これは岩手大学のネットワークニュースに連載したものです。
特に私の学科の学生諸君に広く読んでほしいと思って、ここに転載します。
その1 ブラジル事情 はじめに これは当時岩手大学大学院工学研究科修士課程1年(土木工学専攻)の 佐々木栄洋君の、日本ブラジル交流協会のブラジル留学研修報告書の中から 一部を宮本が独断で抜き書きしたものである。 佐々木君は一年間のブラジル生活で、感じたものをよくまとめてあるが、 それに多少の宮本のコメントを加えて、掲載しようと思う。 「1991.4.4〜1992.3.8のブラジル体験記」 実は彼が土木工学科3年生の時に、日本ブラジル交流協会のブラジル 留学研修に彼が応募した時、推薦状を書いてやったことがある。 そして、私は彼が帰国したら、ブラジルの体験記を私に提出するよう 勧めた。彼は約束を守って分厚いノートにブラジル体験記を書き込んで 私に持ってきた。 ここでは、論文のように、すきのない充実した文章を書く気は全然ない。 佐々木君の感動に共鳴したり、別な視点から補足したり、 あるいは彼の文章はきっかけだけに使われ、 私個人の発言が暴走していく危険がおおいにある。 その方が気も楽だし、このニュースは若い学生諸君によく読まれている ようなので、何か与えるものがあるのではないかと思うから。 若いうちの海外生活は大きな影響を与えるものだと言われている。 人間は、その回りの環境の意味とかありがたみを、その中にいる限り 本当の意味では認識できないものだ。 いったん、その影響の外に出てみると、その自分のおかれた環境の意義など が始めてわかるといわれている。 たとえば、宇宙空間で空気が無くなったり、砂漠で水が得られない場合を 考えてみればよい。 というわけで、日本を外から見なおしたレポートともいえるのである。 (昨日、佐々木君に会ってニュースに掲示することは了解してもらった) その2 ブラジル事情 なぜブラジルへ行ったのか なぜブラジルへ 彼の場合、岩手大学に入っても、自分が何をしたいのか、何のために生きて いくのか、 人生の目標がみつからなかった、と報告書に書いてある。 日本の若者の特徴でもある、この無目的人生は青年のためには不幸なことで あるが、時代が作っていることかもしれない。 立身出世の価値観に代わる、他の人のために何かしてやる、という別な価値 体系が必要なのかもしれない。 (阪神大震災で、若者がボランティア活動を通じて 喜ばれることに生きがいを見出したという話は貴重だ) 宮沢賢治がいたら、と思う。 彼は、新日鉄のサッカー部のゴールキーパーをしながらアルバイトとボラン ティアにうちこんでいるうちに、 ボランティアの先輩からブラジルの魅力を聞き、日本ブラジル交流協会の 留学研修制度に応募することにした。 入学願書請求は350を越え、書類審査合格は100名を越え、結局41名 の候補生の中に選ばれた。私宮本は彼から頼まれて、推薦状を書いた。 日本ブラジル交流協会 1976年9月に、訪日中のカイゼル・ブラジル大統領に、永野重雄日本商 工会議所会頭は「日本ブラジル青少年交流協会」構想を提案した。 ブラジルは70万人の日系人がいる”遠くて近い国”であり、その豊かな資 源と日本の資本・技術が補完しあえば相互の経済発展は期待される。 両国の永遠の有効と繁栄のために人的交流とくに青少年の文化交流が不可欠 であり、日伯のかけ橋となる人材の育成が急務である。 こうして日本ブラジル交流協会が発足した。 事前研修 一部を紹介すると、通信教育によるレポート提出、ボランティア活動 (交通遺児、災害遺児、病気遺児のための学生募金運動)参加、 東京都内を一昼夜歩き続ける100kmハイク、40時間の雪中ビバーク などがある。 30km歩くのにも大変なのに、100km歩くとは大変なことである。 最近、花粉アレルギー症状のメカニズムが解明されてきて、花粉の因子だけ でなく、自動車の排気ガスの中の物質も一緒に作用して、花粉症になるという。 したがって、東京の排気ガスでいっぱいの道路の脇をジョギングするのは、 考えたらいいことではない。 ブラジルの大自然の中を100km歩くのとは大違いである。 本で読んだが、オーストラリアの中学校では、自然の中で冒険体験をするこ とが卒業の条件になっていて、日本ならPTAで文句が出そうなことで あろうが、サバイバルに挑戦するコースが組み入れられているそうだ。 大自然の雄大なブラジルに行く者は、体力も必要だからやむをえまい。 50冊の本 読書感想文を書いたという50冊の本のリストがあげられていた。 ここではリストの一部を紹介しよう。 武士道(新渡戸稲造) 女工哀史(細井和喜蔵) きけわだつみのこえ(日本戦没学生記念編) インドで考えたこと(堀田善衛) 日本科学史(吉田光邦) 日本人とは何か(加藤周一) 地球の歴史(井尻正二、湊正雄) 茶の本(岡倉天心) 貧乏物語(河上肇) ユートピア(トマス・モア) 今の学生は本を読まない。 愛読書はと聞かれたら、コミック誌と答えそうだ。 その3 ブラジルの地理など ブラジルの地理 ブラジルは総面積約851万平方キロメートル、これは南米大陸の47%に あたる。 ブラジルの面積は日本の面積の22.5倍にあたる。 仏領ギアナ、スリナム、ガイアナ、ベネズエラ、コロンビア、ペルー、 ボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイの10ケ国と国境を 接している。 国土の北部には、アマゾン川が西から東へ流れて大西洋にそそぎ、その流域 はギアナ高地とアンデス山脈に囲まれた低地となっている。 中央部には標高500〜1000メートルのブラジル高原があり、南西部に はパンタナルとよばれる湿地帯が広がっている。 そして大西洋沿岸には平野が帯のように続いている。 ブラジルの気候 赤道と南回帰線の間に位置するブラジルは、国土の大半が熱帯気候に属して いる。 しかし地形が多様性であるため、ブラジルでは地域によって気温や雨量の違 いが生じている。 ペレンやマナウスのあるアマゾン流域は赤道に近く、1年中高温で雨の多い 熱帯雨林気候で年平均気温は26〜27度もある。 ブラジル高原とギアナ高地は雨季と乾季の差がはっきりしたサバンナ気候で ある。 ほとんどの町が千メートルを越える高地にあるため、平均気温は20度にみ たない。 ブラジルの北東部はステップ気候とよばれる乾燥気候で、年間雨量は千ミリ 以下である。 ブラジル南部はウルグアイやアルゼンチン北東部と同じで、雨の多い湿潤な 亜熱帯性気候である。 なにやら、地理の勉強をしているようで、いっぺんには覚えきれないない ようです。 とにかく広い国土で、しかも人口は日本と同じくらい、そして熱帯気候の地 域が多いから、ちょっと私の想像をこえてしまいます。 その4 ブラジルの政治 ブラジルの人種 1990年現在、ブラジルの人口は1.44億、これは南米大陸の人口の約 半分にあたる。 植民地時代の約300年間、ブラジル人の人種構成は原住民であるインディ オと植民者であるポルトガル人、アフリカから奴隷として連れてこられた黒 人、そして各種人種間の混血の人間によって成り立っていた。 1995年のブラジル政府の統計によれば、皮膚の色別にみた住民構成は白 色61.7%、有色26.5%、黒色11%、黄色0.6%、不明0.2% となっている。 1946年に現行憲法が制定されるさい、日本人入国禁止の条項を入れるか 否かが論ぜられ、ブラジル人の政治家、学者の間には日本人移住者について 批判的な意見もある。 1960年11月、日本、ブラジル移住協定が締結され、日本人移住者はそ のつど人数を決定することにした。 ブラジルの政治 ブラジルは自治権をもつ26の州と連邦区からなる連邦共和国である。 連邦区とはブラジルの首都ブラジリアである。 各州には、連邦憲法の原則にしたがった独自の州憲法があり、司法、立法、 行政の三権分立の政治体制が確立している。 国会は下院と連邦上院からなる2院制で、下院議員は任期4年、比例代表制 により各州から選ばれ、上院議員は各州と連邦区から各3名選ばれる。任期 は8年だが、4年ごとに3分の1もしくは3分の2の議員を改選する。 大統領の任期は5年で、再選は認められていない。 ブラジルの経済 ブラジル経済は、1964年の軍事クーデター以降めざましい発展をとげた。 政治的に国民に反論を許さない政治体制の中で、税制や強制貯蓄制度、工業 製品の価格統制、賃金の引き上げなどの政策がとられた。 1968年から1973年にかけては「ブラジルの奇跡」といわれるほどの 高度経済成長をなしとげた。 これは世界的な高度経済成長と豊富な資源、輸出指向型工業で得る巨額の外 資に支えられた成長であった。 しかし、1973年のオイル・ショックは石油輸入依存率80%のブラジル に打撃を与えた。 1979年の第2次オイル・ショックに続き、80年からは世界的不況もか さなりブラジル経済は100億ドルの赤字をかかえ、国内にはインフレと失 業が渦巻いた。 1988年、累積債務額は1150億ドルとかさみ、ブラジル経済は慢性的 な危機に直面している。 その5 ブラジルの宗教 ブラジルの宗教 ブラジルでは宗教の自由が認められ、政教分離が提唱されている。 しかし、植民地時代からの伝統で、人口の約90%がカトリックを信仰して いる。 原住民インディオの原始宗教と、植民者ポルトガル人がもたらしたローマ・ カトリック教、そして西アフリカから奴隷としてブラジルに来た黒人の部族 宗教の3つがこの国の宗教の源といえる。 バイーヤ地方を中心にスーダン族やバンドゥ族など、黒人奴隷の部族宗教を もとに形成されたアフロ・ブラジリアン宗教の一つであるカンドンブレーは、 現在はカトリックと習合しているが、初期の信者は黒人に限られ、白人に強 い敵意を持つ集団であった。 このカンドンブレーにバジェランサ(インディオの宗教とカトリックの習合) とカルデシズム(心霊主義)が加わったものがマクンバで、リオデジャネイ ロ州を中心とする地域で生まれ、バイーヤ州でも見られる。 サンパウロ州では、マクンバにユダヤ教やヒンズー教の教義が加わったウン バンダが盛んである。 これは霊媒によるカウンセリングが中心で、問題を抱えた信者に具体的な解 決方法を教えるため、下層階級から中層階級まで幅広い信者がいるといわれ る。 (昔むかし、黒いオルフェという映画を見たことがある。 ヒロインの若い女性が地方から都会に出てきてカーニバルのときに、いつも 自分を追いかけくる死神にとうとう追いつめられて感電死してしまう。 悲しみにしずんだ恋人の青年は、このマクンバの霊媒により、ヒロインと会 話を交わすことができる。 しかし、後ろをふり返らないで、という娘の言葉を聞かなかった青年は、つ いに後ろをふり返ってしまう。しかし後ろにはただ霊媒がいるだけ。 もはや恋人とは言葉すら交わすことができなくなった。 この話はギリシャ神話に基づいているが、日本にも同じような話がある。 古事記のイザナギは亡くなったイザナミを探して黄泉の国まで行き、なんと か地上に愛妻を連れ戻そうとする。 イザナギが先を歩きイザナミが後を歩いて、あと一歩で地上に出られるとい うとき、後ろをふり返らないで、というイザナミの言葉をつい忘れて後ろを ふりむいてしまい、とうとう死者を連れ戻すことはできなかった。 これは偶然世界共通の伝説が各地に分布しているのか、古代人の文化がギリ シャに伝搬し、またあるものは遠く日本にまで伝搬したのだろうか) 実はこの文章は、2度目の入力である。 一度文書ファイルを作ったのに、次のブラジルの両替の文書ファイルを作る ときに、この同じファイル名で登録したため、前に書いた文章は消されてしまった。 マクンバのたたりか。 ブラジルの教育 近代教育が始まったのは、民主主義が確立された、第2次世界大戦後のこと である。 それまでの教育制度は上流階級のためだけの装飾的なものであった。貴族的 なエリート養成だけを目的としており、国民の教育といえるものではなかっ た。 戦後の改革により、教育の普及率は高まり、特に高等教育制度は農学、工学、 経済学、経営学などの専門家を養成し、ブラジルの工業・農業を支えるもの となった。 国立の高等教育期間は無料であり、また7歳から14歳までは義務教育期間 とされている。 人口が少ない地域では学校が遠いこと、貧困家庭では子供が家庭の労働力と して使われていることなどの理由で、7歳から14歳までの児童のうち約3 1%が義務教育を受けられない状態にある。 ブラジルの文化 先住民族のインディオ、植民地のポルトガル人、そして黒人の奴隷と、各国 からの移民がその国の文化をもたらしたため、ブラジルは文化の面でも多様 性に富んでいる。 また広い国土から、地域によっても異なる文化を持っており、文化環境や水 準も違ってくる。 南部はヨーロッパの影響を強く受け、北部は土地の習わしや風俗、民族の影 響を受けたブラジルらしさが現れている。 その6 ブラジルの両替など ブラジルの両替 両替のことをポルトガル語でカンビオという。 為替レートには公定レートと闇レートがあり、闇レートの方が率がよいこと になっているが、その時の経済状況で変わるので、常に情報は仕入れておか なければならない。 ブラジルのレートは、その日の午前11時ごろ決まる。日々変動しているの で、一度に大金を両替せず、こまめに替えるのが両替のコツである。 一般に一週間の中で木、金曜日がレートが高くなる。またトラベラーズ・チェ ックよりも現金の方が率がいい。 闇レートで買うときはだまされないように用心しなければならない。ホテル・ 銀行はレートが悪いのでできるだけ利用しない方がよい。 サンパウロでは日本円を両替してくれる所もあるが、率が悪いのでアメリカ ドルで両替する方がよい。 ブラジルではブラジルのお金クルゼーロしか使えないので、ドルを持ってい て必要なときクルゼーロに両替するのが利口な方法だ。 ブラジルの郵便 ブラジルの郵便局は比較的多く設置されている。 日本と違い郵便局は郵便に関することしか取り扱わないことを注意しなけれ ばならない。 都市によっては郵便物が届かないところもあり、行方不明になることもある。 小包などは思わぬ税金をかけられることがあるので、郵送する際には税金が どのくらいかかるか確かめて手続きを慎重に行いたいものである。 ブラジルの電話 ブラジルの公衆電話はヘルメットのような半楕円のカバーがついているので すぐわかる。 このカバーが雨よけにもなっているので雨の日も濡れずに電話ができる。 電話は、電話専用のフィッシャ ficha というコインを使ってかける。 市内と市外の公衆電話が違うしフィッシャも違うので注意しなければならな い。 市内が黄色の公衆電話で市外用がブルーの公衆電話である。 ブルーの公衆電話からは外国にもかけることができる。フィッシャは市外電 話専用のコインDDDを使う。 通話料金は日本からブラジルへ電話した方が安い。 フィッシャは電話局、雑誌や新聞を売っている道ばたのスタンド、薬局など で売っている。DDDは電話局で買わなければならない。 ブラジルの電報・ファクシミリ 電報は郵便局だけであつかっている。 ファクシミリは有名な建物やホテル、会社にあるので、意外に利用者は多く 普及している その7 ブラジルの電圧など ブラジルの電圧 電圧は地域によって違い、いちばん多いのが110ボルトである。 しかし、電圧表示ではリオデジャネイロ、サンパウロ、ベレン、サルバドー ル、イグアスなどの大都市で127ボルトとなっている。 ブラジリアのように220ボルトの地域もある。 ちょっと設備のよい所では変圧装置を置いているが、念のため海外旅行用の 電化製品にするか変圧器を持参するほうがよい。 ブラジルの時差 ブラジルの国土は日本の23倍もあるため、国内でも地域により時差がある。 リオデジャネイロ、サンパウロ、ブラジリア、イグアス、サルバドール、ベ レンなどの主要都市では日本の12時間遅れである。 マナウス、カンポクランデなどでは13時間遅れることになる。 だいたい10月から2月まで夏時間になり、さらに1時間遅れることになる。 ブラジルの治安 ブラジルの治安は他の南米の国に比べると良い方の部類にはいる。しかし日 本と比べたら文句なしに悪い。 豊富な資源に恵まれながら、慢性的な経済危機の状態で、人口の約65%が 貧困で苦しんでいる。 街には失業者があふれ、貧しい人たちが集まるファベーラがどんどん拡大し ていく。 そして、生きるために盗みをせざるをえない人が、推計1000万人いると 言われている。 スリや強盗に襲われないためには、人通りの少ない路地裏や危険地帯といわ れる場所には足を向けないこと。 夜はできるだけ歩かないこと。もし出かけるときには複数で行動し、一人歩 きは絶対にしないようにすること。 ショルダーバックや肩かけバッグはたすきがけにするか抱きかかえるように して持つこと。 カメラは紐をしっかり手に巻き付けて、使い終わったら、ぶらぶらしないで すぐバッグの中にしまうこと。 時計やアクセサリーもよく狙われるので注意したい。 ☆ ☆ ☆ 日本くらい安全な国はない だから日本人が海外旅行をすれば、ねらわれる。 この頃は日本も拳銃など密輸入され、危険になってきたようだ。 その8 ブラジル最初の印象 佐々木君がカナダの飛行機でバンクーバー、トロント経由でサンパウロ空港 に着いたとき、なぜか期待よりも不安が大きかった。 カナダのトロント空港はとてもきれいだったが、サンパウロ国際空港はきれ いとはいえない、と彼のレポートには書いてある。 空港からバスでホテルに直行、バスはほとんど止まらないので、ブラジルに は信号も一時停止もないのかと思った、と書いてある(以下彼の口調をその まま抜き書きする)。 ここからすでに、私の価値観の崩壊が少しずつ始まった。 ホテルの中は日本のホテルと違い、部屋やレストランの中が暗い感じがした。 女性をより美しく見せるための演出としてわざと暗くしているとか。 (ドイツのホテルも学生寮の照明も暗かった。ドイツ人は薄暗いところが好 きなようだ。うすぐらさの中に民族的伝統としての落ち着きとか心地よさを 認めるのだとか。したがって本を読むのは疲れるし書き物もできないので、 私はドイツのホテルの暗さにはなじめない) (明るいのが好きならアメリカンスタイルの近代的ホテルがよい。それは外 観からしてドイツの歴史的ホテルとは違う) 佐々木君がホテルの部屋に入って最初の印象は「なんて汚くて、安っぽい部 屋なんだ」だった。 次の予定まであまり時間がなく、急いでシャワーを浴びなければならない。 同室の他の仲間にまず先にどうぞとすすめられ、佐々木君が最初にシャワー を浴びることにした。 シャワーの蛇口をひねった瞬間に事件がまた起こった。なんとシャワーから 出る水が変なのだ。水が臭いし、茶色がかっている。まるで下水ではないか、 と疑った。 これでは病気になる、と心配してシャワーを止め、これから1年間ブラジル で過ごすことに耐えられるのか、とものすごい不安にかられた。 他の二人も同じ様な不安をいだいた。 しかし、まだ事件は続く。 今度は部屋の鍵が壊れてしまった。修理してもらおうとフロントに行こうと して、乗ったエレベータのドアが開かなくなり、エレベータの中に閉じこめ られてしまった。 とにかく何でもかんでも日本では考えられないことにであい、驚きと戸惑い で困惑した。 ホテルの会議室で研修オリエンテーションを受けたが、みんな疲れて居眠り をする者が多かった。 それから彼は仲間と別れて、一人でバスに乗って研修先のマリンガに向かう ことになる。 自分が乗るバスがどれだかわからない。人に聞くことさえできない。 ポルトガル語の学習をもっと真面目にやっておけばよかったと思った。 夜行バスはとても疲れた。次の日、朝早くマリンガに着いた。しかし来てい るはずの(引き受け先の)迎えの人が来ていない。ここは本当にマリンガな のか、ということが頭をよぎった。 (ドイツで最初に乗った汽車でフランクフルトからダルムシュタットまで1 時間たらずだが、乗り越ししないか不安だった。ドイツ人は親切で、次だと か、ここで降りなさいと教えてくれた) (北京の空港では、国内線の待合い室で待っていても、そこからそのまま飛 行機に乗れるという保証はない。随時、搭乗ゲートが変わる。 行き先を示す表示板も名刺くらいに小さいし、なんと行く先も手書きである。 記念にこの過小サービスの表示板は写真に撮ってきた。希望者にはスライド を見せましょう。 しかも中国語のアナウンスは聞き取れない、英語もなまりのある英語だ。飛 行機に乗っても本当に目的地まで行けるのだろうか、と不安になる。だから 佐々木君の不安はよくわかる) 20分後に彼は引き受け先の人に出迎えられ、日系人の生活に慣れ、ブラジ ルの生活に自信をもつようになる。 そしてだんだん日本とブラジルの比較をしはじめ、日本とは日本人とはどう いうことかを考えるようになる。 第一回芥川賞授賞の石川達三「蒼氓(そうぼう)」はブラジル移民をあつ かった作品で、これを読むとブラジルの日系移民の苦労とブラジルの国土の ふところの深さを改めて認識できる。 その9 ブラジル経済など ブラジル経済 ブラジルの経済はよく知られているように「ハイパーインフレ」である。 佐々木君は、まず自分の生活費を例に上げて、生活は大変と訴える。 彼の収入は最低給料(基本単位)の一倍である。 ブラジル政府は、期間ごとに経済状態とインフレによる物価上昇などの諸要 素から調整をした最低給料を決定する。そして、業種・地位別などで最低給 料にある倍数をかけて、それを給料とする。 たとえば、医者は最低給料の12倍、教諭は5倍となる。 10月の佐々木君の全収入は42000クルゼーロでドルに換算すると70 ドルくらい(約8500円)で、 スイミングスクール、専門誌、郵便料、交際費、雑費などの出費を合計する と、全出費は全収入の2倍になり、日本から持ってきた小遣いを使わなけれ ばならない。 ちょっとした旅行をしたら3倍、4倍はかかってしまう。 (持ち出しになってしまう) 日本より物価は安いといっても食料品で1/8、生活必需品で1/2、書籍 は同じくらいである。 しかも佐々木君でさえ苦しいのに、この最低給料で家族を養って生活してい るブラジル人がたくさんいるという。 ブラジルの抱えている大問題の一つに、対外責務問題がある。これらはブラ ジリア建設の際に使われたお金であるが、ブラジルの外貨準備額は利払い額 とほぼ同額になっている。 政府は輸出に力をいれているが、原油、小麦などの食料品、工業機械製品な どの必需品が大量に輸入されているので、輸入超過のためインフレは進んで いく。 政府の行っている政策で、長期的な経済成長のための政策はないといっても 過言ではない。 ブラジル政府は、短期的な経済回復のための政策を実施するとともに、ブラ ジル経済安定の基礎を築くための国内重視の長期的政策も行うべきである、 と佐々木君は考えている。 彼はさらに、ブラジルの経済成長と経済安定は、ブラジル政府と国民が協力 して作り上げるものだから、よい国民を育てるために、ブラジルの教育制度 の改善をするのが一番と考える。 多くの国民がブラジルの経済問題を自分のことと考えていない、これはまた ブラジルの教育水準の低さを示しているというのである。 問題を解決する以前に個人で問題意識をもち、解決のために活動することか らはじめなければならない。 日本で働く日系ブラジル人についても、佐々木君の意見は貴重である。 アメリカ合衆国もブラジルからの労働者を受け入れているが、賃金はアメリ カでもらう賃金より、日本でもらう賃金の方が明らかに高い。 誰もがアメリカではなく、日本での就労を望む。 しかし日本は、日系人を特別待遇し、非日系人には無縁の国となっている。 そこに日本や日系人に対する妬みが生まれる。 ペルーなどで日系人が襲われる事件が多発しているがその背景にはこのよう なこともあるのである。 日系人たちも自分たちの立場を理解し、自分たちの利益をブラジルに還元す るようなことをしなければ、日系人と非日系人との溝は大きくなる一方であ る。 日本からお金だけを持って帰るのではなく、日本の経済、文化、社会を学び、 それをブラジルに生かすような努力を行ってほしい。 ブラジルを変えるのは腐敗しきった政府ではなく、若い人たちの改善しよ うとする情熱と努力である。 彼はブラジル人が互いに酒を酌み交わしながら不況について語り合っている のを見て、無駄なおしゃべりをしている時間に仕事をすれば、もっとよくな るはずなのにと感想をいだいている。 経済などの問題の打開の努力もしないで、無駄な会話をしているか、仕事も しないでのんびりしているブラジル人に、真面目に問題に向かう姿勢と、日 本的勤勉さを少しでも植え付けたら、彼らの手で一歩ずつ改善の努力が積み 重ねられるはず、とそういう期待をいだいている。 (若いな佐々木君という声が聞こえてきそうだ。ブラジル人はあくまでもブ ラジル人であって日本人ではない。将来、彼らは自らの手で着実に効果的に 国土建設を進めていくときでも、やっぱりのんびりするときは日本人のまね のできないくらいゆとりの一時をすごすかもしれない) (日本での外国人労働者問題と日系ブラジル人就労者について説明をしてお く。そもそも不法外国人労働者の問題は、昔は少なかったが、最近は円高で 日本で働いて帰国すれば大金持ちになる、そういう成功話を聞きつけて外国 から日本に押し寄せるようになった。しかも日本国内は若者が少なくなって いる上に、汚れる仕事には人が集まらない。勤務時間や労働条件が不利だと、 なおさら働く人はいなくなる。だから経営者の方でも外国人労働者といえど も喉から手の出るほど欲しい。このように需要と供給が互いにかみあって、 このままいけばどんどん不法外国人労働者が増えていく。 このことに心配した学者、特にドイツから帰国してドイツでのトルコ人労働 者問題に詳しい学者からの提案で、完全な外国人が日本に長く住み続けるの は日本国内で将来も問題を残すが、日系人なら日本人の血がまざっているし、 労働者の親戚にしても日本国民にしても受け入れはまだ抵抗感が少ないだろ うという考えで、日系人の外国人労働者を合法的に受け入れる方針を日本政 府がたてたのであった。 だからインドネシアからの日系人も最近は見られる。) (ドイツでは戦後に東西ドイツ分割で、労働人口の不足で困った西ドイツ政 府はトルコに声をかけてトルコ人を大量に労働者として受け入れた。 トルコ人はドイツ人のいやがる、汚れる仕事について、底辺からドイツ経済 の発展に貢献した。 しかし宗教も習慣もちがうトルコ人は都市のかたすみにかたまって住んでい て、トルコに帰れば収入も生活レベルも低下するから、労働者たちはトルコ に決して帰ろうとせず、かえってトルコから親戚を呼び寄せたりして着実に 増えていったから、さすがにドイツももうトルコ人はこれ以上いらない、と 思い始めた。 そして東西ドイツの統一がなり、東ドイツの旧経済体制のひずみを一挙に改 善するために、西ドイツ人は国家予算が東に向けられたため生活レベルが下 がり、東ドイツでは失業さらに新しい生活ができるまでの苦しみが続き、結 局弱い外国人労働者に災難がいってしまった。 つまり東ドイツの人々はそれまでの国営企業が解体されたので失業して、新 しい職場に就こうと思っても外国人労働者がすでにいて、自分たちの職場を 奪っていると思ったので、ドイツになぜ外国人がいるのか、ドイツ人でなかっ たら出て行け、というわけである。) これはひとごとではない。 受け入れたら永遠に受け入れて、権利も義務もみんな与える。 そうでなかったら、受け入れには制限をつけて、一定期間がたったら帰国し てもらわないと、問題を将来に残すことになる。 世界はみんな同じ人間だからなかよくしよう、というのは理想である。 しかし、すでに日本には長年日本に住みながら、日本人として他の日本人と まったく同じあつかいは受けていない立場の人々がいる。 そういう差別や区別のあることはよいことではない。 だが、そういう問題をもっと増やして、これからも受け入れようとするのが 外国人労働者の問題ではなかろうか。 自分を含めて我々はあんがい保守的である。 客観的に理想をとなえることは容易である。 しかし、たとえば自分の家族が日本国籍を持たない人と結婚することに不安 をいだく。 (欧米人と結婚する場合と、そうでない国の人と結婚する場合のギャップ) 結局は本人同士が選んだ道なのだから、それから先の困難も不幸も、かえっ て励みとなって人生の価値観を何倍も深める効果になるかもしれない 《人間の価値観は本人が決めるもの》。 しかし当人たちは毎日毎日、あらゆる差別と戦っていかなければならない。 そうでなくても毎日の仕事や義務があるのに。 日本にはいろんな人がいる。差別に戦うことにわずらわしいと考える人も いる。 受け入れる日本国民も、受け入れられる外国人労働者も、不完全な条件で外 国人労働者を仲間に受け入れ、ちゅうとはんぱな将来の生活を続けなければ ならないとしたのなら、危険の可能性のあることは、とりあえず避けるべき であろう (現在ある問題と、新しく問題を増やすことを別々に考えて、新しく問題を 増やすことは避けるのがよいと思う。 もちろん現在ある問題の解決には努力をしなくてはならない) その10 日系ブラジル人 日系ブラジル人 北パラナ州は日系人が多く、そのパラナ州の都市マリンガは日系人が多い地 方都市として有名である。 ここでは日系人たちの協調性は強く、日系人が市政にも強い影響力をもって いる。 彼は多くの日系人と知り合い、日系ブラジル人が掲げている問題について考 えさせられることが多かったという。 出稼ぎに行こうとしている人たちに日本語を教えているので、出稼ぎ問題に ついても彼自身が直面した問題も多い、と書いている。 日本人同士の協力関係にはすばらしいものがあり、あらゆるすばらしい実績 も残している。 一方、関係が深くなればなるほど複雑な人間関係を築き、派閥のようなもの も存在する。 マリンガの日系人は、日本を愛している人が多い。日本へ強い憧れを抱いて いる。 日本人よりも日本を愛している人が多いように思われたし、日本文化が、日 本の生活習慣が一番良いものである、と考えている人もたくさんいた、と感 想を述べている。 日系人が抱いている日本への思いは、現在日本が経済大国として先進国に成 長したことや、日本の進んだ技術による影響もあると思われるが、 それ以上に、日本に自分たちのもとをなす日本文化、日本の生活習慣を誇り に思っているからであろう。 日本舞踊、柔道、剣道、空手道のような武道、茶道、華道までがたくさんの 人々によって行われている。 日本人である佐々木君が、ブラジル人のする武道を見て、「すばらしい」と 何度となく感じるくらいの腕前である。 彼らの日本へ、日本文化へのあこがれが、それほどの上達を可能にしている のだと思う。 (アメリカの二世、三世は、ブラジルの日系人ほどは、日本にあこがれをも つであろうか。そこにもうすでに国と国の比較は始まっているようである) また日本を客観的に見て、日本の問題点や改善すべき点を鋭く指摘する人も 多いという。 彼が驚いたのは、日系ブラジル人の中でけっこう人気を持つイベントの一つ である「のど自慢」といわれるカラオケ大会だ。 日本のカラオケは、個人またはごく少数のグループが自分たちの楽しみとし て行うのに対して、ブラジルでは、人にみせるためのものとして盛大に行う のである。 あたかも歌手のようにきらびやかな衣装を着て、化粧もして、踊り(振り付け)、 バックコーラス・バックダンサーまでついているという。 どのようなパーティへ行くときでも自分用のカラオケのテープを持って行く という。 (素朴に楽しむというよりは、はれのパフォーマンス、阿波踊りやねぶた 祭を思い出してしまう。ブラジル日系人にとって日本の歌は日常のものでは なく、遠い異国をしのぶ小型イベントか) 日系の3世、4世はほとんど日本語が話せなくなってきている。 (しかし当然ブラジル語はうまい、たぶん彼らならいきなりパリやローマに 行っても、生活は困らないだろう) (私のヨーロッパ体験で、ラテン系の言葉は、フランス語、イタリア語、ス ペイン語、ポルトガル語、どれかできれば他の言葉は聞くのは可能である) (イタリア人とスペイン人が、互いに自分の国の言葉しか話さないのに、相手の いうことを聞き取れて会話が成り立つ。 ← あれはカルチャーショックだった) (日本でも南部弁と鹿児島弁の人同士が、互いに相手の言葉を聞き取れれば、 自分の地域の方言だけ話して会話は成り立つはず) なにしろブラジルでは日本語を使う必要性がほとんどないから。 日本文化に強い興味・関心を示しながら、日本を理解するためには必要不可 欠な日本語を話せるようになろうとしている人は少ない。 (言語体系が全然違うし、やはり日本語教育機関や学校で日本語の時間割が ないと勉強は難しいのではないか。) (在日韓国・朝鮮人の師弟にハングルを教える学校が日本国内のあちこちに ある。しかし中国にはその種の学校はないので、朝鮮系中国人の師弟はもは やハングルができないという) 彼は、日系ブラジル人が、日本とブラジル、日本人とブラジル人とを結びつ けるために、交流を盛んにするために、もっと活躍してほしいと思っている。 相違点が多く、世界的影響力を持つ日本とブラジルが、お互いに優れている 点を学びあい、良い世界を作ろうと協力しあえたら、すばらしいことだと述 べている。 日系ブラジル人が出稼ぎに日本に向かう目的は、ほとんどは金を得たいため である。彼らは日本での労働を終えた後に、多額のお金を持ち帰る。そして、 ブラジルで裕福な暮らしをしている。 日系人だけがこのような金持ちになったのを見て、非日系ブラジル人が日系 ブラジル人を非難するのは当然である、と佐々木君は述べている。 このままでは、日本とブラジル両国の関係が悪化して、日系ブラジル人への 非難が高まっていく一方だ。 彼は日系人に「目先の利益よりも将来のことを考えて行動してほしい」と望 んでいる。 「日本から何を学ぶか、学んできたことをブラジルのためにどのように生か すか」ということが大切である。 (すでに個人主義になっているブラジル人が、みんなのためにという考え方 ができるかどうか、自己中心の考え方は日本の若者だけがおちいっているわ けではない、今では世界中が個人主義になっているようである。) 日本側としても、日本に来たブラジル人がブラジルでしていた仕事にできる だけ近い仕事や環境を提供するのは不可能なのであろうか、と彼は考える。 (日本の労働人口不足を補うためだけでなく、この機会にブラジル人に日本 の良い文化や習慣を学んでもらうよう日本の体勢づくりも必要) 真の国際交流のために、日本側の技術提供や学ぶ環境を増やす配慮が必要で あろう。 ただ金をためてブラジルに帰るだけではなく、日本で何かを得てブラジルに 帰ってほしい、とこれは私も同感である。 その11 ブラジル人 ブラジル人 見知らぬ人にも平気で声をかけ、いつも愛敬があるブラジル人、見知らぬ人 にもとても親切なブラジル人、その反面信用したとたん、すぐに裏切る。 ブラジル人は日本人より、自分の気持ちに正直ではないのだろうか。喜怒哀 楽がはっきりしている人が多く、自分自身の表現方法を持っている。みんな それぞれ自分の顔を持っている。 日本人は等質性が強い民族だとよくいわれるが、ブラジル人はまったくその 逆を持つ民族である。 日本では何かの誘いがあったときに、都合が悪ければはっきり断ればいいの に、相手の好意に悪いと思って婉曲に断ることがある。 ブラジルではかえって相手に失礼になる。断る理由をはっきり言えばいいの だ。(ドイツ人もはっきり表現する方法が一般的だ) (若い人は、あいまい表現の日本よりはっきりする外国の流儀を好むようで あるが、断るより誘う立場が多くなってくると、さあどうだか。 日本的東洋的婉曲交際術も必要性の積み重ねで、できてきたと私は考える) ブラジルに予備知識なしに訪れたことが、なにごとも新鮮で受け入れられて、 ブラジルのすべてを受け入れられてよかった、と彼は感想を書いている。 このことについては、別な本に書いてあったことだが、 「若いときに外国に行くと得るものも多いが失うものも多い、年輩になって 外国に行くと感動も少ないが、失うものも少ない」という言葉があった。 若いときの留学か年とってからの留学か、というテーマの本であったが、要 は利点と欠点はとなりあわせ、自分はどれをとるかであろう。 経済は最悪、治安は悪い、多くの人が国の発展よりも私利私欲のために生き る。 感謝の気持ちを持たない人が多い一方、危機が訪れたときには、自分で解決 しようとはあまり考えず、すぐ人を頼る。 礼儀、情けなど重んじない。無責任ですぐに責任転化をする。 (スペイン人やポルトガル人が作ったから南米がそうなったという人がいる。 イギリス人やドイツ人が開拓したら違った国になったろうか) 人懐っこくて親切な一方、信じるとすぐに裏切る。 ほとんどのブラジル人は現在の政府を支持していないし、ブラジルの将来の 方向性を考えているブラジル人も少ない。 労働問題や賃金格差がもたらす生活水準格差に関する問題や教育問題などの ブラジルの社会構造を考えてみても、改善されなければならない問題がいぜ んそのままである。 将来を明るくするよう懸命の努力もしないで、ひとごとのようにブラジルの 将来は明るくない、というブラジル人に対して、彼は一人で怒っている。 生活が苦しい人たちが、より良い生活ができるよう努力をしなくてはいけな いのに、裕福な生活をしている人たちと同じにしか働かない、 夕方5時で仕事が終わるところを6時までがんばるなら給料もそれだけ上が るのに、と彼はブラジル人の生活態度に疑問をいだく。 ブラジル人は日本人よりも生活の楽しみ方を知っているし、人を楽しませる ことも上手であるが、懸命に努力しようとする勤勉性は日本人よりも劣ると 思う、と述べている。 ブラジルは正義が通りにくい国であるし、悪が堂々と存在している国でもあ る。地位や権力を持っているものは、ますますその力を伸ばし、そうでない 人たちはますます苦しむだけである。 ブラジル人がもっと真剣に必死になって生活を向上させようと努力しなかっ たらいつまでもブラジルが抱えている問題は変わらないし、ブラジルという 国も発展していかないと思う。 以上、佐々木君の感想の一部を紹介した。 ブラジル人でない彼がおせっかいにも、こうしたらよいと日本流改善案を提 言しているわけだが、 阿Q正伝の作者魯迅は中国人でありながら、仲間の中国人の無力さや愚かさ を指摘したのとは立場が違う。 彼の提案はもっともなことがら、おしきせではなくブラジル人の要望によっ て、日本人としてアドバイスする機会がくればアドバイスも援助もおしまな いのがよいだろう。 大東亜共栄圏が相手の望む形で実行されたなら、もっと日本は尊敬され、ア メリカに代わって世界をしきっていたのではなかろうか、と夢想する。 (その時は英語のかわりに日本語が世界共通語になっていたかもしれない) (もちろん、これはフィクションです)。 その12 ブラジル日記から 佐々木栄洋君のブラジルでの日記の一部から (よくまめに記録していたと感心する、彼の日記メモの中から紹介する。) 日本の母親から郵便荷物が届いたのはいいが、税金がUS$622もかけ られた。 このお金を払ったら、毎月収入よりも出費の方が多いブラジルでこれ以上生 活できなくなる。心細い異国の地で、どんなにか彼は悩んだことだろう。 荷物のことで警察へ行ったり郵便局へ行ったりした。すべてポルトガル語で 説明しなくてはいけない。 荷物のことでクリチーバ(地図で測ると、マリンガとクリチーバの間は約4 00km)へ行って、国際郵便局で説明したら簡単にOKになった。税金の 間違いを正して無税になった。 これを教訓にブラジルの税金、対外貿易についても勉強した。 (経験があるからわかるけど、何でも送ってよいわけでなく、その国にとっ て持ち込み禁止の品物もあるし、品物によっては高い税金を払って持ち込む ことができる) (麻薬ならどこの国でも受け入れ禁止だが、その国の贅沢品を簡単に持ち込 んではこまるから、そういう品物には高い税金をかける。 外国の飛行場で入国手続きをした場合、日本製の高級カメラを携帯して入国 すると、申告書に記入しなくてはいけないし、 まんがいち出国の際に携帯していないと、現地で盗難にあった場合でも、韓 国でなら税金をとられる) (ドイツにいるとき札幌の恩師にドイツの太いソーセージを送ったら、小樽 の税関と送り返された。ドイツと日本の間には、ソーセージの移動は認めら れていない。 しかし国によっては日本に持ち込めるソーセージはある) 正しいラジオ体操を実演したのに、逆に日系人のおばさんたちにあんたの体 操は間違っていると言われた。ブラジルにも人の話しを聞かないオバタリア ンは存在する。 (人間の思いこみは、なかなか直らない、特に年をとった頭の硬くなった人 はなおさら。 私も同じ様な体験がある。ドイツで中国人からひと昔もふた昔も前の1$= 500円というレートを聞いて、それは今は違うと、いくら訂正しても彼は 人の話しを聞こうともしなかった。 うまくいった場合は信念、否定的な場合は頑迷といわれる) 私は佐々木君のブラジル体験記という資料を題材に、実は私自身を語ったか もしれない。 ブラジルにもいつか行きたいとも思う。 若い人が日本で目的意識も感じられないまま無目的的に生きていくよりは、 世界は若い日本人を待っている所がたくさんあるから、 世界に飛び出していって、自分を試し、他の国が自立するのを助けることは、 その国やその国民にとっても感謝されるし、これからの日本の役割のような 気がする。 その意味で青年海外協力隊はいいと思う。 私は知り合いがいて、たまには大学に青年海外協力隊OBを呼んで講演をし てもらっている。 ☆ ☆ ☆ 以上で 大学院生の佐々木君のブラジル報告は終わるが 彼のレポートは膨大なもので、その半分も紹介していない。 この記事は以前にパソコン通信ハイテクネットとうほくに紹介したことがある。 あれは面白かった、とあちこちから評判がよかったので 岩手大学の学生さんたちにも読んでもらおうと思って ここに転載しました。 若い時の海外体験は、その人に決定的影響を与えるとか。 私も海外1年と2ヶ月の体験があるが、私は若くない時の留学で その結果もあって、全然変らないで日本に帰ってきました。 しかし、いろいろ考えたこともあるし (小さな)発見もある。 いつか、このWWWにも書いてみたいと考えている。