模倣と創作

研究論文を書くとき、どこにオリジナルがあるのか
ということが話題になります。

教え子から「論文を丸写しした」と訴えられた某国立大学の学長がいます。
訴えられた先生は実は教え子の博士論文指導者でした。博士論文指導のときには
自分のアイデアなども入っているから、すでに引用論文の何分の1かは、
自分のアイデアだと思っていたかもしれません。きっとあわてたことでしょう。
今後はこういう問題が多くなりそうです。日本も欧米的な発想をする人が増えそうですから。

「ウェストサイド物語」を見たとき、これはシェクスピア作品を現代に置き換え
ていると思ったのは私だけではないでしょう。
そういうシェクスピアもヨーロッパ中の話を集めて自分の作品に取り入れていたらしい。
彼はおそらくイギリスにいて、ヨーロッパ中の資料を集めて読んでいたと思います。

日本には、伝統的に先生の作品を真似するところから藝の道が始まるということを
指摘して、私はそのことを本に書いたことがあります。

つまり、模倣は昔からあり、模倣とオリジナリティ(独創性)というテーマは
これからもまじめに考えていかないといけないテーマなのでしょう。

ゴッホはミレーを父と仰ぎ、芸術的、精神的指導者として尊敬していたようです。
ゴッホはミレーの作品を一点一点克明に模写して勉強したのです。
パリのオルセー美術館の「ミレー、ゴッホ展」には、「種まく人」や「晩鐘」など
の主なミレーの絵画をゴッホが模写した絵について、オリジナル作品(ミレー)
と模写作品(ゴッホ)が並べて展示されてあるそうです。
(毎日新聞余録1998年9月25日)
先達を模倣することで自分の作風を作り自分を発見することは古今東西あること。

中国残留孤児をテーマにした小説「大地の子」は、筑波大学教授の幼少の体験を
書いた本から無断で引用したものであると訴訟されていたが、
2001年3月26日に山崎豊子の勝訴となった。
歴史的事実は事実であり、その歴史的事実を誰が書いてもよく、
ただ原文をそのまま転用すると創作とはみなされない。そういう判決であった。