とてもうれしかったから記念に書いておきましょう
2001.1.19
その学生は1年生の時は真面目に教室に出ていたのですが
2年生になってから、学校に出てこなくなったようです。
これは大変と思って、彼の両親に手紙を書いて、注意をうながしたのです。
やがて学校には来るようになりました。
しかし、2年生の時の影響があって、なかなか4年間で卒業するのは大変でした。
私の学科の場合、3年生から4年生になるのに、成績のチェックがあります。
3年生のうちに、それまでのすべての必修科目を履修していないといけないのですが、
まあ、そんなに完全に修めた人は少ないので、何単位か未修得単位があっても
4年生になることができます。しかし、あまりに未修得単位が多い人は4年生に
なれません。
その学生の場合、他の学生にくらべて未修得単位は多すぎて、その年に4年生になる
ことは無理でした。そこで1年間の留年が確定したわけです。
みんなに遅れても、翌年に4年生になれたら、1年遅れで卒業できるから
それでもいいと本人も思ったのです。私も同じように考えました。
しかし、1年間の留年でも、単位はなかなか減りませんでした。
特に問題なのは、教養の数学が微分積分4単位、線形代数4単位、これらの
科目は3年間(3度)受けたのに、不合格でした。
実はこれらの科目は早く単位を取っておいたほうがよいと私も思い、
担当の先生に聞いてみたのです。しかし、彼の成績はとても合格にほど遠い
前年にそう言われたのです。そこで留年した年にもう一度彼は講義を受けたのです。
それは1年前の3月のときでした。1年遅れたが、今年こそ4年生になれる
研究室に配属される、と彼も期待していたのに。実際の彼の成績はこれらの数学
の合計8単位は不合格のままでした。
そこで再度、私は数学の先生のところに行って相談しました。が、厳しい返事です。
こんな成績ではとても合格にできない。みんなそう言います。
出席しているだけで、全然理解していない。そう言われました。
しかし、彼は私の部屋に来て大泣きに泣いたのです。他の先生も彼の様子が普通で
ないことに気がつき、どうしましょうかと相談を受けたのです。そこで学科の先生方
と相談して、私が数学の担当の先生に善処していただくよう、私に依頼されました。
というような事情を説明して、それも1度ではなく何度か足を運んで頼んだのです。
結局教育的な配慮をしてくれることになり、4年生の配属の条件を満たすため、
いちおう合格の成績を先につけていただくことになりました。
そして、後日、先生方から課題を出していただき、私が個人的に家庭教師的に
助けたり、本人が数学の先生の所に通って、実力をつけることになりました。
というわけで、彼の横に坐って一緒に問題を解いたのです。そのときわかったのは
彼は教科書を全然読んでいないということでした。ちゃんと本に書いてあることを
理解していない。だから、問題も解けない。正しい解き方で解かないで、自分勝手に
解くから答は合わない。やがて、彼も自分の勉強が足りなかったことに気がつきました。
少しずつ勉強していくうちに、だんだん数学もわかってきたようです。
そのうちに、私にわからない問題を持ってくるようになりました。私も昔解いた
はずですが、今は忘れているものもあります。そこで私が学生時代に使った教科書
を取り出したりして、一緒に解きました。
こうして力がついてくると、工学部で勉強する応用数学の方も、少しずつわかって
きました。本人が試験問題を再現できて、どこがわからなかったのか私に報告に
きたので、それは力がついたことであると彼に言ってやりました。
その応用数学先生も、彼の力が少しずつついていることを認めていました。
そしてとうとう、彼は応用数学の試験に合格したことを、本日私に報告に来たのです。
卒業までに、あと数科目の単位が残っている。でも、それらは全部合格するでしょう。
なんといっても、苦手だった数学を克服したのですから。
私にとっても、彼によって色々なことを学びました。
大学入学のための高校で学ぶ基礎教育はある程度必要です。センター試験の点数だけで
本人の個性とか能力を考慮せず、合格できそうな大学に進学させようとするのは、
目先の解決だけになって、将来に問題を残すのです。といっても高校の進路指導の
先生は、何人合格させたかという結果で評価されてしまうから大変なのですが。
ともかくも、彼の明るい顔を見て、私も嬉しくなったのです。
こうなったのも、本人が意欲を出したから。
私が助けたからと考えるのは正しくはない。本人が自分で歩いたのです。
私はそばで見ていただけ。本人の努力を見守ってやっただけ。
その後、卒業研究を発表する前になって、不安になってきた彼はまたも私の部屋に
姿を現しました。たいていの学生は発表をひかえて自信がなくなるものです。
いや、少し研究がわかってきたから、自分の研究の問題点が見えてきて、不安に
なるのでしょう。
悩むのはそれだけ努力したから。まるでゲーテみたいなことを言って、彼をなぐさめ
激励したのでした。
ともかくも、彼は卒業研究を立派に発表しました。
きっと良い思い出になったことでしょう。
それから、実はまだ数科目の再試験とかレポートがあったのですが、
なんとか最後の力をふりしぼって彼は取り組みました。
卒業研究も論文に清書して提出したし、一足早い会社の研修にも参加するという
毎日が忙しい生活を送っています。
そして、本日の卒業判定会議で公式に彼は卒業できることになりました。
私もとても嬉しいのです。今夜は別の送別会がありますが、なんだか
飲み過ぎそうで気をつけないといけないと自覚しているところです。