやうにその意味
かのやうにあらすじ
舞姫エリスの真実

徳富蘆花:不如帰

海軍少尉川島武男とその妻浪子、若い二人の新婚生活は楽しかった。
浪子は育ての母の元での緊張した生活から、自分の家庭に入ることができたから、
この上ない幸福だった。武男の母は一人息子を嫁に取られたかのような気分で
寂しかった。母にしてみれば、乱暴な夫のもとでびくびくしながら生活し、
その夫が亡くなって、やっと息子とつかのまの平穏な日々を楽しみたかったのに、
という理屈ではない感情のもつれがあることを、読者にわかるように書いてある。

幸せな若い二人の生活は長く続かなかった。
浪子は当時不治の病である結核にかかり、夫の留守中に姑から無理に実家に帰された。
軍人であった武男が家に帰ったとき、浪子は母によって暇を出されていた。
自分に相談しないで妻を実家に帰させたことを、武男は怒って、すぐ家を飛び出して
勤務地へ戻る。

そして、時代は日清戦争まっただなか。武男は戦場に臨み怪我をしたり、
浪子の父が中国で危機に陥りそうになるのを助けたりして、読者の
気持ちをそらさない。他にも浪子に横恋慕し、二人になおも復讐をしようとする
恋仇(彼が武男の母に、浪子の結核が武男にもうつり、そうなると家系が途絶える
とおどかす)や、浪子の後がまをねらう成金の娘とか、読者が続きを読みたくて
しかたがないような筋立てになっている。

娘のことを気遣う父親は浪子と二人で京都へ療養に行く。その帰り山科の駅で、
浪子は、向かいの神戸行きの列車の中に武男を見つけて、
思わず二人は叫ぶが、二人の列車は遠ざかっていく。この手法はいかにも劇的で、
メロドラマの映画によく使われる。もしかすると、蘆花の創作か。

当時の女性、特に嫁の弱い立場に、多くの人々が同情した。ベストセラーになった。
国民新聞に連載され、時の総理大臣山県有朋も熱心な読者として、この小説が
単行本になることを待っていたという。

この小説にはモデルがある。
悲劇のヒロインは実は、大山巌の娘信子であった。先妻沢子の娘であった。
先妻に先立たれその2年後に、大山巌は山川捨松と再婚した。明治4年に岩倉具視
一行とともにアメリカ留学した5人の少女の一人が捨松だった。
洋行帰りの捨松夫人は、小説の中では冷たい理知的な母親で継子をいじめる役として
描かれている。

このかわいそうな女性の話を徳富蘆花夫妻は明治31年に逗子の宿で聞いた。
すぐ小説に書こうと思った、と蘆花は述べている。

大山巌の娘信子は、結核になったため、夫であった三島彌太郎と、その母により離縁された。
三島彌太郎は、山形県の土木県令として有名な三島通庸の長男である。

徳富蘆花は他にも、小笠原善平のノートにもとづいた「寄生木(やどりぎ)」を書いた。
この話は本人から、ぜひ小説にして残してほしいという手紙があったということである。
蘆花はモデル小説を通じて社会正義を訴えたかったわけだが、
おそらくモデルにされた本人は、よく書いてくれたと思ったにちがいない。
(回りで書かれてほしくない人もいたかもしれないが)

この文章を書いているとき、友人をモデルに小説を書いて文学賞を受賞した
在日の作家が、モデルにしたその友人から訴えられた事件があった。
その小説の中が、本人も気にしている顔のことなども具体的に書かれていて、
誰が読んでもあの人のことだとわかるので、当の本人から迷惑したと裁判に訴え
られていた。裁判の結果は、作家に非のあるという判定だった。

蘆花の小説は、よく読めば誰のことかわかるが、それでも具体的な肩書きや
固有名詞などは書くことは避けている(たとえば、浪子の育ての母親の捨松のことを
実際はアメリカ留学なのに、ロンドンに留学したことにしている)。
蘆花の小説では、なによりも、かわいそうな主人公の身の上を小説に書くことで、
読者の共感を得ながら、応援しようという意図が見られて、私などは好意をもつ
ものである。

人を殺す話

モンゴメリー:赤毛のアン

世界中の女の子たちに愛される、赤毛のアン
カナダのプリンスエドワード島で育ったルーシー・モード・モンゴメリーは
まだ赤ん坊の時に、母が病死し、祖父母のもとで育てられた。

当時まだ女性は、家庭婦人として家族の世話をすることが主な役割と考えられていた。
したがって、女性が仕事をしたり自分の意見を述べたりすることは、カナダの
辺境のようなプリンスエドワード島ではなおさら人々から話題に上った存在で
あったろう。彼女の自伝的小説「赤毛のアン」は半分は真実、半分は自分の回りの
人々のことをつないで創作したものである。

大学教育まで受けた作者は、知的に生きることをめざし、それは努力の末に実現した。
積極的に新聞社や出版社に原稿を送って、やがて作家として世界的に認められる。

彼女の遅い結婚で得られた家庭生活において、楽しいことや苦しいことを体験しな
がら、赤毛のアンを出版社の依頼で書き続けたという。
売れ行きが良いため出版社はシリーズを続けることを要求した。

赤毛のアンの続編を読むと、どこかマンネリで、作者の意欲があまり感じられない
ように思われる。まあ、それはそれでシリーズを待ち望む読者のサービスもあるから
いいのだ。そう受け取ってくれる読者には楽しいシリーズとなっているのだが。

この原稿が出版社との契約にもとづく依頼原稿であったので、作者の書きたいものは
他にあったということが後に書かれた彼女の伝記の本などを読むと理解できる。

リスボアを見た女

直木賞作家阿刀田高の文学作品。 1992年発行の白水社の本を読んだ。 
読んでみたら、技術のことも書いてあるが、諸説を紹介しながら、作者の考える
歴史を述べている。科学技術書というよりは文学作品である。

結局は火縄銃製作の伝説を中心に、男女の間の話としてまとめている。
刀鍛冶の娘の不幸な伝説と、主人公の昔の転校していってしまったクラスメートの
女子学生のことなどを上手に繋いで話を作っている。

1543年(天文12年)8月25日、種子島にやってきた中国船に、
ポルトガル人が乗っていた。彼の持っていた鉄砲に着目した島主種子島時堯は、
これを買い、使用法を教わった。そして、時堯は島の刀鍛冶八板金兵衛にその複製を
作るよう命じた。

領主から火縄銃を借りて、見よう見まねで刀鍛冶は作ってみたが失敗作。
できた複製品を使ってみると、不発したり暴発する。
本物の火縄銃は筒の後ろが蓋でふさがれている。そして、その蓋にはそれまで
見たこともないネジがついていて、そのネジを切るところがどうしてもできないのだ。

鉄砲の筒は刀のように叩いて作った。叩いて伸ばして鉄板を作ってから、
浅い窪みをもつ鉄床に載せ(さらに叩いて)少しずつ湾曲させ、
それを芯棒にからめてまるめる。ほぼ筒形になったら、接合面を赤く焼いて
叩きながら鍛接する。

筒ができても、一端を塞いでおかないと弾は飛ばない。
当時の火薬の質が悪いから、発射の後、滓が筒の中に残ってこびりつく。
これをきれいに取り除かないと暴発の原因となる。

したがって、塞いでいる蓋を開ける必要がある。
しっかり密封したり、固定したりできる蓋。
それには、南蛮人はネジを切った蓋を使っていたのだ。
(煙突掃除の横煙突の蓋をイメージ。あるいは酒の栓にネジがあれば便利だろうか)

当時でも、雄ネジの加工は比較的容易であったろう。例えば糸をコイル状に巻き付け
その線に沿ってやすりで削っていけばよい。
しかし、当時の刀鍛冶には「やすり」と「たがね」しかなかっただろうから、
雌ネジを作るのは大変困難であったと思われる。

うまいぐあいにその後で、ネジを切る技術をもったポルトガル人が来たとき
刀鍛冶の娘若狭が、その男の嫁となった。1年後に父の所に里帰りして、技術を伝え
たが、(どういうわけか)実家で病死してしまう。迎えに来たポルトガル人の夫は
彼女が死んだことを聞かされても涙を流さなかったという。

鉄砲の筒の蓋のネジ切りの他にも、火薬の製作の技術移転でも、
同じような苦労があったのではないか。別の娘の悲劇があったかもしれない。

リスボアつまりリスボンに連れて行かれた日本人の女
そういう悲劇の女性は何人もいたかもしれない。

南蛮人だって、宝と女という目的がないと、遠い異国まで苦労してこなかったろう。
そう作家は想像をめぐらす。聖職者なら布教という大義名分があるだろうけど。

男は女にめぐりあって、自分の国の技術も秘密も与える。中には悪いものも与えたろう。
たとえば病気とかも与えたろう。
そうやって、技術も文化も伝わっていった。単に技術を伝えたい人と技術を受け入れ
たい人との、真面目な組み合わせなど、ほとんどなかったのではないか。
本を読むと私もそんな気になる。作者の影響力はおそろしい。

異性のクラスメートの影響で、文学作品を読む人だっていないとはいえない。
女の先生への憧れから、英語の勉強にのめり込む人だっているかもしれません。

私の仮説は、小説はすべて恋愛がテーマ。
男と女の愛と憎しみ。これを拡張して、同性愛としての愛と憎しみまで広げたら
たいていの小説はあてはまってしまう。
しかし、白鯨とか白い牙なんてのは、あてはまらない。
それでは、人間と動物との間の、強い関心(愛と憎しみ)
そこまで拡張したら私の仮説はあてはまるかもしれない。

若狭の悲しい物語は下記の本を読むとわかるかもしれない。
「種子島の史跡」 徳永 和喜 著 <和田書店>

漫画家

漫画週刊誌の編集長の書いた楽しい漫画家列伝。 
この本は楽しい読みもの。

クローディアの秘密

すすめられてアメリカの児童文学作家カニグスバーグのクローディアの秘密を読んだ。

革トランク

宮沢賢治の童話。斉藤平太は楢岡の町の中学校と農学校と工学校を受けた。
三つともだめだと思ったら、工学校だけ受かってしまった。
そして計算の下手な担任教師が平太の通信簿の点数の計算をまちがえてくれたため
卒業してしまった。
家に帰ってから、父が村長である村の消防小屋と分教場の設計を頼まれる。
(こんなことは実にまれです) このセリフは賢治研究家板谷先生がよく借用する。
しかし、その設計図は大工たちを困らせ、でき上がった分教場の教員室も
廊下がついていないから、玄関から行くことができない。
消防署の二階もはしごがないから誰も上られない。
(こんなことは実にまれです)
困った平太は汽車に乗って東京に逃げる。
東京では苦労しながら建築現場で仕事を覚えている途中に
母が病気になり息子の顔が見たくなる。
父親からの電報を受け取った平太はしかたなく、親方から
いらなくなった図面を三十枚ほどもらって、買った革トランクに入れて
汽車で帰ってくる。
これは、ほとんど賢治の自伝をもとにして、戯画化した話である。
実際の賢治は、盛岡高等農林を卒業してから、父と意見が合わず
家を飛び出して東京に行ってしまう。本郷に住みながら
宗教団体の奉仕活動を続けるかたわら、たくさんの原稿を書く。
妹の病気という電報を受け取り、神田あたりで茶色なズックを張った
大きなトランクを買って、いっぱい書いた原稿をそのトランクに詰めて
花巻まで帰ってきたのである。
童話作家としては大成していない自分を、未熟な建築士にたとえたのであろう。
こうしてみると宮沢賢治の作品は、自分と自分の回りをモデルに
書いたものが他にもありそうである。
セロひきのゴーシュもそうではないかと思う。

嵐が丘

いまヒースクリフと結婚すれば あたしまで落ちぶれてしまうわ。
あたしがどんなに愛しているか。
彼はあたし以上にあたしなの。魂がなんでつくられているとしても、彼の魂とあたしの魂はおなじものよ。
リントンの魂とは、月光と稲妻、霜と火くらいちがうわ。

ヒースクリフと結婚したらまたしたち乞食になっちゃうのよ。
だけどエドガーと結婚すれば、あたしはヒースクリフの出世をたすけて、兄さんの手から救い出すことができるもの。

身勝手なキャサリンの告白
       いちおうの あらすじ

   

突然ですが茨城大学付属図書館100冊の本
(全国でも、なかなか良い企画)リンク許可を得ています。