からゆきさん

なんといっても、このテーマは山崎朋子の「サンダカン八番娼館」を読まないと。
というわけで、山崎朋子の本を探しに古本屋を歩いた。

まず入手した同じ著者の「サンダカンの墓」を読んだので、少し関連事項を紹介する。
シンガポールに最大の花街があった。彼女が現地に行ったらまだチャイナタウンに
その場所だけは確認できたという。(大正時代にすでに日本人娼街は無くなった)
昔のステレツ(日本人娼街)の場所はマレー街・ハイラム街・マラバー街と
ものの本に書いてあるが、山崎朋子もMALAY STREET(マレー街)とHYLAM STREET
(ハイラム街)という街路標を確認したとこの本に書いてある。

なおステレツとはstreetのことで当時の日本人娼婦たちがそう発音したのが
花街をさす言葉として一般に使われたということである。

帰国してから読んだ本ですが
鈴木康子:シンガポール 長期滞在者のための最新情報55、三修社
この本には大正時代の日本人街の地図が載っています。
からゆきさんの娼館(ステレツ)のあったNORTH BIDGE Rd.とROCHOR Rd.
とVICTORIA St. に囲まれた地区 (今のBugis Junctionのあるあたり。パルコ店)
MRTのブギス駅そば ということは山崎朋子が1973年ころ現地を歩いたとき
そこはチャイナタウンであったのだろうか。
ブギスといえば女装した男性やゲイが集まる場所として知られているが、
その昔ここに日本人娼街があったことを知っている人は今どのくらいいるだろうか。

やっと「サンダカン八番娼館」が手に入った。
山崎朋子は底辺女性史の研究家と自称する。
底辺で苦労してきて、今も差別の最下層にいる人が、誰だかわからぬ人に
自分のことを話すはずはない。

彼女はどうして、そういう人たちから話を聞けたか。
ある大学の先生から、女性史研究者の資格を聞かれたとき、彼女は
「何でも食べること。軽佻浮薄(けいちょうふはく)であること」と答えたそうである。
話を聞きにいったとき、出されたお茶でも食べ物でも、その人たちと一緒に
同じものを飲んだり食べたりしなければ相手は受けいれてくれない。
少しでも食べることにためらいを見せたら、相手は自分たちに対する差別意識が
あるのではないかと思うだろう。
もうひとつの軽佻浮薄とは、見知らぬ人たちに囲まれて黙っていたらおしまいである。
歌えと誘われたら歌い、踊れと言われたら踊らないと、相手の気持ちからはなれてしまう。

サンダカン八番娼館
無知な私は、この娼館がシンガポールにあったと思ったのです。
しかし、サンダカン八番娼館はボルネオ島(カリマンタン島)の湊町サンダカンにあったのです。
もちろんシンガポールの方が大きかったから、大勢の船や人が出入りしたので
シンガポールの方がからゆきさんたちは多かった。
(だから、あの日本人墓地に墓がたくさんあった)

 くわしい「サンダカン八番娼館」については、こちらに書くことにします。

 山崎朋子の自伝