留学神話の崩壊
○西洋化の果て
真似のできるところは日本はもう全部したから、真似の
できないところだけ見に行くような生活を向こうでしないと
もう意味がなくなる。
留学生が情報を得に行くんだとしたら、もう獲得すべき情報
はない、むしろ過剰になっているといえる。 現代のドイツ
文学についてもドイツにいるよりは、日本で雑誌の紹介でも
見たほうがよくわかるくらいだと思うことがある。
留学する金があるなら、それで何か航空便で雑誌かなんかを
とってた方が手っとり早い。
おそらく西尾幹二が出しているような東洋、日本対西洋というような
問題が今、なぜ複雑化しているかというと、東洋的西洋だけじゃ
なくて、情報過剰の時代になってしまって世界が平均化してしまった
という事態があるからだと思う。 もちろん西洋対東洋の問題も
一方にはあるが。
(人文系の留学と自然科学系の留学の違いもあるでしょう)
私も考えますが、
大部分の知識は、これだけ交通通信の発達した現代は
その国に自分が行かなくても日本で容易に手に入るようになりました。
福沢諭吉が船に乗ってアメリカへ渡った、あるいは夏目漱石が
船でロンドンに渡った(遠藤周作も船でフランスに行きました)
頃に比べて、大学生でも夏休みに海外旅行をする時代です。
昔のように1カ月かからないで1日で着いてしまう。
(上海のホテルで衛星放送を見たら日本の今朝のニュースが
放映されている、ここは日本なのか)
しかし、現地に行ってはじめてわかる事実もたくさんあります。
日本人でさえ、関西人と東北人の気質の違いを、自分の生まれ育った
地域を離れてみると実感するということをよく聞きます。
日米摩擦も、だから和魂洋才の対決がまだ続いていると見なせない
こともないと思います。
よく言われることですが
国際化ということは英語を話せることではなく、相手を理解しようと
する気持をもつことだといいます。
(猪口教授がいうと迫力があります。同じことを私もいっているのですが)
○世界のアメリカ化
西洋化ということが、実にあいまいに使われてきているのではないか。
特に、明治時代は西洋化ですんだと思うんだが アメリカってのは
確かに西洋の子供だろうけど、そのアメリカが非常に広大な力を
及ぼしはじめて、ヨーロッパ自体がアメリカに侵食されている。
だからアメリカ化っていう要素が非常に強くなった。 今、我々が
一番恐れなければならないのはむしろアメリカである。
アメリカは物量作戦でいくから 外面的に侵食されると人間は
やっぱり環境の動物だから、精神も侵食されてきている。
アメリカはヨーロッパの鬼っ子だけど、鬼っ子の方が強くなった。
だから、親をかみ殺そうとする。 しかし、やはり血はつながっている。
親たるヨーロッパは、日本が戦後アメリカによっていいように喰い
散らされてきたような、そういうぶざまな負け方はしない。
たとえばスーパーマーケット、これはアメリカ文明の1つの現象でしょう。
これが日本だとスーパーマーケットは遥か向こうからパッと見える。
あたりに絢爛たる卑俗の光をはなっているから。
だがヨーロッパでは、少なくとも旧市街では、店の前まで行かないと
先ずそうだとはわからない これは象徴的なことじゃないかと思う。
ヨーロッパの街の通りは、街並みのファサードというものを大事に
するでしょう。 街の顔であるそのファサードの独自の形式のなかに
スーパーマーケットもビシッとはまっている感じだ。
日本みたいに非常に簡単にくい荒らされることはないだろう。
留学の位置が変わったと思う。
我々はむしろ抗毒素を仕入れに行くようなもんだと思う。ヨーロッパ
へ行くことは それはアメリカ化への抗毒素を身につけるため。
(柏原兵三)は語る。
アメリカ化っていうのは非常に嘆かわしい現象と思っているわけだが、
その抗毒素っていうのは日本よりドイツはずっとある。
その抗毒素を仕入れに行くという具合に留学ってものの意義が変わって
きていることは確かだと思う。
留学ってものは国際交流の一環になっているってことだ。
☆ ☆ ☆
ドイツ文学者芥川賞作家柏原兵三(かしわばらひょうぞう)は
この「留学の思想」の後に急逝した。
柏原兵三のドイツ報告と作家としての目は、いつかまた紹介したい。
とりあえず今日はこのへんで
> アメリカはヨーロッパの鬼っ子だけど、鬼っ子の方が強くなった。
> だから、親をかみ殺そうとする しかし、やはり血はつながっている。
> 親たるヨーロッパは、日本が戦後アメリカによっていいように喰い
> 散らされてきたような、そういうぶざまな負け方はしない。
> たとえばスーパーマーケット、これはアメリカ文明の1つの現象でしょう。
> これが日本だとスーパーマーケットは遥か向こうからパッと見える。
> あたりに絢爛たる卑俗の光をはなっているから。
> だがヨーロッパでは、少なくとも旧市街では、店の前まで行かないと
> 先ずそうだとはわからない。 これは象徴的なことじゃないかと思う。
> ヨーロッパの街の通りは、街並みのファサードというものを大事に
> するでしょう。 街の顔であるそのファサードの独自の形式のなかに
> スーパーマーケットもビシッとはまっている感じだ。
> 日本みたいに非常に簡単にくい荒らされることはないだろう。
確かにドイツの町では、昔ながらの集合住宅の建物の1階が
近寄ってみるとスーパーマーケットになっていて
この文章を思いだしたものだった。
しかし、世界中にある(盛岡にもある)ハンバーガーの店は
ドイツのある町の中心の広場に店を構えて、そこだけアメリカ
という風景を作っていた。ドイツ人特に年配者から賛成しない
という声を聞いた。
ドイツの落ち着いた町並みを壊してまで、売らんかなということか。
デズニーランドも、もとはと言えば本家ヘの憧れから
夢のイミテーション(代用品?)にすぎない城である。
だから元祖本家のフランス(歴史も伝統もある美しい城の国フランス)
に、アメリカのそれをもっていって何の価値があろうか
とフランス人は顔をしかめているのではないか。