7/22 ウルムチ滞在
朝食前に、ホテルの近くの立体交差で下の高速道路を見たいから、
O氏を誘って、ホテル近所の散歩にでかけた。
ホテル近くの陸橋(小画像)
ホテル近くの陸橋(小画像)
ホテル近くの陸橋(小画像)
陸橋から見た高速度路(小画像)
陸橋から見た高速度路(反対側紅山公園見える)(小画像)
ホテル近くの交差点(小画像)
発展をめざすスローガン(小画像)
日本時間8時に朝食、8:30にロビーに集合。日本時間8:40(北京時間
7:40)にバス出発。トルファンに向かう。片道2時間の高速道路ドライブ。
途中トイレのため高速道路を降りて、トイレ付きドライブインに入る。
ここで日本人は誰も買い物をしなかったので、ガイドの鮮さんはハンカチを買っていた。
ここらは風の強い橋。クリーンエネルギーの風力発電ができるのはすばらしい。
塩湖もあった。はたして、ラーメンの鹹水(鹸水)のもとになる石もとれるのだろうか。
風力発電(小画像)
塩湖 (拡大写真)塩湖化工場
天山山脈の中を流れる川沿いに道路は走る。それほどの峠道もなく、多少のカーブ
をして、天山山脈をあっさりぬけてしまった。そして砂漠に出た道は、どこまでも
まっすぐ続いている。
アーチ橋が見える (拡大写真)
料金所(小画像)
ものの本を読むと、ウルムチからトルファンまでの道路の続く砂漠地帯を
「ゴビ灘(たん)」と書いてある本がある。ここで、「ゴビ」とはモンゴル語で
砂れきの意味だという。これに海の用語で波荒く航海に危険な海域を指す
「灘(なだ)」を付けて「ゴビ灘(たん)」と読んでいる。
あの地図にも載っている固有名詞の「ゴビ砂漠」とは別で、砂漠の一種を
表現する言葉である。
日本時間10:50にトルファンに着いた。トルファンの意味は、ウイグル語で、
暑い(低地)という意味である。長々と続く火焔山(山脈)の谷間にバスが入っていく。
車を降りて、暑い中、ベゼクリク(伯孜克里克)千仏洞を見学した。
この千仏洞はムルトゥク河右岸に石窟寺院が残っているのである。
ここは昔は仏教徒であったウイグル人の王族貴族の寺院であったが、
イスラム教がトルファンに盛んになるにつれ、破壊され、
残った壁画なども清代に外国人の探検隊によって剥ぎ取られてしまった。
暑い谷間で(小画像)
暑いところで記念写真(小画像)
ベゼクリク千仏洞(小画像)
ベゼクリク千仏洞(小画像)
つまり、貴重な仏教遺跡も、
(1)イスラム教徒
(2)スタインなどの探検隊
さらに(3)文化大革命により、
わずか5つの洞窟に残るのみとなってしまった。
暑い暑いと、みんなは飲料水を飲んだり、土産物屋でサービスに出された西瓜を
食べた。ここでは、トイレは有料だった。その割には立派ではなかったが。
とにかく観光客が絶え間なく押し寄せるので、店をもつ中国人には現金が入る。
日本人は西瓜を勧められ何か買おうと思うのは彼らのつけめ。中国人留学生によれば、
西瓜はたくさん穫れて安いものであるそうな。
水代わりの西瓜だった。
おいしかった西瓜(小画像)
その後、バスでアスターナ(阿斯塔那)古墳群に移動。
ここはあっさりと。しかし、土産売りの声が多い。暑い中、その熱心な態度に
研究者もかくあらねばと思った。古墳の中は撮影禁止だった。ミイラを見た。
古墳の前(小画像)
古墳の前でモデルになってくれた子どもたち(小画像)
車で高速道路を戻り、火焔山の見物地点に止まった。この日は曇りなので、炎の出るような
写真は撮れなかったが、さらに炎天下を歩かなくて、まあ良かったのだろう。
火焔山の近くにある葡萄溝は、小さな渓谷で、葡萄棚が続くという。
トルファン地域は葡萄栽培が盛んで、至るところに葡萄棚があった。
火焔山(小画像)
新疆医科大学のマリアン助教授は沙浴治療の専門家で、日本に留学した時
沙浴治療の効果について論文を書いている。
一般の観光旅行ではなかなか見ることのできない沙風呂風景を見ることができた。
日本時間13:50 ヤール村の沙浴治療場にはウイグル人たちが熱砂の中に
横になっていた。
マリアン助教授によると、この地の砂には、熱、太陽そして砂の
中の鉄粉による磁力が医学的に効果があるという。体から流れ出る汗が体内の
老廃物を一緒に排出するのだろう。裸足で歩いているだけでもじりじりしてくる。
70度にもなるので、卵もゆで卵になるという。
沙浴治療(小画像)
沙浴治療(小画像)
馬車を走らせる少年(小画像)
日本時間14:05 マリアン先生の勤務する療養所のレストランで昼食をとった。
宿泊所の奥にある葡萄棚の下のテーブルにみんな腰をかけて、ウイグル人たちと
食事をした。彼らはテレビを楽しんでいた。我々はマリアン先生の話を聞いて、
彼女の仕事が軌道に乗って、多くのウイグル人たちが病気から回復することを
願った。しかし、彼女は資金の壁は厚く、彼女の夢が実現するのはいつになるだろう
かと言うばかりだった。
葡萄棚の下で食事(小画像)
酢醤油とニンニクで水餃子(?)を食べる(小画像)
西瓜やハミウリが出てきて(小画像)
アリム氏はここがウイグル料理の食べ納めとばかり、色々注文して食べていた。
(一行のOWさんは病院勤めの経験があるため、台所を覗いてしまってから、食べる
意欲をなくしたらしい。後でみんなに、ここの台所の話を聞かせた。
私も昔ドイツの鉄道駅のレストランの台所を手伝った経験から、台所は世界中
そうきれいでないことは知っていた。病気にならなければよいのである)
今回の旅行では誰も下痢になやまされなく病気にもならなかったから、
許容範囲内であったのだろう。シルクロードに衛生的施設を求めるのは難しい。
日本時間15:00にバスは出発し、交河故城(ヤールホト)に向かう。
日本時間15:45に交河故城に到着。ここは2つの川が交わる所で、城址遺跡で
ある。ここは漢代の車師前王廷があったところで、漢人の高昌国時代も、
重要な拠点であった。漢族、ウイグル族、その他の民族が入り乱れ移り住んで、
紀元前1世紀から14世紀まで存在し、その後廃墟となった。
暑い中、時間もないので、高台に登り、あたりを見渡して戻ってきた。
交河故城(小画像)
交河故城(小画像)
交河故城(小画像)
交河故城の地図(小画像)
三蔵法師も高昌国に招待されたとき、当然ここに立ち寄ったはずである。
私はどこにでも生えている駱駝草(積[草冠]々草)を、ここで1本採ってきた。
とげが茎の周りに3つの方向に生えていて、ラクダしか食べられないという。
私も手にさわると、とげで刺されてしまう。注意しながら1本採ってきた。
赤や紫の花が咲いていた。この駱駝草の押し葉。
もう一つの駱駝草
駱駝草の灰でカンスイを作る話
ベゼクリク千仏洞、アスターナ古墳群、交河故城の現地見学では、ほとんど見るべき
美術品はなかった。考えてみると私は1991年4月に上野の国立博物館で
「ドイツ・トルファン探検隊 西域美術展」を見たのだった。その資料をいま見なおして
みると、すばらしい壁画や塑像が展示されていたのだった。これらはドイツ連邦
共和国ベルリン国立インド美術館所蔵のものである。
なお、上野の国立博物館には、大谷探検隊の持ち帰った「衆人奏楽図」(ベゼクリク
石窟第33窟)が展示されている。
こういうわけでせっかくシルクロードの現地に行っても、暑い中で美しい壁画を
見ることはできず、ヨーロッパの博物館でそれらに会えるわけだが、現地の
状況を見るのも意義のあることである。できたら、現地の荒れ果てた状態と
博物館に整然と展示されたものの両方を見ることを勧めたい。
前に書いたが、新疆ウイグル自治区博物館に、ベゼクリク千仏洞やアスターナ古墳群
から発掘された壁画や塑像が展示されてある。したがって、トルファンの遺跡と
ウルムチの新疆ウイグル自治区博物館は両方見ないと意味がない。
最後の見学はカレーズ(坎尓井、坎児井)であった。天山山脈の水を地下のトンネルでオアシスに引く。
これは山麓で地下水の出る竪穴式井戸を20〜30mごとに掘っていき、
その井戸をやや傾斜した地下道(導水路)で掘りつないで、地下水を所定の貯水池
まで引いてくるものである。地下の導水路なので、水が蒸発しないで運ばれてくる。
縦穴は換気と泥水処理のために役に立つ。地下水路の建設と維持管理に役立つということか。
カレーズの断面図
この技術はイランが発祥の地とされて、イランではカナートと呼ばれている。
(アフガニスタンではカレーズと呼ばれている)
テレビの力はすごく、みんなNHKのシルクロードの番組を見ていたので、
現地を見たら、ああこの場所はテレビで見たなど感激もひとしおであった。
我々のガイドの鮮さんは実はNHKの取材に協力したいという。
日本時間16:30にカレーズを出発。ウルムチのホテルに帰る。
カレーズ地図(小画像)
一部水面が見えたカレーズ(小画像)
カレーズ(小画像)
カレーズ(小画像)
葡萄を干す小屋の中(小画像)ここで干し葡萄を売っていた。
トルファンの観光地図
A:交河故城(ヤールホト) B:沙浴治療 C:カレーズ(坎尓井、坎児井)
D:トルファンの町 E:葡萄溝 F:火焔山(山脈)
G:ベゼクリク(伯孜克里克)千仏洞 H:アスターナ(阿斯塔那)古墳群 I:高昌故城
地図をクリックすると大きくなります。
ウルムチ−トルファンの高速道路のおかげで、時間の節約となり、昔の観光客より
たくさん見学できてありがたい。しかも、中国の高速道路を現地で見られたのも
貴重な体験だった。
天山山脈を通り抜けるというが、川に沿って走る道路なので、工事は日本ほど
難しくないと思われる。途中トンネルは全然無かった。狭い谷の部分もそうない。
最高速度は100kmのところもあるが、場所によっては80kmあるいは60km
のところもある。
道路標識は日本と同じ緑色だが、右側通行。中央分離帯はおそまつ。
慣れないのか、オートバイが逆走行したり、人が高速道路を横断していた。
保持車距 (拡大写真)
川沿いに走る高速道路(小画像)
中国的なアーチ橋が見える(小画像)
日本時間19:15 ホテルであわただしく着替えをしてから、出発。
今夜は19:30−20:00に、新疆の教育委員会(小画像)の高官に、現地の貧しい子ら
への奨学金、ウイグル留学生への奨学金、そしてウイグル留学生の日本における
学術論文集を渡した。
みんなで坐って(小画像)
学術論文集を手渡す(小画像)
学術論文集を手渡す(小画像)
通訳と握手(小画像)
これに対して、感謝の言葉があった。また、多くの留学生が日本に行ったが、
新疆ウィグルに戻ってきた者は少ない。しかし、現状ではやむをえないし、
長い目で見れば、中国の発展に貢献するだろうと言った。
私には、そのときの言葉「樹がいくら伸びても葉は必ず落ちる」が印象的だった。
記念写真(大画像データ)(小画像)
その後、一行は留学生との交流パーティ会場(小画像)にバスで向かった。
さきほどの政府高官をはじめ、日本に留学した留学生たちが沢山集まって、楽しい
会となった。日本時間22:50にパーティはおひらき。
交流パーティ(生の蝦が出たのには驚いた)(小画像)
余韻の残るO氏と私は、ガイドの鮮さんをホテルのバーに誘った。世話になったから、
日本人がお礼をしたいと言って(鮮さんお疲れさま)。楽しい日本の話や岩手の話をした。
お酒の飲めない鮮さん、おつき合いしてくれてありがとう。
鮮さんの旅行社のホームページ(読めなかったらフォントを変えてください)
後で、鮮氏から、花巻の研修時代にホームスティをして世話になった家に届けて
ほしいとお土産を預かって来た。
その後日本に来た鮮さんを囲むシルクロード倶楽部メンバー
新疆仮日大酒店(ホリデーインウルムチ)
烏魯木斉市新華北路168
TEL −86−991−281−8788
FAX −86−991−281−7422