雛人形

前の記事からおよそ2年後の同じ新聞に連載された記事です。 東晋の穆帝の永和9年(353)、3月3日に 王義之をはじめ41人の名士が浙江省紹興の 蘭亭に集まって、みそぎと詩を修めました。 世に言う「蘭亭の会」です。 このように3月3日にみそぎをする風習は 中国に発生し、日本がそれを輸入する かたちで日本の年中行事化してしまいます。 日本では人形で体をなでてそれを水に流す 「なで物」のおはらいを行いましたが、 これがひな人形の原型となったのでした。 また、桃の花を浮かべた酒を飲む行事が ありますが、これは桃が邪気をはらう聖なる木 とする中国の思想からきています。 桃の林に遥か迷い込み、出会った村の人々が 数百年前の記憶そのままに暮らしていた、 というのは陶潜の「桃花源記」でしたが、 この中には桃の力によってまがまがしいもの から守られ、生を楽しむ人々の姿が描写 されています。 桃が邪をはらう思想は、たとえば泰山の 北東に桃の木があり、その下にあった亡者 の魂(鬼)の出入り口を監視する番人がいて 鬼どもに目を光らせてたため、鬼が桃を おそれる、とした伝説にも見られます。 日本では「古事記」に黄泉比良坂でイザナギ が桃を投げたら鬼が逃げ去った話がありますね。 ですから鬼退治に行くのはカキでもウリでも ない、桃太郎でなくてはならないのです。 ちなみに、桃太郎が鬼のいる方向、鬼門 (北東)を封じているときに、その裏口である 裏鬼門(南西)いを封じるのはだ〜れだ? 十二支をネ、ウシ、トラ、ウ、と方角にあてはめて 右回りに数えてみましょう。 すると...南西を過ぎたところで、サル、トリ、イヌ と続きます。ほ〜ら、面白いでしょ。 古人の精神文化を上巳の節供によせて、後世に残して いきたいものですね。 (柴崎直人の食う寝る作法に読む作法 平成13年3月3日 産経新聞)