ナカ黒の話 ・のこと 活字になったら恐ろしい話
東大の池内先生の翻訳の苦労話です。
岩波文庫のシャミッソー「影をなくした男」を翻訳して
一般読者向けの解説を書いた。
本はよく売れ、読者からハガキも届き先生はご機嫌だった。
ところが、富山のO氏からハガキをいただいた。
謙虚な筆づかいの末尾に、さりげなく
「解説中にあるラ・フォンテーヌはフランスの寓話作家
ラ・フォンテーヌではなく、シャミッソーと同時代のドイツの作家
ラフォンテーヌではあるまいか」
実は池内先生は
シャミッソーの手紙を引用して解説を書いた。
シャミッソーの手紙
「...さらにこれはまったく別のときですが、
なにげなくラ・フォンテーヌの本をめくっていて、
社交的な集まりの余興に、ある男がポケットから客の注文する品物を次々と
取り出してくる場面を読みました。
そのとき同じその男がポケットから、馬から馬車までも取り出してきたらどうだろう、
などと考えてみたことがありました」
その手紙を引用したあと、先生は
それぞれの理由を注釈まじりに整理して、こう書いた。
「文学史上、ラ・フォンテーヌの寓話が多くの作家や詩人たちに
霊感を与えた次第はよく知られている....」
よく確かめないで書いてしまうことは
稀ではない。
そうして活字になると世の中に物知りはいて
指摘のハガキが出版社に届くという。
辞典の執筆はだから大変。
この先生は、富山からのハガキを読んで
ゲーテ時代の人気作家ラフォンテーヌを知っていたから
もしやとドイツの辞典で調べたら
フランス人 La Fontaine につづいてドイツ人 Lafontaine
の項がある。フランスから亡命した一族の息子であり、
若い頃は神学生、ついで家庭教師、そのあと当代きっての人気作家として
通俗小説を書きまくった。作品は全部で160巻にも及ぶという。
この先生がシャミッソーの手紙を目にしたのは
トーマス・マンのエッセイの中であった。
そこで もう一度調べたら
La Fontaine ではなく Lafontaine と表記されてあった。
この先生は
ラフォンテーヌの小説の中で「ポケットから客の注文する品物を次々と
取り出してくる男」の確認が得られたら、
問題の箇所の・を消す一方、
続く説明のところを次のように訂正したいと書いている。
「シャミッソーは自分と同じくフランス人の血をうけ、
自分と同じような経歴をもつラフォンテーヌの作品を、
ひとしお強い関心をもって読んでいたにちがいない...」
今のドイツの蔵相はラフォンテーヌ氏である。彼は社会民主党の党首でもあるが、
政策をめぐってドイツ経済界からの非難を受けて、蔵相も党首も辞任するもよう。
(1999.3.13)
影をなくした男
ドイツのロマン的小説は高校生の時 読みました。
(北海道の石狩川の支流の辺に今もある高校)
作者は移民した経歴のため
国籍というものに特別の想いをもち
アイデンティティのことを深く考えたから
この話を書いた
つまり 影とは自分の国籍であり、自分のアイデンティティをさす
と解説で読んだことを記憶している。
本を書くことは恥を書くこと
この名言は東北大学を退官されたK先生の言葉でした。
ドッペルゲンガー
グリム童話に流入したペロー童話