ウズベキスタン旅行のあとがき

右の地図で、Uがウズベキスタン、Aがアフガニスタンです。
  (Tuはトルクメニスタン、Tはタジキスタン)

  
テルメズはアフガニスタンとの国境の町なので
めったに行かれる場所ではなかったから
今回の旅行の最大の成果といってもいい。

ウズベキスタンの民族帽子を買ってきたが
これはすでにウイグル人留学生からお土産にもらったものと
ほとんど同じものだった。

そのことは、タシケントの劇場(芸術センター)でのコンサートの時に
団長の加藤先生がウズベキスタンの民族帽子を贈られたのを見て
はっと気がついたのだった。
  

ウイグル人留学生のもってきたウズベキスタン帽子

        左の帽子がウズベキスタン帽子

  

ウズベキスタンの土産店で見かけた帽子。      

  

     

上の帽子はウイグル人留学生が買って持ってきてくれたもので(カザフ人の帽子が一番上)、下の二つは今回買ったウズベキスタン帽子。

  

その後、ウルムチで以前に撮った写真を見ていると、ウイグル人がこの帽子をかぶっていることに気がついた。
      

     帽子の模様について

  

ウズベキスタンの料理はウイグル人たちの料理と似ているが、違うものもけっこうあった。
ウイグル人のラグメン(ラグマン)はスープなしだが、ウズベキスタンのラグマンはスープ入りだった。
ウズベキスタンのプロフ(ポロフ)はウイグル人のポロとよく似ていて、羊肉を上に載せている。

ウイグル人の調味料である香酢とラー油は漢民族の影響を受けたのかもしれない。
ウズベキスタン料理の味付けはロシア料理の影響がありそうである。
本来はウズベキスタン料理もウイグル料理もトルコ料理なので似ているはずだが
それぞれロシア人や漢民族の食文化の影響を受けて、違いが出てきているようだ。

ウイグル人留学生のつくってくれたラグメン

ウイグル人留学生のつくるラグメンは、上に載せる具が出身地やその家庭の味を反映するから、みな違う。

こちらはラグメンをつくっている写真
                      

ウズベキスタンのラグマン(ラグメン)はスープがあった。

ヨーロッパのゴシック教会とイスラム建築
建築史ではよく知られたことだが
ゴシックの尖塔アーチはイスラム建築を手本に考案されたものである。

   

ウズベキスタンのモスクやマドラサ(神学校)はペルシアの建築の影響をうけたようであるが
代々木上原のトルコのモスク(東京ジャーミィ)を見ると、ウズベキスタンのモスクとはかなり違う印象であった。
下記の4枚の写真は東京ジャーミィで写してきたものである。

しかし、テルメズの博物館のドームの写真を見直すと、なんとなくトルコのモスクに似ていた。

この機会に多くのモスクやマドラサ(神学校)を見学できて
その興味ある構造の勉強になった。

  

トイレ表示のマーク

女  женщина  ジェーンシシィナ /   男  мужчина  ムシシィーナ

これについては下記の文献を、この旅行前に読んだことを思い出した。  

 加藤九祚 :中央アジア遺跡の旅 、NHKブックス 334 (1979年)
  ロシア語のキリル文字は、ブルガリアのソルン生まれの、正教会の僧侶キリルとメトディの兄弟によって
  ギリシア文字を基にして考案された。
   (ブルガリア人は、キリル兄弟がブルガリア出身ということを誇りに思っている)

  ソフィアの民族博物館長プンテフは著者に言った。
  「ご承知のようにキリル文字はキリルとメトディの兄弟によって作られました。
  ところでキリル文字にはギリシア文字にない四つの文字
  つまり Ж Ч Ш Щが含まれています。
  彼らはこれをどこからとったと思いますか」

  著者はかねてから考えていたことを冗談のように言った。
  「Жは漢字の水、Шは漢字の山によく似ていますね」

  プンテフ館長は笑いながら言う。
  「私にはそこまで飛躍することはできませんが、彼らはこの四文字を
  チュルク族のタムガ(所有者を示すために家畜に押す焼き印)からとったのではないか
  と思います。
  ブルガリアにはじめて国家ができたのは、土着のトラキア人、スラブ人と、
  カフカス北部のステップからブルガリアに入ったチュルク系遊牧民との協力によるもので、
  ブリスカを首都にさだめた681年とされています。
  この遊牧民は史上プロト(古)・ブルガールと呼ばれ、ヴォルガ川流域に入って
  国家をつくったヴォルガ・ブルガールと同系統とされています。
  私は現代ブルガリアに伝わる文様と、ヴォルガ・ブルガールの後裔とされる
  チュワシの文様を比較し、多くの類似を発見しました」

  この話を聞いた著者はあとで、いくつかの文献を調べる。
  1962年にチュワシで発表されたカホフスキーの論文「チュワシに古代文字があったか」
  によると、チュワシのタムガには、突厥文字と漢字からとったと思われるものが
  多数あるという。たとえば漢字で言えば、六、文、出、火、中、甘、弓、大、
  女、今、夕、手、月、天、人、土、卜、上、下などである。

  とすると、ブルガリアに入ったプロト・ブルガールのタムガに「山」「水」に
  似た記号があっても不思議ではない。

  

 ナボイ劇場建設の伝説
1966年タシケント地震で、回りの建物はすべて崩壊したが、ウズベキスタンに強制移送された日本人が建てたナボイ劇場だけはびくともせずに残った。
ブロンズ製プレートが劇場の壁に埋め込まれている。
「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォーイ名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」

サマルカンド国立外国語大学教授胡口靖夫は、ナボイ劇場の内外装の石膏彫刻や寄せ木細工の床張り工事、高所の照明器具取り付け工事、電気配線工事などは
日本人とウズベク人などとの連帯感が醸成された国際的なチームワークによるもので
あのタシケント大地震のときに、彫刻が一つも崩落しなかったし、照明器具が落下しなかったことは快挙であると述べている。

胡口靖夫は、ナボイ劇場の基礎工事は終わっていて、内外装工事や照明器具取り付け工事や、伝記配線工事が日本人主体の工事チームの仕事だったのではないかと推察している。

(胡口靖夫の引用している都丸泰助少尉は、ナボイ劇場の基礎工事は既に終わっていて、日本人たちに与えられた仕事は、劇場本体とそれに付属する諸設備の建設作業だったと述べている)

(胡口靖夫は、ナボイ劇場の本体工事は日本人たちはしていないと考えているようだが、基礎工事は終わっていても、日本人たちは残りの建設工事と付属の諸設備設置工事をしたのではないだろうか)

  

鑑真一行の中にいた安如宝(あんにょほう)は、ソグド系あるいはトカラ系の唐人ではないかという説を胡口靖夫が述べている。
ソグド人とすると、出身地の都市国家ごとに特有の姓つけるので、ブハラ出身となる。
最もよく見られるのは、康国(サマルカンド)、安国(ブハラ)、石国(タシケント)、史国(キッシュ)などがある。

 

 

加藤九祚先生を偲ぶ会  2016.11.3

 

  やや冗漫な補足メモ

 

参考文献
 加藤九祚:シルクロードの大旅行家たち 岩波ジュニア新書 317
 マッソン著・加藤九祚訳:埋もれたシルクロード 岩波新書769
 加藤九祚:中央アジア歴史群像 岩波新書419
 加藤九祚:シルクロードの古代都市 岩波新書1444
 加藤九祚:中央アジア遺跡の旅 、NHKブックス 334
 加藤九祚:西域・シベリア 中公文庫
 加藤九祚:ユーラシア野帳 恒文社
 加藤九祚:ユーラシア文明の旅 新潮選書 (1974)
 加藤九祚:天の蛇  河出書房新社
 加藤九祚:初めて世界一周した日本人 新潮選書
 高橋徹著・後藤正写真:三蔵法師のシルクロード 朝日新聞社 (1999.6)
 加藤九祚・長沢和俊・護雅夫:シルクロード 筑摩書房
 井上靖・加藤九祚・NHK取材班:シルクロード ローマへの道 第十巻 アジア最深部 ソビエト(2) 日本放送出版協会
 小松久男編:中央ユーラシア史 山川出版社
 真野英二:中央アジアの歴史 講談社現代新書458
 杉山正明:逆説のユーラシア史 日本経済新聞社
 M本真実:共生のイスラーム 山川出版社
 深見奈緒子:世界のイスラーム建築 講談社現代新書1779
 深見奈緒子:イスラーム建築の見かた 東京堂出版
 旅行人編集部:シルクロード改訂版 旅行人
 升本順子:女たちのシルクロード 蒼洋社
 大高美貴:シルクロードがむしゃら紀行 新潮社
 チンギス・アイトマートフ著、飯田規和・亀山郁夫共訳:チンギス・ハンの白い雲 潮出版社
 児島満子編・訳:子どもに語るトルコの昔話 こぐま社
 護雅夫訳:ナスレッディン・ホジャ物語、東洋文庫38 平凡社
 井上靖:西域物語、新潮文庫
 井上靖:シルクロード紀行(上) 岩波書店
 井上靖:シルクロード紀行(下) 岩波書店
 胡口靖夫:シルクロードの青の都に暮らす 同時代社
 前田耕作:玄奘三蔵、シルクロードを行く  岩波新書1243