香港旅行記(5)

18回目から20回目まで

香港旅行記 その19

まとめ(下) 香港とイギリスと中国 そして日本

>このシリーズ、あと3回でまとめようと思っていた。

> 中国と日本の関係
> 中国と欧米と日本の関係
>というようなことになりそうである。
>(あるいは、それも竜頭蛇尾に終わるかもしれない)

ここ1カ月 入学試験、論文発表会、本の校正、講演の準備と
大変忙しく、この書き込みを後にのばしても大変なので
息抜き的にこのシリーズをまとめることにした。

>日本語に使われる中国のことわざ

もう1つだけ紹介しましょう。

 折箭(せっせん)のいましめ

細い弓の矢も、何本かいっしょにすれば折るのがむずかしい。
ひとりで考えたり戦ったりするよりも、仲間やみんなで協力しあうことが大切である。

南北朝時代、北魏の歴史書「魏書」の「吐谷渾伝(とよくこんでん)」から。
4世紀から7世紀に青海地域にあった国吐谷渾の王に、20人の息子がいた。

息子たちに矢を一本ずつ渡して折らせた。一本の矢は簡単に折れたが、
20本の矢を折らせたら折れなかったという。
兄弟20が力を合わせたら強くなるということを教えた。

毛利元就は3人の息子をよび、1本の矢は折れるが3本の矢は折れにくい
から、息子たちが力をあわせるように教えた。
(毛利元就は中国の故事を知っていたのではないか)

サンフレッチェ広島は、このことわざから名付けたそうですね。

さて本題に入りますが、
温度を表すのに、「℃」の記号をよく使います。
そして、セ氏といいます。
なぜだかわかりますか。

昔、人文社会科学部の藤原暹(のぼる)教授から聞いたことが
ありますが、これはヨーロッパの科学が東洋に入ったときは
まず中国に入ったので、英語を中国語に翻訳したそうです。

カ氏とセ氏の温度の表示は、どちらも創始者の名前を
中国式に表示したので、日本に取り入れたとき
頭文字だけ日本語に使ったようです。
(藤原暹先生は人文社会科学部の学部長でした)

摂(セ)氏 Celsius thermometer
 水の氷点を0度、沸点を100度とした温度計。記号℃ 

華(カ)氏 Fahrenheit thermometer
 水の氷点を32度、沸点を212度とした温度計。記号 °F
     (カ氏はマイナーだから特種文字もない?)

人名 Celsiusを漢字で表したときの先頭文字が摂
人名 Fahrenheitを漢字で表したときの先頭文字が華(フルネームは華倫海)
だったというわけです。

欧米文化と真っ先に接触した中国人の知恵と苦労は
すぐ我々日本人にとって助かりました。

福沢諭吉(1万円札のお方)はオランダ語は得意だったが
英語はその後に独学みたいにして勉強したようです。

咸臨丸で幕府の使節と一緒にアメリカに行ったとき
中国人街に住む中国人の作ったという
米中辞典を手に入れて、それをもとに
英語を日本語に翻訳するのに利用したそうです。

中国でも最初に欧米と接触のあったのは南のほうなので
北京の言葉より広東の言葉の方が
翻訳に使われたそうです。

ついでに言えば、北京をペキンと発音するのは広東語で
北京のいる人々は今でもベイジン(ペイチン)と言います。

北京原人、北京ダックは固有名詞なので、ペキンと
発音しますが、飛行場でも Beijing と発音しています。

明治のとき、日本の学者は翻訳するのに苦労した。
中国人がすでに作った漢字の言葉を参考にした。
もちろん、それだけでは不足で、日本人が翻訳のため造語して
作った言葉も多くあります。

そういう日本人の手になる翻訳漢字を、明治の日本の躍進に
驚いて日本に留学した中国人によって、中国に移入された
とのことです。

つまり、中国人と日本人は協力して
欧米の言葉に相当する漢語を作っていった。

思考の基礎となる言葉を作るから、
こういう作業は大事なことです。意義のある仕事。

我々の現代の科学も文化も、先人の中国人、日本人の
恩恵にあずかることは多いと思います。

 感謝しましょう。

香港で英語を聞いて道を探すより
漢字を書いて、すぐ場所を教えられるほうが早かった。

3本の矢ではないが
中国、日本、朝鮮(韓国)と漢字を活用する民族が
力を合わせたら、漢字と仏教の文化が広がる。

聖書の日本語翻訳も
先輩格の中国語訳を参考にしたらしい。

中国人の漢字のセンスはすばらしい。
電脳(computer) は日本人の中にも借用する人がいる。

しかし、カタカナがないので何でも漢字で表す。
高斯 Gauss
牛頓 Newton

カタカナ、ひらがなはすばらしい日本人の発明。
ハングルができたのはずっと後。

ヨーロッパ旅行記のシリーズ第32回で書きましたが
>昔、フライブルクのゲーテ・インスティテュートで外国の若者と
>一緒にドイツ語を学んでいたとき驚いたことがあります。

>イタリア人がイタリア語を話し、スペイン人がスペイン語しか
>話さないのに立派に会話が成り立っています。相手の言葉を
>話せなくても聞くことさえできれば、たがいに自分の国の
>言葉を話すだけで会話が成り立つ。

>ここにフランス人の若者が会話に加わりましたが、同じように
>相手の国の言葉は話せないのです。しかし、聞くことはできる
>それで会話が成り立っていました。同じラテン系の言語だから
>共通の文法、近い単語が多いから、すぐ聞くことができるよう
>になるのでしょう。

ラテン系の民族でなくても
英語もドイツ語もローマ帝国に支配されていた民族の国だったから
ラテン語系の言葉(特に学術用語)は自分の言語の中に残っています。

たとえば、上に書いたスペイン人の若者と話をしたとき
Ich moechte gern die Fossilien sehen.
私は化石を見るのが好きだ。
と言ったら、

彼はニヤリとして
自分はまだそのドイツ語の単語は学んだことがないが、
すでに知っている。なぜならその言葉はラテン語からきた言葉だから
と言ったのにはまいりました。
 (英語も fossil ですね)

つまり欧米人はすでに自分たちの共通用語を知っている。
ヨーロッパの外国語を学ぶ前から、基礎単語は自分のものなのです。

ロシア語はわからないが、ロシアの大統領の演説の中にドイツ語と同じ
単語が出てくる。抽象的な単語はたぶんラテン語系の言葉なのであろう。

フライブルクのゲーテ・インスティテュートで
いくつかの国から来た若者たちが、先生から説明を受けると
反射的に自分の国の言葉で言ってみる、

そうするとそれを聞いた他の国の若者の中には、先生の言葉は理解できなくても
その若者の言葉を理解する者がいて、新たな国の若者が
その国の言葉で言い換える。

そういう風に先生の説明を聞いて、2つか3つの国の若者たちが
何か言葉を発していくと1分もたたないうちに教室の生徒はみんな理解して
しまう。

最後までわからないのが、日本人と中国人でした。  ^^)

休み時間に疲れて、私など韓国の若者や中国人と
どこから来たか、名前を何というかを自己紹介するのに
漢字を書いたらすぐわかる。

お互いに理解できるのです。

筆談をしている我々を見て、欧米の学生たちは
教室ではろくにドイツ語を話せない東洋人たちが
漢字でコミュニケーションしているのを見て驚いています。

しかも、漢字はひどく難しくて理解できないらしい。

日と目の区別さえできなかったようです。

こういう体験をして、日本人は欧米人と付き合うだけでなく
アジア人とも交流すべきだと思いました。
漢字の文化と仏教文化という共通の文化を使わない手はない。

これからの日本人はアメリカ、ヨーロッパとだけでなく、
アジアとも貿易や交流を深めるのがいいと思います。

また中国の格言を紹介します。

飲水思源 yin shui si yuan
水を飲むとき、水の来源を考える。

すなわち、幸福に暮らしているとき、
その幸福がどこから来たかを忘れずにいることに
たとえる。

この中国の道徳的な言葉に対して
ある先生はまわりの中国人がそうでないように思われる
とキツイ発言をしました。

教育学部の中国語(漢文)のYa先生は
だから戒めの言葉でもあると解説していました。  ^^)

どこの国民でも、善人や悪人がいます。
青い目の不良外国人もいるし
親切なアフリカ人もいます。
日本人でも海外で日本人の評判を落とす人もいます。

1人の岩手大学の卒業生の行いが、その後の
岩手大学の卒業生というものは○○である
という世間の噂になることもあります。

自分は岩手大学の代表なのだという自覚を持ちましょう。
(そんなに頑張らなくてもいいのですが、
何か世間を騒がせることをすると後輩に影響があります)

新しい学科を卒業した卒業生というものは一般に就職の際には
苦労します。

学科の名前がよく知られていない。
先輩もいない。

会社の方でも何ができるのか、
一体フツー並に仕事をしてくれるのだろうか と不安になります。

そうして苦労して就職して、その会社で良い成績をあげると
岩手大学の卒業生はよろしい、また岩手大学から採用しよう
ということになります。

それが遅刻、無断欠席、あげくのはてに会社のお金を使い込みして
行方不明となれば、岩手大学と聞くと関係のない卒業生まで
とばっちりを受けかねませんね。

北アメリカや南アメリカに移民した日本人も今日の評価を受けるまで
大変な苦労をしたことでしょう。