まとめ
まとめは、ぼつぼつゆっくり整理していきたいと思います。
現地のキルギス人は、親戚がキルギスと新疆ウイグル(キジルス・キルギス自治州
州都はアトシュ)に分かれてそれぞれ生活しているので、
互いに行ったり来たりする必要があるし、新疆ウイグルのウイグル人も
キルギスに住んでいるウイグル人の親戚や知り合いを訪れる必要もある。
そういう隣国に住む民族どうしの間をつなぐものとして、商品などを運ぶ
商人たちの活動も住民の生活のために両国政府は認めているのだろう。
しかし、外国人が観光のために通過する場合は、事前の許可証の用意が絶対に
必要なところだ。
そして、ソ連の崩壊とともに、国境警備隊はモスクワ政府からも経済支援がうち切られ、
キルギス政府からも十分な支援がないので、維持管理は大変なのであろう。
いずれ、国境警備隊はキルギス政府直属のものにとって替わられるであろう。
そのときは、キルギスも独立がすすみ自国で相当のことができるようになるであろうか。
レアメタルのような地下資源があっても、石油など旧ソ連圏に依存して、しかも
中国という大国を隣国にしながら、キルギスが国家として独立発展することを期待する。
三蔵法師の旅と重ね合わせ
わずか10日間の旅ではあったが、トルガルト峠越えのような困難なこともあった。
考えてみると、三蔵法師の旅は交通も不便な昔ではるかに困難な旅であった。
しかし、文献によれば、三蔵法師は情報を集めるのに敏で、時の政治権力の保護
を受けるのに巧みであったという。
確かに、昔あのような厳しい自然の中で、しかも諸民族入り乱れ、日夜領土戦争に
あけくれるシルクロードを無事越えて、インドの貴重な仏典を中国にもたらしたのは
各地の王族の理解と支援がなくてはとうていできないことである。
その意味で、我々の旅行もキルギス政府の発行した通行証(国境のロシア兵には
有効性がいまいちであったようだが)と中国の日本人旅行者歓迎政策に助けられた
旅であった。
もちろん、キルギスにおける日本の企業関係者の支援やキルギス留学生との交流
の歴史、さらにはウイグル留学生との14年以上もの日本留学支援のことなど
が、この旅行を成功に導いてくれたのである。
ちょっぴり三蔵法師の苦労とその成功の秘密を体験できたことがなによりであった。
大谷探検隊「西域をたずねて」(龍谷大学)
その後のキルギス
10月25日、実に63日ぶりに全員が解放され、数日後に日本に帰ってきました。
マスコミで報道されているように、キルギス南部オシ州で8月23日未明
(日本時間同日朝)、日本人の鉱山技師4人を含む7人が、
隣接するタジキスタンから侵入してきた武装勢力に拉致された。
日本人の鉱山技師たちはM金属の社員の方々で、JICAの仕事中であった。
武装集団は人質解放の条件として、ウズベキスタンに拘置中の仲間の釈放を
求めている。どうやら、これが彼らの目的らしい。
この事件は、キルギスだけでなくこの地域全体に広がる事件である。
ロシア、中国という大国に囲まれ、トルコ、イランなどの影響も受けるこの地域は、
豊富な地下資源もあって昔から大国の利権争いの場所だった。
民族、宗教などが複雑に絡み合ったこの地域の事情はまさしく、シルクロード
の歴史をみれば、昔から変わっていない。こういう事情がシルクロード
そのものである。
本日9月19日まで、日本人技術者たちは解放されていない。
無事、彼らが日本に帰ってくることを祈る。
よかったよかった。最後まで人質と一緒に行動したキルギス人通訳の
オムルベク・ジャナケーエフ氏は日本に留学した中でも最初の留学生です。
彼は温厚で日本人に親切だった。我々もキルギスの飛行場に着いたとき、彼が
出迎えてくれたのだった。
今回の旅行の目に見える成果
・ウルムチ農業大学のスラハット先生に、岩手大学工学部機械工学科の客員研究員
受入承諾書を渡した。
・北京で方東平氏(清華大学助教授)と会い、(財)日本国際教育協会(AIEJ)
事業の帰国外国人留学生短期研究員制度すすめた。
・ウルムチ農業大学卒業のモフタル氏を、平成12年10月から岩手大学農学部大学院研究生として
受入手続きをすすめた。
・キルギス人文大学卒業のバケット氏(小画像)を、平成12年10月から岩手大学人文社会
科学部研究生として受入手続きをすすめた。
キルギス帽子
キルギス帽子
キルギス帽子
キルギス帽子
その後 2001年11月にはウイグル人留学生3人、キルギス人留学生1人留学生交流パーティ
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