森鴎外:かのやうに

森鴎外は本当に穏健保守の人だった。体制を壊すよりはなんとか守ろうとした。 小説「かのように」のテーマは、歴史学における神話と科学の調和の問題であった。 わが国の歴史は戦前においては天孫降臨から始められていた。 即ち神話は絶対的に歴史に重なっていた。 歴史学を専攻する主人公は、学者の良心として、そのような立場を 是認することはできない。 だがしかし、天孫降臨神話を否定すれば、日本の大切な「御国柄」の根本が 失われてしまう。 子爵家に生まれた主人公は、そういう「危険思想」を公表することができない。 主人公は、神話と学問の間にはさまれて、ノイローゼに陥る。 誰でも、そういう矛盾に気がつけば悩むであろう。 そういう時、鴎外はファイヒンゲルの「かのやうにの哲学」を読んで、 これを解決に使おうと考えたのであろう。 ファイヒンゲルによれば、すべての価値は「意識した嘘」の上に成立している。 即ち「かのやうに」という仮定の上に立っている。 幾何学でいう、線とは長さだけあった幅はないという仮定。 あるいは、点とは位置だけあって大きさはないという仮定を考えてみるとよい。 幅のない線、位置だけあって、大きさのない点などは実際に存在しないが、 そういう点や線を、あるかのやうに仮定しなければ幾何学は成立しない。 この「かのやうに」理論を、主人公はファイヒンゲルから借用すれば、 神話は事実ではないが、事実であるかのやうに扱うことによって、 「御国柄」と矛盾しない歴史学が構築できることになる そういうことに気がついた。 真相は、森鴎外は大逆事件に心配した山県有朋から危険思想対策を求められ、 それに応じて書いたのが、この「かのやうに」であったという。 妥協折衷の立場であったが、鴎外なりに矛盾を解決する方法を、ドイツの文献から 探してきて、なんとか説明したことに、彼の真面目さを感じる。 もちろん、その矛盾は説明だけで解決するものではなく、後の歴史を見れば 明らかなように、学問の真実を追究することが大事で、皇族ですら 鴎外のこの説明の苦しさと欠点を理解したであろうことは、推察できる。 徹底的に批判的な人間として生きて、上から送られることになった 博士号ですら辞退した夏目漱石と、 体制をなんとか守ろうと良心的に苦労した森鴎外。 二人は時間を超えて、同じ家に住んでいたらしい。明治村に二人が住んだことの ある住居が保存されている。 そして、二人は明治天皇の崩御の時、明治と自分たちの時代が終わったことを 感じた。 明治人の二人は、乃木希典の殉死にショックを受けた。 そして、その感動を作品に発表した。 「こころ」と「阿部一族」


かのやうにあらすじ