雛人形

         

雛人形を出したままにすると婚期が遅れるといわれます。 このような超無責任セクハラ俗信が、なぜ生まれたのでしょうか。 日本には、ケガレを身体から引き離して清らかになるという 「祓え(はらえ)」の信仰が古来ありました。それが中国の 曲水の宴と習合して、三月上巳(しょうし)の日の祓えとなり、 紙でできた人形(ひとがた)や撫で物に身体のケガレを移して 川や海に流すようになったのです。 祓えに使うその場眼りの人形は次第に装飾性を増して、 やがて観賞用の雛が上巳の節供の主人公になりました。 本来は厄払いして川や海に流してしまう人形。 それがいつまでも家の中に出ていては、厄を払ったことに なりません。揆(みそぎ)を形の上だけでも完了させるためにも すぐさま撤去する必要があったのです。 また、雛人形に付随するさまざまな道具や小物は、 もともと公家や大名が婚礼をしてお興入れをする際の 持参品目録(一覧表)でした。 このようなものを実家から持っていきますよ、 という覚書の代わりでした。 通常は紙に字を書くだけで済ましているものを、 実物のミニチュア(雛形)にして婚家に持参したものが、 雛人形の段飾りの部分なのです。 「婚期が遅れる」という俗信は、結婚のときに持参する雛形と、 禊の人形がいつまでもそこにある状態を忌む思想とが融合して 生まれたのでしょう。 それがいつしか怠け者を脅す文句として使われるようになった というわけです。 次に古式ゆかしい流し雛の作法を紹介しましょう。  1.二組の紙雛を購入する  2.そのうち一組を来年の節供まで神棚に飾る  3.三月三日の夕方から四日の早朝にかけて、もう一組と、   去年の一組(今年が初めてならば、これはない)の計二組を   折敷(おしき。なければ本の板)に乗せる  4.玄米をフライパンで軽く煎ったものと菱餅、あれば桃の枝をそこに乗せる。  5.白酒を入れたお猪口を最後に乗せる。  6.近くの川や海に行く  7.二拝二拍手一拝して、流す。  8.つかえずに流れていくかどうか、はらはらしつつ見守る。 この流し雛が岸辺の草につかえて流れないと一家の災厄が流れない といいます。翌日になっても流れずに止まっていると、妖怪(ようかい) になって家に戻るとか。 しかし、現代日本の河川に雛を流しますと、川下の町内会の役員さんから クレームがつくことでしょう。私が千葉の松戸で一人暮らしのころ、 分別しないで出したゴミ袋がいつの間にかドアの前に戻ってきたことが ありますが、そのときの恐怖は妖怪どころの騒ぎではありませんでした。 作法ついでに正式な節供飾りの作り方を古文書から紹介しましょう。 「三月三日には、よもぎ餅の上に桃の花を切りて、熨斗(のし)を添えて出すなり」  (小笠原流礼法の伝書より)。 しかし現代では紙雛に甘酒やあられ、草餅を添えるだけでも立派な飾りになります。 于軽に気軽に伝統行事を楽しみたいものですね。 (柴崎直人の食う寝る作法に読む作法 平成11年2月27日 産経新聞)

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