トルコの歴史


アナトリア地方には、ヒッタイト、ウラルツ、フリギア、リディア人
がそれぞれ国家を建てた。

地中海のフェニキア人とギリシア人が海外貿易で栄えたが、アナトリアとともに
それらの冨は、周辺から注目され、やがてペルシアが、メソポタミア、フェニキア、
エジプト、アナトリアなどを攻撃した。

ペルシア戦争で、ギリシアはペルシアを敗った後、マケドニアのアレキサンダー大王が
ペルシア帝国を倒し、アナトリア、バビロン、エジプト、ペルシア、インドまで支配した。
西アナトリアのペルガモンは、ヘレニズム文化の美しく開花した都市であった。

紀元前1世紀にアナトリアは、ローマ帝国の支配下に入った。
395年、ローマ帝国は東ローマと西ローマの2つの国に分裂した。
この後、中央アジアからトルコ族が移動してくる。

トルコ人の先祖は、匈奴、突厥(とっけつ、とっくつ、 チュルク Tuerk の音訳)などと
トルコ人は考えているようである。もしかしたら、ウイグル人も仲間と思っている。
トルコ族の住む中央アジアに中国人支配が及び、節度使がタシケントの族長を殺したので、
751年、トルコ族の応援に来たアラブ軍団は、タラス河畔で中国軍をうち負かす。
以後トルコ族はイスラム教のアッバース朝と結びつきが強くなり、アッバース朝に
トルコ族の軍団が作られ、カリフたちの信頼を集めた。

やがてセルジューク朝(1077‐1308)が成立し、12〜13世紀の中央アナトリアは、
南方の十字軍諸国家やイスラム諸王朝とビザンティン帝国およびヨーロッパとを結ぶ
通商活動の中継地として栄え、多くのキャラバンサライ、モスクが建てられた。
13世紀後半にモンゴル族のイル・ハーン国(1258‐1353)の支配権が中央アナトリアに及ぶと、
商業の中心は北西アナトリアに移行し、オスマン朝が興った。
オスマン朝は14世紀にその版図をバルカン半島に拡大し、19世紀までバルカンを支配した。

参考にしたのは 三橋冨治男:トルコの歴史(世界史研究双書26 近藤出版社) 要旨だけメモ的に紹介します。 なおトルコ(世界の歴史教科書シリーズ23 帝国書院)も参考にしました。 BC330 アレキサンダー大王は、ペルシアを滅ぼしペルセポリスを焼き尽くす。 610頃 ムハンマド、イスラム教創始 651 アラビア民族がササン朝ペルシアを滅ぼす。 751 タラス河畔で、アッパース軍が唐軍を敗る。以後トルコ族はアッバース朝と結びつきが強くなる。 1077 スレイマン・シャー、アナトリアにセルジューク帝国建設。中央アジアにトルコ系ホラズム朝成立。 1097 第1次十字軍、セルジューク朝と戦う。ビザンチン政府は両者のバランスをはかった、 1099 第1次十字軍、エルサレムに入る。 1157 セルジューク帝国滅亡 1204 第4次十字軍、コンスタンティノープルを陥れ、ラテン帝国建設 1258 モンゴルのフラグ、アッバース朝を滅ぼし、イル・ハン国建てる。 1299 オスマン朝おこる 1308 セルジューク朝メスート2世の継承者をモンゴルが認めず、セルジューク朝消滅 1328 オスマン朝新しいアクチェ貨幣の鋳造 1331 オスマン朝、ビザンティンとの間に最初の和平成立。 1366 オスマン朝ムラト1世はバルカン半島エディルネに遷都 1389 スルタン・ムラト1世はセルビア貴族に討たれる。トルコの記録は「だまし討ち」    コソヴォの戦いの結果セルビア王国はオスマン朝の属国となる。 1393 ブルガリアの完全掌握 1396 バヤズィト1世はハンガリー王ジギスムントのバルカン連合軍を敗る。 1402 ティムール、アンカラの戦いでオスマン軍敗りバヤズィト1世捕虜、オスマン帝国一時壊滅。 1405 ティムール逝去 1413 (空位時代を経て)メフメット1世のオスマン王朝再建 1430頃 イェニ・チェリ制度(ムラト1世創設の優秀な外国人子どもを徴収育成した軍団) 1443 ハンガリーの英雄ヤーノッシュの活躍、バルカン同盟軍はムラト2世と10年間の講和条約結ぶ。 1453 オスマン朝のメフメット2世コンスタンティノープルを攻略    (メフメット2世次男ジェムは兄と対立して、エジプトのマムルーク朝や    ロードス島のセント・ヨハネ騎士団の保護を求めた) 1517 オスマン朝エジプトのマムルーク朝滅ぼす。 1520 スレイマン1世即位、オスマン帝国最盛期    (ハプスブルク家に対抗すべくフランスのフランソア1世支持、ローマ教皇に    対抗するためドイツのプロテスタント支援、イランの北進・モスクワ大公国の南下    の阻止、インド洋でのポルトガル活動に対抗、東南アジアのモスレム支援、    ロードス島を降伏させる) 1529 オスマン朝第1次ウィーン包囲 1535 オスマン朝イランを攻め、バクダード併合する。 1535 オスマン朝フランスにカピトゥレーション(免税・安全保障、治外法権)を与える。 1541 ハンガリーの完全征服 1571 セリム2世大宰相ソコルルはキプロス島をヴェネツィア人から奪還 1571 レパントゥ沖の海戦でトルコ海軍はスペイン無敵艦隊に敗れる。 1663 ザンクト・ゴットハルトの戦いでトルコ軍はオーストリア・ハンガリー・フランス連合軍に負け    ヴァストヴァル条約結ぶ 1683 大宰相カラ・ムスタファの第2次ウィーン大包囲 1699 オーストリア・ヴィネツィア・ポーランドとカルロヴィッツ条約結ぶ。 1703-1730 チューリップ時代(太平謳歌) 1821 オスマン朝支配下のギリシアが独立戦争はじめる。 1826 イェニ・チェリ制度の全廃 1827 トルコ・エジプト艦隊がギリシア支援の英・仏・露艦隊に破れる。 1829 アドリアノープル条約で、トルコがギリシアの独立承認 1831 エジプト・トルコ戦争(第1次) 1839 ギュル・ハネ憲章でタンズィマート(西欧化)はじまるが挫折 1853-1855 クリミア戦争、露とトルコ・英・仏が戦う。 1877 ロシア・トルコ戦争 1911 イタリア・トルコ戦争、トルコはトリポリ・キレナイカ失う。 1912 第1次バルカン戦争、トルコ、ギリシア・ブルガリア・セルビア・モンテネグロ同盟軍と戦う。 1914 第1次世界大戦、トルコはドイツ・オーストリアと同盟して参戦 1919 オスマン帝国は連合国に占領 1921 サカリアの会戦、ギリシア軍小アジアから撤退 1922 スルタン制廃止 1923 アンカラに遷都し、共和国宣言 1924 カリフ制の廃止、トルコ共和国憲法制定 1938 トルコ建国の英雄アタチュルク逝去

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