土木技術史にみられるアーチ橋 目次 まえがき 技術史の研究意義 アーチ橋の土木技術的考察 二重橋に見られる伝統芸術 あとがき

まえがき 技術史の研究意義  歴史とは、現在と過去との間の対話ということができる。 過去の意味を考えることは、現在のわれわれが生きるために必要なことである。  技術はそれが生まれた地方やそれを育てた民族固有の文化的伝統と密接な関係がある。 ある国ですばらしいものがつくられたとしても、それがそのまま他の国にとっても 好ましいかというとそうでないことがある。たとえばわが国が発展途上国に技術協力や 技術輸出をするとき、相手の国に適した資材とか方法で行えるよう直してやる配慮が 必要なこともある。そうしないと文化摩擦を起こしたり、せっかく伝えるべき 技術が相手の国に根付かないことがある。  人間は時代の影響をまぬかれない。技術史も世界や日本の歴史を考えることが必要である。 その時代の政治や経済や文化のしばりから自由になることはできないから。  古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ。(芭蕉) 化石が生物の生きたさまを伝えるのではなく、断片のみを伝えるのと似ている。 歴史の資料もそれを残した人間の都合で残されているから、そこから 一層の真実を読みとらねばならない。 アーチ橋の土木技術的考察 ドイツと日本のアーチ橋について 二重橋に見られる伝統芸術 南部鉄瓶と二重橋 あとがき  技術の歴史に残る成功や失敗の話はどれひとつとっても貴重なものと考える。 成功はそこから成功の秘訣をよみとれるし、失敗の話はそこから失敗の原因を分析して どうすれば成功するかというヒントが得られるから。  鉄砲伝来にまつわる悲劇の女性の伝説がある。種子島の刀鍛冶八板金兵衛清定の娘若狭である。 清定は天文12(1543)年に島主種子島時堯の命により、ポルトガル人から購入した鉄砲の 国産化に努力した。数ヶ月で複製品を作ったが、どうしても銃身の端部を塞ぐネジ止め部分の構造が わからなかった。当時の日本の技術にはネジはまだなく、雄ネジの穴は削ることができたが、 雌ネジを切ることができなかったからである。やむをえず銃身の尾部を焼き締めてふさいだところ、 銃身の底にたまった火薬のかすが取り除かれずに、導火孔が目詰まりして暴発の原因になった。 困った彼はポルトガル人に尋ねたところ、ポルトガル人の鉄砲鍛冶に娘を嫁に与えれば教えると言われ、 ついに娘は父の仕事の完成ため犠牲となったという伝説がある。雌ネジの作り方としては諸説があるが、 尾栓の雄ネジを鋳型として熱間鍛造法で製作したのではないかと推定されている。ともかくも、ネジによって銃身の 尾部をふさいだので、ふたの取り外しが自由になり、火薬の燃えかすを取り出したり、内側の手入れ ができるようになったのであった。  技術にまつわる、ちょっとした工夫とかコツとかは、しかしそれを克服しないと前に進めないものである。 そういったエピソードも技術史を学ぶものにとって楽しいものである。楽しみながら勉強したい。 参考文献 1)飯田賢一(1990.3):技術史、放送大学教育振興会 2)高橋裕(1991.5):現代日本土木史、彰国社 3)ベルト・ハインリッヒ、宮本裕・小林英信共訳(1991.6):橋の文化史、鹿島出版会 4)宮本裕・岩崎正二・出戸秀明(1993.3):土木工学の歴史とそのユニーク性、土木学会誌3月号、50〜51頁 5)宮本裕他(1997.5):橋梁工学、技報堂出版 6)宮本裕他(1999.5):土木用語大辞典、土木学会編、技報堂出版 7)宮本裕他(2001.4):みちのくふるさとの産業遺産、北東北産業技術遺産学会 8)宮本裕他(2002.6):ドイツと日本のアーチについて、2002年度日本建築学会東北支部研究報告会、岩手県立大学