ヨーロッパ旅行記(6)

37回目から40回目まで
 パリ、ユーロスター、ロンドン、猿岩石

ヨーロッパ旅行記 その37

10月18日 パリ編5
パリの市内見学

昨日はセーヌ川の橋こそ、バスから降りて船に乗って見たが、
あとはずっとバスに乗って、凱旋門もコンコルド広場も見て
説明を受けた。

今日はシャイヨー宮殿、 サクレクール寺院、
ノートルダム寺院 にはバスから降りて見学する予定。

まずシャイヨー宮殿
エッフェル塔がよく見える場所というので観光客が集まる。
だから、観光客の写真を勝手に写して、それを売りつける輩が
いるから注意しようとYさんに言われた。

次の観光地はモンマルトルの丘にそびえるサクレクール寺院。
よく観光写真に出てくる白いエキゾチックな教会だが、
この広場もぶっそうな所で、掏摸がいっぱいいると警告される。

絵を描いてやると言われて、美男に描かれるのはいいが、
数万円という法外な値段をふっかけられるから、ここも注意するように
言われる。


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モンマルトの丘のサクレクール寺院

どうもフランスの警察は観光客の保護に熱心ではないらしい。
個人主義の国だから、個人にまかせるというのか。

日本なら、もう少し観光客のことを考えて 治安に注意するはずなのだか。
(ドイツでは警察当局はしっかり管理しています)

最後に行ったところが ノートルダム教会。

Yさんの説明は最高潮に達する。
教会の入口の彫刻の宗教的意味を説明する。

教会の中に入って、バラ窓のいわれを説明する。
北向きのバラ窓は残っているものでは一番古い。

あのバラ窓の枠は何でできていると思いますか。
鉄でしょうか。木でしょうか。

私が石ですかと言ったら、正解ですとYさんが言った。

北向きのバラ窓は差しこむ光量が少ないから枠は細くしてある。

それに対して ご覧ください、
南向きのバラ窓は光がたくさん入ってくるから枠は太くしてある。

なるほど、言われて、見てみたら本当だ。

バラ窓も外から見れば、枠は石でできていることがわかる。

で私はYさんに質問した。
教会の正面十字架のある方向は決まっているのですか。

そうです、いつでも教会の正面は東の方向に造られているのです。
信者は西の入口から入って東の方向にある祭壇に向かって祈るのです。

(ここは、橋の文化史を翻訳したとき、東北大の建築の教授から
参考書を借りて私も勉強した分野なので、自分の知識の補強としても
ためになった見学でした)

ここでまた気がつきました。
日本のカトリックのキリスト教会も、祭壇は東の方向を拝むように
配置されているのではないか。

盛岡の2,3の教会を思い出しても、そうなっているような気がします。
どなたか教えてください。

時間があったらYさんに徹底講義をしていただくのであったが、
ひとまず生きた勉強ができた。


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ノートルダム教会

Yさんのフランス語の講義はすばらしい。
(まさに高級ガイドだ)
コンコルド広場での説明では、 フランス革命で保守も革新も、
みんなギロチンで処刑されてしまった。

もう、こんな血なまぐさい争いはいやだ。
これからは 協調、調和 でいこう。
そうだ だから 広場はコンコルド(協調、調和)と名付けよう。

ノートルダムは英語に直せば our madam
われらの聖母マリア (ドイツ語でも unsere Frauenkirche 聖母教会 という)

モンマルトルでは
モンは(高いところ)、マルトルは(殉教者)の意味。
 殉教者の丘
.................
モンマルトルの丘の静かな一角に、シュザンヌ・ビュイソンという名の
小さな公園がある。ここにポツンと立つ白い像は、よく見ると異様だ。
切り取られた自分の首を胸の前に捧げ持つ聖者。パリの守護聖人、
聖ドニ(サンドニ)の像である。実はこの場所で、殉教した聖ドニが
切り落とされた自分の首を洗ったという伝説が残っているのだ。

聖ドニが、キリスト教の布教のために、2人の弟子たちを連れてこの地
にやって来たのは、3世紀の半ばごろといわれる。パリはまだ、ルテチア
と呼ばれる辺境の町でしかなかった。
キリスト教弾圧の時代である。布教はひっそりと行われたが、その噂は
ローマ提督の耳に入る。総督は聖ドニと2人の弟子を捕らえ、現在の
モンマルトルの丘でその首を切らせたのだった。

奇跡はそのときに起こる。聖ドニは自らの首を小脇に抱えて立ち上がり、
歩き始めたのである。小さな泉で自分の血まみれの首をきれいに洗い
清め、それから北に向かって、静かに歩き続けてついに倒れる。
ここが、現在のサンドニ大聖堂のある場所だといわれる。
(街物語パリ、JTB出版事業局)
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ヨーロッパの都市はその縁起のなかでみな何かの守護の聖人をかかげて
いますが、ニュルンベルクでは聖セバルドゥスが今日にいたるまで
大きな位置を占めています。伝説によると、11世紀にデンマークの
王子として生まれたセバルドゥスは、パリで学んでからローマ教皇から
説教師としての仕事を委ねられ、ニュルンベルク近くの森で隠者の生活
を送りました。セバルドゥスは人々に説教してまわり、数々の奇跡を
行い、貧しい者、病める者の友として名声を博したのちに死にました。
死ぬ前にどこに埋葬されたいかとたずねられたとき、「二頭の牛を
荷車につなぎ、牛の歩むにまかせよ。牛がとまったところに埋葬する
ように」と遺言し、こうしてニュルンベルクのペトロ小聖堂がその墓所
となったのです。
(阿部謹也、中世の窓から、朝日新聞社)

ヨーロッパの各都市にまつわる守護の聖人のはなしでした。
このあとの記事で、
パリのホテルや18日の昼食のことや、
パリからロンドンまでのユーロスター列車 について書きましょう。

   

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