香港旅行記(5)

18回目から20回目まで

香港旅行記 その20

香港から盛岡へ

さて 12月15日(日)
飛行機は朝8:30発なので
ホテルを遅くても6:30に出たほうがいと
航空券を世話してくれた岩大生協から聞いていた。

部屋で荷物を詰めたら、中味が一杯でないのにスーツケースがうまく閉まらない。

何度やっても蓋がはずれてくる。
フランクフルト、パリ、ウィーン、ベルリン、ロンドン、コペンハーゲン
そして北京と旅行したから、このスーツケースも疲れたのだろう。

大通りのMカバンから買ったのです。

海外旅行に3度使えばレンタルよりはいいかと思って買いましたが、
4度も使ったからいいのでしょう。

生きのいいオランダチーズを1個入れて日本に持ってきたときは
スーツケースの中が臭いがついて1カ月蓋を開けていました。

あれを美味しいと喜んで食べた大学院のS君は、当時からもりしげの冷麺の
ファンで、現在は岩手県庁土木部に勤務している。

ともかく騙しだましスーツケースの蓋をして、やっと鍵をかけてから
フロントへ行ってチェックアウト。

これはクレジットカードを使うまでもなく現金でOK。
宿泊は前払いだったので、部屋のドリンク代とコートのクリーニング だけ。

予約していたタクシーも早々と待っていた。

このドライバーは陽気な男で英語ができる。
飛行機はどこの会社の飛行機かと聞かれて
ドラゴン・エアーと答えると、カウンターに近い所で降ろしてくれた。

しかし、ドラゴン・エアーは香港がホームグラウンドでも
小さな飛行機会社なので、なかなかカウンターにたどりつけず
またも香港飛行場のサービスカウンターに荷物を出して、そこでチェックイン。

さあ、体は軽くなったというわけで
子供を連れて免税店ヘ。

ここは世界中同じで、酒やら香水、甘いものやら
香港は品物が多い。と思ったらやはり中国の製品は少なく
よく見るとハワイやスイスの土産も売っている(どこへ行ったのと
いわれそうな土産品)。

それでも香港の夜景の印刷されている箱に入ったチョコレートを買った。

香港はほとんどの飛行機がここを通過しないで、着陸するせいか
利用客が多い。そのため商品も多いのだろうか。

 香港飛行場は24時間動いている。

北京の国際空港よりは、はるかに商品は種類も量も多かった。

ホテルから空港までの距離は比較的近い(松園から都南くらいの感覚)。
車で20〜30分くらい。
だから早い時間の飛行機でも、まあ大丈夫であった。

国際会議で発表した留学生は中国四川省成都へ帰り家族とお正月を過ごしてから
盛岡に戻ってくるので、ここでお別れ。
留学生の飛行機はもっと後だが、飛行場でこのまま待っているとのこと。

8時をすぎたら搭乗開始ということで、待合い室で待っている。
回りの乗客は日本人ばかり。当然仙台関係者ばかり。

みんな夜遅くまで香港と料理を楽しんだのか疲れている様子。
(私の泊まったホテルの隣の部屋も日本人旅行客だったようだが、
いつも早朝出発、深夜の帰宅という風で、夜中のトイレや風呂の水音
が聞こえて、とうとう顔を見なかった)

我々がホテル裏の駐車場からバスで国際会議場のホテルに運ばれる時
かたわらに数台のバスが止っていた。そこに日本人と思われる団体が
どやどやと乗り込み、ガイドに説明を受けながら出発している光景を
何度も見た。

これと同じ光景は、ロンドンでのホテル、パリ凱旋門近くのホテル、
それからコペンハーゲンのホテルで見かけたなと記憶を思い出した。

つまり日本の観光団体は世界中に活躍。

団体旅行もばかにしたものでなく、短い時間に効率よく見学するには
なかなかよい。 でも、自分の個性的見学をしたい人で、自由に歩ける人は
自分で目的地を選択して、自分のペースで見学するのもよい。

昔、フランクフルトのゲーテの家で、日本人団体旅行団を見たが
もう見学に疲れて、ホールで何も見ないで、疲れた顔をしてソファに
座りっきりにしている、お年よりの姿を見たことがある。

あれでは気の毒だ。もはやロードレース。人間の耐久試験。
ゲーテにも失礼と思った。
何でも見てやろうと思って詰め込むのが日本人の観光旅行。
若くて、元気があって、強い目的意思のある人がすべきもの。
地域共同研究センターのO先生くらいの資格のある人に許された行為。
団体旅行でなく、自分一人で朝から晩まで何でもみてやろうと
行動する人のことです。

ゆっくり、香港の雰囲気を見て、
中国料理も自分の食べられるだけ食べて、たくさん残しても
それでいいと思う。

(中国では、招待されて料理を食べるとき
全部は食べないで、少し残すのがエチケットといわれる。
残すことで私は十分いただいたという表示になるという。
全部食べてしまうと、まだ足りないぞという暗示になるそうです)

さて、いよいよ機内に乗り込むというので、
飛行機までバスに乗って移動する。

ところが走り出したバスが突然止ってしまった。
見ると右上に(手をのばせば届くくらいの距離に)大きな飛行機が
滑走路に入ってきた。

あのままバスが進めば滑走路付近で、衝突?
恐ろしい飛行場だと思った。

もともと狭い香港に高いビルが群れをなして、わずかにあいている
敷地が飛行場。

滑走路が混むときは3分に1度発着を繰り返すという
ラッシュの飛行場なので、パイロットの腕が必要ということは聞いていたが
目の前に見て驚いた。

中国返還後は大丈夫だろうか。

もっとも、新しい大きな飛行場を建設中で、そのために
飛行場のある島を結ぶ大きな橋が建設されている。

この橋に関する技術報告も今回の国際会議であった。

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香港は1997年7月1日に中国に返還される。
この返還にあわせて、年間3500万人(将来構想8700万人)
の輸送能力を持つチェクラップコック(CHEK LAP KOK)
新空港が建設中である。

この空港は、香港ランタオ島の北西部にあるチェクラップコック島
の周辺海域を埋立てて1248haの人工島を造成し、建設される。
新空港建設を中心として10件の大規模プロジェクトが構成されて
いるが、これらは「新空港中核プロジェクト」と称されている。
これらのプロジェクトの中、空港へのアクセスルート上で
青衣島(TSING YI ISLAND)よりランタオ島(LANTAU ISLAND)
に至る海峡横断の架橋が青馬大橋と汲水門橋であり、あわせて
ランタオ連絡橋(LANTAU FIXED CROSSING)と呼ばれる。

香港島ー九竜地区ー青衣島ー(青馬大橋)ー馬湾島ー(汲水門橋)
ーランタオ島ーチェクラップコック島(新空港)

青馬大橋(チンマ大橋 TSING MA BRIDGE)
橋長 2160m
支間 ケーブル支間 455m+1377m+300m
   補剛トラス支間 63m+76.5m+355.5m
           +1377m+4@72m
構造形式 吊橋(8径間連続トラス)

主径間長1377mの長大吊橋なので1997年完成時には
道路・鉄道併用橋としては世界最長の支間長吊橋となる。

補剛トラスはダブルデッキ構造で上面デッキは設計速度100km/h
の片側3車線の高速道路、下面デッキの中央部は設計速度140km/h
の複線の高速鉄道となっている。鉄道の左右は各1車線の道路
となっており、台風など強風時の非常用道路として使用される。
風速が18m/sを越えると、すべての通行車両は上面デッキより
下面デッキに誘導されることになっている。これは、香港地域
の夏期が台風時期となっているため、24時間発着が計画された
空港へのアクセスを頻繁に止めないようにする配慮からである。

この風に対する設計、すなわち耐風安定性に対して種々の
断面形状の補剛桁が研究され、トラス補剛桁の両側面を
ステンレス製のフェアリングで覆う断面が選定されている。
補剛桁の横断面は、上下面の鋼床版と横フレームで構成される
床組と補剛トラスの垂直材および中間ポストが一体となった
一種の立体ラーメン構造となっている。

主ケーブルの直径は中央径間で1.117m、側径間で1.147m
となっており、素線径5.38mm、引張強度1.570N/(mm*mm)の亜鉛
めっき鋼線、各33400本および35224本で構成されている。
主ケーブルの架設はエアスピニング工法により行われている。

懸吊部の補剛桁は大半は36m長、約1000tの大プロックで
主ケーブルからの直下吊工法により架設されている。これらの
プロックは日本と英国の工場で製作した部材を中国沙田にある
地組立ヤードに運んで組立、台船にて現場まで輸送された
ものである。

高さ206mの主塔の鉄塔は鉄筋コンクリート製でスリップフォーム
工法で建設されている。横梁は鋼製トラスを場所打ちコンクリート
で埋め込んだプレストレストコンクリート構造である。

主構トラスの腹材はKトラス構造であるが、これは桁高7.6m強
に対して垂直材が4.5m間隔と密に配置されているためである。
なおハンガーケーブル間隔18mで主構フレームが配置され、
その間4等分で中間の横フレームが配置されている。
すべての部材がトラス格点で突き合わせ溶接されているが、
これらはすべて現場溶接である。

溶接工はフィリピン人を採用し、彼らを教育してBS(英国規格)
の溶接技量資格を取らせたとのことであった。

汲水門橋(カプスイモン橋 KAP SHUI MUN BRIDGE)
橋長 750m
支間 2@80m+430m+2@80m
構造形式 5径間連続PC複合斜張橋
主径間430mは1997年に完成すると
道路・鉄道併用の斜張橋としては世界最長となる。
側径間はPC構造、中央径間は鋼とコンクリートの合成構造
となっており、高さ150mの主塔はコンクリート構造と
なっている。
  (参考文献は松尾橋梁技報 No.33)

鉄道道路併用の吊橋
  南備讃瀬戸大橋(日本) 1100メートル
  青馬大橋(香港)    1377メートル

道路用の吊橋
  ハンバー橋(英国)  1410メートル
  グレートベルト・イースト橋(デンマーク) 1624メートル 建設中
  明石海峡大橋(日本) 1991メートル   平成10(1998)年4月開通
    *阪神大震災のため基礎が移動したので中央径間が1メートル長くなった。
    *正確には、
    *設計当初は神戸側から、960.0+1990.0+960.0m が
    *地震後は、960.0+1990.8+960.3 に変化しました。
    *一般的には、判りやすい中央径間長を1m単位に丸めて中央径間長が
    *1990mから1991mにのびたことが報道されている。



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ランタオ橋の主塔の鉄塔は鉄筋コンクリート製でスリップフォーム工法
と聞くと、イギリスの世界一吊橋ハンバー橋にならったと思う。

しかし、台風や地震を考慮しなければならない香港においては
世界に誇るイギリスの橋梁技術である
ハンバー橋の斜めハンガーも箱断面主桁も採用されなかった。

香港の新空港が開放されるのは香港返還の後で
結局工事が遅れたようである。
(新空港の開港は1998年7月の予定)

香港新空港

我々が乗り込んだ飛行機は無事飛び立ち、香港に来たときは少し揺れたが、
仙台までの旅は全く問題がなかった。

乗客も慣れたのか、ゆっくり休む人、機内サービスを楽しむ人。

私の感想では、エコノミークラスでこんなに飲み物サービスをする
飛行機は他にないのではないかと思った。

香港の飛行機サービスは中国の飛行機とは大違い。
中国返還後は中国の飛行機会社が香港を見習うといい。

飛行機の中でも免税品の販売。
飛行場で買う暇がなかったら飛行機の中でも買える。

私は残った香港ドルの紙幣の他にコインも使えるかどうか
聞いたら、コインも使えるというので
すべて使ってしまった。

隣の客に聞いてみると、仙台からの旅行団で、3泊の香港観光という。
だから連日、一生懸命観光バスツアーだったのだろう。
お疲れさま。

このドラゴン航空の飛行機は仙台で給油しお客を乗せたら
そのまま香港にトンボ帰り。

仙台空港では、香港だけ行ったのか、他の国に行かなかったのか
を聞かれただけ。やはり香港は便利で外国にすぐ行かれるから、
伝染病や、麻薬、その他危険な持込品に目を光らすのであろう。

簡単にマイペースで利用できた仙台国際空港はよかった。

仙台飛行場に待っていた仙台駅行のバスは、最初は快調に走って行ったが、
仙台が近くなるとやはり交通渋滞。なかなか進まない。
筑波から東京行の高速バスを思い出す。

やっと仙台駅前に着いて、この重いスーツケースをかついで階段を上るのは
大変。しかし、エレベータが停留所前方にあると聞いて
始めて利用してみた。これは便利。本当は身障者用。

新幹線は予定どおり盛岡に到着。
やはり最後の問題は盛岡駅の新幹線改札口を出たら
2階から1階に降りるのに階段を降りること。

ここをエレベータで降りられたらいいのに。
大勢の旅行客が願っているだろう。

こうして無事、帰宅できた。

1996年は思いがけず、ロンドンを中心にヨーロッパ見学
そして香港を見ることができた。

猿岩石というテレビの申し子が香港からロンドンまで
ユーラシア大陸を横断したという話題を提供した1年であった。

私は
猿岩石のロンドンゴールイン撮影寸前のトラファルガー・スクエァ広場
の光景を見て、帰国後日本でのテレビ放映を岩手大学の学生諸君と
語りあえた。

そして猿岩石の出発した香港の町も見ることができた。

猿岩石が自分たちの力だけではなく、テレビ撮影のスタッフの助けを借り
いやむしろ黒子のようなスタッフが猿回し(猿つかい)で、猿岩石は
演技をする猿といったほうがいいと思うが、

ともかく1年間、ユーラシア大陸各地で撮影を続けた若者猿岩石の
努力を評価したい。

しかし見ている若者の中に(ヒッチハイク、現地でビザを取得する)海外旅行を
こんなものかと誤解する者もいたようで、
猿岩石のユーラシア大陸横断番組は功罪半ばするものではないか
と思う。

私はこの連載で
>> 中国と欧米と日本の関係
について色々と書いてきましたが、
結局は海外旅行をだしに自己を語ってきたのです。
いまはやりの言葉でいえば、私の自己実現。

こういうテーマを講義の合間にいたします。

いつも講義の最後に無記名アンケートを取っています。
これ(いわゆる雑談)を評価する学生と、専門講義に関係ないという学生がいます。

まあ、人生の出会いというものは色々あるから、必ずしも全員に肯定評価
されなくてもいいと思います。

自分の個性を発表する機会があってもいいと考えます。

 先生の崇高な講義内容はすっかり忘れられ、なにげない人生の一言だけ
 学生に生涯記憶されていることがあるようです。

昭和天皇が亡くなり、後を追うように手塚治虫が亡くなり、美空ひばりも
死んでいった。あの時、私はこれで昭和が終わったことを実感しました。

あのときは、講義の中で30分、手塚マンガの紹介と追悼をしたのです。
(仮面ライダーもドラえもんも手塚マンガの子孫)

シラバスの目標が達成されたら、身の回りのことをテーマに
人生とは、あるいは将来の目標などに関して話をするのもいいと思います。

特にオウム事件をきっかけに、これからは工学部と言えども
単に技術だけをあつかうのではなく、
何のために、どういう目的で技術を学ぶのか、
という倫理をも工学部の学生に教えるべきだと
思います。

しつこいが、私の結論は次のことです。
>こういう体験をして、日本人は欧米人と付き合うだけでなく
>アジア人とも交流すべきだと思いました。
>漢字の文化と仏教文化という共通の文化を使わない手はない。
>
>これからの日本人はアメリカ、ヨーロッパ、アジアと貿易や交流を
>深めるのがいいと思います。

最後までお付き合いくださいまして、どうもありがとうございました。
ヨーロッパ旅行記に興味のある方は、 ヨーロッパ旅行記をどうぞご覧ください。
(猿岩石のユーラシア大陸ゴールの撮影前風景も出てきます)

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