竹下節子:さよならノストラダムス 文芸春秋 1999.6


この本は平成11(1999)年6月20日に初版が発行された。
もうこの頃には世界中が「ノストラダムスの大予言」など問題にしていなかった。
日本でも忘れられていたといってもいいくらい世間は冷静だった。

ノートルダム(聖母マリア) ノストラダムスの本名 1503-1566
サン・レミ・ド・プロヴァンスで生まれ、アヴィニヨンの大学で学ぶ。
医学を学び学業途中でペストが猛威をふるう町にかけつけ治療に専念。
妻子をペストで失い、四十代半ばでサロン・ド・プロヴァンスで再婚し
三男三女を残して亡くなる。
ノストラダムスの住んでいた家がノストラダムス記念館となる。
町の歴史的名士アダム・ド・クラポヌはデュランス川から灌漑用運河
フランス革命でノストラダムスの墓が暴かれた。暴いた兵士は銃殺された。

日本のノストラダムス・ブーム
新興宗教の教祖がそろってノストラダムスを利用した。
あの地下鉄サリン事件を起こしたカルト教団の教祖だけではなかった。

ノストラダムスの母の祖父はサン・レミの医師だった。
当時、「ユダヤ人が井戸に毒を撒いた」という類のユダヤ人陰謀説が少なくなかった。
それにともなうユダヤ人虐殺は、いまも起こる災難時の少数民族の虐殺を思い起こさせる。
ユダヤ人の医学の高さ、それがあったからユダヤ人には毒薬の知識があったと思われた。
ノストラダムスの身をかえりみずペスト流行地に乗り込みそこでの活躍
それは、彼のおいたちにまつわるユダヤ人の応援か。
ただし、彼はもはやユダヤ人とは言えなかった。
なぜなら、彼の祖父はユダヤ教からカトリックに改宗したからだった。
(もっとも、ハイネもキリスト教に改宗したが、キリスト教徒から仲間の扱いをうけてもらえなかった)

ノストラダムスはユダヤの預言者の家系
預言者には二つのタイプがある。 洗礼者ヨハネ型と使徒パウロ型
洗礼者ヨハネ型
 メシアであるイエスの出現予告 天才的 例としてジャンヌ・ダルク
使徒パウロ型
 パウロはキリスト教を体系化した。 実務的 混乱期啓示型ではない秩序型
ノストラダムスは本来使徒パウロ型の預言者だったが、時代の求めに応じ
カトリーヌ・ド・メディシスのため洗礼者ヨハネ型を演じた
カルト宗教の教祖は、使徒パウロ型の預言者ノストラダムスを
洗礼者ヨハネ型として解釈し利用した。

予言書(預言書)は印刷術が普及した頃出版された最初のベストセラー。
終末観をあおるため中世の説教師の話芸的スタイルを使う。
ペダンティックでエキゾティックでエニグマティックな三要素を加え
さらに韻を踏む四行詩として文芸作品にまとめあげた。
(グーテンベルクの印刷術はこちら

ノストラダムスの占いの客 イタリアやドイツからたくさん
フランス国内では嫉妬やライバル多い
預言者は故郷に受け入れられず(新約聖書ユハネ四ー四四)

1999.7の予言ははずれる。フランス人ばかりでなく、世界中でみなそう思っている。
このことを歌った詩の載っている最終巻はあとから付け加えられたもの
(彼の生前に出版された予言集は7巻の前半で終わっている)
彼の死後に出版された予言集では、7巻の後半は書かれていない。
彼ならば7巻の後半も書いて次の8巻に続けるはずで
だから、彼の死後に出版された予言集は彼の書いたものではないという説がある。

この著者にはすでに「ノストラダムスの生涯(朝日新聞社)」がある。

ノートルダムとノストラダムス