うら話・翻訳までのいきさつ

 そもそも私と小林先生の出会いは、
 岩手大学工学部土木工学科1期生たちのクラスの担任という関係で、
 学生たちとのコンパに一緒に出席したのが最初であった。

 私の専門のドイツ語の文献を読んで文法など質問をしたら
 小林先生が親切に教えてくださったものである。

 私のドイツ留学にあたって、
 申請書類の書き方から渡航にいたる手続きまで、
 小林先生には大変お世話になった。

 私が家族を連れてドイツ旅行をしたとき、
 ミュンヘンでドイツ博物館を見学し、
 その中で橋のコーナーも回り、橋の模型や説明パネルを見て感心したものだった。

 その後私は日本に帰国して、ちょうど入れ替わるように小林先生もドイツへ留学した。

 私が小林先生にミュンヘンのドイツ博物館に行って、
 私が写してこなかった橋の模型などの写真を撮影してほしい
 と手紙で頼んだのである。

 しかし、小林先生は専門が違うので、何をどう撮ればよいかわからないから、
 博物館に販売してあったBruecken(橋)という本を私の土産として買ってきてくださった。

 読んでみると、この本はなかなか面白そうで勉強にもなると思ったので、
 卒業研究のゼミで使って学生たちと訳してみた。
 そして質問がある度、小林先生の部屋に行って解説してもらった。

 そうこうしているうちに、
 本格的に訳して出版したらどうかということになり、
 早速私が自分で全部訳すことにした。
 しかし、私も忙しくて計画を立ててから全部ひととおり訳すのに4年近くかかってしまった。

 そして、私の訳をもとに
 小林先生が構文からチェックを始めて本格的に直していただくことになった。

 なにしろ世間にはすごい人がいて、他の先生が訳した本を評価する先生がいる。

 たとえばその偉い先生の本を読むとこうである。
 「C大学のP先生の訳はこれこれこうであるが、
 原書にはこう書いてあって、これは明らかに誤訳である。
 正しい訳はこうなる」
 と自分の本に誤訳を直した正しい訳を載せているのだ。

 この有名な先生は、こういう調子で人の誤訳を正しては何冊も本を書いている。
 こういう先生に我々の訳した本がつかまったら大変と小林先生は考えたわけです
 (この偉い先生は某大学の先生ですが専門は英語です)。

 小林先生は私の訳を直す作業にかかったが、やがて方針を変えた。
 どうも文体が気に入らない。
 人の文章に手を加えてもぎこちない。
 どうしてもおさまりが悪い。

 というわけで私の訳を参考にしながら、
 小林先生が始めから自分の文体で訳を書きはじめた。

 そして手書きの小林先生の訳文を後の作業のために、私がワープロ入力した。

 私がファイル入力してから紙に出した文章を小林先生が読み直して赤ペンを入れる。
 それを私がまたワープロ修正する。
 こういう作業を3度繰り返した。

 私も小林先生が訳しすぎて、
 かえって必要な専門用語を落としてしまったのに対しては、
 専門用語を取り入れることを提案し、
 二人で討論を繰り返し、

 1年後になんとか整った日本語の訳文ができた。

 このときに私は原文のドイツ語文章と訳文の日本語の文章を同時に作った。

 なぜそういうことをしたかというと、
 翻訳作業を始めた頃は専門用語もよく理解しないで訳していた。
 それが訳が進んでくると、専門用語の意味がより的確に理解できた。

 そこで、ワープロの検索機能を使って用語の統一をはかることにしたのである。

 検索機能は構文検索にも応用し、
 何度も使われる構文も拾い出して訳が統一的になるように配慮した。
 (これは手作りの独日データベースですね)

 世の中にドイツ語辞典もたくさん出版されているが、
 なかなか専門用語は載っていない。
 また載っていても訳が適切ではなく、
 結局自分で現在日本の学会で使われている標準的用語に基づいて訳したのであった。

 しかし、
 パソコンのワープロのソフトで
 ドイツ語のウムラウト文字とエスツェット文字を表現するのは困難であった。

 エスツェットはβ(ベータ)で代用するとしても、
 ウムラウト文字はさしあたって外字を使った。

 最初は、これは全角文字であった。

 そこで一太郎ソフトを作っている会社に手紙を出して、
 半角外字ができるようにしてもらった。

 それから自分の作った全角外字を半角外字に置き換える作業が待っていた。

 これが自動的にできないか、
 つまり置換文字に外字を使うテクニック
 (これは機能を2つ同時に使用することなのでJシステム社も困ったらしい)。

 しかし最後には私の願いはかなえられ、
 半角ウムラウト文字入のドイツ語文書ファイルは完成した。

 こうしてできたファイルは検索もできるし置換もできる。

 まことにコンピュータ処理の利点が集まったことが実感された。

 しかし、人間が独文をいちいち入力するのも大変なので、
 東北大学大型計算機センターにある欧文OCR入力装置を使ってみることにした。

 だが、この欧文OCR入力装置は英文が標準で、
 独文を読み取ることはできるが、
 一太郎用の文書ファイルにはならないことがわかった。

 そこで大型計算機センターの小玉邦子先生に相談して、
 変換ソフトを作っていただいた。

 かくして欧文OCR入力装置から読み取れば
 若干の変換操作をへて一太郎用の独文文書ファイルができることになった。

 日独文書ファイル作成から、これを使った検索置換などの機能を駆使して、
 独文文献調査研究の役立つ資料が作られたので、
 自分一人で使うのはもったいないと
 土木学会情報システム委員会のシンポジウムに査読論文として発表した。

 そして、東北大学大型計算機センターの小玉邦子先生は、
 この独文OCR入力システムの開発で、
 全国共同利用大型計算機センター顕彰者として受賞されたのであった(平成4年)。

 ちなみに下記の文章を翻訳している時、小林先生が言ったものだ。
 やあこの構文は大学院の入学試験のとき出たものだ、なつかしい。
 Das Erstaunen des Reisenden und Fuhrmanns vor einer solchen Ingenieurleistung
 kann man sich nicht gross genug vorstellen.
  旅行者や運送業者たちがこのような技術の成果を目の前にしてどのように驚いたか、
 その驚きを今日の人々はいくら想像しても想像しきれるということはないであろう。

  「nicht gross genug あるいは nicht hoch genug
  いくら...しても、しすぎることはない」 

 大学院の独文専攻の入学試験問題レベルのドイツ語原書を訳したのだから、
 小林先生の助けがないと大変だったわけです。

 この文章を今探しだしたのはワープロ検索機能を使ってでした。

 鹿島出版会に提出した原稿はフロッピー1枚でした。

 私は独文と和訳文を一緒に保存してあるフロッピーを今も持っていて、
それを使って検索したのです。

 こういうわけで、この本の翻訳は全国の大学の橋梁専門の先生方からほめられています。

 原文と翻訳を編集するのに使ったパソコン

 小林英信先生は1994年に教授に昇格されました。この本の翻訳も少し役に立ったようです。