死後界の生活

ひろさちや

 

カバーの裏ページに次の項目が並んでいる。

・怨霊とはなにか?

・水子の霊は本当に祟るのか?

・除霊・浄霊はどうすればできるのか?

・超能力は誰にでも身につけられるのか?

・霊が見えたらどうすればよいのか?

・死んだらどうなるのか?

・霊魂は不滅なのか?

・先祖霊はどのように供養すればよいのか?

・来世に生まれ変わるための六つの門とはなにか?

・現世で強く生きるためにはどうすればよいのか?

これらの質問に仏教者の立場で答えている。

 

実は同じ著者の「仏教とキリスト教」に書かれている内容と矛盾しない。

そちらの本では、簡潔に書かれていることを、この本では読者の興味

や関心や疑問に答える形で具体的に詳しく書かれている。

だから両方読むと、さらによりわかる。

 

前書きに著者は述べている。

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私の知人に「仏教テレフォン相談」を推進している仲間がいる。

4年間で35000件以上もの相談を受けている。たとえば「土地を買いましたが、

そこは以前、自殺があったそうです。そういう所は祟(たた)りなどあるもので

しょうか」とか「金しばりにあって眠れません。祖先霊が祟っているといわれました」

「あの世ってあるんですか」などと、霊や死後の世界を意識した質問がかなりの

パーセンテージを占めているということだった。

 

私は、ものごとを逆方向から考える癖がある。悪い癖である。それで、ときどき

誤解をうける。たとえば「霊の祟りはありますか?」と問われて、「そんなもの、

ありません」とまともに答えればよいものを、ついつい、「ある!」と

答えてみたくなってしまうのだ。生来のへそ曲がりだから、どうしようもない。

けれども考えてみれば、たしかに霊の祟りはあるのである。だから私の答えは、

決して嘘ではない。

 

というのは、じつをいえば「霊の祟りはあるのか?」と問いはじめることが、すでに

霊の祟りなのである。霊の祟りはあるのだろうか...と、そんな質問をしたくなった

とき、その人の霊は祟られているわけだ。

 

健全な人であれぱ、すなわち霊に祟られていない人は、「霊の祟りはあるか、否か?」

と問うことはない。そんなものをちっとも気にしない。だから、その人は、霊に

祟られていないのだ。

 

つまり、霊の祟りというものは、霊の祟りがあるかどうか、いかにして霊の祟り

から逃れられるか...と、そんなことを考えざるをえなくなること、まさにそのこと

なのである。霊の祟りについて考えねばならなくなったこと自体が、霊の祟り

なのだ。そう思ってまちがいない。

 

では、どういうわけで、人は霊の祟りを意識せざるをえなくなったのだろうか。

たとえば、水子をつくったようなときである。水子が祟るのは、人工中絶をした

ときの水子である。それも、人工中絶をして、ケロリとしている人には祟りは

しない。実際は、ケロリとしていられない性格の人に、水子の霊が祟るのだ。

 

これでわかるように、水子の霊が祟るのは、その人が人工中絶をしたからである。

それが原因だ。いくら性格の弱い人でも、水子をつくらなければ霊は祟りは

しない。

 

では、どうすればよいか? どうしたら、霊に祟られている人は救われるか?

それは基本的には、仏教によってしかできない。しかし、仏教には、ニセモノの

仏教とホンモノの仏教がある。その区別をどうつけるか...?

 

じつはそれは簡単に見分けられるのである。

霊の祟りがある、と吹聴している人はニセモノである。そんな人を信用しては

いけない。

それから、霊の祟りから逃れるために、絶対に金を使ってはいけない。

金でもって解決できるという考え方そのものが、仏の慈悲に反している。

つまり、金を払った人は、仏さまを商売人と見ているわけだ。そんな人には、

仏さまもそっぽをむかれると思う。

 

私たちは、仏さまを信じ、そして仏の教え − すなわち仏教 − にしたがって

生きていれば、かならず霊の祟りはなくなる。

 

霊に祟られている人が、たちまち霊の祟りから逃れられる、そんなインスタントな

即効薬なんてない。そうではなくて、毎日毎日の生活を正しくしていかなければ

ならない。しかし、仏の教えにかなった正しい生活をしていれば、きっときっと

仏さまが救ってくださる。そう信じることだ。それが霊の祟りから逃れる

唯一の道である。

 

私たちは、霊障(れいしょう)、祟りについて、心の底では半信半疑でいながら、

自分がいざ病気になったり、家族に不幸があったりすると、なんとなくまじない師

や占い師、あるいは祈祷師などにたのんで、邪霊をとり祓ってもらおうと考える。

 

私は、あえて、この度、現代人をおびやかす「魔もの」の正体をはっきりさせる

ために本書を執筆した。

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以下、例によって私(宮本)の独断で、この本の中から一部を紹介します。

興味のある方は原書をお読みください。

なにしろ著者は東大印度哲学科を卒業した後、同大学院博士課程を修了

したのですから。専門の知識も深いです。

 

この本が出たのは昭和62(1987)年。

その後、日本中を騒がせたサリン事件などがありました。

この本がもっと広く読まれたらと思っています。

 

昔から日本には怨霊や妖怪の話が多い。(これは日本だけでなく、西洋にも

お化けのたぐいは多い。そういうとき、彼らは十字架とかキリストにたよって心を静めます。

トムソーヤの冒険の中にそういう場面があった)

 

歴史上、怨霊でもっとも有名なものは、摂関政治の犠牲になった菅原道真の霊

であろう。

 

菅原道真は、幼少のころから優秀で、しかもたいへんな勉強家だった。

そのかいあって、若くして異例の出世をとげた。彼は宇多天皇の信頼を得て、

右大臣の要職についた。しかし、藤原時平の策謀により左遷される。

九州太宰府に流されたのだ。彼は2年後病気となり、任地の太宰府で、

失意のままひっそりと死んだ。

 

道真の怨霊が出はじめたのは、死後5年たってからであった。

まず、時平が病死(909年)、時平のあとおしで皇太子になった安明(やすあきら)

親王が病死(923年)、安明親王のあとに皇太子となった慶頼(よしより)親王が925年に

死亡、その後も時平の嫡男、大納言安忠(やすただ)がもののけにとり憑かれて

狂死、と枚挙にいとまがないほど道真の怨霊は荒れ狂った。

 

そして、最後のだめおしのような激烈な事件がおこった。

延長8(930)年6月26日のこと、雷雨が京都をおそった。あげくのはて、

宮中の清涼殿に雷が落ちたのである。この落雷で藤原清貫(きよつら)と平希世

(たいらのまれよ)が焼けただれて、無惨な死をとげた。

もっと大変なことは、天皇がショックのあまり寝込んだことであった。醍醐天皇

こそ道真追い落としの張本人だったからである。天皇は、そのまま病気になって、

9月に譲位。7日後に亡くなった。

 

その後、太宰府では天満宮自在天として道真をまつり、京都では北野天満宮天神

としてまつった。そうして、ようやく祟りから解放されたという。

 

「源氏物語」の「夕顔」と「葵」の巻に”もののけ”という言葉で生霊が登場する。

夕顔は、源氏が町でふと見かけた女だが、いかにもはかなげな風情が源氏の気を

そそり、一夜をともにする。その夜ふけ、源氏がうとうとしていると、

まくらもとに美女の姿があった。

「私が、こんなに愛しているのに、ひどい」

女はそういうと、夕顔を起こそうとした。源氏がはっきり目がさめて、人を呼ぶが、

みんな怖がって、だれもこない。しかたなく、自分で護衛をさがし、つれて

もどってみると、すでに夕顔は冷たくなっていた。

 

また「葵」の巻では、愛する男の妻が子どもを生むことをねたんで生霊があらわれる。

葵の上は、源氏の正妻だが、出産のときもののけに襲われる。祈祷すると、

源氏の愛人である六条御息所(みやすどころ)があらわれて、

「こんなところにこようなんて思ってもいないのに、あなたのことを考えては、

もの思いばかりしているので、知らぬうちに恋いがたきのところへ、魂だけが

行ってしまうものらしい」という。

実は六条御息所はたんに葵の上の恋がたきというだけではない。以前、公衆の

面前で葵の上から恥をかかされていたのである。町にでたときに、偶然二人の

車がであい、車どおしで争い、六条御息所は負けたのだ。

 

これだけの話であれば、女の嫉妬は恐ろしいということですむのだが、問題は

六条御息所自身が述懐する、生霊の性格である。

 

夕顔を殺し、葵の上をさんざん悩ませた六条御息所だが、意識の上では二人を

憎んではいないのである。ましてや殺そうなどと考えてもいない。日々、源氏

の浮気ごころに悩まされてはいるが、他人を呪詛(じゅそ)する気は

さらさらない。

 

生霊とはこういうふうに、自分では意識していないのに、無意識のなかの心理が

動きはじめ、それまでおし隠していた憎しみが、生霊となって、本人の意志と

かかわりなく、行動を開始するもののようである。

 

お地蔵さまが救う子どもの例について考えてみよう。

 

キリスト教では早世した子どもたちは、罪を犯すことなく死んだので、そのまま

天国にむかえられるとされている。

 

しかし仏教では、病気で死んだ子どもでも、自分の力では、成仏できないと

されている。なぜなら、子どもは親を嘆かせたからである。自分の死でもって、

親を悲しませる、という大きな罪をつくったからだ。

 

だから、早く死んだ子どもたちは、”賽の河原”で鬼にせっつかれながら石で

塔をつくらされている。

親を悲しませ、仏道修行もせず、早く亡くなった子どもは、泣きながら小さな手で、

鬼にいじめられながらけんめいに石を積んでいる。      

 

そこにお地蔵さまがあらわれて、あの錫杖にとりすがらせて、お浄土に連れて

いってくださるのだ。

お地蔵さまが、成仏させてくれるのである。

 

お地蔵さまに、安心して、わが子のすべてをたすく。その瞬間から、あなたは、

忘れることで”安らぎの世界”にはいることができるのだ。

 

外国には「水子供養」などというものはない。

いろんな脅し文句を並べるのが、水子産業とでもいえる彼らの手口である。

「金何十万円をだせば、水子の霊をしずめてあげる...」

なんというシラジラしいひびきであろうか。

水子の霊は、そんなことで喜ぶだろうか。お金を払って、ハイ、それまでよ...

というのであれば、結局はお金を祓って厄介払いをしたことになるのだ。

 

地蔵さんを建立したり、水子供養のお経を詠んでいただくことは悪いことでは

あるまい。ただ、水子供養をするのに、地蔵さんを建立することは必要条件で

ないのだ。

 

ふつう、供養していただくところには必ず、本尊さまや地蔵さまが安置されて

いるので、その仏さまに頼めば充分である。

 

金を払えば、水子の霊は祟らなくなる、というのは大嘘なので、そういう

悪徳商人とはつきあわないでいただきたい。

 

水子の霊は、地蔵菩薩がきちんと成仏させてくださっているのである。

 

水子の霊は修行して、仏になって、おかあさま、お父さまを守る守護神に

なっていることを信じることだ。祟りなどは、あるはずはないのである。

 

昔は禁忌の場所、未知の場所は、いくらでもあった。人間は大宇宙や、自然への

畏怖の念をもって、神をあがめたてまつり、くらしをいとなんでいたのである。

 

このような、素朴ともいえるほどの神への信仰と、信頼がいっきにくずれ去ったのは、

明治にはいって来日したフェノロサ(1853〜1908)が起こしたある事件

をきっかけにしている。アメリカの哲学者で、東洋美術の研究者でもあるフェノロサ

は、それまで門外不出の秘仏であった法隆寺の救世観音を、白日のもとにさらした。

それはもちろん、好奇心ではなく、美術の研究のためではあったが、信者が拝む

対象である秘仏が、欧米の合理主義の名のもとに、公然とさらけだしたのである。

そのとき、法隆寺の僧たちは仏の怒りをおそれて、寺から逃げ出したといわれている。

 

だがその後も、僧たちはまだ神や神秘を信じ続けたが、救世観音を「一級の彫刻」と

評したフェノロサと同様に、日本をリードすべき知識人たちが、信仰の対象で

あった秘仏を鑑賞の対象にしてしまったときから、私たちは神も、そしてさらに

禁忌のものも、場所をうしなってしまったのではないだろうか。

 

よく死後の世界を見てきたという人がいるのだが、それは嘘である。

いうなら、仮死状態において、経験したことなのである。仮死状態から帰ってきた

人が「仮死状態」の間に体験した幻覚・幻聴が「死後の世界」として語られて

いるだけである。私はそう思っている。

 

私たちは、死後の世界からは、けっして帰ってくることはできない。仮に、

いま述べた仮死の状態=死の世界から帰ってきたとしても、私たちは、

けっして死後の世界から舞い戻ってくることはできないのである。

それは、私たちが、じつは「死後の世界」に生きているからにほかならない。

 

仏教では、人が生まれる誕生の瞬間を「生有しょうう」と呼ぶ。そして死の瞬間を

「死有しう」と呼んでいる。また、人が生まれてから、成長し、老い、、死を

迎えるまでを「本有ほんう」という。

 

さら「死有」のあとに、もう一度「生有」がくる。この「死有」から「生有」までの

期間を「中有ちゅうう」もしくは「中陰ちゅういん」と呼んでいる。いうならば、

霊魂身の状態のことである。死からつぎの生にいたる中間の期間といった状態

である。

 

「中有」の期間は裁判の期間でもある。次の世(未来世)ではどこに生まれるか、

それを決めるのが「中有」「中陰」なのだ。「中有」は49日間ある。このあいだに、

7人の裁判官から、死者は審問されるのである。

 

7日ごとに裁判し、どんな死者でも、49日目に判決がくだるというのだ。

死者のいき先が決まるのだ。ちなみに「中有」「中陰」が終わる49日目を

「満中陰」と呼ぶ。

 

こうして、私たちは生まれ変わりの輪廻転生をくり返すとされている。

 

簡単に整理すると、次のようになる。

中有...死の世界(裁判の期間)

本有...死後の世界(生まれ変わった世界)

 

「死後の世界」というのは、すでに生まれ変わり、どこかの世界で生きている状態

をいう。私たちはいま、この世にあっていきいきと生きているから、いまは

すなわち「死後の世界」である。

 

いいかえるなら、過去の死後の世界が現在世なのである。現在世を基準にすれば、

未来世が「死後の世界」なのだ。

 

このように、死の世界は、仏教では「中有」といっている。死後の世界は「本有」

という。そしてまた、死有になって、中有になって、生有になって再本有になる

ということをくりかえすのである。

 

これは歴史学的にみれば、古代インド人の、伝統的な生死観が仏典に反映したもの

であって、正確には、釈尊自身が説かれたわけではない。

 

釈尊の教えによれば、すべての存在は「空くう」である。

この「空」の教えによれば、AさんならAさん、

BさんならBさん、といった固有の人格をもった霊魂が、死後も存在しつづける、

ということを意味しているわけではない。

 

「空」とは、簡単にいえば、森羅万象あらゆる存在は、さまざまな条件がよりあって、

かりに存在しているもので、不変で固有の性質はないということである。

 

ともかく、私たちの経験世界を超えた、いわゆる形而上学的な問題については、

あれこれ詮索せず、なにも語らないのがよろしい、というのが釈尊の態度で

あったことを、よく理解しておいてもらいたいと思う。

 

私たちのもっとも興味深い関心ごとである死後の旅のようすをお話しすることにしよう。

仏典はつぎのように説いている。読者は、ひとつのメルヘンを読むつもりで、

気楽に読んでいただきたい。

 

私たちは死んだときに、すぐに3つのグループにわかれるという。

1.極悪人   冥土の旅をしないで、直接に地獄界へ。

2.極善人   死んでストレートに天界に到達する。

3.普通の人 死後49日間の冥土の旅で、次に生まれるべき場所が決定する。

このうち、極悪人と極善人は、一般的に、ほんのひとにぎりの人であるだろうから、

ここでは、普通の人がたどる道を案内してみよう。

 

人が死ぬと、まず6日間、ひたすら歩かなくてはいけない。今の

尺度なら426キロ歩く。こうして歩き続けて、ようやく7日目に、最初の

審問をする裁判官にであう。

 裁判官 秦広王(しんこうおう)

 弁護士 不動明王

 

次の法廷は、さらに7日後である。その法廷に行くには、三途の川を渡らないと

行けない。この川には橋が架かっている。善人だけがこの橋を渡れる。

鬼が監視しているので、他の信者たちは、自分で川を渡っていかなくてはならない。

やっと川を渡ると、初江王(しょこうおう)の第二法廷がある。

そこでまた、生前の悪事の数々を審問される。そのときのつきそい(弁護士)は

釈迦如来である。

 

こうして何度か法廷で審問が繰り返され、49日目に、泰山王(たいせんおう)

は静かに最終判決をする。ここまで審判がおりずにきたからには、死者は

そうとうのワルのはずである。とうぜん地獄行きだ。だが、泰山王の

ほんとうの姿は薬師如来である。

 

大慈悲のもち主である薬師如来が、いくらワルとはいえ、地獄へそのまままっすぐ

つきおとすことができるだろうか。薬師如来だけではない。裁判官の真の姿は

仏さまなのだ。このとき、薬師如来を中心に、諸菩薩も慈悲でもって、彼を

救いたいという願いをもっている。

 

みな、困りはてている。いくらワルでも地獄行きはかわいそうだ。だが、自分で

おかした罪は自分でつぐなわなければならない。そこでせめて、あと一度、

クジびきに近いけど、選択する権利をあたえようとする。

それが6つの鳥居である。

 

泰山王は言う。「いいかね、むこうに6つの鳥居があるだろう。

あの鳥居は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の6つの世界の入口なんだよ。

しかし、どの鳥居がどこでつながっているか、あなたにはわからない。

順番どおりには並んでいないんだよ」

 

6つの鳥居は、くちはてた木でできたものから、金ピカのものまである。

どれを選ぶかは、死者の性格もあろう。だが、たとえへたをして

地獄への鳥居を選んだとしても、もうこれは本人の選んだことであるから、

しかたのないことである。

 

こうして、すべての死者は、自己の選択のかたちで、来世に生まれ変わって

いくというのである。

 

6つの鳥居は、それぞれの来世の行き先の入口となっている。

1.地獄の世界 ここには八大寒地獄と八大熱地獄がある。

2.餓鬼の世界 ここに入ると約15000年間苦しまねばならない。

3.畜生の世界 仏典では34億種類の畜生(生物)がある。そのどこかに入る。

4.修羅の世界 ここでは戦い続けるのである。

5.人間の世界 娑婆世界だから、かなりがんばらないと苦の多い世界だ。

6.天の世界 快楽は大きいが、天界の住人である天人にも寿命がある。

 

最後に、輪廻転生の謎、すなわち仏教の教えのもっとも深い、この世界の真相

を導き出してみたい。

 

マールンクヤは、釈尊に次のような質問をした。

「この宇宙は、有限か無限か?

肉体と霊魂はひとつであるか否か?

そして、人間は、死後も存在しつづけるのか否か?」

 

そして、マールンクヤは、自分の質問に、釈尊が答えなかったら、私は

仏教教団を去ります、と告げたのである。

 

釈尊はそのときに次のように語りかける。

「マールンクヤよ、私は、今までに、この宇宙は、有限か無限か?

肉体と霊魂はひとつであるか否か? そして人間は、死後も存在しつづけるのか否か?

などということについて話したことがあるかな?」

 

マールンクヤは、「一度も、申されたことはありません」と答えた。

 

釈尊はそんな彼を微笑んで見やりながら話を続けた。

「マールンクヤよ、たとえば、ここに毒矢で射られた人がいるとしよう。

その人が、医者が来て、その毒矢を抜き取り、てあてをしようとしているのに、

それをさえぎったとする。たとえば、こんなことを言って...

”この毒矢を射た人間は誰か” ”どこの種族か” ”矢ばねは何でつくられて

いるか” ”何の理由があって毒矢を射たのか”それがわからないうちは

治療をさせない、といって頑固に治療しないとしよう。すると、彼はまもなく

死んでしまうだろう」と、マールンクヤに対して言われた。

つまりマールンクヤの質問はこれと同じ種類のものであり、不要な問いなのだと

諭されたのである。

 

このような設問を、仏教では、戯れの論として退けている。

そういう問題について、釈尊は、頭を悩ますなといわれている。

これが仏教の霊や死後の世界に対する基本的態度である。

 

心というものは、たえず動いている。たとえば男なら、「美人」にこだわる。

「美人」の顔や姿をよくながめてみたいと思う。そのさい、常識では、

まずどこかに美人がいる。その客観的に存在する美人をみいだし、その姿を

ながめるわけである。ところが仏教では、そうは考えない。

 

すなわち、よくながめようという気持ちが次々に対象をつくり出すというのだ。

美人がいるから、ながめたいのではなく、よくながめたいから、ながめる対象である

美人をつくりだす。

 

これは、人間をはなれて事物が先にあって、その事物を人間が認識するという

西洋哲学の考え方とまるであべこべである。そして、現代の日本では

この西洋哲学の考え方が常識となっているから、「そんな馬鹿なことがあるものか」

といいたくなってくるのである。

 

けれども、これは必ずしも馬鹿な考え方ではない。最近の科学の実験でも明らかな

ように、人間の目は、自分の見たいものを見るという特性がある。カメラマンが

景色の中にある、さまざまな物のなかから、自分のイメージにあった物を

選び出し、それを自分のイメージにあった感じで写しとろうとするように、人間の

目も知らずしらずのうちに、自分の見たいものを、見たいように見ているので

ある。

 

人間の耳もそうである。客観的にある音を聞くのではなく、自分の聞きたい音や

音声を聞きたいように聞いているのである。もちろんそれは単に、目や耳の

機能の問題だけでなく、人間の脳がそもそもそうなのである。人間の脳は、

自分の知りたいように世間を知る。あるいは自分の了解可能な範囲で、

世界を知っていくのである。

 

つまり世界があるから、世界を知るのではなく、まず自分の中の世界の

イメージが先行するのである。このように考えていくと、仏教の教えが

けっして荒唐無稽な考え方ではないことがわかるはずである。

いいかえるなら、人間の意識が世界を作りだしているのである。

 

この事情は、幽霊や妖怪に関してもあてはまる。私たちの心がびくびくしているから、

そこにありもしない幽霊を作りだすのである。

 

心をはなれたものは存在しない。これが、仏教の考え方である。

 

私たちの心が動いて、そこに「見よう」という心と、「見られる」という対象を

つくりだしたのである。それを「大乗起信論」という書物では、次のような順序に

なって、心が動くという。

 1. 知相ちそう 自分が勝手にこしらえあげた対象を「好きだ」「嫌いだ」と思う。

 2. 相続相そうぞくそう 好き嫌いが尾をひく。

 3. 執取相しゅつしゅそう 「好きな人」にはますます恋いこがれ、「嫌いな人」

    には会うのを避ける。心にこだわりを生ずる。

 4. 計名字相けみょうじそう  名前をつけたがる。「一つ目小僧」「私の恋人」等。

 5. 起業相きごつそう 名前にしばられる。

 6. 業繋苦相ごつけくそう 心にしばられて、どうにも自由でなくなること。

 

たしかに心ほどわからないものはない。だが、わけのわからないのが「心」そのものだ、

などとしたり顔でいうのもやめたほうがいいようだ。そういう人に限って、むしろ

霊感商法のターゲットにされてしまうケースが多いのである。

 

釈尊が「死後の世界にこだわるな」と言われた真意は、地道に仏教の修行を

つづけていけば、自然にわかることなので、問題を問う必要はないというところにある。

 

シェークスピアの「マクベス」を例にして考えてみよう。

マクベスは自分の王位を守るために、競争相手の将軍を暗殺させる。

そのため、マクベスはその将軍の幽霊を見るようになるのである。

 

宴会の場面でマクベスは自分の席を探す。けれども、そこには幽霊が座っている。

(マクベス)席がない。

(レノクス)ここにお取りいたしてあります。

(マクベス)どこに。

(レノクス)ここにございます。

マクベスには幽霊が席にいるのが見えるのに貴族のレノクスには見えない。

だから、そこが空席だと思っているのだ。

 

そんなやりとりのあと、幽霊におののく夫のマクベスを、マクベス夫人が

次のようにいって励ましている。

(マクベス夫人)それはあなたの不安な心で描き出したものです。

        今に、なおってみると、あなたは椅子を見つめていらっしゃる

        だけですわ。

 

これは、彼女のいう通りなのだ。びくびくした不安の心が幽霊を描きだしたのであって、

ほんとうはただ椅子がそこにあるだけである。

 

いちばん大切なことは、幽霊をださないように、日常の生活をきちんとすることなのだ。

 

人を殺し、いじめていると、人間の脳にはその行為が記録(記憶)される。

わざわざ怨念をつくる生活をすることは避け泣ければならない。

 

人を愛し、ひとを敬い、人を幸せにしようと願うひとには、幽霊はあらわれようが

ないことを銘記すべきだ。

 

先祖が祟るということが、よくいわれるようだが、これにはさぞかし先祖も

苦笑していることだろう。

 

なぜなら、わが子や孫に祟る先祖などは、考えようがないからである。

もしかりに自分が死んだとしたら、その後で自分の子どもや孫に祟りたい

と思っている人がいるだろうか。むしろかわいくてしかたがない、なんとかもっと

幸せにしてやりたいと考えるのが普通ではないだろうか。

 

先祖は、仏さまである。守護仏、守護神になられた方ばかりである。

仏さまが祟るはずがないのである。

ただ、祟り教を商売としている人にとっては、そういうことを吹聴しないと、

つごうが悪いだけなのである。

 

私たちは、仏さまを信仰することにより、諸仏のお浄土へ行くことができるのだ。

 

ただ、「縁なき衆生(しゅじょう)は度し(救い)がたし」ということがいわれている。

仏さまのほうでは、受け入れ体制ができているのに、その願いを聞き届けない生活を

していると、救いを実感として受け取れないのだ。

 

それでも、救いとらんがため、おおいなる慈悲をもって、六道輪廻(ろくどうりんね)

という世界をタテマエとして示すのだ。コワイゾ、コワイゾと脅かさないと、

私たちはどうも、信心をもたないということがあるので、そうしているのだ。

(ひろさちや:死後界の生活、角川書店、昭和62年9月)

ひろさちや:「般若心経」生き方のヒント