今のように借りて耕していると、やはり独立農家がうらやましくなる。
毎年、少しでもよい土地を借りようと人より早く契約しなくてはいけない。
自分も永久地を買い取って、誰に気兼ねなく耕作できたら、どんなにいいだろう。
そうしているうちに、遠くのバシキール人のところに行けば、非常に安く広い土地が
買えるという話を商人から聞く。
そこで、みやげ物を持参してバシキール人たちのところへ行った。
彼のみやげに喜んだバシキール人は、ほしいだけ土地を売ってやるという。
その条件は、1日歩き回った分だけ自分のものになる。土地の広さに関係なく
千ルーブリだという。ただし、その日のうちにもとの場所に戻ってこないと無効だ。
日が沈むまでにもとの場所に帰ってくるのが条件だった。
彼は朝早く起きて、歩きに歩いた。4つの角で曲がれば自分の土地が区切られる
ことを考えて、できるだけ遠くまで歩いた。
しかし、暑さのため頭がくらくらとなって、元の場所に戻ろうとしてまっすぐ歩いたが
思ったより体力を使い果たしたらしく、日没までに戻れないかもしれないという
思いにとらわれる。
汗べっとり、口の中はからからで、ふらふらと歩いた。
ああ、もう日が沈む。
最初の場所はこの丘の上だ。でも間に合わない。広大な土地を手に入れそこなかった。
と思ったら丘の上で、わあわあ騒ぐ声が聞こえる。
自分から見たら太陽は沈んでいるが、丘の上から見たらまだ沈んでいないかもしれない。
最後の力をふりしぼって、彼は丘の上に駆け上った。丘の上はまだ明るかった。
バシキール人たちは「よう、でかしたぞ」「土地をいっぱい手に入れたじゃないか」
と声をかけてくれた。
彼はばったりと倒れた。みんながかけよったら、彼は死んでいた。
バシキール人たちはシャベルで穴をほって彼の死体を葬った。
それは3アルシン(およそ4.5メートル)の墓だったのだ。
ロシア人は大きいから4.5メートルの墓が必要だったが、
日本人なら畳1枚で十分。
死んだら、広い土地はいらない。畳1枚で十分。
ドイツで土葬の墓を見たことがあるが、畳1枚の広さだった。