土木工学の歴史とそのユニーク性

岩手大学工学部建設環境工学科
    宮本 裕 1) Yutaka MIYAMOTO
    岩崎正二 2) Syouji IWASAKI
    出戸秀明 3) Hideaki DETO

 まえがき
 土木学会では以前に、土木改名論が真剣に扱われたことがある。

 ここでは土木工学を考えるために、言葉の観点から、フランス語、英語、ドイツ語、
ロシア語、中国語、日本語における土木工学の意味を、歴史的にふりかえってみたい。
また土木工学のユニーク性についてもふれてみる。

 言葉からみた土木工学の歴史
 土木技術は昔から<技術の中の技術>と呼ばれてきた。人類の生活の始めから、原
始的な通路や橋の建設、飲水を得る泉の整備が必要であった。農業の開始とともに大
規模な潅漑、排水の作業が必要となり、これから巨大な労働集団、それを支配する権
力者としての王、さらにその政治組織としての古代国家の発生したことなどを考えあ
わせると、土木技術の歴史は古く、社会的影響力が大きかったといえる。

 ピラミッド建設に関連して、天文学や測量学の技術もこの土木技術の発展の中から育った。

 また土木技術は軍事技術と密接な関係をもってきた。シビル・エンジニアという言
葉は始めてフランスで使われた4)。1675年に城砦構築や王宮・運河などの建設のため
陸軍に軍用土木技術者集団(Corps des Ingenieurs du Genie Militaire)が創設され、さら
に1715年に土木技術者集団(Corps des Ponts et Chaussees)*が設置され、港湾・運河・
道路・橋梁などの土木工事にたずさわった(*文献1と2では1720年となっている)。
この頃から genie militaire に対し genie civil という言葉が使われたという。

中世から戦争機械や城塞施設の建造者に対して用いられた称号エンジニア
(ingenieur)は、フランスで始めて、学問的教養を持ち国家的仕事に従事する技術者
の称号となったのである。

 これらの組織で働く技術者養成のため、エコール・デ・ポン・ゼ・ショッセ(Ecole des
Ponts et Chaussees 土木学校)はルイ15世のとき1747年に創立された。

 ポン・ゼ・ショッセはその名の通り「橋と道路(Ponts et Chaussees)」で、フランス
語では土木工学のことである。

 1795年革命政府がエコール・ポリテクニク
(Ecole Polytechnique)を作ってから、エコール・デ・ポン・ゼ・ショッセ(土木学校)
などに入る学生が基礎科学を習得するために入学した。この2つの学校は、技術を経
験から理論の世界へと導き、応用数学、応用力学の発展に貢献があった。つまり工学
の基礎理論が土木技術のなかで発展したのである。

 これに対してイギリスでは、マカダム、テルフォード、スティーブンソンらが1818
年に土木学会を設立した。イギリスにおいてはフランスに対抗して「権力者のための
技術・軍事の技術から、市民生活の基盤を形成する技術へ」という考えで土木工学を
定義したのである。

 ロシア語では土木工学のことをグラジュダンスカエ・ストライーチェリストヴァ
(ГРАЖДАНСКОЕ СТРОИТЕЛЬСТВО)といい、直訳すると市民
建設となる。

 ドイツ語では土木工学Bauingenieurwesenという。これは直訳すると建設工学であ
る。bauとは建設、要するにものを作ることである(機械工学もMaschinenbauという)。

 日本語としての土木は周知の通り古代中国から移入された。「土」の字は動詞化し
て「土を盛る」意味となり、土を盛る作業には「板築(土塀や城壁を築くときに用いる
板と杵のことで版築とも書き、また土塀や城壁を築く土木工事をさす)」を用いたと
ころから「土木・土木工事」の語が派生したと考えられる。万里の長城も板で塀を作
って中に詰めた土を突き固めて作ったという。

 また一方、土地の基礎工事を終えてから木造の建築工事が行われたので「土」と「木」
とを合わせて「建築工事」の意味に使われるようになったとも考えられる。「建築」
はわが国の造語で古代建築では用いられていない。漢語としての「建設」は建物とは関
係なく、創造する、新しく作り設けるの意味である。今日我々が使う「建設」という
言葉は日本人の創作であろう。

 日本では建設省や建設業界という言葉にみられるように、一般に建設工学とは土木
工学と建築工学をまとめた概念のように受け取られているようである。

 土木工学のユニーク性
 土木工学は他の工学の成果をもその中に含む総合工学である。上の歴史でもふれた
ように土木工学は、関連境界領域の学問との相互発展関係の上に成り立ってきた。土
木工学は受け身だけではなく、主体的に他の学問の発展に貢献したきたから、その存
在価値があると思う。

 その他の例として、九州大学の林桂一教授の高等関数表がある。これは三角関数や
双曲線関数の数表であり、土木工学関係の研究者の労作が物理学者アインシュタイン
にも使われた。

 またイギリス土木技師ウィリアム・スミスは測量や運河工事の体験から、地質学の
基礎資料を世に発表し「層位学の父」と呼ばれている。

 これからは海洋開発や地下空間利用などが盛んになり、情報処理の新技術(リモー
トセンシングやネットワークの活用)、生物工学の応用など、従来の土木工学にとり
未発展領域の開発が望まれる。ますます土木工学のユニーク性を発揮できる場面が多く
なると期待される。

 また土木工学が他の工学と区別されるもう一つの特徴は、技術を使って特定の製品
(たとえば自動車、ワークステーション)を作るのでなく、人間生活を総合システム
的に幸福にすることであろう。ゲーテの小説ファウストのように、ひとりで学問の真
理を極め、栄華を極めても、それだけのことであり、みんなと一緒に干拓をすること
で人々の生活を幸福にできたからこそ、ファウストは心から満足して死んでいったの
である。これが土木工学の心髄と考える。

 あとがき
 岩手大学土木工学科は平成4年4月から学科改組をし、「建設環境工学科」となった。
 新しい学科となっても、我々はこれからも土木学会には学生ともどもお世話になる
つもりである。ここで一つの区切りとして、特に土木工学に関する資料を提示した。

 有益なご教示をいただいた岩手大学教育学部遠藤哲夫名誉教授、人文社会科学部菊
地良夫教授、同笹尾道子助教授、同大友展也講師、同ハンス・オットー・レーサー先
生に感謝する。

1) 岩手大学工学部建設環境工学科
2)     同 
3)     同 

参考文献
1.チモシェンコ(最上武雄監訳、川口昌宏訳):材料力学史、鹿島出版会(1974)
2.シュトラウプ(藤本一郎訳):建設技術史、鹿島出版会(1976)
3.川田忠樹:歴史のなかの橋とロマン、技報堂出版(1985)
4.高野功:アメリカ・シビルエンジニアのルーツ、土木学会誌1990年1月号

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