中国歴史のテスト

あなたは中国の歴史について、どのくらい正確に知っていますか。
以下に、平成11年1月の大学入試センター試験の世界史Bの中から、
中国に関係のあるものを紹介します。
さて、どのくらいわかるでしょうか。

○清朝前半期の歴史について述べた文として誤っているものを
 次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)清朝は,北京入城以前から,既に内モンゴルのチャハル部や李氏朝鮮を服
 属させていた。
(2)順治帝の清朝軍が北京に入城した時,明朝の将軍であった呉三桂などの漢
 人も協力した。
(3)清朝を建てた満州族は,かつて金朝を建てた女真族と同じ系統の民族であ
 る。
(4)清朝は,康煕帝の時,満州族の伝統文化が失われるのを防ぐ目的で満州文
 字を定めた。

○下線部に関連して述べた文として正しいものを,次の(1)〜(4)のうちから1
 つ選べ。
(1)清朝の滅亡によって,四川や武昌で暴動や蜂起が頻発し、辛亥革命が起
 こった。
(2)清朝最後の皇帝である光緒帝は,後に,日本軍の手によって再び皇帝と
 なった。
(3)中華民国が建国された時,孫文は臨時大総統となり,南京に首都を置い
 た。
(4)袁世凱は,国民党の反対で,最後まで正式な大総統にはなれなかった。

○図は中国で発刊された雑誌である。この雑誌について述べた文として正しい
 ものを,次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。<この雑誌は新青年のこと>
(1)魯迅が,「狂人日記」を発表した。
(2)陳独秀が,日露戦争中に創刊した。
(3)儒教を軸とする民族主義の高揚が図られた。
(4)梁啓超が,白話(口語)文学を提唱した。
      では解説

好評(?)にこたえて、平成12年1月の大学入試センター試験の世界史Bの中から、
また中国に関係のあるものを紹介します。

○仏教の中国伝播(でんぱ)について述べた文として正しいものを
 次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)玄奘はインドで学んだ後、帰国して上座部の開祖となった。
(2)法顕は西域経由でインドに入り、帰路は海路を利用した。
(3)鳩摩羅什は隋王朝に招かれて、訳経事業に従事した。
(4)義浄はインドや西域での見聞を、「大唐西域記」にまとめた。

○中国王朝の宗教政策について述べた文として正しいものを
 次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)前漢末期、王莽が実権を握るに及んで儒教は排斥された。
(2)北魏の太武帝は、道教を禁止する政策を断行した。
(3)元朝は、イスラム教を国教として保護し、多くのイスラム教徒を登用した。
(4)清朝は、イギリス・フランスとの北京条約(1860年)でキリスト教布教の自由を認めた。

○白蓮教について述べた文として誤っているものを
 次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)紅巾軍は、白蓮教系の組織である。
(2)上帝会は、白蓮教から派生した宗教結社である。
(3)白蓮教は、弥勒(みろく)仏が現世を救済するために現れると主張した。
(4)18世紀末に勃発(ぼっぱつ)した白蓮教徒の反乱は、清朝の財政を圧迫した。


○始皇帝の行った政策について述べた文として正しいものを
 次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)江南と華北を結ぶ大運河を建設した。
(2)地方行政制度として、全国に郡国制を施行した。
(3)統一貨幣として、半両銭を鋳造した。
(4)商鞅を政策顧問として登用した。

○漢代の西域経営について述べた文として正しいものを
 次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)武帝による張角の派遣を機に、西域の事情が漢に伝わった。
(2)後漢では、班超が西域都護となり、西域経営を推進した。
(3)後漢は、西域経営策の一環として、張騫を大秦国に派遣した。
(4)漢の西域経営の進展により、柔然は衰え、分裂するに至った。

○10世紀以降、政治的高揚を見せるようになった中国周辺諸民族の間には、
独自の文字を作る動きが盛んになった。この状況について述べた文として
正しいものを、次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)高麗では、現在も使われている民族独自の表音文字が制定された。
(2)タングート族は、11世紀ごろ漢字を模して、パスパ文字を作った。
(3)陳朝時代のヴェトナムでは、字南(チュノム)が使用された。
(4)西夏では、契丹文字と漢字をもとにして、女真文字が作られた。
 
      こちら解説

またまた好評(?)にこたえて、平成13年1月の大学入試センター試験の世界史Bの中から、
また中国に関係のあるものを紹介します。

○台湾を初めて領有した中国王朝の名として最も適当なものを、次の(1)〜(4)のうち
から1つ選べ。
(1)漢 (2)唐 (3)元 (4)清

○日本の台湾領有という結果をもたらした戦争の名として正しいものを、次の(1)〜(4)の
うちから1つ選べ。
(1)日清戦争 (2)日露戦争 (3)第一次世界大戦 (4)日中戦争

○日本の敗戦に関連する文章として正しいものを、次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)カイロ会談に中国の代表も参加し、台湾の返還が決定された。
(2)カイロ会談には、ソ連からスターリンが参加した。
(3)ポツダム宣言では、日本とドイツに対し、降伏が求められた。
(4)蒋介石は台湾に渡り、抗日戦を指揮した。

○現在の台北市の地図には、民族東路、民権東路、(a)東路という道がある。これらの
道の名は、いずれも中国国民党の基礎をなす政治思想から採ったものである。
(a)に入れる道の名として正しいものを、次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)民国 (2)民主 (3)民衆 (4)民生

○次の文章は、1004年にキタイ国(遼)と宋の間で結ばれた条約の一部である。
 宋は軍費として契丹(キタイ)に毎年(ア)二十万匹、(イ)十万両を送る。
契丹の皇帝は宋の皇帝に兄事し、互いに南北朝と称する。両国の国境はすべて元の
とおりとし、両者はそれぞれ境界を守り、双方の人間が互いに侵すことを許さない。
空欄(ア)と(イ)に入れる語の組合せとして正しいものを、次の(1)〜(6)のうちから1つ
選べ。
(1)馬−金 (2)馬−銀 (3)馬−鉄 (4)絹−金 (5)絹−銀 (6)絹−鉄
この条約に関連して述べた文として正しいものを、次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)宋はこの条約締結の後、西夏との間にも和約を結んだ。
(2)この条約を締結した時の遼の皇帝は、耶律阿保機であった。
(3)この条約の結果、遼は国力を増し、中央アジアに勢力を広げてカラ=キタイ(西遼)を建てた。
(4)宋側でこの条約を締結するように主張したのは、旧法党に属する官僚であった。

○次の文章は、中国とロシアの間で結ばれたある条約の一部である。
 中国の大臣ソンゴトゥ一行とロシアの大使ゴロヴィーン一行は(A)の地に会同し、
次のように定めた。
 第1条 サハリヤン=ウラ*に北から流入するゴルビッツァ川から、この川の源の、
  石のある大きな山脈の屋根に沿って海に至るまで、その南側のサハリヤン=ウラに
  流入する大小の川はすべて中国に属し、北側の川はすべてロシアの所属とする。
   *満州語で「黒い川」を意味し、黒龍江を指す。
この条約の名称にもなっている、空欄の(A)に入れる地名として正しいものを、
次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)アイグン (2)キャフタ (3)ネルチンスク (4)北京
この条約を締結した時期の中国について述べた文章として最も適当なものを、次の
(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)三藩の乱と呼ばれる反乱が平定された。
(2)「四書大全」の編纂が行われた。
(3)万里の長城を修築して、エセン=ハンの侵入に備えた。
(4)日本との間に勘合貿易が行われた。

 
      こちら解説