天山北路(草原の道、ステップ・ルート)
敦煌から北進し、ハミを通って天山山脈の北側を西に向かうルート。
トルファン(高昌)から北進しても合流できる。
天山南路(狭義のシルクロード)
天山山脈と崑崙山脈の間にあるタリム盆地(タクラマカン砂漠)を囲むように、
オアシス路ができていた。天山南路は北道と南道に分かれていた。
天山南路北道(西域北道)
北道は、敦煌から玉門関を通って、楼欄、クチャ(庫車)を経由し、
カシュガルに至る。ここからさらに西進するとサマルカンドを経て地中海にまでたどり着く。
善善を北上すると高昌経由で天山北路に合流する。
天山南路南道(西域南道)
南道は、敦煌の陽関を出て、ミーラン(米蘭)、チェルチェン(且末)、ホータン(和田)
を経てヤルカンドに至る。ここからカラコルムを越えて南進すれば
ガンダーラ(北インド、ネパール)に着く。
西域北道
タクラマカン砂漠の北辺、天山山脈南麓のオアシス都市を結んだルート。
西域南道
タクラマカン砂漠の南辺、崑崙山脈北麓に点々と存在するオアシス都市をたどるルート。
(井上靖、シルクロード紀行、岩波新書、1993)
玄奘三蔵の通った道はもはや砂に埋もれている。
砂漠なので、数百年たつと川も流れが変わり、町の位置も移っている。
往時のシルクロードは、オアシスとオアシスを結んだ線である。
自然条件が変わるとオアシスも移動するので、オアシスを結ぶ線も移動する。
北道も南道も、当時の記録は乏しいので、正確にどのオアシスとどのオアシスを
結んだのか判定することは困難である。
シルクロードの探検家スタイン
カシュガル(喀什)は海抜1300メートルにある大きな町である。
現在のカシュガルが、紀元前2世紀から続いてきた往古の疏勒国であるかどうかは
わからないが、少なくとも疏勒国の故地であることは確かだろう。
北道も南道もここで一緒になり、ここから天山を越えて西トルキスタン方面へ、
あるいはパミール、崑崙を越えて、アフガニスタン北部、インド方面へ通じていた。
ウルムチ(烏魯木斉)は新疆ウイグル自治区の首都である。
面積11,440km2、人口144万人
ウルムチは北京から2400kmも離れているので、北京との時差が2時間ある。
ウルムチから90kmのところにある天池は、モンゴル語で聖なる山ボゴダ峰(5445m)
の中腹にある半月形の湖である。古くから景勝地として有名。
トルファン(吐魯番)はウルムチの東183kmにある。
面積15,738km2、人口23万人
トルファン盆地の中央に横たわる長さ100km、幅9km、平均海抜500mの
赤い山肌の火炎山は、西遊記にも登場する。
トルファンの東40kmのところに、高昌故城がある。玄奘三蔵がインドへ行く途中
この高昌国で歓待され2ヶ月ほど滞在した地である。
玄奘三蔵はそこから、天山山脈を越えて、西突厥(砕葉城 現在のキルギス共和国
アク・ベシム遺跡)を訪れている。
ビシュケク(Бишкек)はキルギス共和国の首都。札幌とだいたい同じ北緯43度。
標高750〜900m、町のどこからでも南方にアラ・トーの雪山が見える。
それまでの郡都トクマクが水害のため人家流失し、新しくここが郡都に選ばれた。
つまり、ロシア人の都市計画でできた町。
1936年に、キルギス社会主義共和国はソ連共和国の1つとして加盟した。
その際、この町出身のロシア赤軍司令官フルンゼ将軍の名をとり、フルンゼという
名になった。その後、キルギス共和国として独立し、首都もビシュケクの名に
戻った。
面積15,738km2、人口23万人
中央アジアの民族
ウイグル人
はじめモンゴル高原、のちトルキスタン方面に移住したトルコ系民族のひとつと
考えられている。回★(糸偏に乞)、維吾爾とも記される。
現在、中国の新疆ウイグル自治区と旧ソ連邦中央アジアに主に住んでいる。
人口は中国に約720万(1990)、旧ソ連邦内に約21万(1979)といわれる。
744年から840年までモンゴル高原に他のトルコ系部族との連合体による遊牧国家を
作っていた。
文化面では突厥(とっくつ)文字、古代トルコ語による紀功碑のほかに、
ソグド文字の碑文も建てられた。つまり、当時の国際的商人ソグド人の文化の影響
が強くあり、新ソグド文字といわれるウイグル文字が考案された。
唐との関係ではその冊封体制内にあったが、安史の乱の鎮圧に派兵したことから
唐より優位になった時もある。
840年、内乱とキルギス族の攻撃によって遊牧ウイグル国家は崩壊して、
多くのウイグル人がモンゴル高原を後にした。甘粛省に移動した部族もあるが、
主要部族は、モンゴル高原時代から東部天山一帯に入り、高昌(トルファン)などを
抑え、タリム盆地周辺のオアシス農耕都市を制して、西ウイグル王国を建設した。
そして、仏教、ネストリウス派キリスト教、高昌漢文化などと混合した文化を形成した。
ここに、タリム盆地の従来の伝統的アーリヤ系住民とその文化・言語は、
ウイグル化・トルコ化され、トルキスタン(トルコ人の住地)が成立したといわれる。
10世紀以降,彼らは西方から順次イスラム化していったが、
東トルキスタンのイスラム化が進んだ14〜16世紀のチャガタイ・ハーン国支配下にも
なお仏教徒ウイグル人がいた。
ウズベク人
カザフ人
元来遊牧民であるが、民族名が史上初めて登場するのは、15世紀中ごろである。
そのころ、ウズベク・ハーンに圧迫され、キプチャク・ハーン国に支配された遊牧民を
ウズベク・カザク、あるいはカザク (放浪者、冒険者)と呼ばれ、
キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大していった。
やがて、ジュンガル、それからジュンガルを倒した清に支配され、そして
中央アジアへの進出を狙っていた帝政ロシアに屈服した。
ロシアの軍隊、商人、入植者によって土地を奪われたカザフの不満は大きくなり、
1783‐97年には、反ロシア暴動が勃発した。ロシアは軍を使って、1860年代には
全カザフスタンを支配下におさめた。そして、遊牧地にロシア人農民を大量に入植させ、
500以上のロシア人、ウクライナ人の村落を作った。
また、植民地市場、原料供給地として、ロシア経済の一環に組み込んでいった。
それはシベリア鉄道の建設(1891‐1904)後とくに著しかった。
カザフスタンに約707万、中国に101万(1988)、ウズベキスタン、ロシア、
モンゴルなどのカザフ族と合わせて1000万人に及ぶ。
キルギス人
古くはシベリアのイェニセイ(エニセイ)川上流域のミヌシンスク地方にいて、
漢代にすでに堅昆、鬲昆などの名で知られ、唐代には黠戛斯(ハカス)とも表記された。
9世紀半ば、突厥を継いだモンゴル高原の遊牧国家ウイグル族に征服されながらも、
結局これを打倒した。以後アルタイ山脈南麓にもしだいに展開していった。
モンゴル勢力が台頭する13世紀初めにはアルタイのキルギス族は離散させられて
西部天山一帯に移っていった。
モンゴル系ジュンガルが乾隆帝ひきいる清に滅ぼされると、
キルギス族は遊牧しながらフェルガナとカシュガリア間の貿易路を抑えた。
フェルガナ方面のキルギス族は、帝政ロシアの支配を経て、
現在のキルギスタン共和国にいたっている。
中国では,新疆の克孜勒蘇柯尓克孜(キジルス・キルギス)自治州を中心とする地域に
14万人が住んでいる。
トゥルクメン人
タジク人
キルギスの歴史
6世紀にシベリアのイェニセイ(エニセイ)川上流域にキルギス人の先祖が住む。
8世紀にウイグル帝国の支配を受ける。
13世紀にモンゴル(元)の支配を受ける。
19世紀に帝政ロシアの支配を受ける。
1918年にロシア共和国の一部になる。
1926年に自治共和国に昇格する。
1936年にソ連を構成する共和国になる。
1990年に主権を宣言する。
1991年にキルギスタン共和国に変更し10月に独立する。
1992年に独立国家共同体の集団安全保障条約に調印する。
1993年に国名をキルギス共和国に変更する。
1994年にアカエフ大統領の信任投票実施。
1995年に二院制議会選挙実施する。
カンダハル アフガニスタン西南部の要地
(今どきの時勢ですっかり有名になった)
ギリシア、アラム両語で刻まれたアショカ王碑文の出土。
この地名はアレキサンダーをさすイスカンダルの訛と言われる。
つまりアレキサンダー大王の支配の地だった。
アラム語
北セム語の一種
紀元前8世紀からユーフラテス河流域とエジプト間で公用語、外交語として広く使われた。
アッシリア、バビロニア、イラン各地で使用。
アケメネス朝ペルシアでは公用語。
エジプトのパピルス、羊皮紙、旧約聖書、アショーカ王碑文などにもアラム語が見える。
キリストの言語もアラム語だったので、シリア教会では長く使用された(2〜14世紀)。
中央アジアで下痢にならない7カ条
・生水は飲むな。
・のどが渇いたら塩水のうがいで我慢しろ。
・果物を食べた後は、たとえ飲料水でも水を飲むな。
・ミネラルウォーター、ジュースなど室温のものはだめ。
・熱い茶かブラック・コーヒーがよい。
・日中長い時間、ことに帽子なしで日に当たってはいけない。
・外から帰ったら、その都度シャワーを浴びること。
熱い茶、ホテルで売っているミネラルウォーターを飲んで大丈夫だった。
疲れたら時々休んだのもよかった。
帽子や日傘は必需品だった。
やさしいウィグル語会話
先人のアドバイスより
○日焼け止め 強烈な太陽なので必要。 ○整腸剤、下痢止め 硬水のため、下痢になることは、覚悟すること。 料理、ビール、ミネラルウオーター、全部硬水が使用されている。 出発2週間前から、ヨーグルトを1日250g食べたりするとよい。 また、整腸剤や下痢止めが必要。 ○ビタミンB剤 普段から、口内炎、口角炎を起こす人は、出発数日前から、 ビタミンB剤を用法に書かれている半分程度、飲むこと。 運動時、脂肪の燃焼時にビタミンBが使われる。 ○解熱剤、常備薬 下痢とともに発熱をおこすので、飲みなれている解熱剤を持参するとよい。
シルクロード紀行 北海道新聞社の好意で、シルクロード展が終わったにもかかわらずリンクできます。手紙を出して残してもらったのです。
簡単な中央アジアの地図 Frunzeとなっているのがビシュケクです。この地図は古いかな。