ドイツ留学前に数年間、この三修社の雑誌を購読していました。
ドイツ語の能力はさっぱり上達しませんでしたが、ドイツ語の文法の
知識はこの雑誌のおかげで高いレベルを知ることができました。
この記事の転載については、出典を明示し原文を変更しないという条件のもとで、三修社から許可を得てあります。
ドイツ語に関する12章 ―4一 ドイツ語の先祖 稲田 拓 ハンブルクから船に乗った南ドイツ出身の人が,「船の上では英語を話すのですか」 ときいた,という話があります。 北ドイツ出身の船員たちの方言が,ドイツ語ではなく,英語のように聞こえたのです。 この方言は北部の平原地帯で話されるもので,低地ドイツ語(Niederdeutsch)と 呼ばれています。 それに封して高地ドイツ語(Hochdeutsch)と呼ばれるものが標準語で、 わたしたちが学んでいるのはこの高地ドイツ語の現代語です。 ところで低地ドイツ語というのはどんなものでしょうか。たとえばドイツ語の dassは英語ではthatですね。低地ドイツ語だとdatです。Milch「牛乳」は milk(英),Melk(低),trinken「飲む」はdrink(英),drinken(低)といった具合です。 英語はフランス語の非常に大きな影響を受けていますが,もとはアングロサクソン語で, ドイツ語と同じく西ゲルマン語(Westgermanisch)といわれるものから出ています。 同じ源から発したのですから英語とドイツ語の単語に,よく似たものが多いのに 不思議はありませんが,ここの3つの単語でみると,低地ドイツ語はt,k,d などの子音が英語と共通ですね。 実は5世紀から7世紀にかけて南ドイツで子音推移という現象が起こり, 上の例でいえばtがss,kがch,dがtの音に変わりました。 変化のパターンはこれだけではありませんが,ともかく高地ドイツ語の地域では いくつかの子音が規則正しく音を変えたのです。しかしアングロサクソン語にも, 低地ドイツ語の地域にも,この現象は起こりませんでした。 そこで低地ドイツ語が,高地ドイツ語よりも英語に近いという場合も出てくるのです。 このように同―の言語領域のうちのある地域で,音韻,語形,語い、構文などに 他と異った変化が起きると,相互に近親関係をもつ別の新しい言語が形成されるのですが, この高地ドイツ語を生み出した子音推移は,実はドイツ語の歴史の上からは2度目の もので,第2次子音推移と呼ばれています。最初の子音推移は紀元前1000年の頃 から数百年の間に行われた第1次子音推移といわれるもので,インドヨーロッパ語 からゲルマン祖語を形成したのでした。 今から200年近く前に,インドの古代語サンスクリット(Sanskrit)とヨーロッパ の大部分の語には,近親関係があることが発見されました。そして何千年もの昔に 同一の言語を用いていた民族が,移住,征服,混血などさまざまな過程を経て, インドから∃−ロッパに至る広大な地域にひろがり,分化していったのだろうと 推定されたのです。これに属するものをインドヨーロッパ語族,もとの語を インドヨーロッパ語というのです。 ドイツではインドゲルマン語(Indogermanisch)とも呼ばれるこの言語は, 従ツてドイツ語を含めてほとんどすべてのヨーロッパの言語の先祖ということに なります。インドの言語,ペルシャ語,ギリシア語,そしてラテン語の流れをくむ イタリア語,フランス語,スベイン語,ポルトガル語,ルーマニア語,またスラブ系 のロシア語,ポーランド語,ブルガリア語,ユーゴやチェコ語などはみんな, 時代を遠くさかのぼって考えればドイツ語の親類というわけです。 さてインド∃−ロッパ語から分かれたゲルマン祖語は,西暦紀元の始まる頃から 数世紀の間に,東,西,北の3つのゲルマン語に分化してゆきます。 東ゲルマン語(Ostgermaniisch)に属する言語を話していたゴート人, ブルグント人,ヴァンダル人などはすべて滅亡してしまし,現在この流れをくむ 言語はありません。 北ゲルマン語(Nordgermanisch)は単に北欧語(Nordisch)とも呼ばれ, 現在のデンマーク語,スウェーデン語,ノルウェー語,アイスランド語などの源です。 14世紀にアイスランドで書き写されたEdda[エッダ]によって,古いゲルマン の神話や英雄伝説などを知ることができます。 そして先にも述べたように西ゲルマン語に属するのが,高地及び低地ドイツ語と 英語の祖先であるアングロサクソン語です。また低地ドイツ語から, のちにオランダの独立によってオランダ語も生まれました。 さてゲルマン語の時代からドイツ語の時代に入ると,低地ドイツ語もそうですが, 高地ドイツ語は古代,中世,近世の3段階に分けられます。文献によって比較的 よく様子がわかるのは8世紀になってからですが,それから11世紀までを 古高ドイツ語(Althochdeutsch),12世紀から15世紀までを中高ドイツ語 (Mittel-hochdeutsch),そしてルターの宗教改革のあつた16世紀以降を 新高ドイツ語(Neuhochdeutsch)の時代と呼びます。現代語も,16世紀や17世紀 のドイツ語とはかなりちがっていますが,新高ドイツ語に属しているのです。 これが遠い先祖のインドヨーロッパ語から,ゲルマン語を経て,現代語に至る までのドイツ語の系譜です。まとめ
インドヨーロッパ語 ↓ ゲルマン祖語 ↓ 北ゲルマン語(デンマーク語、スウェーデン語、ノルウェー語、アイスランド語) インドヨーロッパ語 ↓ ゲルマン祖語 ↓ 西ゲルマン語 → 低地ドイツ語 → オランダ語 ↓ ↓ 高地ドイツ語 英語 (現代ドイツ語) (8月号) ジーパン・ブーム 高木 実 流行(Mode[モーデ])というのは奇妙なもので,つい2,3年前には ご婦人がたはミニスカート(Minirock[ミニロック])をはいていなければ, 町もはずかしくて歩けない状況だったのが,今日ではロングでなければ 時代おくれの感さえあります。どうも流行というのは多分にモード雑誌や, モードの専門家たちによってつくられる感があるのですが, ジーパン(Jeans[ヂーンス])の爆発的流行だけは,いささかおもむきを ことにしているようです。 町を歩いていても,電車の中を見わたしても,ジーパンのひとつやふたつに お目にかからないことはまずないでしょう。いやそれどころかジーンズに すっかり包囲されているといってもいいすぎではないかも知れません。 これは何も日本だけの現象ではなく,ロンドンでも二ュー∃ークでも ミュンヒェンでも同じことのようです。 最近の西ドイツのある新聞には、ジーパンがどのようにしてアメリカで生まれたか 説明されています。 この記事によると,ジーパンをつくり出したのはドイツ系アメリカ人で, サンフランシスコのLevi Strauss[レーヴィ シュトラオス]という人物だそうで, 彼は最初アメリカの金鉱採掘者(Goldgraeber[ゴルトグレーバー])たちに 帆布からズボンをつくって売っていたのですが、その後フランスで目のつんだ 木綿布地をつくらせました。 この布地はフランスのニーム市で織られたので Serge de Nimes[セルジュ ドゥ ニーム] 「ニームのサージ」とよばれ,それがDenim(デニム)となまって, 布地の名称となったようです。 またStraussは彼のつくったズボンをすべてIndigoblau[インディゴブラオ] 「インジゴ」「あイ色」に染めさせ,それをはいたカリフォルニアのフランス系 の金鉱採掘者たちはイタリアのGenua[ゲーヌア]「ジェノア」の船員の服を 思いだしました。 ところでジェノアはフランス語でGenes[ジェ−ヌ]というので, そこからBlue jeansは由来するそうですが,Straussは現代の体制に反抗する 若者たちの強い人気にささえられて,ジーパンでいまや巨万の富をきずきました。 (8月号) より詳しいLevi Strauss(リーバイ・ストラウス)の伝記