キルギスタン〜新疆ウイグル自治区、文化交流及び親善訪問の旅

7/21 ウルムチ滞在

    ホテルの窓から小画像

ウルムチでは私はすることがあった。今年の10月から本学工学部機械工学科に
留学するウルムチの新疆農業大学の助教授に会うことである。
日本にいるとき住所も調べていて、指導教官のF先生からも連絡してもらっていた。
あとは本人とウルムチで会うだけである。しかし、旅行の予定が決まらないから、
いつ会ったらいいかわからなかった。だから日本にいるときは会う日時を決められ
なかった。私は旅行社の鮮さんに頼んで、連絡してもらうことにした。
鮮さんは携帯電話を取り出して、新疆農業大学の先生に電話で連絡してくれて、
本日の(日本時間)午後5時から6時半に私とホテルのロビーで会うことにした。

朝は珍しく雨だった。ホテルに女の子を連れたウイグル人のおばあさんが現れた。
この女の子はウイグル人の両親とともに千葉県三郷市に住んでいるという。
日本に住んでいる子どもは日本語が上手になる。しかし、ウイグル語も中国語も
忘れてきた。それで、ウルムチに夏休みに戻ってきたという。

日本時間10:30に朝食をとり、結局11:45にホテルを出発した。
最初に見学したのは、新疆ウイグル自治区博物館であった。歴史文物陳列室を見てから、
雨の中を他の建物に移動した。そこには新疆に住む各民族の衣装や住居を展示した
民族民俗陳列室や、新疆で発掘されたミイラを展示している古屍陳列室があった。
    新疆ウイグル自治区博物館小画像

 新疆ウイグルの13民族
 ・ウイグル(維吾爾)族
 ・漢族
 ・カザフ(哈薩克)族
 ・ホイ(回)族
 ・モンゴル(蒙古)族
 ・キルギス(柯爾克孜)族
 ・シボ(錫伯)族
 清朝が新疆警備のため東北地方から移住させた。純正満州語を話す。 *コルコズ族
 ・タジク(塔吉克)族
 ・ウズベク(烏孜別克)族
 ・満州族
 ・タタール(塔塔爾)族
 ・ダウール(達斡爾)族
 ・オロス(俄羅斯)族
 ロシア人のこと

   言語的分類
      インド・ヨーロッパ語系
        ・スラブ語派 オロス(俄羅斯)族
        ・イラン語派 タジク(塔吉克)族
      アルタイ語系
        ・トルコ語派 ウイグル(維吾爾)族 カザフ(哈薩克)族 キルギス(柯爾克孜)族
              ウズベク(烏孜別克)族 タタール(塔塔爾)族
        ・モンゴル語派 モンゴル(蒙古)族 ダウール(達斡爾)族
        ・ツングース語派 満州族 シボ(錫伯)族
      シナ語系
        ・中国語派 漢族 ホイ(回)族

東京で見た楼蘭の美女のミイラにも再会したが、他にもたくさんのミイラがあった。
楼蘭の美女のミイラは、今から4000年前の人間でO型のヨーロッパ人種であるが、
中には、今から3000年前のヨーロッパ人とモンゴル人の混血のミイラもあった。

ここには地元だけあって、ベゼクリク千仏洞やアスターナ古墳群など新疆ウイグル
地区の貴重な遺跡から発掘された壁画や塑像などが展示されてある。
大部分はヨーロッパの探検隊によって国外に持ち出されたとはいえ、ウルムチの新疆
ウイグル自治区博物館には貴重な展示物が多いので、必見の場所である。

次にウルムチの民芸品店に入り、カシミアのセータや絨毯や玉製品をみんな沢山買った。
これだけ買うと、案内した鮮さんも満足したろう。
品質は良いので、買い物としても妥当だったろう。私は日本まで持ち帰ることを
考えると、なかなか手が出なかった。

日本時間14:00−15:10 徠遠賓館で昼食。ここは中華料理。
ウイグルのガイドの鮮さんは回族、我々のガイドのアリム氏はウイグル族。
したがって、どちらも豚肉料理の漢族中華料理は食べられないので、別室の
清真レストランで食べた。
クズ(澱粉)で作った麺と赤ピーマンの料理(涼粉)は、どこか冷麺を思い出させるものであった。
 涼粉のレシピ
レモン味のつけられたハミウリ、魚、スープ、胡瓜と葱と瓜の煮た物、小竜包、
カリフラワー、ピーマンと沖縄のゴーヤと肉絲 などなど。

ホテルに戻って一休み。ネクタイ姿に着替えて、日本時間17:00にロビーに行く。
ここで、農業大学の先生と会う約束をしている(今朝、鮮さんに電話してもらった)。
みんなもそれぞれお客さんを迎えて、それではと喫茶店(朝食レストラン)に行く。
お茶など飲みながら交流会。

そのうち、約束した農業大学の先生の姿が玄関に現れた。
私は写真で見ていたから、すぐわかった。
ロビーでしばらく会談した。彼は本名はスラハットといい、書類に書いたイスラハイト
は中国式当て字であるという。日本留学を計画して、日本の大学の名簿を見て、
岩手大学長に手紙を書いたら、返事が届いた。しかし、最終的に決定通知は、
北京経由でウイグル自治区政府からくるので、通知はまだ無く不安であったという。

私が岩手大学工学部の教授会の資料を見せて、留学が決定したことを知らせると
本当に安心したと言って、その資料をほしいと言うから彼に渡してきた。
彼は1人で来日するから、指導教官のF先生に国際交流会館の部屋を予約するように
伝えないといけないと思った。
    みんなと写真小画像)     みんなと写真小画像)     みんなと写真小画像
    記念写真(大画像データ)(小画像
    こちらも同じ記念写真(大画像データ)(小画像
                 帰国してから私の部屋で小画像) こちらも私の部屋で小画像
                    留学生パーティで学長と小画像

今夜の予定は、ウイグル舞踏を見て、それから自治区の議事堂(新疆人民会堂)で
歓迎会に出席。
日本時間19:25から始まったウイグル舞踏会は、シルクロード倶楽部が
日本政府の文化交流資金を使って、ウイグル舞踏団を日本に招待公演するので、
その披露だった。トップレベルのすばらしい演奏と舞踏だった。

チヌスー(茶碗踊り)という、女性の頭の上に茶碗を載せて、しかも、その茶碗の中
液体を注いで、踊るものであった。よほど頭の上が安定していないとこぼれてしまう。
         茶碗に注ぐ小画像)     舞踏小画像)     舞踏小画像)     小画像
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      記念写真(大画像データ)(小画像

日本時間20:30 いったんホテルに戻り、1時間後に集合し、再びバスに乗り、
新疆人民会堂に向かう。警備の兵士が守る入り口から入り、立派な建物の広間に
通された。帰国したウィグル人留学生の中には、大学教授となったり、政府高官に
出世した者もいて、この晴れの舞台での交流会が実現したのだ。

団長のS氏は、ウイグル音楽の伝統オンシキムカムを、全部日本語に訳すという
計画を発表した。また、留学生の力を借りてウイグル語辞典を作っていることを
話した。また、今回のウイグル訪問で、これまでのウィグル留学生の研究論文を
まとめた論文集を作ったことを報告した(ウイグル留学生が日本留学を始めてから
14年目)。

日本時間0:30 宴会はなおも続く。新疆のアイスクリームMAIQUERが出て、
私も中国で初めてアイスクリームを食べた。お腹は大丈夫だった。
    宴会小画像)     宴会小画像)(壁の刺繍の立派なこと)     料理小画像)    料理小画像
今になってみると、この宴会の料理は日本の会席料理のごとく適量だった。
旅行疲れの我々のために少量にしてくれたか、この最高の会場の特質
(年輩の政府高官を接待する場所)なのかわからないが。
       記念写真小画像
日本時間0:40ようやく帰りのバスに乗り、ホテルへ向かう。
バスから降りても、別れを惜しむウィグルの女性たち。めったにない機会だから。

  新疆仮日大酒店(ホリデーインウルムチ)
  烏魯木斉市新華北路168
  TEL −86−991−281−8788
  FAX −86−991−281−7422

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