橋の文化史 内容


内容の特徴 見どころ

1.まえがき  技術をほかの領域と広く関連づけながら学ぶ   技術の歴史と一般の歴史とが深く結びつき合いながら発展してきた。   つまり技術というものは、その時代背景となる政治、経済、軍事など   から切り離しては考えられないものである。 2.向こう岸へ渡ること  古代の石の桁橋 古代の石橋はただの1枚石板を並べるだけ。これでは長い大きな橋は   架けられない。台風や落雷で偶然大木が倒れて川を横断した時、   人類は橋を架けることを思いついたであろう。  梁の応力分布の研究の歴史   今日の梁の応力分布も理論が完成するまでには多くの天才の研究の   歴史があった。天才でも不完全な理論しか考えられなく、後の技術者が   より正しい理論に修正していった。 3.石を積み上げたものから疑似アーチまで  前ローマ時代の片持式石橋   ちょっと見るとアーチであるが、圧縮力によってアーチを構成して   いるのではなく、ただ石を積み上げている疑似アーチ。シュリーマンの   発掘したミケーネ遺跡のドーム状の墓(アトレウスの宝庫)。 4.疑似アーチから真のアーチへ  ローマ人の橋建設  ローマ人はエトルリア人から学ぶ   アーチはローマ人の発明ではなく、先住民族のエトルリア人から   ローマ人が学んだ。ギリシャ人はアーチを知っていたはずであるが   用いなかった。ローマ人はアーチを使って道路橋も水道橋も造った。   最初のアーチ発生の3種類のパターン(疑似アーチが崩れて真の   アーチに移行、斜めになって互いに支えあう二枚の板からアーチに、   石桁が放射状に分割されフラットアーチが生まれる)    ローマの水道橋の模型  道路による帝国    軍事的・戦略的理由 情報の収集と命令の伝達   駅伝制度 すべての道はローマに通ず。  今日になってはじめて明らかになったこと   アーチは両端に推力が作用するから、両端で水平方向にも押さえ   ないといけない。ヨーロッパの石造教会建築は半円アーチの   ロマネスク様式から尖頭アーチのゴシック様式へと移行して   いったが、半円アーチよりも尖頭アーチの方が力の作用線に   アーチの形態が近いから合理的である。 橋によって水を運ぶ   水が高いところから低いところへ流れるように正確な水準測量を   する技術がローマ時代にあった。重い石を持ち上げるクレーンの構造   も説明されている。  ローマ人の貢献    橋の基礎工事 ナラ(オウシュウエナシナラ)   橋脚の基礎に堅いナラの木杭が打ち込まれていた。その木杭の先端   には鉄のキャップが付けられていた。  ローマ人のセメント   ローマ人は火山灰に消石灰を混ぜてコンクリートを作っていた。 5.渡し船から石橋まで  中世のくさび形石橋    ローマ帝国が滅び、アーチもローマのセメントも忘れ去られた。   ところが突然12世紀になってヨーロッパのあちこちで大きな石橋が   建設されるようになった。架橋技術団や教会建設技術団が活躍を   始めたと思われる。  都市の空気は人々を自由にする   自衛権と課税権。 帝国自由都市。   鋤板と車輪付きの重い鋤。二圃式農業から三圃式農業。農業生産物の増大。   都市の成長。  中世の居城都市であり、遠隔地貿易都市であったレーゲンスブルク   交差点(南北ヨーロッパの交差点、東西ヨーロッパの交差点)。   ドイツは今も南北ヨーロッパの交差点であり東西ヨーロッパの交差点。  道路・橋・通行税:エスリンゲンのブリーザオ橋   橋が都市の経済条件を理解する鍵。記念としてのトルソー。  巡礼者と商人のために   橋兄弟団。 橋梁技術者集団の長:ローマ教皇(ポンティフェックス・   マクシムス)。   修道院が技術者指導。 後に聖職者は手をひいた。 職人組合秘密結社。  尖頭アーチと工事監督官庁   ゴシック様式大聖堂。教会堂は一般に東西方向に長い建物で、   西側に正面玄関が作られる。                    6.半円アーチから篭手型アーチへ  ルネッサンスの新しいアーチの形態   人間主義。ギリシャ・ローマの研究。 ウィトルウィウスからアルベルティまで   ウィトルウィウス建築書。アルベルティ建築書。ルネッサンス式を考案。  渦が川底を深く洗掘する場合   アルベルティとレオナルド・ダ・ヴィンチ。橋脚の洗掘現象を正しく   理解したのはレオナルド。  新しいアーチの形態   半円アーチ。欠円アーチ(弓形アーチ)。楕円アーチ。   篭手型アーチ  フィレンツェのヴェッキオ橋   偏平な欠円アーチ  フィレンツェのサンタ・トリニタ橋   ヴェッキオ橋よりさらに偏平な篭手型アーチ    ・バルトロメオ・アンマナーティ アルノ川の洪水で破壊されたサンタ・トリニタ橋の再建     彼の考案した扁平アーチは、それまでの半円アーチの常識をくつがえし、また欠円アーチ(ヴェッキオ橋)をも越えた。    ・ヴェッキオ橋では橋脚の直線とアーチ端部の曲線が交差して不安感を与えるのに対し、サンタ・トリニタ橋ではアーチの端部の曲線が橋脚の直線にスムーズに重なっていく印象だから。  ヴェネツィアのリアルト橋  ダ・ポンテによる欠円アーチ  ニュルンベルクの肉屋橋 今も残るダ・ポンテの橋の模型 ヴェネツィアと通商関係があったのでリアルト橋の技術を移転した。  技術に関する学問が始まったころの経験的な規準   アルベルティの規準:   経験を規準にまとめた。 レオナルドのアーチ推力推定。   レオナルドの巨大スパンアーチのアイデア(金角湾架橋)。 7.ジャン・ロドルフ・ペロネとヌイイ橋  啓蒙期における石橋建設の完成   エコール・デ・ポンゼショッセ(橋と道路の学校)。 ペロネ  ペロネの報告   数学と力学が建設技術に応用された。  建設作業の経過について  建設現場の設備と作業体制   ヌイイ橋(石アーチ橋)の仮設の模型 8.技術者にとっての新しい問題  鉄道のための橋梁建設   フランクフルトの郵便馬車の乗り場。  道路にかわるレール  速度と変動する交通荷重   衝撃力。 橋梁事故。 フランスのナヴィエの本の翻訳  二つの巨大な橋   ゲルチュ谷とエルスター谷。    ゲルチュ谷のアーチ橋  期待   株式が公募されるやいなや売り切れ。  障害   難工事と資金不足。  経験と理論   シューベルト教授の設計。  準備   切石と煉瓦。  建設の経過について   鉄道会社からザクセン政府へ売却。  労働時間と賃金   当時の労働条件。  事故と貧困   労働災害。  政治   政治と学問。抹殺された研究業績(悲劇のシューベルト教授)。 9.そして鋼とコンクリートの時代がきた   石アーチ→オーストリアのランガー橋→イギリス鉄道の   ブリタニア箱桁橋→ゲルバー橋→鉄筋コンクリート橋→   プレストレスト・コンクリート橋    フォース橋の構造モデルの中央の渡辺嘉一 10.ドイツ博物館における橋梁建設の学習について   橋の部分模型の展示。架橋建設現場の模型。原寸大の木製トラス。  自然物を材料とした橋  石橋  木橋  吊橋    ケーブルストランド  鉄橋と鋼橋  コンクリート橋と鉄筋コンクリート橋   コンクリートの歴史  アルミニウムの橋  可動橋   ロンドンのタワーブリッジ  悪魔の橋

   悪魔の橋の絵      悪魔の橋の絵の説明

   ドイツ博物館の展示の写真      ドイツ博物館の展示の写真      ドイツ博物館の展示の写真(アルキメデスの原理) 大画面(アルキメデスの原理)

   阿部謹也先生の文献から