1829年バンベルクに近いフランケン地方の寒村ブッテンハイムの貧しい家庭 に生まれたリーブ・シュトラウス ユダヤの行商人だった父を結核で失い、10代後半のレープは父に代わり 重い木箱を背負って村から村へ日用品を売り歩いた。 しかし、税金は重く、彼は二人の姉と母親を連れてアメリカ移住を決心した。 ニューヨークに着いた彼はアメリカ式名前「リーバイ・ストラウス」を名乗る。 ニューヨークにはすでに二人の異母兄弟が移住していて行商をしていた。 親族が3人も同じ町で商売してもしようがないと考えた彼は1853年に サンフランシスコに店を開いた。 ゴールドラッシュのサンフランシスコで、義兄デビット・スターンと一緒に 金鉱堀りたちを相手に雑貨を売る商売を始めた。 ツルハシ、スコップ、鍋そしてテントや馬車の幌にする丈夫な布地も扱った。 あるとき、彼らからテント用の帆布を買ったが、一度の雨ですぐに水が漏れたと 文句を言いに来た金鉱堀り一団があった。 ここでひるまず機転を効かせたのはさすが。 リーバイは「では、残り布でズボンを仕立てましょう。 デニム地(インディゴブルーに染めた綿サージ)は、テントに向かないかもしれないが、 ズボンにしたら100年でももちます」と怒れる男たちをなだめたのである。 それからリーバイのズボンは評判となり、金鉱堀りたちにあっという間にひろがった。 そのころネバダ州リノでヤコブ・デイビスというリトアニア出身の男が、リーバイ・ ストラウス社のデニム地を買い付け馬車の幌やズボンを縫っていた。 彼はズボンのポケットの綻びを防ぐため、銅のリベットで縫い目を補強して 耐久性を高めることを思いつき特許をとろうとするが特許出願に必要な費用68ドル が一人では払えない。 この話をデイビスからもちかけられたリーバイは、これは画期的なアイデアだと思い 二人で共同特許出願した。 1873年のことであった。 リベット留めジーンズ「リーバイス」はこうして生まれ以後世界を制覇する。 リーバイスの伝記 もう一人の成功者スタインウェイ