玄奘三蔵院
「長澤和俊訳:玄奘三蔵 大唐大慈恩寺三蔵法師伝、光風社出版」
日中戦争の時、南京で偶然、玄奘の遺骨が発見され、
日本軍はこの遺骨を大事にとりあつかって中国に返したので、
特別に一部を日本が譲り受けたとのこと。
回りまわって、その遺骨は岩槻市の慈恩寺の元に保管されることになった。
慈恩寺は天長元(824)年、慈覚大師(円仁)により開かれた。
この寺の名前は、円仁が入唐遊学した長安の大慈恩寺にちなんで付けられたという。
岩槻市の慈恩寺の遺骨は、やがてその一部を奈良の薬師寺に移された。
あの平山郁夫の壁画が描かれた玄奘三蔵院が今年(平成12年)は完成して
一般公開されると言う。 平山郁夫の力作「大唐西域壁画」は平成13年12月末
まで特別公開される。
もともと、薬師寺は法相宗の大本山で唐の慈恩大師が開祖であり、慈恩大師は
玄奘三蔵の弟子であるから、薬師寺は三蔵法師に縁の深い寺なのである。
こちらは薬師寺全体の地図。