ドイツのこと、ドイツの思い出、ドイツ文化など
   その6

ドイツ周遊旅行

北上の土木事務所のOさんは時々ドイツの資料を私に送ってくれます。
Oさんもドイツやオーストリアが好きで、何度か旅行したりしている。
昨日送ってくれたのは、「初宿正典(しやけ・まさのり):暇つぶしは独語で、成文堂」
この本の一部分のコピーで、それは著者がフンボルト奨学生として留学中に
20日間のドイツ周遊旅行をしたときの印象記録でした。
この旅行はフンボルト財団がその奨学生を対象として毎年春ごろに行う旅行。
私もこの旅行を体験したので、いつか書いてみたい。
当時のスライドもたくさん残っている。
                    

ドイツは力学の国

フライブルクでドイツ語を勉強していた頃、語学学校で何個という数を数えるとき
stuck という言葉を習った。そこで早速スーパーマーケットで使ってみた。
ソーセージ3本までは通じたが、ハム3枚のつもりで drei Stueckeと言ったら
売り子のお姉さんに違う違う、drei Scheibenと言えと直されてしまった。
ありがとうあなたはドイツ語の先生だと言ったら、彼女は喜んで、そう、そうだから
これからドイツ語のことは私に聞きなさいと言ってくれた。

力学でScheibe(シャイベ)というのは、南部煎餅みたいな薄い板に(面にそって)作用する
応力状態を言う。つまり平面応力状態である。
さすがはドイツは力学の国、スーパーの売り子も力学用語を知っているのだ。

もう一つは、フンボルト財団の留学生の研修旅行のとき
南ドイツの観光地かの有名な(ノイシュヴァンシュタイン城の)
ルートヴィヒ2世が作ったリンダーホーフ城を見学したときのことである。

城をつくりすぎてバイエルンの財政を破壊させ、家来たちから退位させられた王の
城なので、このリンダーホーフ城もこだわりに感心するやらあきれるやら。

帰りぎわに城のガイドに、「なぜ、ルートヴィヒ2世は結婚しなかったのか」と
質問した。その返事は「フランツ・ヨーゼフ皇帝と結婚したエリザベトが
忘れられないから。その妹ゾフィと婚約したが、結婚には至らなかった。 」いう
公式的な返事だった。

それからバスに乗る途中、フンボルト財団の研修旅行全体のガイドは、私に
詳しい解説をしてくれた。

ルートヴィヒ2世は親戚のゾフィと婚約したが、本当はその姉のエリザベトと
結婚したかったのだ。しかし、彼女はオーストリア皇帝と結婚したからできなかった。

でも、これはerste Theorie である。ドイツには zweite Theorie がある。
(その zweite Theorie というのは)ルートヴィヒ2世は女よりも男が好きだったのだ。
そのとき同行していたビルマの留学生が「王はホモだったのさ」と補足してくれた。
一同は笑ったのだが、ワーグナーのパトロンになった王ならではの説明で納得してしまった。

我々が文献を読むとき、erste Theorie といえば簡単な理論(一次理論)をさし、zweite Theorie は
それを改良した、いわゆる二次理論(高等理論)というときに使う専門用語である。
たとえば、短支間吊橋の弾性理論(一次理論)に対する、長大吊橋の二次理論つまり
撓度理論をさすときなどに使う。

でも、ドイツでは簡単にerste Theorie (1つの仮説)、zweite Theorie (もう1つの仮説、別解釈)
くらいの意味で日常使われているのだと思った。
専門用語も日常の言葉の延長なので、我々も裃をつけて堅苦しく考えなくても
よいのかなあと思ったのであった。

悲劇のオーストリアのエリザベト皇妃

ドイツの橋

ドイツはすぐれた橋梁技術の輸出国。力学の歴史をみると、ローマ、フランス、イギリスの
技術時代のあと、ドイツの大学が整備され、ドイツの橋の技術が世界をリードしてきた。
箱桁、合成桁、格子桁、斜張橋などドイツを中心に発展してきた橋の形式がある。
パテントなどの関係で、技術研修のために、私の卒業生も時々ドイツに研修に行く。

ミュンヘンのドイツ博物館は世界でも有数の科学技術博物館である。
その中に土木の部門があり橋のコーナーがある。そこに興味ある橋の模型が
いくつか展示されてあったので、写真を撮ってきた(たいてい海外博物館では撮影可能)。
しかし、家族を連れていったこともあって、なかなか良い写真を撮れずに帰ってきた。

その後、ミュンヘンに留学したドイツ語の小林先生に、橋の写真撮影を頼んだら、
小林先生は、ドイツ博物館の売店で Bruecken という本を買ってきてくれた。
これはドイツ博物館の橋コーナーの説明の他に、橋の歴史を説明してある本だった。
橋梁技術だけでなく、その時の時代背景としての政治や経済や、関連する科学や技術をも
説明して、なかなか興味ある本だった。

早速、研究室の学生たちと一緒に読んだりした。文法などわからないところは、
小林先生に聞いたりした。そのうちに、この本を翻訳したらいいのではないかと
いう話になり、鹿島出版会に押し掛け企画を持ち込んで、ついに出版にこぎつけた。
文科系の小林先生と理科系の私との共訳は、意見の違いなどあったが、
互いのよいところを生かせたようで、現在も堅実に売れています。
おかげさまで、全国の大学の橋梁の担当の教授たちから、よく訳したと誉められています。

この本は橋の文化史という本です。
1999年春に第4刷が出ます。

                

 

ドイツに関するページに戻る