セロひきのゴーシュ

宮沢賢治の童話。
ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係だった。
活動写真館でなく、今度は町の音楽会で交響曲を演奏することになる。
だから、楽長の指導のもとでみんなで練習する。

賢治もセロを弾いたけれど、ゴーシュのように下手だったらしい。
ゴーシュはフランス語で「ゆがんだ」とか「下手な」という意味だそうだ。
(ゴーシュはgauche。元来「左」という意味。旅とらトラのかおるさんに感謝)
下手でも楽長から叱られても、ゴーシュは一生懸命練習する。
それこそ睡眠時間をけずってまでセロの練習をする。

応援か冷やかしかわからないが、毎晩のように動物たちが練習の時やってくる。
でも、これがなかなかいい。訪問者は刺激を与えてくれる。
自分なら血を吐いても叫ぶと言ったカッコウから、
正確な音階と練習の必要さを学ぶ。
子ダヌキからリズムの勉強をおそわるし、二番目の糸を弾くとき遅れることを
指摘される。
毎晩次々に訪れる動物たちに刺激を受け、少しずつ上達していったのだ。
だから、演奏会の後に楽長からほめられる。
人間何ごとも一生懸命やれば、それなりの成果を上げることができるのだ。

実は高校生の時、睡眠時間をけずって勉強したことがある。
その時はやむにやまれぬ気持ちで必死に勉強した。
あけがたのカッコウの声を聞きながら。
宮沢賢治はそばで励ましてくれた。
今でもそう思っている。賢治ありがとう。
北海道の初夏の頃だった。
あの時私は宮沢賢治をとても近くに意識した。