橋の文化史の38頁から教会の建築様式ゴシックが出てくるが、
リブアーチとか控え壁とか飛梁という専門用語を調べる必要が出てきた。
そこで東北大学の建築の柴田明徳教授に建築史の参考書を紹介していただいた。
東北大学建築学科の図書館で必要な資料を見せていただき、
コピーもとらせてもらった。
そして自分の勉強のために何冊か専門書も買った。
こうして調べたことにより98頁の注のような教会堂の平面図を入れることにした。
そのほうが読者が理解できると考えたからであった。
教会堂は一般に東西方向に長い長方形になっていて、
西側の正面玄関から入るようになっている。
教会の一番奥が内陣、建物の平面図では東端に聖なる祭壇が置かれている。
信者は十字架を拝むとき東方を向くことになる。
これはカトリックの建築方式らしく、
盛岡のカトリック教会でも建物の東側に十字架が配置されているようである。
なお、この注で引用した図面の原書(これも翻訳書)はやはり鹿島出版会のものなので、
出版社の好意で転載許可がなされた。
この教会建築の知識はパリでノートルダム寺院などを見学したとき確認できます。
海外旅行の際に役に立ちます。
ナラ(Steineiche)
橋の文化史58頁に出てくる。
ローマ人が橋を架けるときに橋脚の基礎として木の杭を打ち込んだ。
ドイツの国境の町トリーア(マルクスの生まれた町)から発掘された
木杭の説明があるが、
この木のSteineicheはドイツ語の辞典に載っていない。
そもそもEicheをひくと、カシ、カシワ、ナラ、オークとなって種類もさまざまである。
堅い木のはずなのでオークも該当するかなと色々迷ってしまった。
そこで著者に手紙を書いて学名を教えてもらった。
著者も学名は断定できないが多分Quercus petraeaではないかと返事を送ってくれた。
植物でも動物でも、その国の言葉で聞いても他の国では当然違う呼び名をするから、
学名で呼ぶと間違いなくその種類を表すことになる。
こうして知ったQuercus petraeaは和名で何というかわからないから、
植物の専門家に聞くことにした。
ちょうど、区界少年自然の家所長の根口勉先生から紹介されて、
農林水産省東北林木育種場の亀山喜作さんにこの件をお話しして調べていただいた。
亀山さんから大量の文献のコピーが送られ、
日本にはない種のようだがいちおう専門家が和名をつけているからと、
オウシュウエナシナラ(Quercus petraea)を教えてくださった。
こういうわけで、58頁のナラの和名オウシュウエナシナラを書くことができたのである。
翻訳は大変疲れることです。専門家が回りにいるのはとても良いことだ。
ローマ人のセメント
59頁のローマ人のセメントは最初の訳では火山灰に生石灰を混ぜるとしていた。
発行前に念のために、訳文を関係の専門家に読んでもらったら、
現在秋田大学の学長である徳田弘先生(コンクリートの専門家)から、
当時は石灰石を焼く温度が低かったから、
生石灰ではなく消石灰であろうと指摘を受け、
早速訂正するとともに参考文献も載せて訳者注を加えた。
郵便馬車の乗り場(Station der Fuerstlich Thurn und Taxis'schen Fahrpost in Frankfurt a. M.)
このドイツ語が小林先生にも私にも理解できなかった。
フランクフルトにこんな地名があるのかと思った。
そこで手紙を書いて著者に質問した。
著者からの返事でわかったことは、
1505年にThurn und Taxisという名前の領主(Fuerst) が馬で手紙を運ぶ郵便制度を作り、
時の皇帝から郵便業務をする権利を認められことに由来するということだった。
郵便業務の内容は、手紙だけでなく人も荷物も運んだようである。
現代なら通信と運輸の仕事をしたということになる。
今でも南ドイツに行くと、
汽車の走らない地域の峠の道をラッパのマークのついた郵便局のバスが走っている。
そのバスは鉄道駅を結ぶのではなく、郵便局から郵便局へと走っている。
Thurn und Taxisの一族が1505年から1866年まで郵便制度を独占していたが、
この権利をドイツ政府に売り渡して、ドイツ国有郵便制度ができたのである。
ドイツの郵便局のマークはラッパであるが、
デンマーク、ノルウェーに行ったらやはりラッパのマークであった。
ただしドイツの郵便局は黄色であるが、北欧はイギリス、日本と同じ赤であった。
なおラッパのいわれは、昔肉屋が肉と一緒に手紙も運んだようで、
肉屋が到着したことを知らせるのにラッパを吹いたことからと言われている。
Thurn und Taxis一族の郵便業務の歴史はドイツなら小学生でも知っていることであるが、
日本人には初耳のことだった。
こういうわけで翻訳をすることは難しい。
その国の文化を知らないと理解できないことがあるから。
余談であるが、この一族はレーゲンスブルクで活躍したようである。
橋の文化史の71頁から出てくるレーゲンスブルクの石橋を見学に行ったとき、
橋のたもとの歴史的ソーセージ屋(観光ガイドブックに出ている)でソーセージを食べた。
この店は何度もドナウ川の洪水にあっていて、店の中の壁に当時の洪水の高さ記録が示されてあった。
ソーセージを食べながら一緒に飲んだビールのコースターをなにげなく見ると、
そこにはThurn und Taxisビール会社と書かれていた。
つまり、この一族は郵便でも設けただけでなくビールでも儲けていたようである。
Thurn und Taxisビールのコースター(ヴァイツェン) Thurn und Taxisビールのコースター(ピルス)
その後知人のドイツ人に聞いたことだが、
この一族は有名な金持ちで最長老が
我々のいた時に亡くなって死亡記事が新聞に掲載されていたとのことであった。
結局、Thurn und Taxisという一族の名前は郵便業務を表す言葉として使われていたので、
最初にあげた言葉の和訳として「郵便馬車の乗り場」ということにした。
フォース橋の原理
238頁の訳者注で、
フォース橋の原理を説明するため、両手を広げた二人の男が脇にいて、
この両側の男に支えられ、
真ん中に日本人が吊桁の代わりに座っている写真について、
真ん中の日本人を
「渡辺嘉一」とすべきところを「渡辺嘉一郎」と
ワープロ入力してしまった。
ちょうど、この翻訳をしているとき
大学院の学生に「嘉一郎」君という学生がいたので、
彼の顔を思いだしながら訳したので「郎」をつけてしまったらしい。
本が出版されてから読者より注意の手紙が出版社に届いて、
あわてて次の印刷の機会に「渡辺嘉一」と訂正した。
ビルツ
286頁に高速道路モンタバアウアーとトリーアの間のエルツ谷にかかる
きのこの形をした橋。
原文ではピルツ(Pilz)で、ピルツというドイツ語は
「きのこ」のことである。
1本足橋脚のピルツは阪神大震災で崩壊したことで
有名になった。
この訳でやはり、きのこ(ピルツ)と書いておけばよかったかなと
思った。
第四刷では「きのこの形(ピルツ)」と直すことにした。1999年3月に出ました。