ここでは、「ネットワークニュース(岩手大学版)」に書いた宗教に関することを整理して、
その後の追加資料も加えて掲載します。宗教を宣伝したり、逆に誹謗するものではありません。
なぜ宗教なのか 以下に仏教とキリスト教に関する記事を連載します。 これらは 2年前にパソコン通信「ハイテクネットとうほく」に書き込んだ 記事をもとに再編成したものです。 ここでキリスト教と仏教のことを書きますが、 どうして このテーマなのかという疑問に対しては まず次のように答えておきます。 私は研究で、お寺や古い日本の建物のことを建築学的に調べたことが ありました。 またアーチの石積み教会の翻訳本も出しました。 それらの仕事において、宗教の知識がある程度必要でした。 奈良の大仏殿は世界最大の木造建築の空間を作っているといいます。 しかし、奈良の大仏と鎌倉大仏の違いは何か、 あるいは キリスト教の歴史とかローマカトリックとギリシャ正教との違いは何か など日頃から疑問をもっていました。 ひろ さちや の「仏教とキリスト教」(新潮選書)が参考文献ですが、 これからしばらく宗教のことを、我らが知るべき常識として 書いていきたいと思います。 したがって 特定の宗教の批判とか、好き嫌いはなるべく書かないように気をつけます。 このテーマをとりあげた動機として、 あるいは最近の事件があるのかもしれません。 ひろ さちや があとがきで書いているように 「外国語を知らない者は、本当は自国語も知らないのだ と言われる。 外国語と比較することによって、自国語の特色や長所・短所がよくわかる。 それと同じように、1つの宗教しか知らない者は、本当はその宗教をよく理 解していないのであろう。 他の宗教と比較することによって、自分の信ずる宗教の特質がよくわかるも のである。 自分の信ずる宗教の理解が深まるのである。」 Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiss nichts von seiner eigenen. Goethe
以下の引用については、ひろ さちや氏から承諾の手紙をいただいています。
釈迦とその教え インドの人釈迦は 現在のインドからネパールにまたがって存在していた釈迦国の王家に 王子として生まれた。 釈迦の生没年は諸説があり a 紀元前624ー544 インド人の説 b 紀元前566ー486 京大系の学者 c 紀元前463ー383 東大系の学者 釈迦は29歳まで、シッダッタ太子として、わりと恵まれた生活を していた。結婚もし、一子をもうけている。 しかし、29歳のとき、老・病・死という人生の苦を 克服するために妻子を捨てて出家し、苦行を中心とする 宗教的修業に専念した。 6年間、苦行を続けたが、ついに苦行の無意味さに気づき 極端な快楽におぼれず、極端な苦行にも偏しない 「中道」を歩むことを決意した。 釈迦35歳のときに、宇宙の究極の真理に目覚め、 「仏陀」となる。 仏陀とは、インドの古典語であるサンスクリット(梵語)の ブッダBuddha「(真理に)目覚めた人」に漢字を宛てたもので、 もともとは宗教的聖者を呼ぶ一般的な語であった。 仏陀の教えが仏教である。 仏教においては、私たちも仏陀になることが期待されている。 したがって仏教には 仏陀の教え 仏陀になるための教え の2つの意味がある。 釈迦の説いた教理の体系は四諦(したい)と呼ばれている。 つまり4つの真理 1 苦諦(くたい) 苦に関する真理 2 集諦(じったい) 苦の原因に関する真理 3 滅諦(めったい) 原因の滅に関する真理 4 道諦(どうたい) 方法に関する真理 第一の苦諦は、我々の生存が苦である、という事実を確認したものである。 医療でいえば、これは診察に当たる。正しい医療はまず病状を正確に 知ることから始まる。 次の集諦は、その苦の原因が欲望にあることを教える。 病気を治すには原因究明が大事である。頭が痛いからといって 対症療法的に頭痛薬を飲ませるのは、ヤブ医者のすることで 頭痛の原因を知ることが真の治療への道である。 原因がわかれば、その原因を滅すればよいので、それを言ったのが 第三の滅諦である。 また、仏教の理想は、苦痛の根源である欲望をコントロール することで、欲望を際限なくふくらませる解決法は邪道とされている。 つまり、仏教の教えは少欲知足である。 欲望を少なくし、足るを知るこころを持つことである。 現在の日本人はエコノミック・アニマルになってガツガツとしているが それは仏教の教えに反する。 これで十分である.....と、限度を知る必要がある、というのである。 もっとも、極端な少欲を是としているわけではない。 やはりここでも、中道の精神が大事というわけである。 最後の道諦は、どうすれば欲望をコントロールできるか その方法を教えたものである。医療でいえば、治療の段階に当たる。 その方法を一口で言えば、正しい知慧を獲得することである。 正しい知慧があれば、我々は欲望をコントロールできるからである。 (ひろ さちや:仏教とキリスト教、新潮選書) インドの仏教文化の遺跡をたずねて ネパールをたずねて ネパールについて
キリストは予言者? キリストをめぐって、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を比較すると 以下のようになります。 キリストは、名をイエスといいます。 イエスというのは、ヘブライ語のヨシュアがギリシア語化したもので 「神は救う」という意味です。 またキリストという名前も、ヘブライ語のメシアをギリシァ語に訳した もので、「聖油を注がれた者」という意味を持っています。 つまり、イエスもキリストも、ともに救世主、救済者を意味しています。 キリストの伝道の目的は、当時の伝統宗教であったユダヤ教が あまりにも厳格な律法主義・形式主義に陥っている現状を 鋭く批判することにありました。 彼は「律法のために人があるのではなく、人のために律法があるのだ」 と主張しています。 そうして、そのような律法主議・形式主義をのり超えるものとして、 人類に対する神の愛を強調しました。 したがって、キリスト教は、いわば愛の宗教であると、 その性格を特徴づけることができます。 キリストの主張は、もう一つあります。 それは神の国が近づきつつある、という主張です。 この神の国にあずかろうとする者は、みずから改心をし、 あらゆる現世的なものを超えて、この神の国を信じなければならない とキリストは宣教したのです。 キリストが、自分自身を神の子であり、メシア(救世主)であると 認識していたかどうかは、疑問です。 キリストを神の子であるとする信仰は、彼の死後間もなく 弟子たちのあいだで芽生えてきたものです。 そして、キリスト教というのは、じつをいえば このイエス・キリストなる存在を神の子と信じることからはじまる ものです。 旧約聖書と新約聖書が、キリスト教の聖書であるが、 ユダヤ教では旧約聖書のみを聖書としている。 キリスト教では、イエスは神の子とされているが、 ユダヤ教では、キリストはたんなる田舎者のラビ(先生)にすぎません。 つまり、キリストを「人間」と見ているわけです。 また、イスラム教から見れば、キリストは、マホメットの直前に出現した、 1人の「予言者」なのです。 すなわち、アッラーの神は、この世の中に多くの予言者をつかわして、 人類に悔い改めるように警告されたが、 旧約聖書(イスラム教徒も旧約聖書をみとめている)のイザヤ、エレミヤ等の 予言者が現れても人類はいっこうに悔い改めません。 そこでアッラーは、イエス・キリストを予言者としてこの世につかわしたが、 人類の大半はイエスの予言を無視しました。 そこで、ほんらいなら神は全人類をせん滅されてもよいのだが、慈悲深いアッ ラーは最後にもう一度だけ人類にチャンスを与えた。 すなわち、最後の予言者としてマホメットが選ばれ、マホメット通して人類 にコーランを啓示されたのである。 これがイスラム教の考え方です。 まとめ、イエス・キリストをどうみるか A.ユダヤ教からみれば.....ただの人間 B.キリスト教からみれば....神の子 C.イスラム教からみれば....予言者 (ひろ さちや:仏教とキリスト教、新潮選書) ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、みんな関係があるのですね。 だから、エルサレムには思いが強いのか。
キリストの話していたのはアラム語
小乗仏教 たとえですが、 大きな流れの急な川がある 川のこちら側(此岸 しがん)は、われわれのいる迷いの世界、煩悩の世界 川をわたった彼岸(ひがん)は、悟りの世界 仏教の目的は、この川を渡って悟りの世界である彼岸に到達することである。 川を渡るには、最も普通の渡り方は、泳いで渡る、 泳いで渡るには、まず裸にならねばならない 金銀をリュックサックに詰め込んで、それを背負って渡ることはできない。 そんなことをすれば、急流だから、途中で溺れ死ぬ。 同様に家族も連れて渡れない。 やっと自分一人が泳いで渡るだけである。 いや、自分一人にしても、泳いで渡れる保証はない。 泳げなければ、途中で溺れてしまう。 これが小乗仏教である。 裸になって、財産も捨てて、妻や子どもも捨てて、 自分一人だけがようやく彼岸に泳ぎ渡れる教えです。 裸になり、すべてを捨てるということは、すなわち出家です。 小乗仏教は、出家した者だけが、彼岸に渡れる可能性をもっている 教えなのです。 自分一人しか救われないから、小乗と呼ばれるのです。 のちに興起した大乗仏教が、このような独善的な出家中心主義の仏教を 批判して、小乗と貶称(へんしょう)したのです。 そして、自分たちの新しい仏教を、大乗仏教と名づけました。 大乗仏教:大きな乗り物(教え) 大勢の人を向こう岸の彼岸に運べるから 小乗仏教は現在でも東南アジアに信者がいるが 彼ら自身は上座部仏教と呼んでいます。 (ひろ さちや:仏教とキリスト教、新潮選書) 小乗仏教は大乗仏教も一長一短がありますね。 当初ヒンドゥー教の祠堂、後世に仏教寺院に変更されたアンコール・ワット遺跡
大乗仏教 小乗仏教はまじめに自分一人の力で、悟りの世界へ入り救われる という考え方だが、 この独善的出家中心主義の仏教を批判して、大乗仏教が生まれた。 たとえとして山登りの比喩をつかう。 誰も登ったことのない山を征服するには、最初は専門家が登る必要がある。 ちゃんと装備をし、あらかじめトレーニングを積んだ登山家が 人跡未踏の山に登るのである。 この専門の登山家が出家者である。 釈迦は、最初にいきなり素人(在家信者)をのぼらせるような無謀なことは させず、出家者という専門家を登らせたのである。 彼らによって道が踏み固められると、のちには素人も軽装で登られるように なると考えてのことである。 なお先ほども書いたが、 小乗仏教というのは大乗仏教の側からの呼び名であり、現在の東南アジアの 仏教徒はこの仏教を信じているが、 彼ら自身は小乗とはいわず、自分自身を呼ぶのに 上座部仏教=長老派仏教 とよんでいる。 また、小乗仏教から大乗仏教に対して非難が寄せられている。 すなわち、大乗仏教は釈迦の死後にできた新興宗教であって、釈迦が説いた ものではない、 次に、大乗仏教の考え方だと、仏教は堕落してしまう危険がある ということである。 (ひろ さちや:仏教とキリスト教、新潮選書) ところで参考文献を全部紹介しているわけではなく 一部の目についたところだけです。 興味のある方は、この本を読んでみてください。 ひろ さちや氏は博学です。さすがに専門家。
奈良の大仏とお釈迦様 仏教では宇宙の中心にまします「宇宙仏」のことを「大ビルシャナ仏」と 呼んでいます。 奈良東大寺の大仏が、この大ビルシャナ仏です。 この大ビルシャナ仏は沈黙の仏です。ご自分では説法されないのです。 なぜなら、大ビルシャナ仏は宇宙仏ですから、説法をしても宇宙語でされる ことになります。 そのような宇宙語の説法はわたしたちには理解できませんから、大ビルシャナ仏 は沈黙しておられるのです。 大ビルシャナ仏はご自分の毛穴から百千億のシャカ仏を放出して、 宇宙のあちこちに説法のために派遣されるのです。 ビルシャナとは太陽の意味です。 このようなシャカ仏を分身仏とよんでいます。 そして、わたしたち人間の世界にやって来られた大ビルシャナ仏の分身仏で あるシャカ仏が、あの仏教の開祖のお釈迦さまなのです。 キリスト教では、イエス・キリストを神の子と考えています。 キリスト教 仏教 神(ゴット) 宇宙仏 大ビルシャナ仏 イエス・キリスト お釈迦さま (ひろ さちや:仏教とキリスト教、新潮選書) そのうちに仏像の画像も載せたいですね。
大日如来=大ビルシャナ仏 さきほどの顕教では 宇宙仏を大ビルシャナ仏とよんでいる。 これに対して、密教では 宇宙仏を大日如来とよんでいる。 大 ビルシャナ(太陽) 仏 ....顕教 大日 如来 .....密教 意味はまったく同じ。 顕教の大ビルシャナ仏は沈黙の仏であったが、 密教の大日如来は雄弁の仏である。 大日如来は宇宙語で雄弁に説法をされている。 宇宙語でなされているから、私たちが聴いてもわからない。 したがって「秘密」といわれている。 密教においては、大日如来の言葉を理解するのに、宇宙語を勉強する必要が ある。 密教は、シャカ仏の媒介なしに、直接、宇宙仏の説法を聴聞しようとする 仏教である。 密教は空海が中国から伝えてきた。 真言宗がそれである。 (ひろ さちや:仏教とキリスト教、新潮選書) 私は空海が修行し受戒を受けたという青龍寺(中国西安市)に 行ったことがあります。 日本から信者がいつも訪れているようです。
ユダはなぜキリストを裏切ったか キリストの12番目の弟子、イスカリオテのユダは、なぜキリストを裏切っ たのか、 銀30枚で、師を裏切った謎は、やっぱり研究されているのでしょうか。 ユダは会計係だったようです。 大勢の信者がキリストのことろに集まって、キリストはユダに、みんなに食べ物 をだせ等無理な注文をしたようですが... ユダはキリストをローマ帝国に反抗する 政治的指導者、政治的救済者と考えていたようです。 しかし、キリストがいっこうに政治的に動こうとしないので、失望のあまり 敵にキリストを売り渡したであろう..とする説が有力だそうです。 ほかに、うがった見方もある、キリストとユダの間に密約があった もしキリストが敵から無視され、相手にされないようなことがあれば、 キリストは当時多く輩出していた偽予言者と同じになり、 キリストの救い主としての道は閉ざされることになってしまう。 だから、キリストが予告通りに捕らえて殺されるために、ユダはキリストと 仕組んで、敵方に通謀したのだ、という説がある。 しかし、キリストのはりつけの後に、ユダが自分の行為を後悔し、貰った金 を返そうとしたが受け取ってもらえず、自ら首を吊って死んだので、 密約説は疑問だ。 (ひろ さちや:仏教とキリスト教、新潮選書) 太宰治の小説に「かけこみ訴え」という小説がある。 ユダはキリストに憧れていた、という、ここではあからさまに 書けない内容ですが、一度読む価値があります。 ユダもキリストに好意を持っていたからこそ、キリストとその集団の世話を していたのでしょうか。 愛すればこそ憎しみも深い。
日本における宗教の信者数 日本における仏教徒とキリスト教徒の数 文化庁編「宗教年鑑(昭和58年版)」によりますと、わが国の宗教人口は 次のようになっています。 神道系 1億0305万人 仏教系 8664万人 キリスト教系 151万人 諸教 1588万人 総計 2億0708万人 なんと信者総数はわが国の人口を軽くオーバーしている。 これは、1人で2つ3つの信仰をもっているためです。 それに、神社や宗教団体が信者数を都道府県知事に届けるとき、神社は自己 の地域の住民をすべて氏子としたり、 宗教団体は勢力を誇示するため、水増しの数字を届けるからです。 (私が1982年に東ベルリンで買ったきた、日本の紹介の子供の絵本を読む と、やはり日本人の宗教の信者の合計が、日本の人口をはるかに上回る数 だったので、そんな馬鹿なと思ったものだが、このような日本の統計をもとに していたようだ) 文部大臣が所轄する包括宗教法人(全国単位の大きな宗教法人)の信者数 は当然これより少ないが、やはり日本の人口を上回っています。 神道系 8564万人 仏教系 8080万人 天台系 311万人 真言系 1288万人 浄土系 2030万人 禅系 909万人 日蓮系 3333万人 奈良仏教系 207万人 その他 4万人 キリスト教系 105万人 旧教 39万人 新教 66万人 諸教 1233万人 総計 1億7982万人 仏教系のうち、日蓮系がとくに多いのは、創価学会の属する日蓮正宗や、 霊友会、立正佼成会といった新宗教の信者が含まれているためです。 それらの新宗教を除いて、信者数の多い仏教教団をピックアップすると 浄土真宗本願寺派(西) 703万人 曹洞宗 689万人 浄土宗 601万人 真宗大谷派(東) 553万人 高野山真言宗 456万人 日蓮宗 229万人 真言宗智山派 153万人 真言宗豊山派 113万人 となっています。 (ひろさちや:仏教とキリスト教、新潮選書) どうも宗教の統計はあてにならないようだ。
末法思想と最後の審判 その終末観の違い 仏教には、末法思想があります。 末法思想というのは、完全なものは永久に続かず、 時間の経過とともに堕落する といった下降型の歴史観です。 近代西欧に誕生した、そして私たちが常識的に信じている 「発展型の歴史観」の、ちょうど対極をなすものが末法思想です。 仏教は釈迦の教えですが、釈迦の死後500年間を正法の時代といい そこでは釈迦の説いた教え(教)が完全な形で受け継がれており、 その教えにしたがって修行(行)する人が存在し、 また悟り(証)を開く人がいる、 つまり 教・行・証の三拍子がそろっている時代です。 ところが、500年を過ぎると、像法(ぞうほう)の時代になります。 像法の時代は1000年続きます。 この時代になると、教と行はありますが、修行の結果、悟り(証)を 得る人はなくなります。 さらに、その後に末法の時代がきます。 つまり、釈迦の死後、1500年目からで、末法の時代は1万年 続きます。 この時代になると、もはや修行(行)する人もなくなり、 ただ仏教の教え(教)だけが残っているのです。 そして末法時代が1万年続いたあとは、教すらなくなった法滅の時代 になるわけです。 要するに、 釈迦の時代→正法時代→像法時代→末法時代→滅法時代 と、時代はだんだん悪くなるという考え方です。 ところで、いま、正法時代が500年、像法時代が1000年といいましたが、 じつはこの計算でいくと、末法時代のはじまりが552年になります (昔は、釈迦の入滅を紀元前949年としていました)。 552年といえば、『日本書紀』が仏教伝来の年としている年です。 ということは、日本に仏教が伝わってきた時、すでに末法であったということに なります。それではちょつとかわいそうです。それで、日本では、正法の時代も 1000年とし、正法時代1000年、像法時代1000年、かくて2000年後に 末法時代がはじまるとしました。この計算によると、日本における末法の時代は、 永承7年(1052) にはじまることになります。ちょうど平安時代の末期に当り、この年には長谷寺が 焼失し、武士の勃興、僧兵の横暴などの社会現象が見られ、貴族たちは危機意識に 駆られはじめています。 そうした危機意識を背景に、浄土信仰が盛んになり、やがて鎌倉時代の、 法然の浄土宗 親鸞の浄土真宗 道元の曹洞宗 日蓮の日蓮宗 となって結実するわけです。したがつて、末法思想は、日本仏教の展開に 大きな影響を及ぼした思想なのです。 キリスト教では、世の終わりにイエス・キリストが再び地上に来て、 神とともに全人類を裁くという思想があります。 最後の審判のためにキリストが再び地上に現われることを 「キリストの再臨」といいます。 この審判によって、人が天国に送られるか、地獄に送られるかが 決定します。 最後まで心をかたくなにして神に反逆した者は、地獄に送られる のです。 世の終わりの前兆は、戦争や飢饉、地震、迫害などであり、 偽キリスト、偽予言者が横行して人々をまどわせます。 そのあとで本物のキリストが雲に乗って来臨し、彼を信じて その教えを実践した者を救い、そうしなかった者を滅ぼすのです。 この最後の審判は、キリスト教美術において重要な主題となっています。 (ひろ さちや:仏教とキリスト教、新潮選書) 完全なものは永久に続かず、時間の経過とともに堕落する これは般若心経のテーマですね。 現代物理学で言えば、エントロピーは増大する。 エントロピーは小さいほどいいから、 自然にさからってエントロピーを減らすことを、反エントロピー という用語で表すことにする。 子供は反エントロピーを増やす能力に乏しい。 座敷をおもちゃなどで散らかし、畳や壁をよごす。 主婦はおもちゃを片付け、座敷を掃除し、よごれを拭う。 彼女らは自然の傾向に逆らって、反エントロピーを大きくしている。 洗濯も同じである。 反エントロピーの増加は、いわゆる仕事と呼ばれているものの中にだけ あるわけではない。 中国からのゲームで、はじめ配られる13(4)枚の牌は、 普通には極めてエントロピーが大きい。 (たまたま、はじめからエントロピーが小さいときには、天和とか 地和とかいって大そう珍重する) ゲーム開始と同時に、4人のプレーヤーはせっせと反エントロピーの 増加にはげむ。 14枚の牌がきめられたエントロピーの極小値(必ずしも 最小値ではない)に達したとき上がりとなる。 このときの極小値の値が小さければ小さいほど点は高い。 (都筑卓司:マックスウェルの悪魔、講談社ブルーバックス) 自然現象は煙が拡散するように 秩序が崩れて、混沌とした状態になっていく。 つまり自然現象ではエントロピーは増大する。 しかし、人間は上にあげた例のように、 エントロピーの小さい状態をわざわざ作り上げたりする。 (時には徹夜までして) 人間の力こそがエントロピーを小さくする となると、仏教も末法を救うのは人間自身かもしれない こういう考え方が近代欧米流の考え方であろうか。
仏教の輪廻思想とキリスト教の復活思想の考え方の違い いかなる宗教も、いま現在の生につづく来世(死後の世界)をもっています。 そして、その来世は、われわれがこの現在の人生をどう生きるかによって 大きくちがってきます。信仰をもって正しく生きた人は、来世で嘉(よみ)せ られます。また、逆に悪人は来世で罰を受けます。それが、だいたい どの宗教にも共通した考え方です。 さて、キリスト教の復活思想ですが、イエス・キリストは十字架の上で死んで、 三日後に復活しました。このキリストの復活を証(あか)しとして、キリスト教徒は また自分たちも復活すると信じています。それが復活思想です。 キリスト教においては、人間が死ねば、その存在全体が「死」の権力下に おかれるとしています。すなわち、人間の魂は陰府(よみ)につながれ、 体は墓のなかで腐敗します。けれども、それは一時的な状態です。 人間はいつか、神のめぐみによって、再び生きた姿で復活します。それは、 深い眠りからの目ざめのようなものです。 仏教の輪廻思想の特色は、来世ばかりでなく過去世(前世)があると信じる点に あります。キリスト教には来世(復活)はありますが、前世はないのです。 あるいは、換言すれば、仏教の来世は有限の世界であって、したがって来世にも 終りがあり、来世のあとにまた次の来世がくるという考えです。 われわれは、そうした無数の世を生まれ変わり死に変わりして輪廻転生する ー というのが、仏教の輪廻思想です。これに対してキリスト教では、 来世は永遠の世界であって、仏教のように、来世のあとにさらに次の来世がある というわけではありません。 仏教は、生まれ変わり死に変わりして生存をつづける輪廻の世界を考えますが、 その輪廻の世界を「五趣(ごしゅ)」または「六道(ろくどう)」といいます。 「五趣」は、 天人−人間−畜生−餓鬼−地獄 の五つの世界で、古くはこの五つの世界をわれわれが輪廻転生すると考えられて いました。のちに、大乗仏教になると、天界のうちの怒れる魔類を ”阿修羅(あしゅら)”(または”修羅(しゅら)”と呼び、天界から独立させて 人間以下の存在としました。したがって、「五趣」ではなく「六道」になったのです。 すなわち、 天人−人間−修羅−畜生−餓鬼−地獄 が「六道」です。”趣”も”道”も、ともに「往く」といった意味で、 「五趣」「六道」とは、わたしたちが「死後に往く世界」の意なのです。 それが輪廻の世界です。 ところで、仏教はインドに生まれた宗教ですが、インド人は心の底から 輪廻を信じています。 インドのヒンディー語に、 ”サンサール” という単語がありますが、これは「世界」を意味すると同時に 「輪廻」を意味しています。彼らは、「輪廻」イコール「世界」だと 捉えているのです。 わたしはあるとき、インド人に、 この代(よ)にし楽(たぬ)しくあらば来(こ)む世(よ)には 虫に鳥にも吾(われ)はなりなむ という、『万葉集』の大伴旅人の歌を紹介しました。 この世さえ楽しければ、来世は地獄に堕ちてもかまわぬ − という意味で、 だいたい日本人はこう考えているでしょう。 ところが、インド人は腰を抜かさんばかりにびっくりしてしまいました。 この人生は50年か、100年。しかし、地獄に堕ちると、最低でも一兆六千二百億年 苦しめられる。50年か100年のために、一兆六千二百億年の苦痛は割に合わぬ ではないか!? というのがインド人の論理です(地獄には八大地獄といって、 八つの地獄があります。そのうち、最も刑期の短い地獄の刑期が、一兆六千二百億年 なのです)。 けれども、日本人は、輪廻転生を信じているようで信じていません (あるいは、信じていないようで信じている、ともいえますが……)。 だから、一兆六千二百億年は架空の数字に思えるのです。 インド人ははっきりとそれを信じているので、だから現世をつつましく生きるのです。 そこのところにインド人の宗教性があり、そして日本人の非宗教性があると、 わたしは思います。
教会 キリスト教の教会です 教会 教会はヘブライ語でカーハールといい、集会の意味です。 また、ギリシャ語ではエクレーシアといい、この語は「呼ぶ」「召集する」 といったギリシャ語の動詞エカレオーから作られた名詞です。 したがって、「礼拝のために召集された集まり」といった意味が、「教会」 の原義です。 すなわち、「教会」は人間が勝手につくったものではなく、イエス・キリス トの救いのわざをもとに、キリストによって召し集められた共同体なのです。 それ故、「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしてい るかた(=キリスト)の満ちておられる場です (エペソ人への手紙、第1章)」といわれています。 教会の主要な任務は、礼拝を守ること、洗礼や聖餐などのサクラメント (聖礼典)の執行、キリストの福音を伝えること、信徒どうしの交わりを 深めること、などです。 教会の歴史は、キリストが十字架の上で死んで3日後に復活し、弟子たちの 前に姿を現したときにはじまるとされています。 すなわち、弟子たちはキリストの復活によって勇気と力をあたえられて、福 音を各地に述べ伝えていく自信をもったのです。 その結果、多くの者が信者となり、最初の教会がエルサレムに誕生しました。 (ひろ さちや:仏教とキリスト教、新潮選書) ローマの教会や遺跡 教会の建築は宗教が大きな力をもっていたため、 当時の最大の技術、経済力、政治力を反映した建築であった。 日本の仏教寺院もやはり中国や朝鮮半島から 伝わってきた、最高の文化と技術であった。
寺 仏教の寺です 仏教の寺は、ほんらいは僧侶(出家修行者)の修行の場所でありました。 寺は、もともとは精舎と呼びます。 インドの僧侶は、基本的には遊行生活をしていましたが、インドには三ヶ月 間の雨期があります。この期間は旅行ができません。 それで雨期の三ヶ月間、仏教の出家者は一カ所に集まって修行しました。 それを安居(あんご)といい、その場所が精舎です。 仏教における精舎の第1号は、インドはマガダ国の首都 王舎城(現在のラージギル)郊外に あった竹林精舎です。この精舎は、マガダ国王のビンビサーラが 釈迦に寄進したものです。 また コーサラ国の首都 舎衛城(現在のサヘト・マヘト)郊外に建立された祇園精舎も有名です。 平家物語には 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」とありますが、 祇園精舎に鐘はなかったそうです。 このようなインドの精舎が、中国では寺になりました。 寺はもともと役所や外国の使節を接待する建物のことです。 西域から中国に仏教が伝わったとき、外国人の僧を寺(接待所)に泊め、仏 像や経典を寺に安置しました。 鴻臚寺(こうろじ)という寺(接待所)だったのですが、のちに仏教僧のた めの特別接待所として白馬寺がつくられました。 そんなわけで、寺が僧の住むところ、そして仏像などを安置し、経を読むと ころになったのです。 (ひろさちや:仏教とキリスト教、新潮選書) 日本建築史では当然、仏教寺院の知識が必要です。 そういう知識を得てから、奈良や京都の見学をすると 理解が深まり楽しいです。
数珠とロザリオ 数珠 数珠は、ふつう「じゅず」と読みます。漢字をそのまま読めば「ずじゅ」と しか読めないのに....。 もっとも山茶花だって、「さんさか」なのに「さざんか」と読むわけですよ ね。 仏教徒が用いる数珠も、カトリック教徒が用いるロザリオも、もともとお祈り の回数を数えるために使われるものです。 したがって、その本来の役割は同じです。 仏教の数珠の珠は108個が原則です。仏教では百八煩悩といって、私たち は108の煩悩をもっていると考えられています。 そこで、仏を一回礼拝するたびに、あるいは念仏を一回となえるたびに、数珠 を一つ爪ぐりし、それを108回繰り返し108の煩悩を消滅させるのです。 除夜の鐘を108撞くのも同じ思想です。 実際は108珠の数珠は大きくて重いので、略式の数珠が使われています。 略式のものは珠の数が54、36、27、18のように、108の公約数と なっているものが多いようです。 インドのヒンデゥー教でも、やはり数珠が使われます。というより、仏教の 数珠は、ヒンドゥー教に学んだものかもしれません。 このヒンドゥー教の数珠は、ジャパマーラー japamala といいます。 ジャパとは、神の名を唱え、神の姿を心に思い浮かべること です。 そして、マーラーは輪のことです。ですから、ジャパマーラーは「念誦(ね んず)の輪」なのです。 ところが、ローマ人は、このジャパをジャパーと聞き誤りました、ジャパー と伸ばすと意味がすっかり変わって、サンスクリット語でバラのことです。 そこで、ジャパーマーラーはバラの輪と解され、ラテン語でロザリウム、 ポルトガル語でロザリオ、英語でローザリーrosary と呼ばれるようになったのです。 ロザリオの珠の材料は、バラの木を材料にしたものはめったになく、木、ガラス、 水晶などです。 もともとヒンドゥー教ではバラに関係がなかったのに、ヨーロッパから日本 にロザリオとして入ってきて、数珠と先祖が同じだということは 知っている人しか知らない事実でした。 ただしロザリオとは歌の中にでてくる言葉であって、日本ではロザリオのことを、 コンタスあるいはコンタツと呼びます。 どうやらキリシタン時代に日本に来たポルトガル宣教師が、ロザリオを「計算する contas 道具」と説明したのに由来するようです。 イスラム教でも数珠を用いるそうです。 (ひろ さちや:仏教とキリスト教、新潮選書) 秋葉原も そのまま読めば、アキバハラ、 どこかで間違ってアキハバラになったのだろう。 ロザリオと数珠、先祖を同じくするものが、日本で再会した。 タルタルステーキを焼けばくず肉利用のハンバーグ(そのゆかりの ドイツの町ハンブルクの名前を英語読みにした)。 タルタルステーキはモンゴル人の知恵か。モンゴルに支配された 朝鮮の人々が食べるようになったユッケ。 くしくも、日本でアメリカ経由のハンバーガーと焼肉屋のユッケが 再会した。 まことに、日本は流れ着いた文化の交渉する終着地。
キリスト教の偶像崇拝 キリスト教の偶像崇拝禁止 キリスト教では、ユダヤ教の伝統を受け継いで、偶像崇拝を禁じています。 偶像崇拝を禁じる根拠は、モーゼの十誡の第二「あなたは自分のために、刻 んだ像を造ってはならない」にあります。 なぜ、ユダヤ教は偶像崇拝を拝したのでしょうか。それは、神の唯一性と超 越性をまもるためだと思われます。 私たちが神の像をつくるなら、神はとたんに低次元で卑俗な存在になって しまいます。 なぜなら、創られた像に対しては、人間は好き・嫌いを言いはじめるでしょ うし、もっと美しい像を考えることができるからです。 つまり、創られた像は比較の対象となり、相対的な存在でしかないのです。 しかし、神はそうした相対の存在ではありませんから、結局、像を創ること は神を卑しめることになるわけです。 新約聖書の時代になると、キリストにおいて託身が実現され、人間として描 かれる機会が与えられたのです。 そうはいっても、最初期のキリスト教徒はユダヤ教の伝統に束縛されていま したし、迫害の時代にあって、その信仰告白を異教徒に知られないために、 明らかにそれとわかるようなキリスト像をつくりませんでした。 キリストを示すに魚をもってするというように、象徴的図像によっていました。 なぜ魚かといえば、イエス(Iesous)、キリスト(Christos)、神の子(Theou Yios)、救世主(Soter)のイニシアルなどをつなぐと、 「魚(ichthys)」になるからです。 しかし、迫害の時代が終わると、教徒たちはキリスト像を喜んで表現したの です。 (参考文献 ひろ・さちや、仏教とキリスト教、新潮選書) 昔 盛岡の四ツ家教会のステンドグラスを見せてもらったこと があります。 この教会は、中央郵便局の近くで、カトリックの教会です。 神父さんから、このステンドグラスは信者の浄財を集めて、 スイスに注文して作ってもらったのだ、という話を聞きました。 キリストを象徴するのは、魚である、ということを教えてもらいました。 もし、なにかの機会に四ツ家の教会に行かれることがあったら、 大きな赤い魚の描かれたステンドグラスを見てみてください。
仏像を分類すれば 仏像の分類 仏教の場合、偶像崇拝が禁止されているわけではありません。 仏教においては、悟りを開いた聖者である仏陀とわれわれ人間が、キリスト 教の神と人間とのように断絶していないからです。 仏陀と人間は連続しています。人間が悟りを開いたとき、仏陀になります。 したがって、仏陀の像をつくることは許されているわけです。 しかし、歴史的にみると、釈迦の死後数百年のあいだ、仏教においても仏 像はつくられていません。 その理由は、仏陀というものは迷いの世界から消滅した存在だと考えられて いたからです。すなわち、姿なき仏陀であったのです。 それがのちに、迷える衆生を救うために、この世界に来現した仏陀が考えら れるようになり、仏像がつくられました。 仏像がつくられたのは、紀元後1、2世紀のころとされています。 一般の人は、仏教において礼拝されている尊像のすべてを「仏像」とよんで いますが、これは仏教学的にいえば、広義の仏像です。 この広義の仏像には、狭義の仏像、つまり如来像のほかに 菩薩像や明王像や諸天像などが含まれています。 1.如来(にょらい)像 如来という言葉は仏とまったく同義です。 如来(仏)は、仏教において最高究極の存在です。代表的な如来は、 a.釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)(釈迦仏)仏教の開祖の釈迦のこと b.毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ) 奈良の大仏さんがこれ (なお鎌倉の大仏は、阿弥陀仏) c.大日(だいにち)如来 密教の中心的仏 密教の大日如来と、顕教の 毘盧舎那仏は、同体異名の仏とされる。 d.阿弥陀仏 西方・極楽(ごくらく、決してきょくらくとは読まないように) の救主であり、我国では釈迦牟尼如来と並んで人気のある仏である。 浄土宗・浄土真宗では、阿弥陀仏のみ拝む。 e.薬師如来 東方・浄瑠璃世界の救主 これらの如来の特色は、出家の姿をしておられることです。装身具はいっさい つけず、衣服もゆったりした布をまとっておられるだけである。 ただし、大日如来だけは例外で、この如来は王者の姿で造像されます。 2.菩薩(ぼさつ)像 菩薩というのは、仏(如来)に準じた存在で、やがては仏になられる方です。 観音菩薩(観音さま)や地蔵菩薩(お地蔵さん)などは、すでに仏に等しい 存在なのですが、 仏になるとこの世を去って真理の世界に消滅せねばならないので、わざわざ仏 にならずに菩薩のままでおられる存在です。 それは、われわれ迷える衆生を救うためです。 a.観音菩薩 女性的だが、仏教の教理によると菩薩は基本的には男性である。 世の中の衆生が苦しみの「音」声を発したとき、それを「観」じて救済される。 b.地蔵菩薩 お地蔵さんのこと c.大勢至菩薩 観音菩薩とペアになって、阿弥陀如来の脇侍(わきじ)をつとめる。 d.弥勒(みろく)菩薩 釈迦牟尼仏がこの世に出現された後、56億7千万 年後にこの世に出現される未来仏です。 現在はまだ仏ではなく、 兜率天(とそつてん)と呼ばれる天界にあって修業中(瞑想中)です。 京都・広隆寺の半跏思惟像が有名 e.文殊菩薩・普賢菩薩 これらはペアになって釈迦牟尼仏の脇侍(わきじ) をつとめる。 普賢といえば普賢岳が連想される。 f.日光菩薩・月光菩薩 薬師如来の脇侍をつとめる。 g.虚空蔵(こくぞう)菩薩 菩薩は基本的には在家の人間です。したがって、首飾り、胸飾り、腕輪、 イヤリングなどをつけています。 ただし蔵菩薩(お地蔵さん)は例外で、ほとんどが頭の丸い出家僧の姿です。 3.明王(みょうおう)像 簡単にいえば、仏の世界の王者である大日如来の使者 使者というより捕吏といったほうが当たっている。 手には剣や羂索(けんさく ひものこと)をもち、恐ろしい忿怒形 (ふんぬぎょう)で造像されている。 a.不動明王 お不動さん 不動明王の体あるいは目を青・黄・赤・黒・ 白に彩色し、五体の尊像を造って、これを「五色不動」と呼ぶ。 昔、江戸の四囲にこの五色不動があったが、現在は「目黒不動」だけが残り、 「目白不動」は目白という地名にその名残をとどめている。 b.愛染明王 4.諸天像 天というのは神のことです。インドの神様を中国人は天と訳したのです。 仏教に守護神としてとりいれられたインド起源の神様が諸天である。 a.梵天(ぼんてん) b.帝釈天(たいしゃくてん) 帝釈天といえばフーテンの寅さんを連想する。 c.四天王 帝釈天配下の武将で、東西南北の四方を守護する。 東方を守護する持国(じこく)天、南方の増長(ぞうじょう)天、西方の 広目(こうもく)天、北方の多聞天(毘沙門天) d.吉祥天(きちじょうてん、きっしょうてん) e.鬼子母神(きしもじん) 人間の子どもを食う食人鬼だったが、釈迦 の教えを受けて悔悛し、出産と育児の女神となる。 f.大黒天 日本では音の類似から、オオクニヌシノカミ(大国主神)と 習合し、柔和な福相を帯びた大黒さまのイメージになった。 g.弁才天 弁才天は後世になると弁財天と書かれ、福徳神としての性格 が強調される。 h.聖天 歓喜天 (参考文献 ひろ・さちや、仏教とキリスト教、新潮選書) 京都国立博物館の仏像 奈良国立博物館の仏像 目白と目黒と関係があるのか、と思っていましたが、やっぱりあるジャンル でまとめられるわけですね。 黄不動、赤不動、青不動はそれぞれ体の色から、そう名づけられているようです。 わたしごとですが、 ドイツから帰ってきてドイツ語の先生たちに、ドイツの橋や風景を見せたこ とがあります。 ドイツでは(フランスもそうでしょうか)、広場や町のいたるところに キリストやマリアにまつわるものが作られています。 ヴュルツブルクのマイン川にかかる橋にも聖人の像がたくさん、彫刻として 作られ欄干とともにならんでいました。 したがって、ドイツは宗教をどこでも、とりいれている。 日本にはなかなか見られないことだ、と言ったら 日置先生が日本にもお地蔵さんが、いたるところに見られると教えてくれ ました。 確かに、盛岡にもたくさん地蔵さんの姿は見られます。 地蔵さんも、こうしてみると、釈迦の悟りをひらく前の姿をモデルにして 仏教というよりは、日常のやさしい存在として、わたしたちの生活の中に 今も存在しているようです。 昔話の、傘地蔵の話もありますね。 日置先生は民俗学に強く、ドイツと日本の民俗、文化、伝統に造詣があり ます。 どういうわけか、私のところに日置先生の論文が送られてきたことがありま す。 鯨のテーマは日置先生が得意なものの1つですが、 鯨のことを「いさ」といい、いさなとりとは鯨漁のことですが、 日本の神話の国引きとは鯨に関係があるとか、鯨=イサからイザミナとイザナギ が生まれたことなど詳しく論じていました。 日置先生は岩手大学から天理大学の先生になられて、現在は八戸市の大学 に勤務されているようです。
仏教とキリスト徒の祈りの言葉 「南無(なむ)」というのは、古代インドのサンスクリット(梵語ぼんご) の”ナマッハ”または”ナモー”という語を、音写したものです。 その意味は「敬礼」です。したがって「南無」は意訳して「帰依」になりま す。 全身全霊をこめて仏を拝み、またお経の教えを信ずることを表明したことば が「南無」です。 そこでまず 「南無阿弥陀仏」は、 阿弥陀仏にすべてをおまかせすることを表明した祈りのことばです。この南 無阿弥陀仏は、阿弥陀仏を本尊とした浄土宗および浄土真宗でのことばです。 つぎに有名なのは 「南無妙法蓮華経」 です。これは妙法蓮華経すなわち法華経の教えをひたすら信じることを誓っ たことばです。日蓮宗の人たちが、これを唱えます。 禅宗においては、釈迦牟尼仏(釈迦仏)が本尊ですから、 「南無釈迦牟尼仏」が祈りのことばになります。 また真言宗においては 「南無大師遍照金剛」となります。 遍照金剛とは、真言宗の開祖の弘法大 師空海のことです。開祖の弘法大師に帰依を表明したことばです。 そのほか 「南無観世音菩薩」と、観世音菩薩つまり観音さまに祈ることばもあります。 また、インド人は今でも挨拶の時は合掌しながら 「ナマス・テー」といいます。 「ナマス」とは「南無」と同じことばで、「テー」は「あなた」です。 あなたに帰依します、という意味です。すばらしい挨拶ではありませんか。 キリスト教では、祈祷の最後に 「アーメン」 といったことばをつけ加えます。これはヘブライ語で「しかり」「しかあれ かし」の意味です。 祈祷の最後にこの「アーメン」を加えるのは、その真実味を神に誓い、また 他人の祈祷に同意するためです。 (ひろさちや:仏教とキリスト教、新潮選書) パソコン通信に書いた元の記事は 順序もばらばらで、思いつきのところもありました。 今回は少し整理して、順序を整え、補足しました。 しかし、この本には全部で50のQ&Aが載っています。 その中の一部の紹介でした。 私にはなかなか難しくて、正確に解説しているという自信はありません。 自分でわかった範囲の一部だけ紹介しているようなものです。 興味のある方は、この原書をお読みください。
キリスト教の聖地 仏教の聖地 キリスト教の三大聖地 1 エルサレム 2 バチカン 3 サンチャゴ・デ・コンポステラ エルサレムはキリストの生涯と受難の地である。 エルサレムは、たんにキリスト教の聖地であるばかりでなく、 ユダヤ教の聖地でもあり、さらにはイスラム教の聖地でもある。 (十字軍の歴史を思い出そう) バチカンは、イタリアのローマの中にある世界最小の国家(バチカン市国) です。ここには、全世界のカトリック教会の中心である ローマ法王庁(教皇庁)があり、教皇がいます。 サンチャゴ・デ・コンポステラは、スペインにある聖地です。 聖ヤコブがここに埋葬されたと伝えられています。 近くの海岸でホタテ貝の貝殻が多く取れ、この貝殻は「聖ヤコブの貝殻」 と呼ばれ、この貝殻を持っていると死後の再生が保証される という伝説があり、巡礼者をひきつけているようです。 仏教の四大聖地 1 ルンビニー 2 ブッダガヤー 3 サールナートの鹿野苑(ろくやおん) 4 クシナガラ ルンビニーは釈迦の生誕の聖地です。 この聖地は、ネパール国内にあります。 インドの国境からわずか10キロばかりの所ですが、 仏蹟巡拝の旅をするには、ネパール政府のビザが必要です。 ブッダガヤーは釈迦の成道(じょうどう 悟りを開くこと)の聖地です。 この地にある菩提樹の下で、釈迦は悟りを開いて、仏陀となったのです。 サールナートの鹿野苑は、初転法輪(しょてんぽうりん 釈迦のはじめての 説法)の地です。サールナートはベナレス(バーラーナシー)市の郊外に 位置しています。 クシナガラは釈迦が80歳で入滅した聖地です。 (ひろさちや:仏教とキリスト教、新潮選書) 大学院生のネパール研修の感想 インドの仏教文化の遺跡をたずねて 聖地を巡るツアーもありますね。 イスラム教徒は一生に一度メッカに巡礼することを夢みている。
飲酒・喫煙について 飲酒については、仏教は五戒でもってこれを禁じています。 五戒とは、不殺生戒(生き物を殺さない)不妄語戒(嘘をつかない) 不偸盗戒(ぬすまない)不邪淫戒(淫らなセックスをしない) 不飲酒戒です。 (不殺生戒ふせっしょうかい 不妄語戒ふもうごかい 不偸盗戒ふちゅうとうかい 不邪淫戒ふじゃいんかい 不飲酒戒ふおんじゅかい です。念のために) 飲酒については、飲酒そのものは悪ではないが、酒を飲むと気が大きく なるためでしょうか。他の4つの戒を守りにくくなる。 だから不飲酒戒が制定されたのだ、という意見もあります。 とすれば、酒は飲んでも、酒に飲まれなければいい、 ともいえそうです。 あるいはインドのような暑い国では、酒を飲まずにいることは それほど苦痛ではありません。 私のような酒好きでも、インド旅行中はあんがい酒を飲まずにいられます。 しかし、日本は寒い国ですから、冬には身体をあたためる酒がほしく なります。その意味では、日本人にとって酒は必要悪ともいえそうです。 そのためもあって、たとえば高野山を開いた弘法大師空海は、 少量の酒を弟子に許しています。 なお、日本の寺院では、般若湯(はんにゃとう)といった隠語が 使われています。 般若(つまり知恵)の湯、少しのお酒は頭を活性化させ 知恵がわくからでしょうか。 キリスト教においては、飲酒を悪とは見ていません。 それどころか、「新約聖書」には、 「これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、 たびたびの痛みを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい」 (テモテへの第一の手紙第5章) と、仏教徒からすればうらやましくなるような記述があります。 もっとも、この引用に対しては、次のような引用を対置することが できます。 「...不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、 男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者 ^^^^^^^^^^ 略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである」 (コリント人への第一の手紙第6章)」 キリスト教の教会においては、ぶどう酒をキリストの血だと考え、 ぶどう酒が飲まれています。 しかし、酒に酔ってはいけないのですね。 なお、飲酒を教義的に厳しく禁じている宗教はイスラム教で、 コーランにおいて飲酒と酒類の製造・販売が全面的に禁じられています。 喫煙については、仏教もキリスト教も、教義的には何も言っていません。 喫煙は両宗教の成立後、ずっとあとになっての風習だからです。 でも、どちらかといえば、喫煙は悪ではないでしょうか。 あんなもの、決していいとは言えませんものね。 (賛成さんせい)
仏教での布施とキリスト教における施し 仏教では、布施を重要な仏道修行と考えています。 布施というのは、他人に財物を施すことですが、その際、 次の3つのものが清らかでないと真の布施になりません。 1 施者のこころ 俺がおまえに恵んでやるんだゾ、 だから、おまえは俺に感謝しなければならない。 そんな気持ちがあっては、布施になりません。 2 受者のこころ 布施を受ける人のこころも清らかでないといけません。 布施を受けることによって卑屈になったり、お返しをしないと いけないと考えるようでは、それは布施にならないのです。 3 施物 施す金銭や品物も清らかでなければなりません。 盗んだ物や汚職で得た金を施しても、それは布施にはなりません。 それから、自分が不要になった物を施す人がいますが、 それは真の布施ではないのです。 自分にとって大切なものを施すのが、真の布施です。 私は、この布施の精神を、子どもたちに話して聞かせました。 私は一男一女の父親ですが、彼らが小学生のとき、姉娘が 友だちの家からケーキを貰って帰って来ました。 家には弟がいます。 母親は、ケーキを二つに分けて食べさせていたのですが、 私は彼らに、「なぜケーキを分けて食べたほうがよいのか?」 と尋ねました。 「弟がかわいそうだから」と、娘が答え、 「こんどぼくが貰ったとき、お姉ちゃんに半分あげるから」 と息子が言いました。 私は、二人とも違っていると教えたのです。 「一つのケーキを二人で分けて食べた方がおいしいのだよ。 お父さんはあなたたちが、一つのケーキを二つに分けて食べて、 その方がおいしいと思える子どもになってほしい」 そう、私は言ったのです。 私は、これが仏教の布施の精神だと思っています。
読者のK先生> >> 「一つのケーキを二人で分けて食べた方がおいしいのだよ。 >> お父さんはあなたたちが、一つのケーキを二つに分けて食べて、 >> その方がおいしいと思える子どもになってほしい」 >> そう、私は言ったのです。 > >私には3才になった娘がいます。 >とにかく彼女に教えたかったのは、まさにこれでした。 >Shareする心です。 >彼女は実践してくれています。(ちょっと親ばかm(_ _)m) >いつまでも、そうあって欲しいと思います。 >とうちゃんにも半分よこせというわけではありません。念の為。(^^;; > >最初の教会の姿がこれであったと思っています。 早速のフォロー記事ありがとうございます。 この原稿を書いているとき 新聞記者の方の相手をしたり、 学長室で次の補正予算の相談会議などがあったので 半分しか書けませんでした。 そこで後半のキリスト教の施し について書きましょう。 キリスト教の施しの観念の裏には、財は神からの依託物であり、 富める者はその財を貧しい者とわかちあう義務があり、 貧しい者は富める者に施しを要求する権利がある といった「旧約聖書」の考え方があります。 それと同時に、初期キリスト教の教会においては、 富める者が自分の財を投げ出して貧しい者とわかちあった 原始共産社会が実現していました。 このような背景の上に、キリスト教の施しの基本理念があります。 キリストは、施しについて次のように言っています。 「だから、施しをする時は、偽善者たちが人にほめられるために 会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。 よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。 あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に 知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れているためである。 すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、 報いてくださるであろう」(マタイによる福音書第6章) 「また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。 罪人(つみびと)でも、同じだけのものを返してもらおうとして、 仲間に貸すのである。しかし、あなたがたは、敵を愛し、 人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。 そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子 となるであろう」(ルカによる福音書第6章) そしてキリストは、不幸な同胞たちに対する施しは、 それがとりもなおさずキリストその人に対する業にほかならない (「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりに したのは、すなわち、わたしにしたのである」 マタイによる福音書第25章) と言っています。 つまり、施しは、キリストに対する信仰表明とされているのです。 このように考えれば、仏教の布施も、キリスト教の施しも、 つまるところは同じになるのではないでしょうか...。 ☆ ☆ ☆ 中世のヨーロッパの都市には兄弟団がありました。 兄弟団の会員は、毎日曜に自分たちの祭壇の前にひざまずいて、 死去した仲間の冥福と自らの魂の救いを祈ったのです。 これらの人々は、どのような動機で兄弟団に組織されて いたのでしょうか。 兄弟団には、職業と結びついているものと、職業とはなんの 関係もないものとがありましたが、商人ギルトや職人組合などは 前者にあたります。これらの兄弟団は、死者と自分の魂の救済 のために祈るだけでなく、互いに兄弟姉妹と呼びあう 会員の相互扶助のための組織でもあったのです。 兄弟団のなかでも特筆に値するのが 「貧しい旅人を保護し埋葬する兄弟団」です。 11,2世紀以来ヨーロッパの各地に巡礼の群れが激増してゆきます。 巡礼や放浪者が増加することも、 都市の成立を促した同じ大きな社会的変化によるものなのですが、 巡礼や学生、貧しい聖職者などが異国の町で倒れ、 不運にも死去したとき、これらの人々を埋葬して、 霊をとむらうための組織がこの頃から全ヨーロッパに生まれたのです。 中世の人びとにとっては、死後の救済はわが身の彼岸での復活を 意味していましたから、今日の私たちには想像もつかないほど 大きな意味をもっていたのです。 死後の救済を確かなものにするためには、本人自身が 善行を積まなければなりませんが、貧しい者に喜捨することが 善行の第一とされていたのです。 この兄弟団に入るには、僅かの入会金か祭壇で用いる蝋を出し、 他に年会費を払い、さらに巡礼の世話をしたり、埋葬、 ミサなどの際に特別の金を支払わねばなりませんでした。 これらの兄弟団には裕福な人からの寄進も多く、かなりの財産を もつ法人格になっていたのです。 いうまでもなく、この兄弟団に入っても、何も物質的な利益は ありません。 (阿部謹也:中世の窓から、朝日新聞社) 著者の阿部謹也は一橋大学の学長でドイツの中世の研究では 第一人者です。 キリスト教がヨーロッパで貧しい人と裕福な人との間で 富の再配分に貢献したのは事実で、私も ドイツで機会があれば教会に付属した老人の給養施設(病院)、 養老院を見て回りました。 兄弟団の中には、橋兄弟というものがあって、壊れた橋を直したり 新しい橋を架けたりしました。 キリスト教の布教にも交通の要(かなめ)の橋建設は大事だったの 橋建設の聖職者集団のリーダのことを ポンティフェックス・マクシムス(橋梁技術者の長)といい 今日でもローマ教皇の正式な称号です。 高い学問知識技術をもっていた修道院が中心になって 俗人橋梁技術者集団を育て、いつしか聖職者たちは架橋から 手を引いて、一方この橋兄弟団は固い同業者意識に結ばれ 技術を外部に出さなかったため記録も残されなかったのであろう といわれています。 興味のある方は小林先生と私が共訳した 「橋の文化史、鹿島出版会」 をご覧ください。
釈迦とキリストの誕生日、死亡日 中国や日本の仏教では、古来、4月8日を釈迦の誕生日として祝ってきました。 この日は、「仏生会(ぶっしょうえ)」あるいは「降誕会(ごうたんえ)」「仏誕会 (ぶったんえ)」と呼ばれています。また明治になってからは、「花祭り」と呼ぶ ようになりました。 釈迦が入滅(死亡)された日としては、中国や日本では2月15日をあてています。 これは「涅槃会(ねはんえ)」と呼ばれています。 大事な仏教行事の日としては、もう1つ、「成道会(じょうどうえ)」があります。 成道というのは、悟りを開いて仏陀になることで、釈迦は35歳の12月8日に 仏陀になったので、この日を成道会とします。 しかし、これらの月日は中国・日本での伝承で、古い資料による伝承では、 釈迦の生誕の日は...ヴェーサーカ月(太陽暦の5月ごろ)の第8日 釈迦の成道の日は...ヴェーサーカ月の満月の日 釈迦の入滅の日は...ヴェーサーカ月の満月の日 とされています。いずれにしても、正確な月日が決められるはずがないのですから、 古来の伝承に従っておければよいと思います。 キリストの生誕日は、よく知られているように、クリスマスです。 じつをいえば、初期のキリスト教徒は、キリストの死と復活の奇蹟に関心を集中して いました。 だから、キリストの降誕(受肉)については、それほどの関心を持っていませんでした。 したがって、キリスト教の最大の祝日は、復活祭です。 キリストは十字架の上で死んで、3日目に復活したといわれています。それ故、 キリスト教では、キリストの「死」という側面よりも、「復活」という喜びの面が 強調されます。復活祭には暗いイメージはありません。 復活祭は、イースター(Easter)といいます。この日は「移動祝日」であって、 年によって日がちがいます。春分の後の最初の満月のあとの日曜日(イースター・ サンデー)に祝われます。 したがって、グレゴリオ暦を採る西方教会系の諸教会では、この日は、3月22日 から4月25日のあいだにくることになっています。 しかも、ややこしいことに、東方正教会系の諸教会ではユリウス暦にもとづいて その日を定めることになっていますので、年によっては5月にまでずれ込む こともあります。 したがって、東西の両教会が復活祭を同日に祝う年は少ないのです。 (ひろさちや:仏教とキリスト教、新潮選書) かなりいいかげんな日にちの設定であるが、遠い昔のことだからしかたのないこと。 なかば伝説みたいになっている記録なので。 2月15日の「涅槃会(ねはんえ)」は法隆寺で大変寒い思いをして 見学したから忘れられない。
自殺について キリスト教は、自殺を最大の罪の一つとしている と、一般には言われている。 しかし、これはどうやら後世になって言われだしたことのようである。 そもそもイエス・キリストの死そのものが、ある意味での自殺と考えられる。 なぜなら、キリストは敵に殺されたのではなく (殺されたのだとしたら、キリストは受動的存在で、神の子ではなくなる)、 自発的に自分の生命を差し出したのであるからである。 「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった」(「ヨハネの第一の手紙」 第三章)ということばは、論理的には「自殺」を意味していないだろうか。 キリスト教の教会が自殺を罪悪と見るようになったのは、6世紀のころのようである。 533年のオルレアン公会議において、罪に問われた者が自殺によって 身の潔白を証明したような場合、宗教的な葬儀をいっさい行わないことを決めている。 そして、30年後のブラーグ公会議においては、自殺者の葬儀をしないことが 決められた。 仏教は基本的に自殺を悪としていないようだ。 まず、仏教の開祖の釈迦であるが、釈迦もまた一種の自殺をしたと考えられる。 というのは、釈迦は仏陀である。仏陀は、ごく普通には永遠の存在と思われている。 その仏陀が亡くなったのであるから、きっと仏陀はご自分の意志で死を選ばれた のだ、と考えられる。仏典はこれを「捨寿行」と呼んでいる。 また、悟りを開いた聖者(仏陀もそのうちに含まれる)であれば、自殺をしても よいとする考え方が、仏教にはある。というのは、人間が生きていくには、動物や 植物の生命を奪わねばならない。したがって、人間が生きていること自体が 業(ごう)をつくっているのである。そこで、悟りを開いた聖者であれば、 よけいな業をつくらないために、自殺したほうがよいといった考え方も成立する わけである。 しかし、自殺は悟りを開いた聖者にだけ許されたことである。 一般の凡夫には、自殺はもってのほかである。なぜなら、凡夫は悟りを開いて いないから、輪廻(りんね)*する。 悟りを開いた聖者は、すでに輪廻の世界から脱出(解脱:げだつ)しているから 問題はないが、凡夫は輪廻して来世に生まれる。別の存在になるのである。 そうなると、この世でせっかく積んだ修行が全部パアになり、また一から 修行をはじめねばならない。いや、来世において、わたしたちが再び人間に 生まれる保証はどこにもない。人間に生まれることができなければ、仏教の 修行もできない。 そんなわけで、わたしたち凡夫には自殺は許されない。いくら苦しくても、 この世にあって修行をつづけるべきだと、仏教では教えている。 注)輪廻は仏教の重要な概念だから、ここでも簡単に復習しよう。 仏教の輪廻思想の特色は、来世ばかりでなく過去世(前世)があると信じる点にある。 キリスト教には来世(復活)はあるが、前世はない。 仏教は、生まれ変わり死に変わりして生存をつづける輪廻の世界を考える。 その輪廻の世界を「五趣ごしゅ」または「六道ろくどう」という。 「五趣」は、 天人 − 人間 − 畜生 − 餓鬼 − 地獄 の5つの世界で、古くはこの5つの世界をわれわれが輪廻転生すると考えられていた。 のちに、大乗仏教になると、天界のうちの怒れる魔類を”阿修羅あしゅら” (または”修羅しゅら”)と呼び、天界から独立させて人間以下の存在とした。 したがって「五趣」ではなく「六道」になったのである。 すなわち 天人 − 人間 − 修羅 − 畜生 − 餓鬼 − 地獄 が「六道」である。
仏教とキリスト教の結婚観 キリスト教の結婚観は、「聖書」に明らかにされています。 まず、「旧約聖書、創世記」においては、「人がひとりでいるのはよくない。 彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」(第2章)と神が考えられて、女を創造され ました。それで、「人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となる」(同)のです。 したがって、家と家との結婚ではなく、あくまでも一人の男性と一人の女性が結び合い、 一体となるのです。 このようにして結ばれた二人は、互いに助け合わねばなりません。助け合うために結婚 したのですから、二人が別居することなど許されるはずがありません。キリスト教の 正しい結婚観にもとづくかぎり、今日の日本に数多く見られる単身赴任など、もっての ほかであります。また、離婚も認められません。離婚については、 「神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マタイによる福音書、第19章) といったキリスト自身のことばがあります。キリスト教では、神が二人を結婚させたと 考えているのです。ですから、人の勝手な都合によって、離婚をしてはならないのです。 さて、これに対して仏教の結婚観ですが、釈迦は妻子を捨てて出家をしています。 そこのところに、結婚に対する仏教の基本的な考え方があるのではないでしょうか。 結婚したことのないキリストが結婚を神聖化し、結婚した釈迦は結婚を破棄する道を 選んだのですから、これはいささか皮肉でもあります。 もっとも、釈迦自身は出家の道を選びましたが、大乗仏教(日本の仏教は大乗仏教です) においては必ずしも出家を称賛していません。むしろ、夫婦が力を合わせて、 ともに仏道修行に励むのが理想ではないでしょうか。その点では、キリスト教の結婚観と、 それほど大きな違いはないと思います。 結婚式や葬式といったものは、ほんらいは仏教・キリスト教と無関係なものなのです。 それらは、それぞれの国や民族の「習俗」であります。 ちょっと意外に思われるかもしれませんが、釈迦は仏教徒ではなく、またキリストも キリスト教徒ではありません。釈迦は、当時インドにあったバラモン教の習俗の中で 育ち、バラモン教に対抗して仏教をつくりました。キリストもユダヤ教の伝統の中で 育ち、ユダヤ教を改革したわけです。したがって、彼らのものの考え方の根底には バラモン教やユダヤ教があり、習俗の面では彼らは完全にバラモン教、ユダヤ教の 伝統・慣習の中で生きていました。 わが国の場合も、例外ではありません。われわれ日本人の結婚式や葬式は、仏教や キリスト教が入ってくる以前から、固有の形式を持っていました。 たとえば、結婚式を考えてみますと、江戸時代の結婚式は、村の長老が仲人になって、 三々九度の盃をして、高砂や....をうたって、それで終わりです。あとは、二人が お床入りをすれば、それでいいのです。そもそも結婚なんてものは、あのお床入りに 本質があるのですものね。 現在の神前結婚式の形式ができたのは、明治33(1900)年の大正天皇の結婚式の ときからだそうです。そのときに、今日見えるような儀式ができあがり、一般化したのは 昭和になってからといいます。そういうわけで、ここでは現在日本で行われている キリスト教式、仏教式の結婚式の差を考えてみます。 結婚式は、キリスト教では、二人が神の前で生涯の伴侶を誓うのが目的です。これに対し 仏教の場合は、二人が夫婦となるにいたった「因縁」を仏に感謝します。 そもそも、キリスト教では、男と女が結婚し、互いに助け合い、一体となってこの世を 生きていくのを理想としています。つまり、結婚をすばらしいものと見ているのです。 それに対して仏教のほうでは、結婚そのものよりも、人間と人間の出会いを大事に 考えているのです。 (ひろさちや:仏教とキリスト教、新潮選書) 日本人の結婚式は仏前よりも神前の結婚式の方が多いから、また別なのであろう。 かなり、習俗的ですね。 若い人の結婚式は、また演出を考えるし、一種のパフォーマンス的結婚式もありますね。 キリスト教徒でもない日本人が海外旅行の延長で教会で結婚式をあげるのは、 本人がいいのだからほおっておいていいのでしょうか。 あれを現地のまじめなキリスト教徒が眉をしかめたり、営業している教会(実は建物だけ) の関係者を非難するテレビ放映を見て、悲しくなるのは私だけでしょうか。
仏教とキリスト教の労働観 かつて、マックス・ウェーバーは、資本主義の精神はプロテスタンティズムに依っている と指摘した。 キリスト教ほんらいの労働観は、むしろ「労働懲罰説」ではないか。 キリスト教の母体となったユダヤ教の聖書「旧約聖書」には、古代バビロニアにいた 牧畜民族の神話の影響が見られる。彼ら牧畜民族は、神様は自分が働くのが嫌いな もので、ご自分が働かないでいいように人間を創られた といった神話をもっていた。 つまり人間は神様用のロボットで、働くことは神様から人間に課された懲罰だ というのである。牧畜民族の考え方からすれば、額に汗して働く肉体労働は ほんらい牛や馬の家畜のすることであり、 人間にとってのふさわしい仕事は管理の仕事である ということになる。 そうした肉体労働軽視の思想がユダヤ教に流れ込み、ひいてはキリスト教にも 大きな影響を与えている。 たとえば、スペイン語には”カスティガード”といったことばがある。これは「神に 罰せられた人」といった意味で、糞まじめに働いている人を嘲笑して呼んだものである。 また、イギリスの文具店では、「退職おめでとう」というカードが売られている。 退職して年金生活になると、たしかに収入は少なくなる。けれども、働くことは、 イギリス人にとって刑務所に服役しているようなものである。刑務所内の生活レベル のほうがいいからといっても、やはり刑務所は刑務所である。娑婆に出たいのである。 その刑務所の退所を祝うのが、「退職おめでとう」カードだ。このようなカードが 売られているということは、労働懲罰説がイギリス人のあいだに浸透していることの 証明といえるだろう。 しかし、このような労働懲罰説は、だいたいにおいてカトリックの考え方であろう。 これに対してプロテスタントの方は、ドイツの社会科学者マックス・ウェーバーも 指摘したように、おおむね勤勉を美徳としている。同じキリスト教でも、カトリックと プロテスタントとでは、その労働観にだいぶ差がある。 仏教においても、インドの初期の仏教と、中国・日本の仏教とでは、考え方に相当の差が ある。 インドの初期の仏教では、出家修行者は生産から遊離していた。釈迦は、弟子たちが 生産に従事することを禁じている。出家者は托鉢によって生きるべきであると されていた。 しかし、のちに大乗仏教になると、仏教の担い手は在家信者になった。そのような 在家信者には、当然、勤勉が美徳とされる。中国や日本の仏教は大乗仏教であるから、 やはり勤勉の哲学が主流になっている。 けれども、仏教の教えは、なんといっても 「少欲知足」 なのである。欲望を適度に抑制して、足るを知るこころを持て、と仏教では教えている。 その意味では、現在の日本人のエコノミック・アニマルぶりは、仏教の教えから遠く 外れている。ガツガツと欲望をふくれあがらせ、馬車馬のごとくモーレツに働く姿は、 仏教でいう「餓鬼」さらながらである。これではいけない。わたしたち日本人は、 もっと「人間」らしいこころを取り戻すべきではないだろうか。 (ひろさちや:仏教とキリスト教、新潮選書) スペイン人が労働軽視の思想の影響を受けているという指摘から、 南米の国々の生産のあがらないことを連想してしまった。 もっとも、スペイン人については、キリスト教の影響というよりは、南の暑い国で 働き続けることは体にも悪く、長い昼休みをとるのも生活の知恵かもしれないので、 その民族の伝統とか慣習からもくるものなのでしょう。 南方で生活するといっても 香港の人々は、大変勤勉です。あれは、イギリス支配の影響かもしれない。 中国大陸の中国人は、もっとのんびりしているように思われますが。 シンガポールの中国系の人々も働き者。中国人にもいろいろあって、それを ひとまとめにして、中国人とはこういうものだと考える方が無理なのかもしれない。
お墓のありかた 西洋人にとっての墓は、基本的には「死者の家」と理解されているようです。 ことにヘブライ人は、死後は「祖先とともに寝る」といった考えをもっていました から、死体は家族の墓に葬るのが通常でした。 ところで、初期キリスト教の時代は、殉教者崇拝の慣習が強かったのです。キリスト教 の信者たちは、殉教者の墓所において、墓棺の前で典礼(儀式)を執り行いました。 そして、のちには墓棺を地下埋葬所におさめ、その上に祭壇が置かれるようになった のです。つまり、教会の祭壇の下には殉教者の遺骨が納められているわけです。このよう なところから、のちに教会が「死者の家」としてり墓所の性格をもつようになりました。 極端にいえば、キリスト教における墓は、「死者のねぐら」であります。 一方、仏教のほうでは、ほんらいのインド仏教では原則として墓をつくりません。 インド人は現在でも、死体を火葬してガンジス河などに流してしまいます。 インド人の考え方では、死者の魂は天界に昇ったのだから、この世にはなんの痕跡も 残したくないというのが強いのです。お墓などは造りません。現在でも、たとえば デリーにはマハトマ・ガンディーの「墓」がありますが、あれは骨を納めたものでは なく、正確にいえば記念碑です。 日本仏教においても、たとえば浄土真宗の開祖の親鸞は、 「某(ソレガシ)閉眼セバ、賀茂河ニ入レテ 魚(ウホ)ニ与フベシ」 と、死に臨んで言っておられます。もっとも、いくら遺言でもその通りにはできませんが、 浄土宗や浄土真宗の教えでは、死者の魂はすぐに阿弥陀仏の極楽浄土に往生しているの ですから、墓など造る必要はないわけです。現に、浄土真宗の教団に属する人のうちには、 無墓の家系もあります。その他の宗派でも、それが仏教であるかぎり、墓を造る必要性は まったくないのです。 ところで、日本人の墓に対する考え方は、仏教とはまったく無関係につくられたものです。 すなわち日本人は、死者の霊が生きている者にタタリをすると考え、タタリをしない ように死者の霊を祀って鎮めることを目的に墓をつくります。したがって、日本の墓は 遺体や遺骨の埋納所であるばかりでなく、死者の霊を祀る場所でもあるわけです。 もっとも、日本人の墓に対する考え方もいくぶんか仏教の影響を受けて、 遺体・遺骨は...墓に埋葬する、 死者の霊は...仏壇や祖霊堂で祀る、 といったふうに分離する傾向にあります。しかし、完全にそれが分離されていないのが 現状だと思います。 (ひろさちや:仏教とキリスト教、新潮選書) 確かに、ヨーロッパの教会の地下には墓があった。 仏教では、成仏してしまえば、天界に行くのだから、この世に墓をつくる必要などない わけですね。エジブトのミイラと棺桶は死者が戻る場所だから残しておくべきものだけど。 仏教徒の墓はしたがって(生きているわれわれのための)死者の祈念碑ということですね。
この著者のさらなる解説死後界の生活(ひろさちや)