紙を世界最初に発明したのは中国人である。
中国では周代末期ごろから竹や木を短冊型に切りそろえたものに
文字を記録するようになった。これが「竹簡」であり「木簡」である。
「竹簡」や「木簡」は昔の書物ということになる。しかし、これではかさばって保管も大変。
現在、漢代の竹簡、木簡が中国本土はもとより新疆ウイグル自治区などの辺境で
多数発見されている。
もちろん日本でも「木簡」が発見されていますね。
漢代になると白絹を書写の材料とすることが行こなわれた。
白絹に文字を書いたものを『帛書(はくしょ)』と呼んでいる。
植物繊維を細かくくだいたものを漉(す)いてできる紙は、後漢の蔡倫(さいりん)の発明
とされてきた。
蔡倫は宦官として宮廷に仕えたが、宮中の調度品を製作する任務についていた。
彼は樹皮、麻、ぼろきれ、漁網などを原料として紙を造り、
105年(元興1)に和帝に献上したことが『後漢書』に記述されている。
しかし蔡倫は紙の発明者ではなかった。同『後漢書』によると、
102年(永元14)から地方からの献上品が「紙墨のみ」になったことが記されている。
この記事からすると、蔡倫が紙を献上した年より以前に、すでに各地で紙の製造が
かなり広く行われていたことになる。
またいくつかの遺跡から前漢時代の紙が発掘されており、中国の製紙術は蔡倫以前に
始まり、彼はむしろ改良者というべきであろうと考えられる。
751年にサラセン軍(イスラム軍)が高仙芝(こうせんし)の率いる唐軍を破り、大量の捕虜を連れて行った。
その中に製紙工が含まれていた。
こうして最初にアラビアに製紙法が伝えられ、アラビア人を
経由してヨーロッパへと製紙技術が伝えられていった。
まずサマルカンドに製紙工場が設けられ、ここがイスラムにおける製紙の中心となった。
やがてシリアのダマスクスに製紙工場が設けられ、ここは数世紀にわたりヨーロッパ
に紙を輸出し,ヨーロッパでも『ダマスクス紙』は有名であった。
イスラムの勢力はエジプトから北アフリカを経てスペイン南部に及んでいた。
このルートを通って製紙術は徐々にヨーロッパに伝わっていった。
北部スペインでヨーロッパ人が製紙を行うようになった。
しかしまだ『ダマスクス紙』が盛んに輸入されていた。
13世紀に入ると南フランスやイタリアで製紙が行われた。
イタリアのシチリアには早くからイスラムの勢力が及んでおり、イタリアの製紙術は
この地から伝わったのである。
14世紀にもなるとイタリアはヨーロッパへの紙の供給地として
スペインやダマスクスと競争するようになった
ドイツでは1336年にニュルンベルクに製紙工場ができた。