推理小説の部屋

皇帝のかぎ煙草入れ、八墓村、本陣殺人事件、蝶々殺人事件、 砂の器、成吉思汗の秘密、
樽、奥の細道殺人事件、高層の死角、ABC殺人事件、不連続殺人事件

そして誰もいなくなった、伯林 一八八八年、清少納言殺人事件、 天使の傷痕、金沢殺人事件
ノストラダムス大予言の秘密、マラッカの海に消えた、邪馬台国の秘密、五十万年の死角
死媒蝶 (こちらは次のページ)

殺意の演奏、ペトロフ事件、黒いトランク、盗まれた手紙、ゼロの焦点、幻奇島、津和野殺人事件、
オリエント急行殺人事件、天竜峡殺人事件、京都 恋と裏切りの嵯峨野 アクロイド殺し 人間の証明 
だれがコマドリを殺したのか? (こちらは次の次のページ)

 ようこそ 推理小説の部屋ヘいらっしゃいました。
ここは開設して間もないので、まだあまり書き込みをしていません。
これから暇を見つけて、少しずつなかみを増やしていく予定です。

 推理小説やこの種の映画やテレビドラマについて、
最後まで見ていない人に犯人を教えたり結末を話すと、
その人の楽しみが奪われついにはを見ることになります。 ある作家の怒り

実際に外国で、テレビドラマの筋書きを、求めてもいないのに話した人が、
怒った家族から暴行を受けた事件がありましたね。

ということで、ここでは推理小説の見どころ(のさわり)を私の独断で紹介します。

 なぜ推理小説なのか。それは単に私の好みだからです。
推理小説はパズルのようなもの。
読者は作者の出した問題を解くことができるか?
作者と読者との知恵の戦い。

イギリス人やアメリカ人は推理小説が好きなようだが、
ドイツ人の推理小説作家はいないと言われている。
ドイツ人は頭の体操というものは嫌いなのであろうか。

推理小説に出てくる犯罪トリックや手口が実際の犯罪に使われることがあるから、
推理小説は社会に害を与えるという考え方があるが、あなたはどう思いますか。

密室トリックの作家ディクスン・カー:皇帝のかぎ煙草入れ。

 向かいの家で婚約者の父親が殺されたのを、寝室の窓から目撃した女性。

だが、彼女の部屋には別れた前夫が忍び込んでいた。
思いがけず彼女が容疑者にされるが、彼女は被害者の部屋で動いたものを
見たと届けるわけにはいかなかった。

アリバイに前夫を出すわけにもいかない...。

物理的には完全な状況証拠がそろってしまっているのだ。
このトリックにはさすがの私も脱帽すると、アガサ・クリスティを賛嘆せしめた
不朽の本格推理小説。

 カーは密室犯罪推理小説を専門的に書いた作家。
横溝正史も江戸川乱歩もかぶとをぬいだほど。

江戸川乱歩は語る。「この『皇帝のかぎ煙草入れ』には、
カーのどの密室作品よりもさらにいっそう不可能なトリックが案出されている。
まったくの不可能事である。
物理的にどう考えてもあり得ないことを、
カーはともかくやって見せた。さすがに不可能作家である。

もっとも、それは少々苦々しい手段ではあった。悪くいえばごまかしである。
不自然のきらいな読者には、この手品趣味はばかばかしく感じられるかもしれない。
しかし、私にはそこがおもしろかった。
こちらも作家であるために、カーの苦心のほどがよくわかって、
人一倍同感したわけである。

そういう意味で、この作はカーの多くの作品中でも特殊な、
風変わりな逸品に相違ないのである。」

 離婚した女性が住居の前にある家のむすこと婚約する。

ふたりが観劇から帰った真夜中、彼女の部屋に前夫が忍び入って
愛情のよりをもどそうとする。

彼を拒絶し続けている真向かいの部屋には、婚約者の父親が収集品を眺めているが、
彼女は誤解を恐れて助けを求められない。

二度目に向かいの窓を眺めた時、父親の殺されたらしい様子に気付く。

向かいの家がその死を知って、騒ぎ立てたので、彼女はあわてて前夫を追い出すが、
思いがけない事故から彼女自身殺人容疑者となる。

無実を証明してくれる者は被害者側の家族にもっとも知られたくない前夫であり、
しかも彼は追い出されたあと脳震盪(のうしんとう)で意識不明という窮境に立たされる。

しかも彼女と前夫は被害者の部屋で動いている人間の一部か、
もしくは顔を見ているはずだが、どうしても表明できない立場にある。

筋立てが単純なだけで、スリルとサスペンスは横溢し、
それだけで不可能興味はますます大きい。

あとは読んでのお楽しみ。

横溝正史:八墓村。

 ご存じ横溝正史の推理小説。鍾乳洞が舞台なので、
岩手県の数多くある鍾乳洞を見ると、この小説を連想してしまう。

しかし、この小説の舞台は岡山県。

毛利元就に滅ぼされた尼子義久の落武者が
山奥に逃げ延び、村人のだまし討ちにあって残忍な最後をとげ、

村人を怨み七生まで祟ってやると叫びながら死んでゆく場面は、
この小説のおどろおどろしい雰囲気を盛り上げるのに効果がある。

横溝シリーズに活躍する探偵金田一耕助は、この作品では最後に
主人公を助けるくらいで他の作品のように派手に動き回らない。

ここではハンサムな主人公が姉からも慕われながら、
従姉妹の典子の愛を受けて殺人事件と宝探しに巻き込まれるお話になっている。

最初ぼんやり娘に見えた典子が、主人公に恋するようになってから
見違えるように生き生きとして、主人公に献身的に尽くす描写はリアル感をもたらしている。

一連の殺人事件に隠された犯人の本当に殺したい犠牲者は誰であろうか。
人間の愛と欲と怨みと憎しみがテーマであり、だからこそこんなことが
日本のどこかの地方でありうることかもしれないと思うのである。

    

      岡山県に疎開した横溝正史一家

横溝正史:本陣殺人事件。

 横溝正史が密室作家ディクスン・カーに啓発され書いた日本の本格的密室トリック。

地方の名家の跡取り息子の結婚式が盛大に執り行われた。
新婚夫婦が離れ座敷で初夜を迎える。深夜に雪が降って(足跡がないから)、
母屋から離れ座敷には誰も出入りした痕跡がない状況の中で、
叫び声がしてやがて二人の死体が発見される。

まさに日本の伝統住居の中での密室殺人事件。
この作品が金田一耕助探偵のデビュー作になっている。

あやしい三本指の男とか琴の糸とか日本刀など小道具もいっぱいの本格的推理小説。

この作品はハーディのテスというイギリスの小説とテーマが同じであるという解説を加えたら、
わかる人にはわかってしまうだろうか。

推理小説は読んでからのお楽しみなので、これ以上は書きません。
現代でも本格的推理小説作家は新しい密室殺人のトリックに挑戦する。

横溝正史:蝶々殺人事件。

ソプラノ歌手の原さくらは10月20日の大阪講演のため前日の朝に東京をたち夜に大阪に着く。

原さくら歌劇団の一行は19日の夜に東京を出て、20日の朝に大阪に着いた。
一足先に大阪に着いたマネジャーの土屋は19日の夜に原さくらの泊まるホテルに行くが、
彼女はチェックインをした後にどこかに外出したそうで会えない。

20日の午後1時半には、土屋をはじめ団員たちは会場に集まったが、かんじんの原さくらは姿を見せない。

そのうちにコントラバスの川田が楽器がないと騒ぎ出した。
楽器全部を土屋マネジャーとその助手の雨宮はチッキで受け取って会場まで運んだはずだが、
コントラバスを運んだかどうか雨宮は心許ない。

アルトの相良千恵子が楽屋の入り口にあると教えてくれ、雨宮は運ぶが意外に重い。
受け取ろうとして重いので川田はよろめいて、ケースは雨宮の背中から床に滑り落ち、掛け金が外れる。

なんとコントラバスケースの中には、原さくらの死体が入っていたのだ。

検視の結果、彼女は19日の夜9時から11時の間に殺されたことがわかった。

重いコントラバスケースを原さくらの公演会場(中之島公会堂)まで運んだという二人組がつかまった。
また
20日の午前11時頃大阪のアパートに重いトランクを運んだという運転手が名乗り出る。
(そのトランクは19日の夜9時45分に東京駅のチッキで受け付けられたことが警察の調べでわかった)

どうやら、そのアパートで死体の詰め替えが行われたようである。

この推理小説は、あの「樽」を意識して書かれているので、どこで犯罪が行われたのか、
どのようにして死体の入れ替えが行われたのかは、トリックとして作者が苦心したところである。

だから、何度読んでも理解するのがむずかしい。
鮎川哲也の「黒いトランク」などは更にこりに凝っているので読者なかせである。
疲れそうな人は読まない方がいいだろう。  

松本清張:砂の器。

 小説よりも映画のほうがテーマをすっきりしぼって、わかりやすくなっている。

東北弁の方言と「カメダ」という地名が秋田と島根を結ぶキーワードになっている。
秋田県と島根県に「カメダ」と聞こえる地名があり、どちらにも東北弁が残っている。
この言葉に関する設定はフィクションではなく、事実にもとづいているのが
松本清張の科学的ですごいところ。

生い立ちを隠さなければならなかった主人公が、
超音波を利用して押し売りを撃退したり、(頼まれて)ライバル評論家の
つき合っていた女性の死産をもたらしたことは
メインテーマに関係がないとして、映画にはでてこないのも良い判断であろう。

映画はテーマを一つにしぼっている。

不幸な身の上の子どもが、育ての親のもとから逃げ出して、
時は流れやがて彼らは偶然再会した。そして育ての親の元刑事が善意でした行為が、
主人公の将来を壊すことになり、元刑事が殺されなければならなかったことに
読者は理解できるものがある。

いかなる場合でも殺人はいけないが、苦労して築きあげた今の生活を守り、
自分の夢を大きく育てたいという権利もあるはずと、
若い青年主人公は言いたいのであろう。

どうしても映画砂の器の、美しい日本の四季を背景に幼い主人公を連れた父親の巡礼の旅、
悲しくも美しく名場面のカットの数々を思い出してしまう。

あの父親役の俳優はいつも名役を演じる運のいい俳優だった。
加藤嘉という老人専門の俳優で今はもういないのです。

何が主人公を破滅にいたらしたのか。
それを推理小説という手段を用いながら、今日もある社会問題を書いた
松本清張はさすがである。

善意ゆえ殺されてしまった一徹な元老刑事を演じた俳優は、
昔テレビで太閤記 今は尼子義久役に出ている。

事件を足で歩いて解決した刑事は、こちらは丹波哲郎です。
映画の配役はぴったりはまっていた。

この映画の脚本を書いたのは、橋本忍と山田洋次だった。
原作があまりにも複雑で映画にするのにどうやってモチーフを明確にして作ろうか
と二人は相談したという。橋本忍は、親子の乞食が福井県の片田舎で業病にかかり、
その村にいられなくなり村を去ってから、島根県で発見されるまで、どうやって
行ったのかは誰も知らない、というところに目をつけた。

「福井県の田舎を去ってからどうやってこの親子二人が島根県までたどり着いたかは、
この親子二人にしかわからない」
ここだ、ここをモチーフにしよう。というわけで、暑い夏の日、冷たい風の吹く
寒い日、そんななかを親子の乞食が哀れな身なりで、福井から島根までの道を
とぼとぼ歩く。あのイメージの場面はそんなふうに作られたという。

映画は2部に分かれている。第1部は、殺人事件が行われ、刑事が調べて歩くが、
結局わからない。
第2部は、ねばり強く調べていった刑事がついに真犯人を見つけて、捜査会議を
改めて開くところから始める。その捜査会議の夕方に、主人公の作曲家の新曲発表の
コンサートが始まる。作曲家が指揮棒を振りおろす瞬間から、映画のモチーフである
親子の乞食の旅が始まる。音楽が終わると同時にこの映画も終わる。
そういうふうに二人は相談して脚本を一気に書き上げたという。

原作では、育ての親の元刑事は旅先で見た映画館に飾ってあった写真を見て
懐かしさのあまりその男に会いに行く。しかし、過去を人に知られたくない男は
元刑事を自己の地位の防衛のため殺してしまう。
映画では、彼の父親は施設に収容されまだ生きていて、死ぬ前に息子に一目会いたいと
元刑事に頼むことになっていた。しかし、真実がわかってくると父親は
息子に会うことを拒絶し、息子の存在をも否定する。映画の方がよりリアルに
筋書きが展開する。そこに脚本家の技術をみる。

高木彬光:成吉思汗の秘密

作者はこの小説のペンをとるに至った運命的できごとを書きしるしている。

「(昭和32年)8月に、ある易者から、先祖のお墓参りをすれば、かならず大作の
きっかけがつかめるといわれて、
半信半疑のまま、出発したのだが、途中北上川が
氾濫して、夜中から朝まで平泉の駅に急行列車が立往生してしまったのである。

その時、私は妙な夢を見た。白鳥の大軍が海をわたり、一望千里の広野の上を
飛んで行く光景だった。

いつのまにか、私もその一羽となって空を飛んでいる
 − 眼がさめたとき、私は子供のころ聞いていた椿山伝説を思い出して、
おやと思ったのである。

 汽車は水沢まで進み、そこから北上駅まではバス連絡ということになったが、
途中岩谷堂というところを通りすぎて、私はもう一度びっくりした。

たとえ、
わずかの間でも、私は生涯に何度も通るわけもない、いわゆる義経北走の道を、
不可抗力によって運ばれていたのだった」

ジンギスカンは源義経であるという伝説を、病院のベッドの上で名探偵神津恭介
が膨大な資料をもとに理論的すじみちを立てながら推理してゆく。

イギリスの女流作家ジョセフィン・ティの「時の娘」を読んで、自分も病院で寝て
いながら推理を働かせる推理小説を書こうと思い立ったらしい。

昭和32年(1957年)12月、天城山心中事件が世間を騒がせた。
最後の満州皇帝愛新覚羅溥儀(ふぎ)の弟溥傑(ふけつ)は日本人女性と結婚。
戦争で夫妻は一時別居したが(夫は中国、妻は日本)、最後は北京で死ぬまで一緒に
暮らしたという。彼らには娘が二人いた。この娘たちは自分の意志で母親の実家の日本で暮らした。
長女慧生(えいせい)はしかし、学習院大学に在学中に八戸出身の青年と天城山で心中するのだ。

この事件をひとつのきっかけとして高木彬光はジンギスカンの秘密を書く。
彼の説によると、ジンギスカンは義経であり、その子孫は満州皇帝につながり溥傑
の娘の慧生がそれである。
一方、平泉をひそかに逃れた義経が八戸で土地の豪族の娘との間に鶴姫という
女の子をもうける。

義経は大陸への旅に向かうので母娘が八戸に残される。
義経の娘鶴姫はやがて大きくなり、その美貌と気品に魂をうばわれた男が現れた。
それは八戸の豪族阿部七郎という若者だった。が阿部家と鶴姫の家とは代々中が悪く
二人は恋仲になるが結ばれない運命だった。二人は八戸を離れて父義経を追うかの
北上し、夏泊(なつどまり)半島のまできたのだが、追っ手が迫ってきた。
二人はここで心中し、あたりは今も椿山といって、全山椿でおおわれている。
白い椿がないのは、姫の血で赤く染まった椿の名残であると言われている。

ここには毎年冬になると、シベリアから白鳥がやってくる。
伝説によると、父義経の霊魂が白鳥になり、かわいそうな娘の魂をなぐさめる
ために訪ねて来るのだということである。

高木彬光によれば、義経の娘鶴姫と若者阿部七郎との悲恋伝説がもとになって
八戸で結ばれなかった二人は、昭和の日本に、溥傑(ふけつ)の娘と八戸の青年と
なって生まれ変わり心中事件を起こしたのだ。これが高木彬光の恋の輪廻説。

義経が衣川から青森、北海道、シベリアと渡っていくルートを推理するとき、
当時の交易のことにふれ、みちのくの金だけでは足りなくてシベリアに金を求めた
であろうから、
みちのくとシベリアを結ぶ道があったはずという説明は、
考える価値があると思う。

青森の三内丸山遺跡や北海道に見つかった弥生人の遺跡
など、今の我々の想像を越える昔の人々の移動と交易があったと思われるから。

義経=成吉思汗論争の賛否両論の集大成に作者独特の視点を加えて、
完成版といえるくらいにまとめたもの。今後の資料としても貴重であろう。

ただし、歴史学者から真面目に否定されているので、
学問的にはこの説が認められるためには実証的証拠がほしい。

ロマンとしての価値がある。

じつは義経が大陸に渡ったという説を紹介したのはシーボルトだった。
1852年出版の「日本」の中で、義経は蝦夷地を発見して、蝦夷地から大陸に
に渡った可能性があることを書いている。
明治になりこの説にとびついたのが、在英公使館書記末松謙澄(すえまつのりずみ)である。
彼は、義経がジンギスカンになったという伝説について卒業論文をケンブリッジ大学
に提出した。彼は伊藤博文の娘婿で後に内務大臣にもなった。

源義経は大陸にわたりジンギスカンとなり、ジンギスカンの末裔が清朝最後の皇帝
となった。それらの関係者の子孫が天城山で心中をする。それは大きな運命なのだ。
というのが作者の全体テーマなのである。
最初にこの本を読んだとき、なるほどと思ったが、その後中国に行ってから
少し違うのではないかと思った。
たとえば、北京のラマ教寺院の額に漢字とならんで満州文字やモンゴル文字が
書かれているように、モンゴル族と満州族とは違う民族なのである。
それは清朝末期に外モンゴルが独立したことからも明らかである。
さすがにこのことに作者は気がついたのか、ジンギスカンの末裔が
満州族のある族長一門の女と縁ができ、その女に生ませたのが清朝ヌルハチの先祖である
という説明をしている。

司馬遼太郎の街道をゆく33「白河・会津のみち 赤坂散歩」を読むと
義経は天才的に騎兵の集団運用の技術にたけていたという。
騎兵というものは、これを実行するには特別の才能が必要だったようだ。
投入のチャンスをつかめばよいが、たいていは、強力な騎兵集団を集結させる
だけの戦略的体力や精神力を持たないため、各局面で小出しにつかって消耗させて
しまうのがおちだったという。

そして、ヨーロッパの戦史でこれを最初に成功させたのは18世紀のプロイセンの
フリードリッヒ大王(在位1740−86)だという。彼が1757年に
フランス・オーストリア連合軍に対して、自国の騎兵団をかくしながら
戦況を騎兵運用に好適なようにみちびいて、一挙に使用して数倍の敵をやぶったという。
そして、彼はこれを、13世紀に世界征服をしたジンギスカンの戦法に学んだといわれている。
源義経はジンギスカンより早く、12世紀末にやったのである。
とすれば、この点で、源義経=ジンギスカン説というのも説得力がありそうだ。

クロフツ:樽

 樽から若い女性の死体が出てきた。犯人は彼女の昔の恋人フェリックスか。
彼はなんと、その樽の受取人であった。

しかし警察はその女性の夫もあやしいと思い、アリバイを調べると完璧である。

警察が調べると、樽がいっぱい出てくる。
舞台はロンドンとパリにまたがっている。

第1の樽 (27日土曜日の晩餐会後の)火曜日の夜、デュピエール商会から発送された。
アーヴル・サザンプトン経由でロンドンに送られ、翌朝ウォータールー駅で、
フェリックスらしい男が受け取っている。
その樽はフェリックス宛で中身は 彫刻だった。

第2の樽 その2日後、すなわち木曜日の夜パリから発送され、
ルーアン長航路経由で運ばれた。
それは翌週月曜日にセント・キャサリン波止場で フェリックスによって受け取られ、
事前の手紙のため、フェリックスが技巧的な搬送をしたので、警察の注目となり
中にはアネット・ボワラック夫人の死体が入っていた。

第3の樽 同じ木曜日に、ドーヴァー・カレー経由で、ロンドンからパリへ 送られ、
北停車場に到着するとジャック・ド・ベルヴィルと称する男に引き 渡されている。
この樽も他の2つの樽と同様に、「彫刻」というラベルが
ついていたが、中身はわからない。

結局、警察は女性の昔の恋人である画家を犯人として裁判にかけようとする。
しかし友人たちは彼の無実を信じて、有能な私立探偵に真実追求を依頼する。

あのコロンボ事件簿のように、読者は読んでいくうちに、
ほとんど犯人については確信をもつ。

探偵がアリバイを一つずつくずしていく描写に松本清張も感心したという。
推理小説の古典的作品。

作者は土木技師であった。
足で歩いて犯人のアリバイを崩す具体的な書き方はいかにも技術者の姿勢である
とは解説文にあった。

作者は鉄道運輸に詳しく、実際の地理に即していて、
足が地についた描写であり現実的推理小説と呼ばれる。

証拠の品物から足のつくことを恐れた犯人は、
巧みに捜査の手の届かないところに証拠は隠すし、
反対に捜査の目をくらますため偽の証拠を置いておく
という努力もしている。犯人はすごく頭がいいのだ。

ただ文章が整理されていなくて、現代の作家ならもっと単純明快に
筋だけ書きドラマ性ももたせるだろう。
読者が読みやすい小説を書くのが現代の作家。
この小説は1920年に発表された。

斎藤栄:奥の細道殺人事件

「奥の細道」の芭蕉の歩いた跡を追って、大学国文科講師が大学院生と
一緒にみちのくを旅行する。

芭蕉は忍者の里伊賀上野の出身だけあって、実は忍者であった
という説はおもしろい。忍者芭蕉は同時代の有名な人物の命を受けて
日本中を旅したのだ。

忍者芭蕉が秘密に仕えていたのは、なんと水戸光圀であった。
あの水戸黄門が芭蕉に命じて、全国の様子を探らせたのだという。

当時の水戸藩は、那珂川を中心とする那珂湊が藩政にとって重要であった。
日本海の諸港を発する東回り海運は、津軽海峡をすぎて、青森、八戸、宮古、
石巻、荒浜、那珂湊とくだっていた。

水戸にとって、水運は経済的にも、軍事的にも重要であった。
そのカギとなるのは、太平洋側の石巻、日本海側の酒田港のふたつであったろう。

だから、芭蕉の任務は、こうした重要港の実体と、それに結びつく河川利用の実体を、
調査報告することであったのではないか、と作者は小説の中で大学院生の口を
借りて述べている。

ちなみに、芭蕉が長逗留した黒羽、余瀬は那珂川上流、須賀川は阿武隈川上流、
尾花沢、大石田、酒田は最上川の町。

奥の細道は、芭蕉の忍者活動をカムフラージュするために
書いたものという説はおいておくが、この着想は面白いと思う。

この推理小説は、さらに公害問題と汚職事件(ゴルフ接待)をからませている。

事件の中心人物で、恨まれていて、かつ死んでくれたら(汚職問題も闇のほうむられるから)
都合がいいと思われている男がやはりというか殺された。
そして、容疑者としてあげたい人物は、その時は東北方面を旅行している。

というわけで、これは一種のアリバイ崩しの推理小説。
刑事は奥の細道を手に、容疑者のうらをとるために、みちのくを歩き回る。

しかも、作者の好きな将棋も事件を解く鍵の1つとしてサービスしてある。

最後になって読者には知らされていない事実がわかり、それは犯人に
指示を与えていた意外な人物のことであった。

まさに、芭蕉に指示を与えていた歴史上の有名な人物のごとく、
犯人に指示を与えていた重みのある人物がいたのである。
この人物は、この推理小説の中でも主要なメンバーの一人であった。

ただ、あまりにも多くのことを盛り込みすぎて、ストーリーが複雑であるのに、
話のテンポが早くて、私には読みにくいという印象であった。

森村誠一:高層の死角

ホテル殺人事件。
作者はホテルで働いた経験から、臨場感にあふれるホテル殺人事件を
書くのに成功した。

ホテルの社長が自分のホテル内で殺された。それも密室殺人事件。
そのトリックは実は合理的であって、作者がホテルマン時代に
考えついたアイデアなのであったろうか。

容疑者の一人として、殺された社長の秘書が浮かび上がる。
しかし、彼女のアイバイは、なんと主人公の刑事が証明することになる。
彼女は主人公の刑事の恋人だったのだ。事件のおきた時間に二人は別のホテルで
ベッドをともにしていた。
しかし、刑事はどうも自分はアリバイのために利用されたのではないかと疑いを
もってしまう。

それから話は進んで、やがてヒロインのこの秘書が殺されて、容疑者は絞られた。
しかし、容疑者にはアリバイがある。
そこで、刑事は恋人のかたきをとるため、にっくき犯人のアリバイをやぶろうと努力する。

実は犯人は飛行機を使ったのであるが、これは松本清張の「点と線」を意識して、
そのトリックを更に発展させたつもりだったのであろう。

しかし、やや技巧に走るアリバイ作りであった。
こうした犯罪方法は、現実的だという印象はなく、きわめて技巧的な印象を受ける。

まさに、推理小説のための推理小説。
推理小説は頭の体操というわけだから、まあいいか。

アガサ・クリスティー:ABC殺人事件

1935年の作品。これは推理小説の古典ともいえる作品で、日本の推理小説も
この影響を受けたものが少なくない。

アガサ・クリスティーの作品だから、当然おなじみの探偵ポアロが活躍する。

探偵エルキュール・ポアロとその友人ヘイスティングズがまきこまれる事件で
なんと犯人から事件の起こる前にポアロは予告の手紙を受け取る。
まことに挑戦的な犯人だ。

アンドーヴァーでアリス・アッシャーというタバコ屋の老婆が殺された。
次にベクスヒル海岸でエリザベス(ベティ)・バーナードという若い娘が殺された。
この2つの殺人事件で、関係者はこの犯人はAからZまで殺人を繰り返すつもりかと
思った。
犯人はポアロのいうようにアルファベット・コンプレックスなのか。

当然次はCではじまる名前の人があぶない。
またもポアロの所に犯人からの挑戦状が送られてくる。
次の犯罪はチャーストンで30日だと、いかにも挑戦的な内容。

その手紙はポアロの住所が正しく書かれていなかったため30日に届いていたので、
とるものもとりあえず、デヴォンシャーのチャーストン行きの汽車に乗るため
旅行の用意をする。
彼らの汽車が駅を出発する直前に1人の男がプラットフォームにかけより
警部に何か知らせた。
汽車が動いてから、ポアロは警部からカーマイケル・クラーク卿が殺されたことを聞く。

カーマイケル・クラーク卿の弟フランクリン・クラークが兄の屋敷でみんなを迎える。
そして彼は、一連の3度の殺人事件でいつも死体の脇にABC鉄道案内
が置いてあるという警察の説明を聞いて、そんなことがあるのかと言う。
しかし警部もポアロもフランクリン・クラークに、そのとおりだという。
この犯人の殺人動機はいったい何なのかは誰にもわからない。

カーマイケル・クラーク卿の妻は不治の病におかされていて、女性秘書はクラーク卿の
中国美術品コレクションの整理をするつもりだったが、クラーク卿夫人から嫌われて
暇をとらされそうであった。

そんなときにに、またも犯人からの手紙がポアロに届く。
次はドンカスターで起きるというのだ。
警察はドンカスターの住民で名前がDではじまる人に注意を与えようとする。
しかし、当日はドンカスターでセント・レジャー競馬があるから、警察が計画していた
警備作戦を立て直さなくてはいけなくなった。

ドンカスターの映画館でアールスフィールドという男が殺される。
しかし、それは1つ離れたわきの座席に座っていたダウンズ氏(ハイフィールド
男子学校の校長)と間違えて殺されたらしい。

ポアロはばらばらで関係のない一連の殺人事件を総括して、結局
犯人○○が遺産を独り占めするため
殺人を仕組んだことを見破る。
犯行の目的をわからなくするため、わざと関係のない他の殺人を犯したわけだ。

翻訳小説は人の名前が親しみにくく、読むのに骨が折れる。
たいていの翻訳書には扉のところに主な登場人物が列記されている。

坂口安吾:不連続殺人事件

いかにも安吾的あやしい男女の愛欲の世界。登場人物の数も多いので頭が混乱。
そして殺人の目的が見えない不連続殺人事件。

昭和22年の夏、小説家の私矢代は妻京子とともに、友人の歌川一馬の家に
一夏暮らしてくれと頼まれる。

不気味な手紙をもらって、恐るべき犯罪が行われるという不安にかられた
一馬からの頼みだった。

望月王仁、丹後弓彦、セムシの内海明が来ていて喧嘩ばかりしているから、三宅
木兵衛・宇津木秋子夫妻、人見小六・明石胡蝶夫妻も招いたという。

秋子はもと一馬の妻だった。一馬はいまはあやかを妻にしているが、彼女(あやか)は
去年までは画家土居光一と同棲していた。

なにしろ歌川家は酒造家で、しかも大山林王だから、食事も酒もたっぷりあり
みな喜んで招待に応じたのだった。(終戦後なので当時の日本は食糧事情が悪かった)

私は、若僧だが探偵的才能のある巨勢博士を連れて歌川家に向かった。
途中で弁護士の神山夫妻、土居画伯に会った。彼らも歌川家に行くところだった。

その夜の王仁、光一、珠緒らの醜態には一馬は憤懣やる方なしの有様だった。
一馬からの手紙には巨勢博士も連れてきてくれとあったのは、誰かが工作したものだ
とわかった。

翌朝の食事に王仁が起きてこなかった。彼は裸体のまま心臓を一突きにやられていた。
それを発見した珠緒は、死者の枕元に秋子愛用のダンヒルがあったから、犯人は
秋子だと告発した。

秋子は夜中に王仁の部屋を訪ねたが、眠っていたので、私が訪ねたことに気がつく
ようにと、わざとライターを残してきたのだと説明した。

翌日、王仁の解剖の結果、睡眠薬で眠らせてから短刀で刺したことが分かった。
おそらくは彼がいつも飲むゲンノショウコに混入されたもので、それのあった
調理場の状況を警察が聴取している最中に、珠緒が絞殺されているのが発見された。

王仁の火葬に出かけた夜、土居光一がここのウチは淫売宿、色きちがいの巣だと
いったので、あやかと争いがはじまり、彼女が寝室に逃げ込むと、土居は一晩中、
あやかの部屋の扉の外でどなった後そのまま眠ってしまった。

その夜、内海が寝室で刺し殺され、多聞の実妹お由良婆の末娘千草は神社の裏手で
絞め殺されていた。

連続三夜の殺人事件に、残りのものは厳重に警戒して寝るようになり、1週間は
なにごともなくすぎた。

食事の後にコーヒーが配られたが、土居があばれて茶碗を壊したので、
かけた茶碗が土居にさしだされた。加代子は多門の落としだねであるが、
女中の子なので、土居のよりもっとかけた茶碗があてられた。

そこで土居が自分のと取り換えてやったところ、加代子は飲んでたちまち倒れた。
土居は俺の身代わりになって殺されたのだといきまく。青酸カリが入れられていた。

別室では多門がプリンに混入されていたモルヒネで殺された。

警察の要望で多門の遺言状を調べると、遺産の全部を一馬と加代子に半分ずつ
分けることになっていた。

私は巨勢博士に、このいくつかの事件は犯人が別ではないか、時間的には連続して
いても、動機も犯人も別で、結局は不連続殺人事件ではないかといった。
巨勢博士は、そこを犯人が狙っている。動機が分かれば犯人が分かります。
真実の動機を見出されるのがこわいのですよ、むろん同一犯人ですと答えた。

一馬とあやかの部屋に「8月9日 運命の日」と書かれた張り紙があったので
二人は青くなった。巨勢博士は物的証拠を探しに旅に出る。9日までには
帰ってくるから、用心するようにといって出かけた。

いよいよ9日がせまり、警察は方々に分かれて警戒にあたっていたが、
明け方の4時、一馬とあやかの部屋から悲鳴があがった。

一馬は息絶えており、コップのそばに白色の粉末がこぼれている。あやかの口から
血が流れていたが、舌を噛んだだけであった。

彼女の話によると、一馬に一緒に死んでくれといわれたので、抵抗しているうちに
気絶したという。歌川家滅亡という意外な結果に、みんな驚いているとき
巨勢博士が帰ってきた。

一馬の死を知って、「ヤ、おそかった!」と言って、みんなを集めて殺人犯人の
ことを説明した。(金田一少年のごとく、この中に犯人がいると言った)

アガサ・クリスティーの「ナイルに死す」と共通点がある。
もちろん「ABC殺人事件」の影響もあるのだろうが。   次の推理小説のページ