東西ドイツの国境がなくなったころ

1989.11.9 この日は旧東独政府がオーストリアに逃げ出す国民と各都市での毎晩のデモにたまりかねて
西ドイツとの国境を開放した日です。
 一種の統一記念日

私はそのときどこにいたのか。
ちょうど1989年10月には中国の西安に行っていました。
前年に北京であった老教授(名前も楼先生)に招待され講演に行く計画を
1年前からたてたのです。
ところがあの天安門事件 なかなか文部省の許可がおりない。
周りの人も中国行きに反対。中国からは安全だから必ず来いと招待電報が届く。
やっと文部省からの渡航許可がおりて、西安には10月24日から28日までいました。

23日の夜、北京から遅い飛行機で西安に着く。すぐ大学の招待所に案内され夕食。
落ち着いてみると回りからドイツ語が聞こえてくる。どうやら数家族が東ドイツから来ていたらしい。
翌朝、英国人教授、東独教授、日本語教師そして私の4人が食事。
この4人だけが先生でした。
天安門事件以来、外国人教授のキャンセルが続く。
英国人教授は中国語もチベットの言葉もできるとか。ドイツ語もできる。
というわけで毎日そこで我々はドイツ語で話していました。

毎晩、海外の放送でドイツ統一のデモの報道があり、翌朝には彼らが私に話して
聞かせてくれました。
29日には西安から北京に移動し、北京で数日滞在して11月4日の飛行機で
日本に帰ってきました。日本シリーズで巨人の逆転優勝のニュースを見ながら。

日本に帰ってからドイツ統一のニュースを確認したのでした。  



  厳しかった東欧圏の国境

  ドイツ統一直後の旧東独事情

  私の見てきたベルリンの壁(壁のあった頃)

  ドイツ統一記念切手