私のドイツ研修旅行(フンボルト奨学生)
Berlin

1982年

     5月16日 ゴスラー→ハノーファー→ブラウンシュヴァイク→ベルリン

     5月17日,18日 ベルリン見学

     5月19日 ベルリン→ブラウンシュヴァイク→ハノーファー→リューベック

東西ドイツの首都だった町  Berlin

とにかくベルリンでは疲れた。
その重い歴史を感じさせものが多く、かつ現実の政治問題、国境問題を我々に
つきつける町であった。

ベルリンの壁から見たブランデンブルク門

ベルリンの壁から見たポツダム広場 かつて向こうの広場はベルリンの繁華街だった。

ベルリンの壁の向こうを見るための展望台 このあたりは壁のおかげで観光業が栄える。

ベルリンの壁の犠牲者(壁ができたのは1961年8月13日からだから、最初の頃の犠牲者)

ベルリンに一番乗りしたソ連の戦車 いつも機関銃を携帯したロシアの兵士がいたが、これはどうなったろう。
     ソ連の兵士の像

対フランスの戦勝記念碑

カイザー・ヴィルヘルム教会

SLを改造した道路工事用車 たぶん舗装工事

ベルリンの陶器工場

東ベルリン    1982.5.18

18日の午後だけ半日ビザで東ベルリンを見学した。 マルクス・エンゲルス橋 マルクス・エンゲルス広場にたどるから、この橋の名前もそうつけられた。 ドイツ統一後は、元の名 シュロス・ブリュッケ に戻った。 大聖堂 シュプレー川から見た東ベルリンのテレビ塔 テレビ塔から見た東ベルリン テレビ塔から見た東ベルリン ノイエ・ヴァッヘ(Neue Wache :無名戦士廟)の衛兵の行進 衛兵の交代のときプロイセン式行進が有名。 東ベルリンでの行進 この写真は私が写したものではないが、東ドイツもやはり行進が好きな民族のようです。 ありし日のアレキサンダー・プラッツ この写真も当時東ドイツに旅行した人からいただいたもの。 ブランデンブルク門も、こちらからだと壁なしで見られる。 しかし、午後も終わり頃なので、写真はご覧のとおりよくない。 東ベルリンから見たブランデンブルク門                           

ベルリンの壁

  私の見てきたベルリンの壁     dokuro哀愁のベルリン(ベルリンの壁の歴史)     ベルリンの壁の壊されたとき

 

                本格的なドイツ北半分の地図そうとう大きいので注意

                本格的なドイツ南半分の地図そうとう大きいので注意

ドイツ研修旅行の先頭に戻る。