シャーデ教授の日本招聘

   岩手大学に来たドイツの先生

これは
日本学術振興会日独研究者特別招聘事業で、平成6(1994)年1月から1カ月、
ドイツのシュツットガルト大学シャーデ教授を招聘して、全国を講演や共同研究を
して案内したときの記録です。

私が1981年にドイツ留学する時、合成構造の研究をしていましたが、
同じ頃に、シャーデ教授の合成構造に関する論文がドイツの専門雑誌に
掲載されていたので、ドイツ滞在中にシュツットガルトまで旅行したとき
面談したことがありました。

帰国してからも度々、シャーデ教授からは論文が送られてきました。
日本でも有名なシャーデ教授に講演をしていただこうと考えて、日本学術振興会
に申請して、招聘が実現したのです。

忙しい時期でしたが、成田まで迎えに出たり、盛岡での住居の世話をしたり、
旅行の予定を立てたりして、無事帰国までこぎつけました。

あのころを思い出しながら、当時の記録を整理しています。

  ◎   ◎   ◎

シャーデ先生招聘 その1

日本学術振興会から突然のように、招聘内諾の知らせが私のところに届いて
シャーデ先生が1月に成田空港に来るまで
ドイツと何度も打ち合わせの手紙をやりとりして
かなり骨を折りましたが それは省略。

とにかく前日までに 迎え入れの準備をしないといけない
というわけで
上田の外国人宿舎にあきがあったので
頼むことにしました。

岩手大学には4つの学部があり、それぞれの学部に指定の
外国人教師用の住居が割り当てられている。

工学部の分はすでに
材料物性工学科のドイツ人教官が入っていた。

そこで、あいている教育学部の割当の住居を1カ月間借りることにした。
人文社会科学部のドイツ語の先生も住んでいた。
あと1つの住居には 人文社会科学部の中国人の先生(中国語)
が住んでいた。

ドイツ人が2人いたので、
私が呼んだ先生には都合が良かった。
いろいろ生活情報をドイツ語で表現豊かに説明を受けたから。
衛星放送でドイツ語のニュースも見られたのも
そのおかげ。

結局 ドイツ人3人+中国人1人
工学部2人+人文社会学部2人
男2人+女2人
という組み合わせでした。
(この複雑さ わかるかな)

荷物を運んだり掃除をする関係で、契約は1月20日から借りました。

前日(1月22日)に 4年生を連れて乗り込み 部屋掃除などしました。

シャーデ先生招聘 その2

23日に成田まで迎えに行きました。
飛行機は予定通り到着しました。
そのまま、無駄なく盛岡に案内して来ました。

夜に盛岡に着いて、そのまま冷たい部屋で一夜を明かすよりは
暖かい私の家で一晩泊まっていただいた方がいいかと考えて
その晩は我が家に案内しました。

翌朝、みんなで朝食を食べてから、上田の宿舎に案内しました。

さて、シャーデ先生の盛岡の住まいになる上田の外国人教師宿舎ですが
ガス 電気 水道 などは
事前に使うことを供給者に言わないと
使えない。

事前に部屋を見たり掃除をしたりすることがあるから
20日からガス、電気、水道が使えるようにしておかなくてはいけない。

そこで私がそれぞれのサービス窓口に電話した。

ガスの場合は、取り扱いがちょっと複雑だから
シャーデ先生が来られたら、シャーデ先生に直接説明してもらうことにしました。

シャーデ先生が入居してから
ガス会社の人がきて 元栓セットと使い方の説明をしてくれた。

問題はお風呂の湯沸かし器
盛岡は冬の凍結に備えて
水ぬきをしないといけない

この器具の取り扱いの説明のめんどうなところは
ドイツ語の勉強になりますが私はパスして
若い工学部のドイツ人のシュプレンゲルさんに説明してもらった。

彼の説明は流れるようなドイツ語

そして 面白かったのは
外にある石油タンクが満タンなのに
なぜか部屋の石油ヒーターが火がつかない
石油がから というシグナルがあるばかり

彼は3日間 腕を組んで考えたという。

正解は台所にある 石油ポンプのモーターにスイッチを入れると
自動的に部屋の中の 組み上げタンクに石油が入ってきて
そこから ヒーターへ自由落下

おそらく最初に宿舎に入った外国人には十分説明したろうが、
いつのまにか説明書も失われ
...

そこで私は
親切な説明書を
英語とドイツ語で作っては
と提案しています。

 中島先生 よろしく
(中島先生は材料物性工学科の教授でしたが、その後大阪大学に転勤されました)
(この若い陽気なドイツ人の助手は1年後に中島先生の元に転勤しました)
ドイツ人の助手シュプレンゲル先生の送別会

シャーデ先生招聘 その3

ゴミの捨て方 などはドイツ人に説明してもらうことできりぬけました。

ドイツ人のシャーデ先生は身体の健康のために
ジョギングを毎日20分しました。

高松の池で みんなから
「オハヨウゴザイマス」
と言われて その日本語を覚えました。

それからシャワーを浴びて
朝食
そして大学に来た。

シャーデ先生招聘 その4

さて大学のほうの研究室は
某学科同様
うちの学科もなかなか教官室が不足。

そこで短い期間だけ
学生控え室を研究室に転用。

だから 1年生 3年生 4年生
大学院生
には それぞれ 何か講演をしてもらい
ドイツ人教授の話を聞く機会を考えました。

事務の浅沼さん
一生懸命にお世話して
この機会に簡単な英会話も勉強したので
よかった

シャーデ先生は帰るとき
浅沼さんに お礼の手紙を書いていきました。
私が そのドイツ語を読んであげました。

(ドイツ人の筆記体 なかなか慣れないと読めない

私はドイツ語の研修を2カ月受けたが、最初の美人先生が
途中でそこを辞めて普通の学校の先生になったとかで
その後、教頭先生、校長先生婦人:でも博士 一番恐かった
この先生の最終試験を受けた、等

わずか2カ月で4人の先生に習い
筆記体がみな違って そのおかげで大変勉強になりました。

日本語でも その人のくせがのみこめないと
なかなか手書きの手紙が読めません)

シャーデ先生招聘 その5

ドイツの夕べ

つまり ドイツ語を勉強してドイツへ留学したり
ドイツに関心のある研究者が集まって
シャーデ教授を囲んで
上田けんちゃんにて。

今になって考えると もっと参加者があってもよかったかな
という気もするが
当日集まった先生方は
実はドイツから研究者がくると
よく集まる仲間で
まあ徹底的にドイツ好きな方の人たちでしょう。

このシリーズでそういう人たちと
東京であったことも報告したい。

シャーデ先生招聘 その6

1年生には難しいから
専門の力学の話でなく
ドイツ事情 つまり
ドイツの歴史や地理や政治経済文化など
の話をしてもらいました。

英語でしてもらったのですが
今度は英語のヒアリング困難で
なかなか大変なんだ ということを体験させた
わけです。

シャーデ先生招聘 その7

大学院には
専門の雑誌に出ているような内容の話で
なかなか難しいけど
学問の雰囲気を体験するのも
と思って聞かせました。

やっぱり あらかじめ資料もコピーしておいたので
多少はわかって
質問もあり なかなか良い質問も出ました。

シャーデ先生招聘 その8

こんどは 秋田大学にシャーデ教授を連れて行って
講演やら共同研究の話をしてきました。

実は このプロジェクトをすすめるにあたって
秋田大学の川上先生に大変お世話になりました。

川上先生のおかげで
プレストレストコンクリート協会の技術者との懇談。
また
ドイツ留学した後藤正治教授とも会いました。

後藤先生は岩手大学の金属の出身
つまり材料物性工学科堀江先生の先輩ということですか。

プレストレストコンクリート協会の方には
後から東京で会えたシュツットガルト学派の技術者の
連絡先電話を教えてもらいました。

シャーデ先生招聘 その9

秋田の美術館はたいしたもの
と シャーデ先生は感心。

というのは 
藤田嗣治のパリの絵あり
ゴヤあり ピカソあり セザンヌあり。

千秋公園を歩き回って先生満足。

さらに日赤近くのお菓子屋(くらた)
2階でケーキとコーヒー
これも大満足。

シャーデ先生招聘 その10

秋田大学訪問を終えて
私と川上先生は
東北大学の尾坂教授と倉西教授の退官記念パーティに出席のため
秋田−盛岡−仙台
と移動したわけですが
シャーデ先生も仙台が見学したい
とのことで一緒に新幹線で仙台まで。

仙台のホテルは
以前に東北大学の深夜の会議で世話をされた
東北大学北門前の
あの 御宿すみれ
に泊めました。

とにかく おもしろいホテルです。

私が つい筆が走って
FAXでシャーデ先生の経歴や研究専門など紹介したとき
「なお 朝食はパンでジャムしかつけない バータ 卵はだめ
パンもひらつかの フランスパンかドイツパンを」
と書いたため
わざわざ近くの 有名なパン屋さんに買い物に行ったとか。

シャーデ先生招聘 その11

我々がヨーロッパ旅行をするとき
ユーレイルパスを日本から買って行くと 大変便利
どんな汽車でも そのパス一枚で乗れる。

ただし 座席指定には 乗る前に予約しないといけないが。
(ドイツでは座席指定は数日前に予約しないといけない、
乗る直前に予約というわけにはいかない)

ユーレイルパスは 1週間用 とか 1カ月用のものがあります。

汽車に乗るとき 開始駅でサインをしてもらうと
そこから数えて期限以内なら何度でも
1等車に乗れる。

さて シャーデ先生は1週間のJAPANRAILPASS を買ってきたのですが
私は先入観から
盛岡駅で 京都への旅立ちのときに
サインをいれてもらえばいい
と思っていました。

 ところが なんとシステムが全然違っていたのです。

1. まずJAPANRAILPASS は日本国内に来ないと発売しない。
  つまり シャーデ先生はフランクフルトの日本交通公社で
  予約してきたわけですが、引換券しかもらってこなかった。
  そして、この引換券で 本当のパスがもらえるのは
  この近くでは仙台駅だけ。
  盛岡駅ではダメ
  もちろん成田空港や東京駅などではOKだったのですが、
  そんなことは知らなかったので通り過ぎてしまいました。

2. 使用開始も当然 仙台駅で 今から使うといって
  サインをしてもらう。

私の率直な感想では
ユーレイルパスはたとえば岩大生協でも買え
それを持って行けば いつでもヨーロッパの駅から乗れる。

しかし JAPANRAILPASS はなんと手続きがめんどうなんだろう。
JRのサービス不足では と思ったのでした。

また 盛岡駅程度の大きな駅なら(新幹線の実質的な始発駅)
使用開始のサインも可能でなくては
と思いました。

天下無敵のユーレイルパスでも
寝台車に乗れるか

この件では販売した岩大生協も首をひねっていましたが
岩手大学人文社会科学部の女子学生が教えてくれました。

彼女は交換留学でドイツに1年以上いた学生でしたが
寝台車には乗れない、寝台券を新たに買わないといけない
と教えてくれました。

1990前の大晦日 パリからベルリン行きの寝台車に乗ったことがあります。
彼女の情報は正しかったことを確かめてきました。

シャーデ先生招聘 その12

岩手大学での講演や研究の打ち合わせや市内見学など
書けばいっぱいあるのだが、このあとの京都大阪奈良
さらに横浜の講演旅行などのことを報告しなければならないから、
盛岡についてはここまで。

2月13日に外国人宿舎をあけわたし
下のドイツ人から借りたベッドを返して
工業試験場(現岩手県工業技術センター)の菅原さんから借りた
電気掃除機は私の車に乗せて
ひとまず私の家に案内し 家族でお別れの言葉を
それから盛岡駅に行き
新幹線に乗り込んだら
これが とんでもない満員列車。

きけば 前日日本列島は大荒れ
関西にすら大雪が降り
飛行機は沖縄以外すべて運休した
それで札幌雪祭の乗客が とにかく月曜日の出勤に間に合うため
札幌から 急行列車を乗り継いで
立ちどおしで盛岡駅まで来たとか。

大雪の影響で JAPANRAILPASS を求めに仙台駅まで
立ちどおしの私たちでした。

シャーデ先生招聘 その13

さて 仙台まで来たのはよいが
緑の窓口では パスは引き替えてくれません。

盛岡駅にもある
JRの旅行サービス ヴューの窓口に行かねばなりませんでした。

そこで待つこと1時間
やっとパスが手に入りました。

何も言わないのに
その日から1週間の使用開始が認められました。

シャーデ先生招聘 その14

いつもはすいている盛岡からの新幹線も200%以上の満員

そこで ともかく東京まで行って
東京からなんとか指定席で京都まで行こうと思いました。

こういう状況なので 指定席も満員
やむなくグリーン車で行くことになりました。
シャーデ先生の JAPANRAILPASS はグリーン車に乗れる。
めったにグリーン車の乗ったこのことない私もおつき合いしました。

天気が良く 富士山もよく見えました。

シャーデ先生招聘 その15

さて 京都にはなんとか5時すぎに着くことができ
宿にも6時すぎには到着。

しかし やっぱり京都市内に雪があちこち残っていて
寒かった。

家の中の暖房はありましたが
京都の伝統的建物の中では我々には寒い。

札幌から来たお客さんも 札幌のほうがあったかい
と言っていました。
北国住宅の方が気密的で冬向き。京都の家はどちらかといえば夏向き。

シャーデ先生が秋田大学の川上先生と話したとき
冬の休暇で
スペインやイタリアに行くのか
と質問したら
ドイツの家は煉瓦も中に空洞をあけるなど断熱対策をしているが
南ヨーロッパは全然そういう対応をしていないから
ドイツより冬は寒い
といっていました。

盛岡より京都が寒い 
それとおんなじこと。

シャーデ先生招聘 その16

京都1日間の観光

京都を見たいというのが
シャーデ先生の強い希望で
それで京都に行ったわけですが
 何を見たいのか聞くと
私にまかせる とのこと。

金閣寺 平安神宮 清水寺 など
外国人向けの本にも必ず紹介されているので
そのポピュラーなお寺をセットにした
観光バスに乗りました。

京都駅 朝8時半出発

しかし バス乗車券の売り場はまだ開かない

売店のおばさんに聞いて
電話で予約をしたのが8時5分前
8時20分にはお金を払って指定券を手にしてください
と電話で言われて
まあ20分あるから どこかで食事をと思ったのに
京都駅前は駅の建物新築工事で また喫茶店も見あたらない

しかたなく 駅前の阪急のホテルにかけ込み
なんとかパンとコーヒーの食事をしました。 

2階建て観光バスには
早朝のためか
全員で10人という小規模のにわか団体がそろいました。

シャーデ先生招聘 その17

私も京都はたいていのところは見たのですが、
改めて説明を聞きながら見学すると
また違った発見がありました。

それに最近は木造建築も力学的に見ることができるようになったので
別な興味も出てきました。

清水寺は傾斜地に木造ラーメンを立て込んで高いお寺にしたのが
江戸の大工の腕。

 時間があったら
あのあたりから祇園のほうへゆっくり散歩もいものですが
20年前と違って 京都の町は車がいっぱい
とても安心して歩くどころではありません。

金閣寺は雪の金閣寺
絵でみるのはいいが実際歩くと足元はあぶないし寒い
その中 宮崎から来た中学生の修学旅行団
シャーデ先生と記念写真をとって楽しそうでした。

シャーデ先生 ドイツ語の日本地図を出して
宮崎が九州の南にあるのを知って驚いていました。

平安神宮 これは明治になって記念に造られたものですが
庭園に入ると 屋根のある木の橋があり
これはかくれた名所だと思いました。

屋根のある木の橋をうんと長くすると
スイスのルツェルンのカペル橋。
これは火事で焼けてしまいました(再建されました)。

知恩院は鴬張りの廊下
音のなるメカニズムを説明していました。

シャーデ先生招聘 その18

朝早い観光バスが4時間半のコースを回って京都駅に戻ったら
1時すぎ。

まだ 歩ける
というわけで それから
西本願寺 東本願寺を回って
三十三間堂。

ここも修学旅行で必ず寄るところ。

しかし 仏教のことを多少勉強し
仏像の見方がわかってくると
いろんな仏像が陳列されているのがわかり勉強になりました。

インドの宗教 中国の解釈
それをさらに日本に伝来され新解釈がくわわり
もともと鰐の神様だったり
コプラ(蛇)の神様が
現在の三十三間堂にあがめられている仏像になり
あんがい 伝説って いいかげんなんだなあ
という感想でした。

 雷神は鰐や蛇からの連想で雨を降らせる雷の神様となり
しかし 風神はインドや中国にはなく
台風の多い日本で始めて考えられた神様らしい。

 改めて次回に
京都へ行ったときは
三十三間堂と向かいの博物館(京都国立博物館)を見学しよう
と思ったのでした。

私はこの冬休みにやっと実現しました。

シャーデ先生招聘 その19

京都タワーで思ったこと

京都タワーなんて まったくの観光
と思って、行ったことがなかったが
外国のお客さんを案内するのも大事

一緒に昇りました。

ちょうど日がくれるとき
町のあかりが ちらほらつく
また さっきまで見学した寺院はどこだったろう

見るのも楽しく
しばし タワーの上ですごしました。

私が思ったのは
京都の町に高いホテルを建てようという計画に対して
清水寺など寺院側が
京都の景観をこわすと 猛反対をしているが
なるほど 高い建物はそうないが
京都タワーから見ると
昔は駅の新幹線側にはほとんど建物らしい建物はなかったのに
今ではすっかり鉄筋コンクリートのビルだらけ。

それは京都の町並みもすっかりそう
木造の家を探すのは難しく
ほとんど鉄筋コンクリートのビルやアパート
普通の家でも 純日本建築は少ない

だから いくら高い建物を反対しても
もはや京都はビルの谷間。

日本古来の建築は
京都駅前には
東本願寺しか残らない。

この寺こそは 日本中から信徒が集まり
(だから入場料もとらない)
民間で日本伝統を守る 少ない建築物ではなかろうか
と思ったしだい。
(私も北陸から門徒として北海道開拓に加わった農民の末裔)

シャーデ先生招聘 その20

けいはんなプラザ
をめざして
電車に乗る。

はたして 電子メールで石川のパソコン通信のユーザに頼んだ伝言は
無事 けいはんな学園都市のパソコン通信のシスオペさんに届いているか
どうか
この続きは また 次回に

シャーデ先生招聘 その21

京都の観光を1日でおえて
翌日
けいはんなのシスオペさんを訪問するところで
終わっていました。

さて 京都から近鉄電車に乗って
といきたいところですが
まずJR京都駅で 私鉄の近鉄電車の乗車券の売り場がわからない。

入場券を買って JRのホームを横断して
新幹線の方に移動すればいいけど
みんなは近鉄の乗車券を提示して 改札口に入っている。

 そこで駅員に聞いて 自動販売機を探したが、見つからず
キヨスクのおばさんに聞いて
近鉄電車の自動販売機は ずっと歩かなければならない場所にあることが
わかりました。
(JRのいじわる)

さて 無事 近鉄のホームにたどりつきましたが、
どの電車に乗ったらいいのか
多少あせりながら
高の原に行く電車を駅員に聞いて
なんとか電車に乗り込みました。

30分ちょっとで あんがい早く高の原に着きました。

さあ これからタクシーで けいはんなプラザへ
と思いながら シャーデ先生と歩いていると
呼び止められて
なんと後ろから シスオペさんが現れて
聞けば同じ電車だったとか。

 そこで 無事けいはんなプラザ行きのバスに乗り込みました。

バスの中で、シャーデ先生との会話
私は小銭がないけど シャーデ先生ありますか
私のあやしげなドイツ語をシスオペさんは理解したようで
このバスは見学者、訪問者のために
会社が走らせているバスなので料金は無料です
と教えてくれました。

石川のパソコン通信のユーザに頼んだ伝言は、電子メールで
無事けいはんなに伝えられていたわけです。

シャーデ先生招聘 その22

シスオペさんのはからいで
上司の薬師寺さんという ありがたい名前の男性に
(本当に そういう姓です 名刺ももらいました)
シャーデ先生に英語で説明してくれることになっていました。

 施設の説明や けいはんなプラザの回りの建物
あるいは 関西学術研究都市の構想など
いっぱい説明してくださいました。

インフォザールではロンドンとオンラインで
文献検索を
ちょうどシャーデ先生の専門の建築関係の雑誌の検索をデモで
見せてくれました。

 最後に外に出て世界一の日時計の見学
日時計はドイツ語で
ゾンネン・ウーア Sonnenuhr
というそうです。
文字どおり日時計

この日時計は日本の標準時間のほかに本州最東端(宮古・・・岩手県)
と九州の最西端の時間も表示できるそうです。

 シャーデ先生の感想は
建物が立派に施工されている
つまり壁コンクリートの仕上げ 隅の柱の角がきちんと直角に整形されている
など細部にまで専門家の目で見て
日本の建設技術を賞賛していました。

ドイツでは 建築設計事務所が設計してから
施工会社が建物を建てた後、その設計事務所が施工のできあがり具合を
チェックするので
シャーデ先生は つい その審査の目で見てしまったようです。

 さすが けいはんなプラザは代表的な建物なので、
みんなで一生懸命に造った
ということで 薬師寺さんもシスオペさんも 意外なところで
誉められ 大喜び。


大画面になります

シャーデ先生招聘 その23

けいはんなプラザも
2時間弱の見学でした。 

時は金なりというわけで 次の場所へ移動する旨
シスオペさんに伝えて
けいはんなプラザが用意してくれた車で
奈良の東大寺へ直行。

ほんとにけいはんなのある京都府から
奈良へは近い
隣どおし。

 東大寺には やっぱり 修学旅行の生徒がいっぱい
あと 人力車の若者たち
客を乗せようと いっぱい声をかける。

若い女性たちを人力車に乗せて走る光景を見ていたら
前に 早稲田大学構内で
新入生オリエンテーションの際
某クラブの行事か
入学生のギャルに声をかけて
構内を一周する光景を思い出しました。

シャーデ先生招聘 その24

奈良東大寺の大仏殿は世界一大きな木造建築

ここでいう大きさとは全体の容積だけでなく
大仏をとりかこむ空間を形成する
天井の梁のスパンの大きさのことです。

空間をいかに長く渡すか
これも一種の橋梁です。

 昔は太い柱となる巨木が手に入ったが
現在の日本には もう そんなに太い ヒノキはないそうです。

だから 木材を張り合わせて
一種の集成材で補修をしなければならないとか。
大仏はほんとうに大きい。

 東大寺は戦乱で焼かれたのです。

なにしろ東大寺の僧兵は昔から政治的に活発で
今なら革マルか何かか。

だから権力者からにらまれ
平清盛が火をつけて大仏殿を焼いたとか。

 それを頼朝が再建しようと
費用を全国から寄付を募りました。

勧進帳とは その寄付の主旨を書いた書き物で
したがって弁慶が勧進帳を持っていることは頼朝のために
全国を浄財の集金に回っている ということで
義経と逃げながらも 合法的に関所を通ろうとしたわけ。

 実際の技術は中国から応援を頼み
したがって中国人技術者が 中国の伝統にしたがって
東大寺の仁王の隣に 獅子一対を配置している。

現中国にも仏教寺院はたくさんあるが
お寺の前には必ず一対の獅子が守っている。
日本では お寺ではなく神社に 獅子(狛犬)が一対守っている。

今回の旅行で、京都の清水寺に獅子が座っているのを再確認した。
あの寺は古い寺だから、中国式伝統を守っているのでしょうか。

シャーデ先生招聘 その25

大仏殿のあとは
二月堂と三月堂を見学。

どちらも古いふるい建物
仏像も全部国宝。

 東大寺は2時間見学できた。
時は金なり
東大寺から法隆寺へと
タクシーに乗ることにした。

シャーデ先生招聘 その26

タクシーの運転手さんの話を聞きながら
法隆寺へむかう。

最近は ドイツの車が多い
特にベンツは人気がある。
ベンツは早く走る。
など ドイツのお客さんを乗せているので
ドイツの話がはずむ。

 最近は不景気で片道の客が多いとか
景気のよいときは
ハイヤーで
往復 あるいは
1日 奈良めぐり。

奈良では JRはほんとうに不便で
近鉄の方が便利である。

時間があれば薬師寺と唐招提寺を見てから
法隆寺に行けばいいのに
といわれたが
今回は薬師寺はパス(私はすでに全部見た)。

 法隆寺は寒い
このあいだも学校の先生を法隆寺まで乗せて
1時間くらい見学するから車を待っていたら
なんと10分もたたないうちに出てきてしまった。

法隆寺の中は、とても寒くて見てられない 帰る
ということになったそうです。

実は我々もその後に同じ思いを体験したのですが、
その時はひとごとと思って聞きました。

シャーデ先生招聘 その27

法隆寺は世界一古い木造建築

もっと古いものは 当然 日本の先生にあたる
朝鮮や中国にたくさんあったのだが、
奈良東大寺の例でもわかるよう
政治と関係しているのがお寺で
中国の歴史では
王朝が代わると 前の権力者の関連のものは焼き払われる。

そして その後に新しいものが建てられる。

そうでなければ まったく別な場所に都を移し
新しい都市が発展する。

そのため 前の都市はかえりみられず
結局保護者を失った寺院は没落し
維持できなくなって朽ち果てる。

そういうわけで
法隆寺は世界的にもまったく特異な存在として残っている。

まあ いかるがの里は 奈良や京都からも
離れた場所にあり
戦乱からまぬがれ、
しかも聖徳太子ゆかりの寺なので
権力者からは ある程度の財政支援も続けられ
結果的に日本が この世界的建造物・文化遺産を守ったことになった。

 すばらしい文化遺産のそばを
無駄なおしゃべりをしながら通りすぎる人々
あるいは 一人 感慨にふけりながら
ゆっくりと見て歩く人など。

シャーデ先生招聘 その28

さて 法隆寺ですばらしい古い建物をながめて
感動していると
なにやら 人々の集まる様子。

やがて 時代劇のような比叡山の荒法師のようないでたち
それから色とりどりの衣装を身につけた僧侶たちが現れた。

それら10名以上の一団が
ゆっくりと行進し
大講堂の方へ向かう。

そこで我々もそちらへ移動する。


大きな画面になります

 これは2月15日の涅槃会だったのです。
涅槃 つまり釈迦が亡くなった日

年に1度の行事だ というわけで熱心に見学したら
なんと1時間もかかってしまった。

寒い講堂にいたので
我々はすっかり冷えてしまった。

 結局 その後 シャーデ先生はしわがれ声で
講演を2度しなくてはならなくなりました。

私の知っている般若心経
あれを少なくとも2度(いや3度か) 読経しました。

ほかにも なにやらかにやら ありがたいお経を唱えた。

それから ときどき
効果をもりあげるため
紙吹雪が天井から はらはらと落ちてくる。

シャーデ先生 なんと その1枚を手にいれ
喜んでドイツにもちかえりました。

1枚といっても 辞典の大きさくらいの
蓮の花びらの形の紙で
法隆寺と大きく書かれていました。

 この紙のほしい人は来年 どうぞ

私がもう一度行くときは
インスタントカイロ持参で。

華籠(けご:散華供養の道具)も使われたのだろうか。

シャーデ先生招聘 その29

寒かった法隆寺を見学してから
法隆寺前のレストランで
カツカレーを食べ
熱いコーヒーを飲みました。

シャーデ先生
京都でカレーを食べ
法隆寺でカツカレーを食べ
この食べ物はOKです。

シャーデ先生招聘 その30

法隆寺から京都まで

法隆寺からJRの駅まで歩いて15分くらいは
シャーデ先生の得意な散歩道。

JRで奈良に来て
汽車を乗換え
無事京都まで戻ることができました。

しかし その後
二人は風邪をひき
ひさんな旅行になってしまいました。

シャーデ先生招聘 その31

さて シャーデ先生と私は
風邪をひいて 京都に帰ってきて
さらに 寒い 夏向きの旅館で
しあげをしてしまい

 寒いさむいの思いで
大阪に向かいます。

シャーデ先生招聘 その32

シャーデ教授来日で
関係の研究者である
大阪市立大学の中井博教授のお世話で
途中 八幡にある 大阪工業大学の
大型実験施設を見学しました。

大きな構造試験機がずらり
シャーデ先生も
私立大学は裕福なんだなあ
と思ったようです。

 学内新聞に記事を載せるということで
美人カメラウーマン登場。

彼女はドイツのロマンティク街道旅行の経験を英語で話し
フランクフルトのリンゴワインのことを
話していました。

そうしたら
突然 シャーデ先生
フランクフルトのリンゴワインもいいけど
盛岡のリンゴジュースはうまい
と言い出したので
いつリンゴジュースを飲んだんだろう
と私は思いました。

岩手は林檎の産地
当然 リンゴジュースは 美味しいです。

大阪工業大学の栗田先生 大変お世話になりました。
栗田先生もドイツ留学経験者で
昼はビールを飲みながら
ドイツ語と英語の会話

中井先生、栗田先生と

シャーデ先生招聘 その33

大阪のホテル・キャッスルで
関西道路研究会の橋梁委員会が世話してくれた
講演会。

 でも シャーデ先生 法隆寺での風邪ひきで
かすれた声でがんばって
無事講演を終わりました。

 質問は活発
しばしば質問者と答弁のシャーデ先生の意見の違い
あるいは ドイツの設計思想と日本の特に官庁の設計の考え方の違い
について 討論がありました。

後で シャーデ先生は 非常によかった
議論をたたかわせて 自分の将来の研究が
これをもとに発展するだろうと
話していました。

シャーデ先生招聘 その34

ホテルでの晩餐会
予定していた京都大学名誉教授の山田先生は都合が悪くて
欠席され
代わりにこれまた有名な
大阪市立大学の園田教授が出席され
なかなか 実りのある会でした。

 ホテルは旧淀川のほとり
つまり
教科書「構造工学」に載せた
あの桜宮橋(鋼3ヒンジアーチ橋)がちょっと見えました。

このホテルは
天満橋近くのホテル・キャッスル。

シャーデ先生招聘 その35

2次会はスナックで
今日の講演を聞いた
橋梁技術者たちが集まり
いろんな話題が出ました。

でも 一番心に残ったのは
大阪市立大学の中井先生がしてくれた話。

ある有名なアメリカ人教授を京都大学で招待して
夜に ある先生が
そのアメリカの先生に奥さんと離れて寂しいでしょう
と言ったとき
そのアメリカの教授は
大きな声で泣きながら 奥さんの名前を言ったとか。

具体的な名前はさしつかえがあるから
たとえば仮名で
グレート・ドン教授が
おお メアリー と叫んだわけです。

私の感想は その結婚は成功した
そこまで 心から泣けるなら。

 そして
いくら仲の良い夫婦でも
いつかは どちらかが先に死んで 片方は取り残される
のだろうな ということでした。

シャーデ先生招聘 その36

大阪の続き
翌日は講演も終わり
開放され
大阪城の見学。
天守閣にも昇った。

またも修学旅行生のグループに攻められ
帰りはJRで大阪駅に帰ってきて
それから新幹線で東京へ。

東京は翌日講演する大成建設の近くのホテルに泊まりました。
ここは東京都庁の近くでした。

シャーデ先生招聘 その37

シャーデ先生の会いたい日本人

シャーデ先生は日本に来て
岩手大学で3週間すごし
その後1週間は関西と東京方面で見学と講演をする
そういう予定でしたが、
暇をみて
日本で会いたい人が2人いるから
なんとか連絡をとりたい
と言っていました。

その2人とは
HOSHINOと KOHSAKA
だというのです。

どちらも 設計関係者の間では有名な人たちで
秋田で だいたいの電話番号など教えてもらいました。

しかし 私もなかなか忙しくて 
それらの人たちは東京に住んでいましたが
連絡をとることができませんでした。

シャーデ先生も自分で電話をかけても
会社の同僚が電話をとり、なかなか英語やドイツ語では
話がすすみませんでした。

HOSHINO博士はそれでも
17日に東京でホテルに尋ねてくる という約束ができました。

でも HOSHINO博士の顔は知らない
初対面とのこと。

私も最後にKOHSAKA氏と連絡がとれ
それでは
同じく17日にホテルに来てもらうことになりました。
KOHSAKA氏はシャーデ先生はよく知っているとのこと。

シャーデ先生招聘 その38

HOSHINO「星野博士」はレオンハルト教授のもとで
博士論文を書いた人で
したがって日本でも有名な人です。
現在は東京で星野橋梁設計事務所を経営しています。

KOHSAKA「上阪氏」もドイツのミュンヘンの大学を卒業し
その後東ベルリンなどで勤務してから
シュツットガルトのレオンハルトの設計事務所で勤務していたとか。

したがって二人ともドイツ語は上手
私はそれまで なんとかドイツ語会話をしてきたシャーデ先生も
長年の友人たちとなつかしいシュツットガルトの話や
ドイツ情報のことやらで
すっかりドイツ語も流れるように出てきて
とまらない。

まあ 今回の旅行の中で 最大のリラックスした
ひとときだったようです。

KOHSAKA氏とHOSHINO博士
どちらもドイツのことが好きで
ドイツの技術から これからも離れられない 。

私は知り合いになれてよかったと思いました。


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シャーデ先生招聘 その39

上阪氏の会社に働いている
岩手大学の卒業生のことが話題になりました。

この人は深谷君といいますが、
私とは直接かかわりはないのですが、
資源開発工学科の学生でありながら
私のマトリックス構造力学の講義を聞きに来て
大学院も土木工学科に合格し私の研究室に入る予定でした。

(私がせっかくだからと)東北大学の方にも世話をして
東北大学にも合格しました。

結局東北大学の大学院をおえ
橋が好きなので
現在の設計コンサルタントに入っています。

ときどき就職の求人で
私のところにも来ます。

実際 何人か岩手大学の土木工学科の学生を世話しました。

 その深谷君が
技術士の試験に合格したことを、上阪氏から聞きました。

やはり人間は努力すればむくわれる。

彼は当然 先日(2月5日)の東北大学の倉西教授退官パーティには来ていました。
しかし 技術士のことは話してくれなかったのでした。

シャーデ先生招聘 その40

東京では大成建設で講演をすることになっています。
しかし まだシャーデ先生の声は治らない
だんだんよくなっている といいいながら。

会社の近くのホテル
というよりは
東京都庁の真向かいのホテルに泊まりました。

ここは便利だが
大変高かった。

シャーデ先生招聘 その41

大成建設には あまり近いから そのへんを回ってもまだ時間が早い
でも 9時に会社の受付に到着しました。

しばらく お世話してくださる今井室長と話をして
それから講演会の会場に入りました。

OHPとスライドを使うというので
いろいろ準備に時間がかかったようです。

 あまりにも新しい立派な会場で
国際会議を開催してもいいくらいの場所でした。

シャーデ先生招聘 その42

講演が終わって
今回はほとんど質問がありませんでした。

そこで シャーデ先生は
はたして自分の講演は満足してもらえたのだろうか
あるいは もっと説明をよくすればよかったのだろうか
と心配していました。

 しかし ともかく講演は無事終わり
昼は屋上のレストランで
すばらしい中華料理でした。
私もほっとしました。

シャーデ先生招聘 その43

この後は、大成建設のはからいで
同社の工事見学。

見学したのは 東京湾の湾岸高速道路
川崎の沈埋(ちんまい)トンネル建設現場でした。

沈埋とは あらかじめ造ったコンクリートや鋼製の箱を海中に沈めて
それらをつないで、それから中の水を抜いて
連続した一体のトンネルにする工法です。
日本の得意な工法です。

9つのブロックの中 8つまで並べて完成したので、
その先端まで見学してきました。

シャーデ先生も満足
 この後は 明日また

シャーデ先生招聘 その44
どうして シャーデ先生が大成建設で講演をしたか というと
昔から プレストレストコンクリートの技術のことで
大成建設は ドイツのシュツットガルトにあるレオンハルトの設計事務所と
太いパイプがあるからです。

わかりやすく言えば
大成建設はレオンハルト教授の開発したパテントを
お金を払って日本における施工で使っているのです。

(東北新幹線の花巻駅の近くに、猿石川さるがいしがわ
を越えてコンクリート橋がかかっています。
この橋は決められた工期内に確実に終われるよう
押し出し工法という方法を使って造られました。

押し出し工法は、屋根のついた野外のコンクリート工場を現場近くに作り
そこで完成したコンクリート桁を押し出して、その後にまた
新しいコンクリート桁を造っていく工法です)

 シャーデ先生はシュツットガルト大学の教授でありながら
レオンハルトの作った設計事務所で勤務しているので
会社の要望でもあり、大成建設に顔を出したわけです。

大成建設の社員も毎年 シュッツットガルトに技術研修に行って
現在も1人の技術者がレオンハルトの設計事務所に出張しています。

この日本人の社員に連絡して
今回の大成建設の講演が実現しました。

すなわち
シュツットガルト出張中の白石さんと何度かFAXをやりとりし
その上司の今井室長にお世話になって
東京での講演をはたしたのです。

シャーデ先生招聘 その45

さて 大成建設の講演の翌日は
もう最後の予定で
横浜国立大学の池田尚治教授を訪問することにしていました。

池田先生は合成構造の研究者。

前に書いた大阪市立大学の中井博先生は
鋼構造から合成構造にいたった先生で
池田先生はコンクリート構造から合成構造にアプローチした先生

今では同じ分野で研究する方々ですが
出発の位置が違う。

 シャーデ先生も合成桁の論文がある。
私もそのころ13年前ころは合成桁の研究で
ドイツ留学しました。

シャーデ先生招聘 その46

池田先生は 家が近いから
というので
直接ホテルまで車で迎えに来てくれました。

それから池田先生の車で
高速道路や環7など通って
横浜国立大学の校舎へ直行。

 私が昔大学3年生のとき
北海道から来てお世話になった
建設省横浜国道工事事務所が近い所にありました。
むかしのままの丘の上に。

シャーデ先生招聘 その47

池田先生の部屋に通され
しばらく研究室の研究内容など説明を聞いて
それから
実験の成果のビデオを見て
(ビデオを使って振動破壊を可視化する研究)
別棟の実験室を見学しました。

大きな装置はお金がかかるし 載荷する荷重にも制限がある
そこで比較的小さな しかも精度の良い装置を考案しているそうです。

実験室では「走らないこと」
など注意書きがしてありました。
実験室の外で記念写真 右はじが池田教授。

 最近 岩手大学でも実験中の事故をなくそうとして
安全の手引きを作ろうとしています。

その参考例として配布されたのが
横浜国立大学のもの。
著者の中には 池田先生の名前もありました。

シャーデ先生招聘 その48

土曜日なので大学の食堂も休み
そこで近くの美味しいという評判のレストランへ。

横浜は坂道が多く 自転車は使えないとか
坂道を下ったり上ったりしてレストランへ着きました。

店は混んでいました。 
豚カツを頼んで、それが大きなかたまりだったので
池田先生は歯を守るために ナイフとフォークを頼んで
細かく切ってから食べていました。

シャーデ先生招聘 その49

午前中は横浜国大の見学とディスカッション。

午後からは みんなで
首都高速道路公団の
鶴見つばさ橋(斜張橋)の建設現場を見学しました。

 私が行くというので
岩手大学の卒業生である植野君(同公団に勤務)
も来て説明してくれました。

いま 横浜ベイブリッジが一番人気ですが、
この斜張橋は横浜ベイブリッジのすぐ近くにできて
こちらの方が大きくなります。

しかし塔の形が違っているし、
ベイブリッジはトラス形式ですが
補剛部分が鶴見つばさ橋は鋼箱桁です。

要するに桁の部分が横浜ベイブリッジでは
本四架橋(瀬戸大橋)のようにトラスになっている。
鶴見つばさ橋では箱桁になっているのです。

シャーデ先生招聘 その50

いちおう
続いた このシリーズ終わりにします。
まだまだ 書けば きりがないのですが。

 横浜の見学の後
夜は中華街で 中華料理を食べました。
中華街の門を入ってすぐの華正楼(かせいろう)という店でした。

今 日本中で人気
ふかひれスープ その他 北京ダックまで出てきた

翌日は横浜から 成田エクスプレスに乗って
成田空港へ直行。

空港ではやはり検問があり
飛行機に乗るシャーデ先生は飛行機のチケットを見せればよかったが
私は見送りでも 身分証明書の提示を求められ
結局 運転免許証の提示となりました。

 盛岡からすでに送っておいた別送荷物を4階のコーナーで受け取ってから
搭乗手続き。

シャーデ先生は日本に来るとき、ロンドン・ヒースロー空港で
荷物がうまく乗り継ぎ飛行機に間に合わず
結局3日遅れて盛岡に着いたことを苦情として言った。

それに対して 何か損害がなかったか と聞かれたが、
遅れただけ しようがない と一応納得したことを述べました。

 実は 帰国してから シャーデ先生の送ってくれたFAXによると
ドイツに帰るときも
やはり ロンドンで 荷物が遅れそうになり
結局 高級クラスの席でドイツに帰ってきたとか。

 ともかく 無事帰国しました。

皆様 大変お世話になりました。

私は盛岡に帰ると さすがに疲れが出てきました。
しかし翌日の月曜日は 自分で希望した時間でしたが
朝9時から機械工学科の大学院の研究発表会(論文審査)に出席し
夜には 新しく中国から来た留学生を駅に迎えに行きました。

数日後に、高熱は出るは、歯が痛くなる
と大変なめにあってしまいました。

ドイツの先生を1カ月世話したのは疲れましたが、
いっぱい勉強になりました。

日本の外国人に対して 親切な良いところ

不親切な悪いところ も 気がつきました。

その後、シャーデ先生には土木学会の土木用語大辞典の用語の独仏訳をお願いしたり、
私の教え子がドイツ研修旅行の際にお世話になったりしました。

シャーデ先生招聘 補足その1

いちおう 50回書いたので
補足を 少し

シャーデ先生と新宿の駅の西口のあたりを歩いてから
ホテルに帰るとき
 シャーデ先生は帰り道はわかる といいながら
今日来た道を歩いて帰りました。

実は 4辺形の3辺を歩いたようなコースで
もう少し 近道があったのですが
たった1回しか歩かないのに その記憶の正しさに驚いてしまいました。

そこで たいしたものだ と言ったら
一つ一つ身体で覚える
土木工学も同じ
と答えたのが印象的でした。

 大学の学生に教える講義でも
納得させながら 自分の知識として身につけるよう
指導するのが一番だと思いました。

 あの秋山仁先生のいうように
「数学の模範解答をただ与えるんじゃなく、
難しい局面でも、そこから脱出できる方法を教えるのが大切で、
しかも実践させながら、が必要だね。

こっちに行ったらひどいめにあった。だから、ここには目印をつけておこう。
要するに、試行錯誤、
暗中模索、それをやっていかないと駄目だと思う。

 今の教育は天下り的に 整然と整理された理論を教えすぎる。
教科書に書いてあるのは、それまでにわかった証明の中で
一番わかりやすい、すばらしい証明である。

そんなものより、むしろ泥くさい、そして回り道もする
そういう証明だけども、実際に生きている、生の臨場感あふれる、
そういう講義をやったほうがいいよね。」

「先生というのは、高校くらいまでは、あまりすらすら問題が解けて
勉強ができた人じゃないほうがいい。

苦しんだ人、いつも点数がとれなかった人、
そういう人を先生に採用するといいと信じてる。

そうすると、できない子どもがどこでつまずくか、
それから、できない子の悲しさ、そういう心の悩みまで理解できる。
そして、激励することもできる、温かさも持てる。
...」

シャーデ先生招聘 補足その2

これはシャーデ先生と直接関係ありませんが

新聞である評論家が
日本でのエスカレータの片側を 急いでいる人のために あけることを
もっと進めようではないか
と書いていました。

 日本の法律では エスカレータは建築基準法の階段ではないとか
その評論家は欧米のように
日本でも エスカレータで乗り降りする人は片側にだけ乗り
もう片側は急ぐ人のためにあけておくべきだ
という主張のようでした。

 しかし 日本の中でも新聞の投書があったように
お年寄りや小さい子どもを連れた母親など
やっぱり並んでエスカレータに乗りたい場合もあるようです。

特に下りの時に 片側があいていても
急いでそばを走るように通り過ぎる人がいると
つい突き落とされそうになって危険だ

感想を述べている投書がありました。

もとはと言えば、誰かロンドンかパリに行った人が
あの習慣は便利だ
いまや世界の常識 日本もやるべきだ
と新聞かなにかに書いたことから
始まったと思います。

 しかし、これも私にいわせると
外国かぶれの一種。

だいたい人間は 特に若い人は
外国に行くと 何でも見るもの体験するもの 良く思われる。

外国に行って日本に帰ってくると
全部外国が良かったと肯定する人と
その反対に外国嫌いになって愛国者に変わる人とがあります。

 このエスカレータの片側通行も 外国の習慣は優れている
という偏見の一種だ というのが私の意見です。

若い人だけだったら 片側をあけてエスカレータに乗るのもいいけど
お年寄り 身体の不自由な人 小さい子ども連れ
の場合は やっぱり 安全な形で保護されるべき。

つまり場合によるのではないか と思います。

中年オバタリアンが連れだって歩いて 後ろから来た人の道をふさぐのとは違って
エスカレータは特別な乗り物ですから、
道路や歩道のときとルールは違うのではないでしょうか。

私が、外国からお客さんを迎えて
いっぱい失敗したり、違うものの見方を発見したり
そういう報告を書いた、自分の気持ちとしては
ただ外国を崇拝するのではなく、逆に全部否定するのでもなく
一部は外国のものの見方を肯定し、別の点では日本の良さを認める
という立場からきています。

そういうスタンスとかものの見方をもつ
これが、あたりまえの長続きする考え方ではないでしょうか。

シャーデ先生招聘 補足その3

ドイツのシャーデ教授は
Herzinfarkt 心筋梗塞
の心配があるので
海外出張の前に精密検査をしてきたという。

 秋田大学の国際交流会館(つまり 海外の研究者を泊める設備)
で朝ご飯をたべていたとき
生卵には手をつけません でした。

そこで 翌日 おばさんは
特別に卵を焼いてくれましたが
やっぱりシャーデ先生は もう十分
と食べません。

 その理由は やがてわかりました。

京都 河原町のお好み焼きで
広島風お好み焼きを注文したとき
みなさんご承知のように
広島のお好み焼きは
ベースに卵焼きを敷く のですが
それを見た教授は
いきなり 叫びました
やめてくれ 私には 卵は使わないでくれ
と。

そこで 真相は説明され
身体によくないから 卵は食べない
つまり卵の黄身が医者から禁止されている
ということでした。

 それにつけても 私など
健康も考えないで
無茶な食事をしています。

 シャーデ先生は したがって バターも食べません
油は なるべく とらないようにしていました。

日本の食事
煮物 野菜のおひたし 等は健康食品でしょう。
竹輪 や かまぼこの良い物は大好き といいました。

パソコン通信で国際親善のための準備をすることができました。
あるいは外国人のお客さんを招くのに、パソコン通信で情報交換したりして
いろいろ役に立ちました。

これで 将来研究が進めば
岩手県庁 テクノポリス財団 はいうことがないでしょう。
きっと そうなりますので、
みなさん がんばりましょう。

パソコン通信の事業をしている
岩手県庁とテクノポリス財団を激励する言葉でした。

シャーデ先生招聘 補足その4

すでに書いた記憶がありますが、
入浴のこと

盛岡では
上田の外国人宿舎で毎朝シャワーを浴びていた
シャーデ先生。

旅行先の秋田、仙台では個室だったし
バスつきだったから
たぶん朝のシャワーを楽しんだのでしょう。

 ところが京都の3泊は日本式旅館で
部屋には浴室がない

したがって1階の共同浴場。

朝のシャワーというわけにはいかず
京都の町を歩いて冷えたので
風呂に入りましょう
と誘ったら
何でも体験する
シャーデ先生は
オーケー
とついてきた。

そこで着物を脱いで
まず体を洗ってから
浴槽にはいる
と順序を説明したら
 それから毎晩 問題なく入浴できました。

ただ 我々だけでなく
他のお客さんが来たときは
こちらは ドイツの大学の先生で
岩手大学から はるばる京都へ日本建築を見学に来た
と説明しました。

何も話さないと 相手も困るかと思ったのですが。
札幌からの年輩の人など「ああそうですか それは大変ですね」
と、まず問題はなかったのです。

しかし、若い男性が2人入ってきた時は
おい 後にしようぜ
とばかり 我々の姿を見たら
帰って行ってしまいました。

日本式旅館になれた外国の人は
これも喜ぶようですが、
なかなか慣れてもらうのに
個人差がありそうです。

シャーデ先生招聘 補足その5

ドイツ人の盛岡に対する予備知識

何も知らないかと思って
事前に人文社会科学部のドイツ語の先生に頼んで
盛岡での生活の注意、特に冬の生活の問題
上田の外国人宿舎の備品の不足な点など
手紙にしてシャーデ先生に送ったのです。

 シャーデ先生がドイツ語で書かれた
日本の案内書(辞典なみの厚さ)を持参してきました。

その本の中には
京都や東京はおろか
盛岡や角館まで書かれてありました。

 したがって シャーデ先生は一人で
五百羅漢も見たし、啄木新婚の家も訪問したといいます。

十六羅漢は あさ開の酒造工場見学のついでに寄ったので
案内しました。

あさ開の工場で試飲した お銚子
つまり蛇の目の模様が底に描かれてある
どこへ行ってもおなじみの銚子ですが
あれを記念にほしい、と杜氏の方にお願いして3つほど
持って行きました。

あの蛇の目模様は
日本酒のツヤ 透明度などの判定に
大事なんだそうです。

我々にとってもは なんでもない物でも
外国人には珍しいもの と目にうつる。

それに 西洋では陶磁器は貴重品
おそらく ガラス製品より陶磁器の方が上ではないか
(もちろん 高価なガラス製品もあるが)
だから 焼き物は どうしてもありがたがるのだろう。

シルクロードの貿易商人は
どうして 砂漠の中を あるいは 空気の薄い寒い高山の道を
苦労して キャラバンで行き交いしたか。

それは 東西の交易ルートで 自分の所では珍しくもないものが
異国の地では貴重品 高く売れる ということで
行きと帰りで それぞれ売れる物を運んで
財産を作ったのでしょう。

ついでに仏教文化が伝搬した。
まず金儲けが 先にあったのではないか と私は思います。

 そういう中で 三蔵法師だけが、仏教の真理を求めて
命がけの旅にでかけたから感動する
と思います。

三蔵法師が、貿易商人であっては 興ざめです。

 − ◇  ◇  ◇ −

SCHADE教授滞在日程

1月23日 成田到着
  (1月23日夜から2月13日朝まで上田の外国人教師宿舎に居住)  
2月 3日 盛岡−秋田 秋田大学川上教授と会見と講演
   5日 秋田−盛岡−仙台
   6日 仙台−盛岡
  13日 盛岡−京都
  14日 京都見学
  15日 けいはんなプラザ見学と奈良見学
  16日 京都−大阪  大阪市立大学中井教授と会見と講演
  17日 大阪−東京 夜に星野博士及び(株)長大の上阪氏と会見
  18日 大成建設で講演と見学
    19日 東京−横浜  横浜国立大学池田教授と会見と講演と見学
  20日 横浜−成田 帰国

講演テーマ

1. Warping Torsion of Thinwalled Reinforced Concrete Section (薄肉梁のそりねじり理論を鉄筋コンクリートの塑性域に拡張したもの) 2. Theory of Second Order for Horizontally Load Bearing Elements of High Building (テーマ1の理論を座屈などの有限変位理論に拡張したもの) 3. Increased Punching Shear Resistance of Flat Slabs with Stud Rails 4. Shear Connections with High Fatigue Strength (テーマ3と4は合成構造や鉄筋コンクリート構造の板と梁・柱との接合の設計) 5. On Some Problems of Large Reinforced Concrete Structures without Expansion Joints (地下駐車場などの大構造物が水密性を保ちつつ継手の弱点を克服する設計)
日本学術振興会事業によるSCHADE教授の招聘、 土木学会誌 (1994.4)、26〜27頁

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