留学生の日本語教育

日本語学習上の困難点と指導のポイント
留学生に日本語を教えている先生の論文の中から紹介します。

外国人留学生の日本語学習に対して、綿密なシラバスデザイン
(教授細目の構成)の下に教授法や教材等の決定が慎重に行われ、
それにそってより効率的な学習指導が進められなければならない。

だが学習者の能力・環境その他の諸条件がからんで、当初の企図に忠実に
指導が順調に進行していくとは限らず、
学習指導の諸段階においてさまざまな問題が生じ、
その都度教授者側の対応の巧拙が問われるのは避けがたいことである。

豊富な経験を有する教師なら臨機応変に柔軟な対応をすることが可能であろうが、
その域に達するには長い日時の修練の蓄積を要するであろう。

日本語教育という分野の性格上、教室での講義や練習を繰り返すだけでは
必ずしも成果をあげるのに十分ではなく、
教師と学習者の授業外の接触(たとえば宿舎や懇親の席などに進んで顔を出す)、
コミュニケーションの継続性が強く望まれる。
(以下、著者の論文を参考に宮本が内容を再編成する)

A.語学はその人の能力におうじて学習していけばよいのであって、
最初から完全に覚える必要はなく、できることだけ身につけるという、
余裕も必要である。

 たとえば日にちの呼称がきわめて複雑である。

一か月の中で「〜にち」という単純な言い方ができない日付が13もあるのだから、
ようやく数字の呼び方(いち、に、さん、し、ご..)を覚えたばかりの学習者が
困惑するのは当然である。

これらは頭から全部暗記させようとするのは無謀であり。不合理でもある。

当初は「いちにち、ににち、さんにち」という具合に発音する者がいてもあえて
矯正せず、漸次指示してゆけばよい。

数詞の問題たとえば個・人・枚などの問題もあるが、
「いち、に、さん、し」という呼び方の他に「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ」
という和式の数称がからんでくると、もはやパニック状態に近くなる。

当面はごく基本的なもののみにとどめて無理強いせず、生活体験の深まりの中での
自然な定着を促すべきである。

一般的な日本語教科書で数詞がまとめて取り上げられているからとて、
それに拘泥する必要はない。

B.初心者に対するサバイバル学習指導の目的は、日本での日常生活に不可欠な
情報や日本語の知識を教えることだが、
それとともに日本社会の特質や、彼らが日常的に接触する日本人の顕著な
性向・習慣・マナーの類を最小限認識させることも重要である。

大方の留学生は来日前には、世界に冠たる経済大国・技術大国である日本は、
留学生も多い国際国家であるから、大都市では英語が一般に通ずると思っている。

彼らの国では別に英語が公用語ではなくても、都市生活においては英語が
結構通用するというケースが多い。

しかし、日本に来てみると、大学の研究室で一部の教官や学生たちと英語会話は
できても、ほとんどの日本人とのコミュニケーションは日本語でしか行えない、
という事実に気がつく。

そして日本語での応答を求めているのにEnglish で「I can not speak English.
私は英語はわかりません(実は外国人との会話はごかんべん、という意思表示)」
という全然まとはずれな逃げ口上に当惑し、(英語を話しているじゃないの?)
はなはだしいときは日本人不信にさえおちいってしまう。

度胸の弱い学生は日本人との接触をできるだけ回避しようとして、
極度のホームシックになることもある。

「日本ではなかなか日本人と親しくなれない」と嘆く者もいるし、数年日本で
くらしながら、日本人の友人ができないという切実な悩みを訴える学生は
稀ではない。

日本は大陸から隔絶され、永年ほぼ単一の民族が共同体を形成してきたので、
自分たちと異なる言語・文化・習慣伝統をもつ異国人との素直な交際をはばむ
要因が、確かに内在しているように思われる。

日本人は全体的にみれば穏健で親切心も旺盛だと留学生の多くも認めているにも
かかわらず、日本人との自然でおおらかな人間関係が容易に築きえない原因は
いったいどこにあるのか。

この文章を書いたのは岩手大学で留学生に日本語を教えている
先生です。
なかなか思い当たることが書かれていますね。

留学生に関西で日本語を教えるむずかしさ