学生委員雑感

これは工学部後援会という学生の父兄組織が年に1度発行する「大学の便り」に載せ
た依頼原稿です。要するに最近の大学の研究スタッフなどの様子を知らせるものです。
学生委員長も原稿を書くのが恒例となっています。
やや脱線ぎみの記事を書いてしまいました。

     学生委員雑感
                  建設環境工学科教授
                  学生委員会委員長    宮本 裕

 昨年度の材料物性工学科の中村満委員長の後をついで、今年1年間工学部学生委員会の
委員長をさせていただいています。全学の学生協議会委員長も工学部から選出する順番に
なっており、こちらも掛け持ちとなっています。更に教授会で工学部教務委員会の委員長
にも選出されたので、三大委員会の舵取りをする1年になりました。そういうわけで、教
養教育改組や入学試験の仕事と並んで、学生指導の仕事をするのは大変なことです。私の
非力のため皆様にご迷惑をかけていると思いつつ過ごしています。
 学生委員会の前身は補導委員会で、補導という名前が前近代的だという感想があちこち
から聞かれて、各学部で補導委員会から学生委員会に改められました。それにともなって
全学の補導協議会も学生協議会に改められました。昨年度はそのための委員会規則の見直
しで、学生の厚生補導という文言をめぐって長い審議が続けられました。学生の人生とい
う大きな目標の進路指導をするのが学生協議会の仕事の1つです。工学部学生委員会も大
量の留年を抱えて、その対策にあけくれています。昨年の学生委員会で、その対策の1つ
として、1年生から教育生活指導をすることが大切だから、入学したばかりの1年生を対
象に学科の教官1名につき4〜5名の学生を割り当てて年に2度ほど懇談をする機会を作
ろうということになり、今年から各学科で実施しています。大学に出てこないで単位の取
れない問題学生には保護者に手紙を書いて激励してもらうことにしています。その保護者
に出す手紙を夏休みに届くよう7月下旬に私も書きました。こうした保護者との協力も大
切です。
 4年間で卒業できず、5年以上中には8年間かかってやっと卒業していく学生もいます。
中には公務員試験に合格したが卒業する見込みがないから中退していく人もいたり、トラ
ック運転手になると言って退学届けを提出して行った人もいます。長い人生ですから、大
学で人よりゆっくり過ごすのもあながち責められることでもないと思いますが、せっかく
入学しながら8年間いても工学部に移籍されず未移籍のまま退学という例をみるにつけ、
何がそうさせたのか原因が気になります。
 私が昔ドイツ政府の奨学生としてドイツ留学をしたとき、ちょうど同じ学科に在外研究
員としてアメリカ留学する先生、タイのアジア工科大学に派遣された先生と時期が重なり、
教授助教授8名の中3名が海外出張するという事態になりました。この間1年間、休講が
多かったせいか、はたして私が帰国してから、問題の学年の学生の中には8年かかって卒
業した人もいました。同じ入学クラスなのに成績の良いものからそうでない者まで様々な
学生がいました。国家公務員上級試験(1種試験)に合格して国家公務員キャリア組とし
て出世コースに乗ったA君、望ましい相手と結婚するため一生懸命勉強し一級建築士の資
格をとり県庁に勤務するB君、その反対に異性問題で勉学に身が入らずとうとう退学した
C君、あるいは就職が決まっていながら体育の水泳の単位がとれず行方不明になってしま
ったD君(その後無事卒業)など同じ条件にありながら違った人生の道を歩むことになっ
た彼ら。何か原因があってそうなってしまったのです。毎年観察していますが、みんなそ
れぞれ違うケースなので、なかなか原因を整理して系統的な対策をたてるには至っていま
せん。
  大学教官も研究だけしていればいい時代ではなく、学生を指導してたくさんの卒業生を
世に送り出さないと岩手大学の評価は高まらないのです。なんとも、忙しい時代となりま
した。

この会報が父兄の元に送られ読まれたのでしょうか。
その後で、私に留年している学生の母親から電話がかかってきました。
いつも世話をしてくださる先生のようですね、と会話が始まりました。
息子をなんとか卒業させてほしいと頼まれ、それなら本人が大学に出てこないと
はじまりませんよと返事をして、いつのまにか月日は流れたのでした。

そして、8年目の春4月に本人がやってきました。数学の担任の先生の部屋に
彼と一緒に行って、夏の再試験をしていただくよう話がまとまりした。
もちろん本人も勉強して、結局9月に卒業できることになりました。
学生委員をやめて2年目でしたが、彼だけはなんとか世話をすることができたのです。
両親の心配と支援のもとに、本人が意欲を出したから、卒業できたと思います。
してみると、私はそばで見ていただけ。本人の努力を見守ってやるだけ。
私が助けたと考えるのはおかしなこと。本人が自分で歩いたのです。
でも、こんな良い話に立ち会えたことは、私にとっても嬉しいことでした。
トルコと台湾の地震が続けてありました。

別の学生のうれしい話