啄木の短歌は 自分の中にある気持ちを 
寂しいとか 不満であるとか いらいらするというような漠然とした言い方でなくて 
自分の行動の中で具体的に表現しています。
  だからわかりやすいんですね。

函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻と親しむ ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく 不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心 しんとして 幅廣き街の 秋の夜の 玉蜀黍(とうもろこし)の 焼くるにほいよ 今夜こそ思ふ存分泣いてみむと泊りし宿屋の茶のぬるさかな 潮かおる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇よ今年も咲けるや しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな 船に酔ひてやさしくなれるいもうとの眼見ゆ津軽の海を思へば 「呼吸(いき)すれば 胸の中にて鳴る音あり 凩(こがらし)よりも さびしきその音」 「眼閉づれど 心にうかぶ何もなし さびしくもまた眼をあけるかな」          もっと啄木