構造解析における剛性マトリックスの手法


最近購入した有限要素法の本の中で、訳者の言葉が印象深かったので
紹介します。

「コンピュータが安くなり、構造解析プログラムの普及が進み、
誰でも複雑な構造解析の問題を解いて、結果の応力や変位を画像的に
観察することが可能になった。
それでは既存のプログラムを使えば、構造設計は問題がないであろうか。
自分の経験では、コンピュータ利用の解析では、次のような問題点がある
ことを指摘したい。
 ・入力データに1字の誤りがあっても解析は完全に失敗する。
 ・大規模の問題を正しく解析するには、その前に基本的な例題を解き、
  プログラムの使用に習熟する訓練が必要である。この作業はプログラム
  自体の検証にも役立つ。
 ・基本的な例題に対する解答集の準備がなければならない。それには
  文献の利用が考えられるが、手計算あるいは複数のプログラムによる
  試算を必要とする場合が少なくない。」

このアメリカの大学の教科書は、実は手計算ですむ古典的な問題を省略して
剛性マトリックス法のみに説明をあてているのですが、1冊で古典的理論
からコンピュータ向きのマトリックス理論まで説明するのは大変なのです。

土木学会でも、限られた講義時間の中で、学問の進歩による奥深い構造力学
のすべてを講義で扱うのは困難だから、何と何を教えるべきか、という
テーマは大事です。
学会の構造力学委員会の中に、力学教育を議論する小委員会があり
その中間報告や答申は、度々全国大会のときのパネル討論会等で紹介され
全国の大学の先生方と意見交換が活発です。

私も実は、そのMLに加入しています。

私の場合は持論ですが、古典理論も少しは学んだほうがよい、という意見です。
古典解法は、手計算で簡単に問題の性質が理解できるのがいいところです。
まったく古典的な応力法は教える必要がない、という立場の先生は
剛性マトリックスは必ず教えないといけないが、その他には
力学の本質としての、力の釣り合い(静定でも不静定でも成り立つ)、
変形の連続性、力と変位の関係、あと応力や歪の定義だけ教えたら十分
といいます。

確かに力の釣り合いや、変形の連続性は本質的なことで、それだけ
教えたら、あとはそれらの応用というか、ケーススタディになるわけで
理学的立場からすればそれでいいのでしょうが、実用を考える立場では
それでは困ると言いたいのです。
力の釣り合いにしても、トラスや梁の棒の力学と板やシェルの力学では
使う力の定義や記号が違いますから、それぞれについて説明しないと
不十分です。

私は抽象から具体へという道は天才向きのコースであって
凡人には具体的な例から抽象へまとめていく方がわかりやすいのではないか
と思います。
3ー1=2と数字を使って教えてから 猫3匹いたうち1匹がいなくなったら
何匹残るか と問題を出すのは、数式に慣れてきた子ども向きの場合
最初に教えるのなら 飴玉3個持っている時、1個を妹にやったら何個残る
と聞いて、目の前で3個の飴玉を見せて、そこから1個取り去って
残った飴玉を数えて 3ー1=2と数式で表すことに慣れさせるほうが
自然と思うわけです。
(教育論というか教授法の問題になりますね)

あと、もう一つの持論は、歴史を繰り返す件です。
古の天才が発見した、てこの原理や、応力の概念や、仮想仕事の原理など
その歴史過程を短時間にでもいいから、その成り立った経過をたどる
少なくとも頭の中で、簡単な理論から積み上げて難しい理論に進む
そういう足取りが必要なのではないか、と考えるのです。
生き物の進化のはてが人類だとしたら、人間一人一人が母親の胎内で
生き物の先祖の進化の過程を繰り返すという事実がありますが、
構造力学の世界も、先祖の天才の歩みを学生たちが、たどることは
大事であり必要であると考えます。
  魚、両生類、ほ乳類の胎児は似ている。

そういうわけで、東北中の大学の先生方と作り5年間教室で使ってきた
「構造力学の基礎と応用」の前書きに、こういう主張を書かせていただきました。
(誰でもお母さんのお腹の中で赤ちゃんのときに、エラがはえたり、尻尾ができる
のです。手には水かきもある。それはすぐ退化してしまうが、魚や両生類だった頃
を繰り返すのです。我々の血液の中に塩分が含まれていて、それは海水の濃度と
同じである、というのは生き物の先祖が海の中にいた名残を示します)