印刷メディアにおけるグーテンベルクの意味

ドイツのマインツにグーテンベルク博物館がある。
岩手日報社制作局顧問の後藤勇氏が、この博物館を見学してきた。
その講演を聞いたので、メモ的にまとめておく。
(その後入手した熊谷組広報誌KUMAGAI UPDATE No.31も参考にした)

1397年ころにマインツで生まれたグーテンベルクは
シュトラスブルクで印刷技術のもとになる技術を学び
やがて故郷のマインツに戻って、スポンサーの財政的援助により
印刷機を発明する。

1455年はじめてラテン語の聖書の印刷本ができる。
この印刷聖書を「四十二行聖書」というのは、後で刊行された聖書が36行印刷
だったから区別するためそう呼ばれる。別名グーテンベルク聖書といわれる。
1頁に42行2列を収め全部で1282頁となった。

金属活字はグーテンベルクの苦心の発明である。
印刷機はワイン絞り機の原理を応用した。
つまり、コインの製造技術を利用して造られた金属活字と
ワインを作る際にブドウ液を絞り出すために使われた小型圧縮機を
組み合わせた印刷機を用い
当時ドイツにも普及しつつあった紙に
ススで油を練った金属にもなじみやすい油性インクを使って印刷する
印刷術を開発したのである。
言いかえるなら、グーテンベルクは、多分野の技術の統合をしたのであった。

グーテンベルクは、出身地マインツに印刷工場を建てて多くの職人を養成した。
これらの職人たちは各地に分散して印刷工場を建てて、ヨーロッパに
印刷技術が普及した。

グーテンベルク博物館には、羊皮紙や現代の我々のいう紙(西洋紙)
に印刷された印刷物が展示されているという。
グーテンベルク聖書が刊行されたのは、紙製140〜180部、
ヴェラム(子牛革製の羊皮紙)製およそ25部といわれている。

紙を世界最初に発明したのは中国人である。
751年にサラセン軍が唐軍を破り、大量の捕虜を連れて行った。
その中に製紙工が含まれていた。

こうして最初にアラビアに製紙法が伝えられ、アラビア人を
経由してヨーロッパへと製紙技術が伝えられていった。
1336年にニュルンベルクに製紙工場ができた。

     紙の歴史

マルティン・ルターが宗教改革をとなえたのは1517年。
彼は聖書のドイツ語訳を作り、ドイツ語版聖書を印刷し
ドイツ中に広めた。このできごとがドイツ語の発展につながった。
(一般民衆はラテン語は読めず、教養ある聖職者のみラテン語が読めた)
(ルターは、ドイツ語で民衆が聖書を読めるようにした)
(ルターは、ギリシア文を参考に、ラテン語聖書をドイツ語に翻訳した)

つまりグーテンベルクの印刷術とルターのドイツ語訳聖書の出版
がドイツ語の確立とドイツ文化の発展をもたらした。

世界的には銅活字を発明した朝鮮の方が早いが、他の国に
影響を及ぼして、人類全体の文明に貢献したのはグーテンベルク
の金属活字(鉛、錫、アンチモン)と印刷機の発明である。

グーテンベルク博物館3階に日本の展示がある。
そこには世界最古の印刷物「百万塔陀羅尼教」がある。

発明や技術の発展は、世界の歴史の出来事と深く関係している。