建設環境工学科1年生(平成10年入学)の優秀作文(?)


原文のまま載せることにしました。句読点や仮名遣いなど訂正したものもあります。

いちおうテーマとして、盛岡に来て良かったこと、がっかりしたこと、冬休み中に
あったできごと等です。昨年と違って、電子メールで送ってくれたものを紹介します。

○冬休み中に、腹についた脂肪を落とそうと思いランニングを始めた。  テレビの発掘あるある大辞典という番組でいっていたことだが、  ランニングの20分間は、走るエネルギーを血液中からもらいその後は、  体についている脂肪からエネルギーをもらうということだった。  だから、ランニングの時間を30分に決めた。最初は、ゆっくりのペースにも  かかわらず、すぐ歩いてしまった。30分間走り続けることは、  体力のないタプタプの腹をもつ僕には無理だった。そして、やはり筋肉痛  になりランニング計画は、失敗に終わってしまった。  冬休みが、終わってみると体重は、3kg増えていた。  計画をたてるのはかんたんだが、実行にうつすことは  難しいということを改めておもいしった。  冬休み中に熱中したのが、ビリヤードだ。新しく近くにできたのでほぼ毎日の  ように通った。手玉をどこにあてればどう動くかということは  だいたいつかんだが、台にぶつけての反射の仕方がいまいちつかめなかった。  数多くのビリヤード技を、覚えようと思う。  そして、冬休み中で一番嬉しかったのが、車の免許をとったことだ。免許をとるのに  時間をかけ、苦労したこともあって達成感もありとても嬉しい。  車をまだもつことはできないが、車をはやく運転したい。  そういうことで、冬休みは、大変楽しかった。 ○今年の冬休みは、大学に入って初めての冬休みでした。そして、初めての事が  とても多い冬休みでした。初めてのバイト。初めての家族以外とすごした、  お正月。そして、初めての地元以外ですごした冬。  その中でも、バイトは、とても印象深いものでした。  私は、3ヶ月くらい前から、塾講師のバイトを始めました。塾といえば、  夏休みや、冬休みなどの間に短期間の集中的講習はつきものです。  私のバイト先も例外ではなく、もちろん冬期講習がありました。  これがまた、大変だったんです!!!  どこの塾にもいえることでしょうが、”塾は、生徒が第1!”です。  それは、よおく分かっているんですが、”少しは教える側のことも考えようよ!”  という授業の組まれかたでした。80分授業で、10分休憩。  そして、それが3コマ、4コマと、続くのです。授業を延長しちゃったりすると、  もう最悪です。  私は、中学生に、数学を教えていたんですが、だんだん疲れてくると、  計算が出来なくなってくるんです。そうなると、生徒の計算間違いをさがすのも  一苦労・・・。  また、うちの塾は、生徒と先生が、1対2、または、1対1になって教えています。  だから生徒のレベルも、ピンからキリまで。教える側としても、  その子にあわせた授業をしえあげだいものですから、3人いれば、  3通りの授業があるわけで、その準備もいろいろとありました。  そして、1人1人が、自分で答えを導き出せるまで根気よく、繰り返し、  教えるのです。どちらかというと短気な私には、これもまた、  がんばらなければいけない1つでした。  このように、この冬のバイトは、心身ともに、私をきたえてくれました。  今までは、教えられてばかりだったので、教える側になって、分かった事が  たくさんありました。”先生だって、授業はだるい!眠い!  本当に先生という職業は、私にはむかないな・・・。”  とても、いい経験でした。 ○盛岡に引っ越してきてはや9ヶ月とちょっとが経ちました。盛岡に来たら家  (宮城県)ではほとんどやったことのない水抜きを冬になったらほぼ毎日しな  ければならないと両親から言われていたし、自分でもそう思っていましたの  で、「冬になるとめんどくさくなって大変だなあ」と思っていたのですが、  引っ越し先のアパートではたまたま凍結防止用ヒーターがついていたので、  今までで水抜きをしたのは、冬休みに家に帰るときにヒーターのスイッチを切っ  たのでその時に水抜きをしただけです。とにかく盛岡に来てよかったことはす  るものだと思っていた水抜きをしなくてもよかったことです。  またこれもアパートのことになるのですが、2重窓なのですが、外は宮城県  と比べるとだいたい5度くらい違うので外にでている時は非常に寒いのですが  家に帰ると逆に宮城県の家のほうが寒いです。また2重窓のおかげで部屋が暖  かいので、暖房をあまり使わなくていいので、灯油代がほとんど掛からないの  でよかったです。  最後に盛岡に来て一番よかったのは、希望の大学に入れてそこで勉強できる  ことです。 ○大学での夏休みでは、車の免許を取るのに四苦八苦して、自由な時間が殆ど  持てなかったが、冬休みでは、2年次での夏休みに計画している「プロ野球観  戦旅行」の費用のたしにするために、年賀状の仕分けのアルバイトに応募した  が、採用されなかったので、非常にゆとりを持って休みを過ごすことができま  した 。  それで、自分のまわりには、一人暮らしをしているひとがたくさんいるけれども、  自分は自宅生なので、朝昼晩のごはんを親につくってもらっているので、  今回の冬休み中で、料理の修業をすることにして、肉じゃがを親に教わりながら  つくってみました。 材料を煮込んで、最後に醤油で味付けをしたら、親が出かけたので、そのあいだに  独自の味付けをして、唐辛子やごま油、味醂やコショウなどをいれて、  受験勉強に苦しんでいる妹に無理矢理試食させたら、「まずい」といわれて、  肉じゃがの具をつかってカレ−を作られて、それを食べたら、自分が作った肉  じゃがよりもおいしかったので、ショックだった。 ○大学生になって初めての冬休みは、非常にゆっくりと自分の時間を持つ ことが、できたように思われる。 12月は実家に帰り家族と共に、年末、 正月を過ごし、早々に岩手のアパートに  戻ってきた。アルバイトがあったためだが、それほど忙しい日程ではなかったので、  アパートでのんびりしていた。  趣味やら掃除やら日頃、無駄なというか時間のやりくりが難しい 事に大半を費やした。それなりに楽しくはあった。怪我も無く、病気も無 く、運動不足ではあるがそれを除けば、健康的な休みであった。 その他の最近の事 水抜きの際、必要ないバルブを開けて水を多少吹き出させてしまった。 夜、白鳥が飛んでいっているのを知った。 自転車で転ぶ人達を見てかわいそうと思ったが、ニヤリとしてしまう。 ○大学での初めての冬休み。期間は少しばかり長かったのですが、  過ごしてみるとそうでもなかったです。  せっかくの長期休暇なので、旅行にでも行きたいなあ、と思っていたのですが、  結局は実行せずに終ってしまいました。  そういう訳で、良く言えば平穏な、悪く言えば暇な冬休みを過ごしたのです。  特別な出来事は青森の実家に帰った事ぐらいです。以前から大雪だと聞いて  いたのですが、私が帰ったその日は、雪はほとんどありませんでした。  久しぶりに大雪を見たかったので、少し残念に思いました。しかし次の晩  から雪は降り始め、ほとんど降り止まず、あっという間に積もりました。 我が家では父と妹弟と私と、お金を賭けて(たったの百円ですが・・・) トランプをするのが休みの恒例となっています。今回も楽しんで来ました。 特にすごかったのは、大晦日に妹弟と明け方までやっていたことです。 妹は大負けで悔しがってました。 負け分は私のアパ−トに無印良品のアメetc.(そこのお菓子が好きなのですが、 盛岡にはないのです。今度フェザンにできるという噂を聞き、楽しみにしています。) を送ってもらう事になりました。 ちなみに妹は中2、弟は小6です。 それから実家に帰り、一つ影響を受けた事がありました。母はよくコ−ヒ−を飲みます。 私も以前は母につられて飲んでいたのですが、盛岡に来てからはあまり飲んで いませんでした。それが、実家に帰ってからいつも飲んでいたせいか、 今も気が向くと飲んでいます。夏は違ったので不思議です。 盛岡にはヨ−デルというバスできます。盛岡−弘前のバスなのですが、一本だけ 朝8時に五所川原からでます。 その日の天気は吹雪、8時にはぎりぎりバス停に着きました。 しかしバスも遅れていたため、無事戻る事ができました。10日間の滞在でした。 一週間ほどして大学が始まりました。のんびりした冬休みは終りました。 ○盛岡に来て早9ヶ月が立ちました。今では、こっちでの生活になれました。  ここ盛岡に来る前から「とても寒い、寒い」と、聞いていました。  その寒い冬が、始まっています。路面はカチカチに凍り、自転車で移動するのも  大変です。正月、実家に帰って、こっちに戻ってきて、とても驚きました。  トイレにたまっている水が、凍っていました。そのほかにも、  すでに1回水道を凍らせてしまいました。とにかく、この寒さには驚くばかりです。  しかし、これからが冬本番なので心して生活していきたいです。 盛岡に来て一番感動したのは、岩山から見た盛岡の夜景でした。今までこういった  所から夜景を見たことがなかったので、何か感激でした。これは本当に感動しました。  地元の友達が来た時には、この夜景を見せてやりたいと思います。 後期の授業では「景観工学」があります。この景観工では、こういった街の  見えかたなども勉強できるので、ただ眺めるだけでなく、違った見方もできると  思います。この建設環境工学科にひいったのも、こういった勉強をしたかったからです。  今年は、2年になるので、1年次よりも専門科目が増えるので、心配な反面、  楽しみでもあります。 もう1つ、きてよかったと思うのは、友達ができたことです。勉強面でも、生活面  でも友達なしでは乗り越えられなかったと思います。これからも友達を大切にして  いきたいです。 ○昨年春に岩大に入学し、盛岡に住むようになって一年になろうとしています。  この一年で盛岡がすばらしい街だなと実感したことが多々ありました。  最も感激したのは、やはり環境の良さだと思います。盛岡では普通に生活している  だけで自然を感じることができます。僕のアパートは館向にあるのですが、  窓を開ければすぐそこに北上川があり、上流の方に目をやると壮大な岩手山が  そびえたっています。毎日が感動です。  またこの夏には友人達と小岩井のほうへキャンプにいきました。その夜見た  夜空いっぱいに広がる星と、その中を流れる流星は今でも忘れられません。  このようなすばらしい環境の中で大学生活を送ることができとてもうれしく思います。 ○待ち遠しくて待ち遠しくてしょうがなかった冬休みがやっとのことで  やってきました。  冬休みが始まる前は、いろいろ計画を立てて、冬休みじゃなきゃ出来ない事を  しようと思っていました。  けれども、冬休みに入ってみると、思っていたようにはすごせなくて、  だらだらと一日を無駄に送っていたような気がします。  実家は青森でお正月は家族と一緒に過ごしたかったので、青森に帰りました。  盛岡とは違い雪が多くて、帰ってきたんだなあと、実感しました。  家ではみんなが、温かく迎えてくれました。一人暮らしだとなかなか食べられ  ないような、おいしいご馳走を食べすぎなくらい、いつもいつも食べていました。  こんなときは、自宅から通っている人は、いつもおいしいご飯が食べられて  うらやましいなと思いました。  お正月には、高校のときの友達と、会いました。普通だったらみんな久しぶりに  会って、懐かしいとか思うのかもしれないけれど、私の場合は、卒業してから、  ゴールデンウィーク、ねぶたのとき、秋には東京でと、何度かあっていたので  みんな変わりなく、楽しく遊びました。  青森には、12月29日から1月9日と、いつもに比べて長く滞在していました。  本当は8日に帰ってくるつもりだったのですが、吹雪のせいで、高速道路が  閉鎖されて、帰る事が出来なくて、また引き返してきました。とても大変な日でした。  冬休み中にやりたいと思ってて実行できた事の一つに、スノーボードがあります。  今までは、ずっとスキーをやっていたのですが、友達に進められたのと、  自分でもやってみたいという気持ちもあったので、始めてみようという気になりました。  スノーボードは、怪我もしやすく、危険だと聞いていたので、始めは、不安や  恐怖感がありました。いざ、滑ってみると、思っていた通りに恐くて、きちんと滑  れるようになるまでにはすごく時間がかかりそうにおもえました。  冬休みの間で2回滑りに行ったのですが、2回とも、天気に恵まれて、  寒くないのがよかったです。1回目は、ぜんぜんうまくならなくてどうしよ  うかと思ったけれど2回目になったら少しだけですが滑れるようになりました。  一番大変なのが、滑った次の日の筋肉痛です。  日常生活の行動が、いつもの3倍くらい時間がかかって、バイトに遅れそうに  なったりしました。  冬休みがあったおかげで、趣味が一つ増えたのでよかったです。けれども、毎日時間  が過ぎるのが、とても早くて、あっという間の冬休みでした。 ○年末、APPIにスキーに来ていた兄にひろってもらって車で帰りました。  家に着いて久しぶりに愛犬(?)コロに会って、やせていることにビックリしました。  同時に自分は太ってしまったので「ずるい!」と思いました。 大晦日、小学校の同級生と会いました。カラオケに行って、いつもは飲まないお酒も  「お正月」ということで飲んでしまいました。すごい飲んだわけでもないのに、  大騒ぎしていたせいか酔っ払ってしまいました。  そのあと、同級生のうちのひとりの家に行きました。部屋でのんびりしていると、  海のほうに花火が上がりました。  その部屋には、ロフトがあったのでみんなが上りました。  私も見たかったので上がろうとしました。2、3段上がったとき私は  階段ごと落ちてしまっていました。そして、さらに最悪なことに  私の足元には、年越しそば用のお湯があり、そのお湯を自分の足にかけていました。  でも、酔っていたため自分では何もせず、友達に靴下を脱がせてもらい、  氷の入った袋を右足にあててもらいました。 朝、家に帰るときも痛くて靴がうまくはけませんでした。あまりにも恥ずかしく、  情けないので家族に言わないでいました。でも、夜兄とふたりでいるときに  見つかってしまい、すべての事情を話しました。  それで、水脹れを潰してもらいました。両親には、内緒のまま盛岡に帰ってきました。 ところが、それから1週間たった頃に足が腫れてきました。歩くのも困難になる  ぐらいの痛みだったので、病院へ行きました。  すると、先生に「どうしてすぐに、来なかったの?」と聞かれ、「大丈夫だと  思って・・・」と答えると「大丈夫じゃないから来たんでしょ。  小学生じゃないんだからすぐ来なさい。」と言われてしまいました。  そして、いまだに右足には包帯がまかれています。 ○冬休みの出来事   今年の冬休みはバイトがほとんどで、あっとゆうまに終わってしまいまし  た。冬休みの始めに少ない休みを利用してコンタクトを作りに行きました。  初めてで、とても痛く今でもまだ慣れません。   年末はお腹をこわし、苦しんでいました。  お正月は一人だと寂しいから帰ってきなさいと、母に言われ、31日の夜に  実家に帰り、家族と過ごし、午後は友達と有意義な時間を過ごしました。そ  してそのまま夜のうちに盛岡に逆戻りです。2日、3日は初売りで、7:30  からバイトでした。私は朝早く、行くのも嫌だったのに、お客さんは7:00  前から並んでたみたいです・・・。   やっと長い(といっても4日間だけでしたけど)休みがとれたのが11日から  で実家に帰り、友達と飲みに行ったり、カラオケに行ったりして充実した4  日間を過ごしました。   冬休みが終わってからはレポートに追われましたが、中身の濃い冬休みで  した。 盛岡に来て良かったこと   私の父の両親の実家が岩手で、いとこも盛岡にいるのでちょくちょくと会  えるのがうれしいです。又、盛岡に来たことによって一人暮らしを始めるこ  とが出来ました。それは私にとって大きな進歩でした。 盛岡に来て悪かったこと   まず第一に寒い!!一度降った雪がなかなか解けないし、水抜きをしなけ  ればいけない。それに今年に入って2度も転びました・・・。   第二に街自体が小さいことです。仙台から来た私にとっては買い物をする  ところが少なく物足りないです。                  以上、冬休みの宿題でした。 ○ 僕は冬休みは色々あったなあと思ってます。だから色々書きます。         アルバイト  僕はアルバイトをしています。そこではいつも人が足りないので ほとんど無理矢理入らされてました。 だから、やめました。と言うのは嘘です。 雰囲気が和気あいあいという感じなので結構よいバイト・・・だとおもいます。 まあ、無理矢理入らされてました。だから、シフト表に記入しませんでした。 そうすると、バイトに入ってくれと電話がきます。だから電話にもでませんでした。 しかも僕はその頃金髪だったのでどうせバイトに入る事はできませんでした。 僕は休日を楽しみました。ほかのバイトは働いています。 ちょっとだけ心が痛みました。 でも彼らはお金を稼ぐためにバイトしてるし、僕はお金は十分あるから 働く必要はないです。しかも、いつまでたっても休みはきません。 だから僕は僕なりに考えて休日をとって楽しみました。     最近バイトに行きはじめました。    穴  僕はアパートに住んでいます。隣の部屋の住人はうるさいです。 というよりは音楽がうるさいです。時間などおかまいなしです。 あまりにうるさいので壁を蹴りました。変化が無いので今度はもっと強く蹴りました。 そうすると急に静かになりました。静かになったので、安心して眠りました。 次の日の朝、学校に行こうと思って自転車の鍵を開けようとしたら壊れていました。 というより壊されていました。犯人は誰だろうと思いました。 荒ぶる魂をホームズに変えて考える事もできるのですがやめました。 鍵は2個つけているので1個壊されても大丈夫です。 寛容な僕は犯人を許すことにしました。「汝、隣人を愛せよ」という言葉があります。 僕はその隣人とやらを愛することにしました。僕は心が広いのです。  また数日してうるさくなりました。昼の3時か4時ごろでした。僕はお昼寝中でした。 読書中に邪魔されることと睡眠を邪魔されることほど気分を害することはありません。 僕は思い切り壁を蹴りました。すると、ボコッという音とともに、 こぶし大の穴があきました。しかもうるさいままです。 仕方が無いので大家さんの所へ行って注意してもらいました。 穴のことはしゃべっていません。相変わらず隣人はうるさいです。 穴に耳を近づけたらヒューヒューと音がして冷たい風があたりました。 隣人を愛するのをやめようと思いました。 敷金、礼金は戻ってこないだろうなとも思いました。        水漏れ  実家で正月を過ごした僕は久々に盛岡に帰ってきました。 荷物を少し片づけて落ち着いていたら、玄関の方でポタポタ音がしました。 天井から水が落ちていました。 すぐ止まるだろうと思って20分くらい放っておきました。 止む気配がありませんでした。いよいよやばいと思って大家さんのところへ 行きました。大家さんが上の部屋へ行ったら住人は居ませんでした。 だから合鍵を使って中へ入り水道を止めました。 大家さんと話していたら上の住人が帰って来ました。 大家さんが呼び止めて僕のところへ連れて来て謝らせました。 僕は心が広いので許しました。 床がぬれたくらいで目くじら立てて怒る必要はありません。 謝った住人を帰してめでたしめでたしです。 僕は引っ越したほうがいいかなあとおもいました。 凍結 朝起きてトイレに行き、用を足して水を流そうとしたら流れませんでした。 凍っていました。昼になればあたたかくなってとけるかなと思っていたら とけませんでした。最高気温が氷点下だったからです。とりあえず水道栓をしめました。 氷点下は2、3日続き水道はとけませんでした。次の日とけなかったら水道屋さんを 呼ぼうと思いました。お金がかかっても破裂よりはましです。 すでに破裂してるかもしれないし・・・。 次の日の昼の2時ころ、水道栓をあけたら水が流れて来ました。 最高気温は1度でした。これからはちゃんと栓をしめようと思いました。 凍結で得た教訓 1、盛岡の冬おそるべし 2、盛岡の冬侮るなかれ 3、やっぱり引っ越したほうがいいのかなあ 冬休みは終わり なんかいやなことばっかりのように書いてますけど、 決してそんなことはないです。楽しいこともたくさんありました。 バイトの先輩と飲んだり、大学の友達と飲んだり 実家に帰って親と飲んだり、親戚と飲んだり、 地元の友達と飲んだりしました。・・・なんか飲んだくれみたいだなあ。 まあ、それぐらい平和で楽しい冬休みでした。それでは終わります。 ○盛岡で、そして、独り暮らしで何もかもが初めての冬を迎えた。  一番驚いたのは、11月に-7度という気温を記録したことだった。  アパートの台所の水、トイレの水、お風呂の水は凍ってしまうし、水抜きの仕方  は大家さんに聞かなくちゃいけないし、初めての経験で、何もかも一人で しなくちゃいけなくて、すごく心細くて、ゆううつな気持ちになっていた。家の 人に電話すると、一つ一つ解決していくみたいで気持ちがすごく楽になった。 こんな中で、大学生活で初めての冬休みを迎え、約4か月ぶりに山形に帰った。 約3週間滞在してきた。独り暮らしとは違って、ご飯は出てくるし、お風呂には 好きなときに入れるし、にぎやかだし、すごく幸せだった。お正月は、 家族5人でお節料理やおもちを食べながら、お正月番組を見て、のんびりと すごした。近くの神社に初詣にも行った。おみくじも引いた。毎日、家中でゴロ ゴロゴロゴロしてたけど、久しぶりに家族とすごせて幸せを感じた。 最初は、友達と会ったり、買い物に行ったりして、充実した日々を送っていたけど、 7日ごろには、みんな帰ってしまい、ヒマをもてあます日々が始まってしまった。 そんな時、大雪が降り出して止まなくなり、私たちの町は雪に埋もれてしまった。 交通機関はストップするし、学校は休みになるし、新聞の全国版にまで 「山形県米沢市のJR駅」とかいって、線路が雪にうもっている写真が載って しまった。私も、毎日雪かきをしなければならなくなり、日課のように1日2 回雪かきをしていた。 ということで、今年の冬の一番の思い出は、雪かきに励んだということだ。 外に出て行くまでは嫌だけど、出ていって始めてしまえばあっという間に 1時間とかたってしまうものだった。今までは、部活とか勉強とかいって 全然手伝わなかったけど、おばあちゃんには喜んでもらえるし、休みの日は 家族総出でやったりして、すごく気持ちよかった。 3週間はあっという間で、また盛岡での独り暮らしが始まった。 戻ってきたばかりの時は、1人で部屋に居るのが寂しくて、家族のこととか思 い出してしまったりするけど、学校やバイトが始まって、友達と一緒にいると こっちの生活も悪くないなと思える。盛岡にきてよかったことは、新しい友達 ができて、独り暮らしをする前の自分より、少し大きく、少し強くなれたとこ ろだと思う。

     紙で提出した作文

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