埼玉県岩槻市にある玄奘塔
「長澤和俊訳:玄奘三蔵 大唐大慈恩寺三蔵法師伝、光風社出版」
日中戦争の時、南京で偶然、玄奘の遺骨が発見され、
日本軍はこの遺骨を大事にとりあつかって中国に返したので、
特別に一部を日本が譲り受けたとのこと。
回りまわって、その遺骨は岩槻市の慈恩寺の元に保管されることになった。
慈恩寺は天長元(824)年、慈覚大師(円仁)により開かれた。
この寺の名前は、円仁が入唐遊学した長安の大慈恩寺にちなんで付けられたという。
交通手段は、大宮より東武野田線で岩槻に行き、そこからタクシーで慈恩寺に
行くことができる。
あるいは東武線の豊春駅で下車して、徒歩25分でたどり着ける。
なお、玄奘の遺骨塔は、慈恩寺の境内にはなく、近くの丘の上にある。
この丘の上の玄奘遺骨塔を見て、豊春までの田舎道を歩いたものだった。
簡単な東武野田線の路線図
岩槻の慈恩寺と玄奘塔までの地図
埼玉県の慈恩寺から、さらにその遺骨の一部が奈良の薬師寺の玄奘廟(玄奘三蔵院)に
ゆずり渡されたという。薬師寺のこのお廟にも行ったことがある。