天上の虹

里中満智子の日本歴史コミック 天上の虹
持統天皇(645−702)の物語

あるところで作者自身が述べているように、歴史上の人物を主人公にするとき
史実や事実は変えられないが、その中にエピソードを創作して織り交ぜ
悪いとされている人にもそうせざるを得ない事情があったのかと、人を思いやる心
を育てる物語にしている。

中大兄皇子(後の天智天皇)の娘として生まれた讃良皇女(さららのひめみこ)は、
父の弟大海人皇子(後の天武天皇)と結婚する。
壬申の乱で勝利した大海人皇子は天武天皇として即位し、讃良皇女も大后となる
(673)。

これは藤原鎌足の策なのか、蘇我入鹿のライバルである蘇我倉山田(そがのくらやまだ)
石川麻呂の長女を中大兄皇子の妃とする政略結婚が考え出された。
実は石川麻呂も蘇我入鹿の同族ではあったが、その権勢をほしいままにする姿に
批判的なものをもっていたのだろう。ところが結婚の約束の夜、石川麻呂の弟が
長女をさらって逃げた。困り果てたとき、つぎの娘が姉の代わりにいくと申し出た。
こうして遠智娘(おちのいらつめ)が持統天皇の母親となったのである。

のちに蘇我石川麻呂はまたしても弟の裏切りにあい讒言され、
謀反人として討たれる。悲しんだ娘も後を追うように病死した。
このように持統天皇は五歳から八歳までに、大きなうしろだてであった祖父と
大事な母親を失ったのであった。

讃良皇女の姉も二人の妹も大海人皇子の妃となった。中大兄は四人の
娘を弟の嫁にしたほど気をつかったわけである。

彼女の産んだ草壁皇子は、優しく繊細な青年で、政治の世界に向いてはいないように
描かれている。しかし、讃良はこどもの意志はどうあれ、草壁に強さを求めた。
我が子が次の天皇になってほしかったのだ。

草壁は決して天皇になりたいとも思っていなかった、むしろ腹違いの兄弟の
しっかりものの大津皇子(母の姉大田皇女の息子だから、従兄弟でもある)が
天皇になればいいとさえ思っていた。
母は策をめぐらし、とうとう息子のライバルを失脚させてしまう。
無理に皇位を継ぐ立場にさせられた草壁皇子は、その重圧に耐えかねて発狂して死んでしまう。

がっかりした彼女は気を取りなおして、持統天皇として即位し、草壁皇子の子ども
つまり孫の軽皇子(文武天皇)に位を譲るまで政治を続けることになる。

一方、天皇のおはらいさげの女性をうやうやしくいただいた父鎌足
の息子の藤原不比等(つまり史)は自分の出生に悩む。

不比等の母は、平安時代の藤原氏系図によれば、車持君与志古娘
(くるまもちのきみよしこのいらつめ)と記載されているが、学者の研究によると
鏡王の女で、万葉歌人として有名な額田王の姉が母である可能性が高いという。
そして、大鏡に、不比等は天智天皇の御落胤であると書かれていることから、
天上の虹でも、この御落胤説を採用しているのであろうか。

10歳で父を亡くした不比等は壬申の乱あたりからしばらく政治の表の世界には登場しない。
天武天皇が、草壁皇子を皇太子にたてるあたりから、持統天皇と草壁皇子の
良き相談相手となったらしい。実は不比等は草壁皇子から刀を賜っていた。
そして不比等は後にこの刀を草壁皇子の子文武天皇に献上している。
(この刀は文武天皇崩御の際にふたたび不比等に下賜され、不比等死後に聖武天皇に献上された)

コミックの中では、史に接近した女官の三千代。
三千代と史は天皇を守りながら藤原氏安泰の基礎を作っていく。

草壁皇子の腹違いの兄の高市皇子は皇位継承権の順位はずっと低かったが、
年長者のため重く用いられ、草壁皇子の死後太政大臣に任命された。
三千代が持ってきた、気持ちを静める秘酒を、高市皇子の腹違いの妹の但馬皇女に
飲ませるつもりが、なんと高市皇子が飲んで死んでしまう話の筋になっている。
ここは里中先生の創作でしょう。

三千代は、軽(かる)皇子(文武天皇)の乳母となり、
藤原不比等に接近し、彼の長女宮子を文武天皇夫人とすることに成功して急速に親密となる。
ついに不比等と再婚。う〜ん コミックはそうなっていくんだ。

701年(大宝1)宮子が首(おびと)皇子(聖武天皇)を生むと、
三千代もまた不比等の第3女安宿媛(あすかべひめ)(光明皇后)を生み、
再び乳母となって首皇子を養育する。
このため、持統・元明女帝の信任はすこぶる厚く、これが不比等を側面からたすける力ともなった。

ちゃんと正式の歴史をふまえて適当にコミックをもりあげていきますね。
先頭の系図を見ながら読んでいく私。あれがないと全然わからない。
あってもこんがらがる。

軽(かる)皇子はもちろんヒロイン持統天皇の孫。軽皇子の子が首皇子(聖武天皇)。
三千代と史の娘光明子は聖武天皇の皇后ですね。皇族以外の出身では初めて皇后となる。
光明皇后は施薬院、悲田院を作り飢病の人々を療養した。聖武天皇の遺品を正倉院に収めた。

藤原氏は権力の座から離れたくないから、なんとしても光明子を皇后にしたかった。
光明皇后をたてるのに反対する勢力を排除する事件が「長屋王の変」ですね。
日本史の勉強。

 天武天皇ー(讃良大后)−(草壁皇子)−持統天皇*−文武天皇−元明天皇*−元正天皇*−聖武天皇−孝謙天皇*
            *は女帝 

「持統天皇物語 天上の虹」 11
  『古事記』を書いた太安万侶は 大津皇子の息子 という著者の説
  大津皇子や大来皇女(大伯皇女)の墓も改葬して と思いながら死んでゆく持統天皇