岡山県に疎開した横溝正史一家

 

横溝正史 自伝的随筆集  より

 横溝正史の父親の宜一郎(ぎいちろう)は (母と妻と息子歌名雄を捨てて) はまと駆け落ちした。
はまも 二人の息子を捨て、末の岸江だけ連れて 駆け落ちした。 
(はまの夫は船穂村の村長、横溝正史の父は助役だったが、仲が悪かった) 二人は 神戸の東川崎に落ち着いた。

宜一郎とはまの間に 富重、五郎、正史 トメ子(夭逝)が生まれたが、正史かぞえ6歳のとき母は亡くなった。
宜一郎は 浅恵と再婚し、武夫、綾子(夭逝)、博が生まれた。

浅恵は 歌名雄とその祖母をひきとった。(歌名雄の母は実家で死んだ)
浅恵も再婚だった。 夫と死別だった。 子どもは よしえ、光枝、利子、守
光枝だけ 浅恵がひきとり 正史たちと一緒に暮らした。 
五郎と光枝は口喧嘩をしていたが、のちに 正史は 生前の五郎の光枝宛の恋文を発見する。

光枝(原田光枝)の世話で、横溝正史親子5人は 父母ゆかりの岡山県に疎開。
 1945年(昭和20年)4月より3年間、岡山県吉備郡真備町岡田(現・倉敷市真備町)に疎開