人文社会科学の日本思想史の藤原暹教授
に声をかけられ、ひと夏かけて書いた原稿
です。慣れないことをしたため、頭が
半溶解した思いだった。

 生活思想研究会が、財団法人ベターホ
ーム協会「生活文化に関する研究助成金」
を受けた研究成果を出版したもので、
この中で宮本は「日本人の器用さ」という
題で道具と機械に関する技術史を古代
から現代までまとめ(最新のOA機器の
操作性を含む)、日本人の新しい便利な
ものを積極的に受け入れる革新性と、
伝統的特性としての器用さの二重構造を
明らかにした。                       
(新野直吉、八重樫直比古、中村一基、
佐藤孝敏、瀬尾幹夫、深沢秀男、藤原 
暹、中村文郎、宮本裕、三宅剛一    
編集者は藤原暹)                   
.....................

「生活の中の技術ー手・足」
「(仮題)日本人の器用さ」

まえがき
日本人は子供のころから、はしを使っているから、器用だという。確かに精密な時計
やカメラをみると、この説に納得する。(中村徳次、朝日新聞日曜版、昭和63年
4月10日)

篠田雄次郎は「日本人は器用である。日本人の技術の長所も欠点も、じつはそこに
ある。なんでもうまく使いこなすから、多少の機械器具の不備や弱点は、コツという
技能でカバーしてしまう。ドイツ人は不器用だから、だれもかれもがメカの弱さを
使い方でカバーするわけにはいかない。」と言う。

たとえばお茶をつぐ急須を使うとき、日本人なら誰でも(片手でふたをおさえ)
ふたをひっくり返さず、お茶をつぐことができる。しかしドイツ人なら、使う人の
器用さに期待せず、どんな下手な人間がついでも、ふたのとれないポットを作ろう
とする。つまり、技能によらず誰でも使えるものという、技術の思想が出てくる
のである。

もし故障があれば、器用な人間は自分で直したり、故障をカバーする使い方が
できるが、不器用ではそうもいかない。したがって、誰にでも使える機械や道具には、
機械や道具そのものの正確さ堅牢さが要求されてくる。

もっともこの頃では、日本人も忙しいから、器用にばかり時間をとってはいられない
ので、自動焦点や自動巻など、数々の操作を自動化した、使いやすいカメラを愛用
するようになってきたようである。

世界的にみて、日本人は器用な民族であるといわれている。しかしはたして、日本人
は器用な民族であろうか? 

考える対象によっては、日本人よりも器用な民族がいるのではなかろうか。
たとえば靴を買うなら、ドイツの靴が丈夫だといわれている。
中国の陶磁器は世界的に定評がある。コンピュータのメモリーの IC や LSI は、
最近は日本でもすぐれた物を作るが、本家のアメリカのソフトプログラムの多様さ
と独創的なことは、まだまだ日本人の及ばないことだといわれている。

ワードスターとかマルチプランとかロータスという名の、
世界的ベストセラーのソフトプログラムは、アメリカ製であるが、
日本語の機能をつけ加えて、日本ででもよく売れ、
しかもその後の日本のソフトプログラムの開発に、大きな影響を与えてきた。

器用ということを手先のことだけでなく、全人格的な生活の知恵というレベルに
までひろげて考えれば、ファッションのセンスはフランス人がすぐれているし、
外交の巧みさはイギリスにゆずらねばならないだろう。初対面の人とも、すぐうち
とけて会話を楽しめる社交上手は、アメリカ人が一番だと言えるかもしれない。

ただしこれらは平均的な意味であって、個々には日本人でもひけをとらない人も
いるであろうが。

これからの世界の中で、日本人がその独自性を発揮しながら、指導的な立場で生き
のびるために、日本人の器用について、手や技術のことに関連づけながら、考えて
みたいと思う。

(1)器用
そもそも器用とは、小学館日本国語大辞典によれば、まずa.役に立つ大切な器物、
を意味する。「器」というのは、「うつわ、いれもの、役に立つもの、機能あるもの」
である。俗に「わたしはそういう器(うつわ)ではない」というが、それは「わたし
にはそういう器用さとか機能は持ちあわせていない」といえるだろう。器用とは
まさに「器の用」である。それから人にあてはめて、b.役に立つ才能があること、
才知がすぐれているさま、また、そのような人、などを意味するようになったよう
である。そして、c.わざがすぐれてじょうずなこと、また、そのさま、d.うまい
ぐあいに物事を処理すること、また、そのさま、など望ましい積極的な意味がある
かと思えば、e.手先のわざや本職ではない芸事などをうまくこなすこと、また、
そのさま、あるいはもっと否定的な、f.(悪い意味に用いて)要領よく立ち回ること、
万事うまく処理していくさまと、意味が広がっている。

器用な動作の具体例としては、同じ厚さに手早くさしみを切っていく板前の包丁
さばき、眼にもとまらぬ速さでキーを叩くタイピストの指のうごき、機械のように
すばやく確かに動く毛糸編みの手さばきなどを、すぐあげることができる。

また全人格をあらわす用法では、「わたしは一向に不器用で」といったり、「あの人は
器用で」といったりするが、「器用貧乏」という言葉もある。

このように「器の用」はまずはじめは手から始まったが、手をとおして頭まで
ふくめた人間全体のパーソナリティの問題ともなってきたのである。

(2)身体と道具
人間の手の発達の歴史を考えてみよう。樹の上で生活していた人間の遠い祖先が、
地上へ降りてきたときはじめて、後肢で立ち上がった。後肢によって直立することや
歩行することができるようになって、前肢は歩行の負担からまぬがれて自由になった
とともに、食物を求めて、あるいは食物をより食べやすいように加工することなどに
より、手の発生とその多面的な用途が生まれ、脳髄の組織や機能の発達、すなわち
人間の精神の発達をうながし、その結果人間は言葉も語るようになったといわれて
いる。

動物の分化した器官、たとえば土をほるためにはモグラの前肢が、空をとぶため
にはコウモリの翼肢が、人間の手と比較にならないほど器用なはたらきをもっていて、
彼らの生活環境にうまく適応しているが、人間の手は手自体としては機能的にはまだ
まだ不完全、不器用であり、特別な目的に対しては欠陥が多い。

しかし、この手の不完全、不器用さゆえに、必要におうじていろいろな道具を
工夫し製作したから、かえって人間の文化が発展するもととなったのである。

道具は物をつくるとき、つくる人間と材料との間にある手段である。つまり道具は
身体の外にある。

しかし本来、人間の腕や肩や手や指や足などの身体の一部は、それぞれ何かの
特別な作用をしている。

つまり人間の身体活動にはいろいろの作用形態がある。

たとえば、肩は物をはこぶときの台、指はまげれば鉤(鈎は俗字)、
爪はものの皮をはぐのに役だつもの、手のひらは水をくむ器、
腕は重いものをつるす鉤、足は重いものを支える支柱の働き、
歯は粉ひきの臼の用などの作用形態がある。

このように考えると、道具や器具は、その形態の原型が人間の身体にあって、身体に
本来そなわっているその作用形態が、外に現れ出たものだと見ることができる。

また、道具の誕生は器官投射にあるという、カップの器官投射説は、器官の代用、
延長ということから、さらに模写、補強、発展にまで前進するものである。(

指を曲げた手から鍬や熊手が、前歯からノミや楔が生まれ、くぼめた掌が皿となり、
両手を合わせてうけた形が椀となる。筆が指の延長とすれば、槍は腕の延長である。)
(振子やテコが腕の模写であり、写真機や望遠鏡や顕微鏡は目の発展である。電子
計算機は人間の脳髄の模写である。)

道具を使う手の器用さを考えるとき、両手の必要性は無視できない。人には、右きき
の人もいれば左ききの人もいるが、片手だけではできない動作がかなりある。

一番始めにあげた、急須でお茶をつぐときに、もう一方の手で蓋をおさえてつぐ
わけであるが、両手を使わないで、片手だけでつごうとすると苦労する。あげくの
はてにこぼしてしまうかもしれない。

その点、ドイツの片手だけ使ってついでも、
お茶のこぼれないポットは、すぐれた道具かもしれない。

手拭だって両手を使わないと絞れない。だから片手でも絞れるように、病院では
洗面所に手すりをつけている。袖に手をとおすにしても、片手だけではなかなか
大変だ。

ワープロも上段、下段のキーの切り替えには、左手でシフトキーを押しながら、
右手で目的のキーを押す、という動作も必要だ。やはり片手では使いづらい。

人間の手の器用さを考えるとき、その機能を失いかけた人の無念さを同時に、
思わずにはいられない。

自動ドアの前では、両手に物を持っていて手がふさがっていても、足でマットを
踏んだり、ドアに体の一部を触れることで、ドアを開けることができる。

不器用さや体の不自由さを、機械がカバーしてくれる例であり、
また小笠原流無視の振舞いに対して、伝統的な礼儀を重んじる人にとっては、
嘆きを感じることかもしれない。

このようにこれからは、新しい時代にふさわしい作法も生まれてくるかもしれない。

「からだ言葉」という言葉がある。これは、「身体の一部をさす言葉を用いながら、
比喩的な表現をする慣用句」と定義されるだろう。

たとえば、「凍った道ですべってころんで骨を折った」という場合は、
医者の世話になる外科的事故であるが、「あの男のために骨を折った」という
場合では、折れた骨は体の骨ではないことがわかるだろう。

「面食い」、「顔が広い」、「顎で人をつかう」、「 脈がある」、「背に腹はかえら
れぬ」、「足がすくむ」など用例は多い。

英語でも「He lost his head over a girl.(あいつは女の子にのぼせた)」、
「The examination is already on hand.(試験がもう間近に迫っている)」などの表現が
ある。

(3)道具と機械
道具の語源を考えると、平凡社の世界大百科事典によれば、日本語の<道>は
みちびくであって、道具は物を別な新しい状態へもっていくもの、ある効果へと
導くものの意で、つまり具体的な手段をあらわすものである。

道具から機械への発展の1つの例として、石臼から今日の製粉機械までのような
発展を考えてみると、はじめは人の手に動力を求めていた道具が、水車の力をかり、
さらにすすみ蒸気力、電気力に動力を求めるようになって、明らかに機械の誕生した
ことが認められる。

道具と機械の意味の区別は簡単でない。その区別の方法には、技術史的、および
経済学的の二つがある。

たとえば石臼の例でも経済学的にみれば、
手まわしの石臼の時代には庶民のうえに領主が、大規模の製粉機の動く大工場の組織
のうえには資本家がある、というようなマルクス主義的な見方もなしうる。

一般には、手でもって加工用につかう労働の手段を、道具とよんでいる。

機械はどんな立場から解釈されても、機械にぜひ必要な一つの条件がある。
その要件とは、それが「組合わせ」からできていることである。

たとえ斧に木の柄があるとしても、これは組合せではない。
しかし、水車や滑車やふいごなどは機械としては簡単でも、
組合せを必要としているから、「機械」に入る。

マルクスはすでに「資本論」の中で、発達した機械は、原動機、伝達機構、作業機の
3部分からなっているとした。

しかし現代では動力が目に見えにくくなっているため、道具か機械か区別がつかない
ものが多い。

たとえば電卓は正式には機械であろうが、これを使ってソロバンがわり
に、日常の足し算やかけ算の計算をすることを考えると、道具と考えたくなる。

ワープロも使い勝手を考えると、文章を作ったり、書いたりする道具と言いたくなる。

チョコレート一枚よりも小さい長方形の板があって、この表面に時刻が表示される
ディジタル時計がある。この時計の内部にはマイコンチップと小さな電池が入って
いるだけであり、見ただけでは道具か機械かわからない。

また、似たような別の1枚の板が温度計になっていて、
風呂に浮かべると、液晶の働きでそのときのお湯の
温度を明示するものがあるが、これも正確には機械であろうが、道具と思われる物で
ある。

ドアを開ける鍵は、金属の小片を削り取って所定の形に加工して作った道具と
言えるだろうが、最新の電子ロック錠の鍵は、一種の磁気カードと考えられるから、
これは道具だろうか、機械だろうか。

(4)日本のよい製品
佐貫亦男は、「ドイツの精密機械の秘密は、よい設計をし、よい材料とよい工作機械
を使い、よい検査器具でチェックするという、あくまで正道以外のなにものでもない」
と言っているが、実は日本にも見事な「鉄の芸術」である、日本刀の技術がある。

日本刀の製造過程は、鋼に焼きを入れながら細身の刀に仕立てていくだけのもので
なく、厳選された炭火の温度や、焼き入れ後の水温等々、複雑な条件がからみあって
のもので、これはドイツ人がいくら刀を切りきざんで調べてみても、簡単にはつかみ
とれるものではない。

近代的な高温の溶鉱炉を使わずに、時間をかけて鉄を鍛錬する技術が、
伝統的に日本にあったのである。

盛岡の伝統的産業である、南部鉄瓶も砂ごしらえから湯つぎ、仕上げまでの複雑な
工程からなっている。おいしいお茶が飲める、お湯がわくと蓋の鳴る、模様の美しい
鉄瓶は、生活に結びついた芸術品の極致といえるだろう。

鉄瓶にうらおもてのあることを知る人は少ない。日本の切手で伝統的工芸品シリーズ
として、南部鉄瓶の切手が発売されたことがあるが、その切手では鉄瓶の注ぎ口が
左を向いていた。

しかしこれは、元岩手県立工業試験場場長の下斗米武によれば、
正しい鉄瓶の置きかたではなくて、注ぎ口が右にくるのが鉄瓶の正面であるという。

なぜなら主人が右手で鉄瓶からお茶を入れるとき、客は注ぎ口が右になっている
鉄瓶を見るからである。

問題の切手の鉄瓶は、裏の模様も特別に美しかったから、表をおしのけて裏が
登場したようである。

このモデルになった鉄瓶(藤田萬蔵作、波に鯉図鉄瓶)は
盛岡市の岩山の中腹の橋本美術館にあるが、後ろに鏡が置かれてあり、見学者は
うらもおもても見ることができるようになっている。

また、盛岡市内のデパートに行ってみれば、鉄瓶はすべて右向きに並べられている
ことがわかる。このように伝統芸術には、先人の長年の知恵が蓄積されている。

佐貫亦男はまた、「民族の心がその製品によって理解できると信じている。それは
ちょうど、書いた文字によって人がらが看破できるのと同じである。したがって、
もろもろの道具は、絶対に枝葉末節ではない。それは民族の心をのぞきこむ窓である。」
とも言っている。

日本人の作るものが、その器用さを証明する証拠でもあり、日本人
の特性を世界にうたっていることでもある。

(5)日本人の技術の伝統
一般にわが国では、現在でも技術伝播は比較的早いが、これは、古代においてもわが
国の民族のもつ飽くなき好奇心と器用さに根ざした、便利さと平等さへの要求が強か
ったことによるものであろう。

その様子を石ナイフについてみると、原石を打ち割って、その薄片を刃物として利用
するというこの発明は、石器時代という長い時間に比べて、当時のわが国の3大
ブロック(西日本、関東、東北)の中で、それぞれが短時間のうちに各区域内に
拡がり、定着したように見える。

技術移転は、国内で見られただけではない。わが国への外来文化の導入がきわだって
見え始めたのは、弥生時代である。そして弥生時代から古墳時代にかけて、貪欲な
ほど、金属加工などの大陸の新しい技術を次々と技術者とともに移入し続けている。

この初期の時代の大陸移転は、目的とする技術についての理解と基礎がわが国の側に
十分成熟していなかったので、当技術者も共に導入する方法をとっていた。そして
平安から鎌倉時代にかけて人々は、この輸入した技術を活用して、次第に自分のもの
として同化していった。

このようにして戦国時代に至ると、わが国の技術者たちは鉄砲に見るように、移転
技術の真髄を鋭く見抜き、これを咀しゃくできる技能を備えるまでになっていった。

この時代には、わが国の技術は、成熟した技術基礎の上に高いレベルに達していたの
である。これは、長崎で修得した中国のアーチ式石橋の架橋技術が、あっという間に、
石材と財力のある地域に伝わっていったことからも理解される。

このように、戦国時代には、成熟した土着技術は、外来の刺激と組織および財政
というバックを与えれば、いつでもより高い技術に転化する可能性を秘める
ものとなっていたのである。

このような技術移転は時代を越えて見られるもので、わが国の近代化に見られる特長
は、上述の土着技術の思想をもちながら、この技術レベルの上に、ヨーロッパの基礎
科学を乗り越えて、近代技術への道をたどった点にあるといえよう。

この説は小山田了三の『民族資料の技術史』から引用したが、
著者は日本の江戸以前の技術が、金属材料や機械動力を使用していた西洋文明に
対して、全面的に遅れをとっていたとは考えていない。

技術の理論化・公式化がなくても、わが国特有の独創的技術が存在し、
かつ新しい技術を受け入れる土壌があったからこそ、短期間に技術国になりえたと考
えている。

公式にしてしまえば、誰でもそのとうりに行うと同じ結果が出るから、組織的な
工業化の道をとれたのは、明治になってからである。それ以前の技術は、門外
不出の秘事口伝的なものであったから、一部の特殊集団にのみ許されていたものであ
ろう。

日本人の特性の一つに、模倣性がある。たとえば、西洋建築では他の建築様式を否定
しながら発展しているのに対し、日本建築は前のものを包括して発展しているとも
言われている。

例として、「うつし(そっくりそのままうつすこと、構造・材料・寸法一切の
徹底的な模倣)、たとえば利休がつくった茶室をそっくりうつすということをやる」、
「ながれ(何々流)、たとえば作家が利休の気持ちになって、利休
だったらこうするであろうと考えてつくることである」、「好み(誰々ならたぶん
こうやったのではないか)」という日本独特の模倣亜流の考え方である。

日本の教育は手本の模倣から始まる。日本には書道、茶道、華道などの道のつく
けいこごとがある。まず先生の簡単な作品のまねから始まり、かたちの模倣が
だいたいすめば、基本ができたと考えられる。そして、その基本の上に個性を作り
育てていくことが、その先の仕事になる。

漫画家のアシスタントはたいてい、その先生の絵にそっくりな絵を描けるが、
そのうちに独立して自分の画風・作風を作っていくようである。

コンピュータのユーザ言語として、ベーシックやコボルやフォートランという言語が
あるが、それを使う技術者たちが言っていることであるが、初心者がこれらの言語を
短時間にマスターするには、ぶあつい解説書を読むよりは、まず例題を読んでその
とうり再現してから、多少例題を変えてやってみる。

式がかけ算が1回だったところを、2回に直してみるとか、見出しを1行だった
のを2行にふやすとか、簡単な変更を試みるわけである。わかったら次の例題に
進んで、そのようにして少しづつ変更し、応用しながら、それらの言語を勉強して
ゆくのが、確実に進歩する方法だと言う。

模倣が効果的な場合もかなりあるのである。

これに対して西洋では独創性を尊ぶため、模倣は悪であり、創造が善であるという
基本的考え方がある。

したがって西洋人にとっては、いいと思ったものはどこからで
も自由にもってきて使うという、この日本人の考え方は、受け入れられないであろう。

したがって最近の工業製品の特許侵害や、他人の作ったコンピュータのソフトプログ
ラムを少し手直しをして、自分の作品として発表することなどは、日本人にとっては、
昔からそれほど抵抗感なく行われていた模倣の伝統であるかもしれない。

しかし、
それは西洋人にとって本質的に受け入れがたい日本人の特性であろうし、国際的な
交流の中で日本人も相手に合わせて、独創性の尊重と、オリジナルや著作権の保護の
約束を守らないと、世界の中で相手にされないであろう。

これは文化とは別の社会ルールの問題である。

また、筆者は1年間の海外生活を体験して、日本人くらい世界のあらゆるものを取り
入れる国はないだろうということを、認識した。

食事についても、宗教によっては豚や牛の肉は食べないのに
(回教徒は豚の肉を食べず、ヒンズー教徒は牛の肉を食べない)、
日本人はなんでも食べてしまう。中国人は一般にさしみを食べないし、ヨーロ
ッパ人は一部の例外を除けば、タコやイカを食べない(スペイン人やギリシャ人は食
べるようである)。

また子供のテレビのアニメでも、ドイツなら「ニルスの不思議な旅」を放映していた
が、ベルギーでは「フランダースの犬」のアニメの絵本を、スーパで見かけた。
しかし、自分の国に関係の無い話は一般にあつかわないようである。だが、日本では
世界中の童話が子供たちに与えられている。

インド人からよく、日本人はすっかりアメリカにどっぷりつかっている。日本人と
しての文化はどこへ捨てたのか言われたものだった。

しかし過去にもそうであったように、まず日本人は相手の文化の中にすっかり
とけ込んで、自分の姿が埋没してから、しばらくしてその本体を倒して自分を復活
させるという技が得意のようである。

まるで毛虫に産みつけられた蜂の卵が、毛虫の中で成長し、とうとう毛虫を食い殺し
て、ある日突然毛虫の中から蜂が誕生して、大空に飛び立つように。

遺唐使のときは中国文化一辺倒であった当時の文化人や、それまでの仏教の伝統を
かえりみず肉食にとびついた明治の庶民など、日本人の積極的な異文化の摂取姿勢
が伝統であると思われる。

最近の若者のアメリカナイズされた風俗や物の考え方などは、これが日本人か
と思われるようであるが、若いときはアメリカやフランスそのものだった人が年をと
ると、日本の良さにめざめ国風家になるのは少なくない現象である。

日本人とは、大きな文化の対象にすっかり心を奪われながら、時間の経過につれ、
ある時期にもととなった文化の影響を受けながら、独自の自己の文化を創り出す
民族であろうと思う。

日本語という言葉は、漢字、ひらかな、カタカナを駆使し、新しい概念を取り入れる
のに便利な言葉である。

異文化を取り入れるのに、カタカナでもってすぐ取り入れられるから、日本語は
強力な言葉である。しかも、カタカナの新しい語感を好む国民性もある。

エスカレータといったりファクシミリといったりせず、これを別な日本語で
説明しようとしたら、ながい表現になってしまう。また、どう説明しても十分には
説明できないだろう。

アニメーション、パフォーマンス、シンドローム、アイデンティティー
なども日本語に直されず、そのまま使われている。

ちなみに中国の大学のコンピュータの参考書を読むと、Bugを「故障」、Debugを
「排除故障」という。

日本ならバグ、デバッグと、そのまま使うところである。
ワープロ機でもよく使う、フロッピーディスクは「軟磁盤」としている。

RAMを「随機存取存儲器」とあてているところは、苦しさがよく出ているところで、
日本ならあっさりラムとかたずけている。ラムとはカセットテープのように、記憶を
書き直したり、保存したデータを読み出すことのできる、計算機の内部にある
補助記憶装置をさす。

これに対してロム(ROM)とは、CDやレーザディスクのように、読み出しは
できても、書き直すこのできない、記憶装置をさす。

中国では ROMを「只読存儲器」という。中国語のほうが、意味をそのまま表して
いるからわかりやすいが、新しい概念ほど説明が長くなり、かつ的確な表現は
困難になる。

こうして日本語はふえてゆく。子供たちの教育にそのしわよせがいっているようで
ある。

世界の多種多様文化に対応するため、漢字、ひらかな、カタカナはもちろん、
アルファベットなど、どの国よりも文字も言葉も多く教育に取り入れるために、エリ
ートの子供はそれだけ知的学力は強くなる反面、落ちこぼれの子供こそ被害者である。

こういう被害者の子供たちをすくう別の教育体制もまた必要ではないかと思われる。

(6)日本の近代化
日本の近代化は、1770年代に始まる。謝世輝は、「外圧により、日本の近代化が
はじまった、という従来支配的であった説に対して、もし近代化の要因が外圧にある
のなら、なぜ他のアジア諸国は外圧によって近代化しなかったのか。なぜ非西洋では
日本のみが短期間に近代化に成功したのであろうか。」と考え、「日本近代化の第一の
要因は、むしろ内的なものではなかったろうか。日本近代化の内的条件を客観的に
考察するとき、1770年代前後から実質的な意味の日本近代化が、開幕していると
考えざるをえない。」と結論づけた。

まず1750年代から1780年代にいたる期間に、日本ではマニュファクチュア
(初期資本主義の生産形態)が進展し、封建的な経済が次第に崩れ、近代的な経済の
動きが顕著にあらわれている。そしてこの背景のなかに、安永期(1770年代)に
合理主義的思想が力強く台頭し、近代科学が勃興し、多種多様の近代的な学芸が出現
していると説明した。

また、天明期(1780年代)には、教育に突然の飛躍がみられる、さらにおなじ
頃に、近代的なナショナリズムもあらわれ、19世紀初期から近代統一国家への
動きが顕著になっていることも、謝世輝は述べている。

このように、日本の近代化としての流れはこの200年にあったと考えられるが、
最近の10〜20年間に工業製品に見られる、日本人の器用性を見直さねばならない
ような事実がある。

それはたとえば全自動カメラのような、焦点も絞りも露出もさらにフィルムの
巻き上げまでも自動的に機械がしてくれる、特別の器用さを必要としない商品の
普及である。

あるいは、昔は手でリールに巻いて使っていたテープレコーダが、今ではより
小さなカセットをポンと入れるだけでオーケーという、手軽なものになって
しまったことである。

このように便利で、誰でもどこででも使える商品が身の回りにあふれている。

しかし、便利な製品が多くなった反面、
昔のラジオや電気製品なら直せた人が、最新式の電子部品がパーツで組み込まれた
製品は、お手上げという話をよく聞く。 IC や LSI でさえ見かけは同じでも、役割
が全く違うものが製品製造の工程で混在するのを、ロボットを使って分類するという
時代だから、その部品は作ったメーカのその部門の専門家しかわからないということ
が、常識にもなっている。

だからその部分の IC のテストをして、機能が果たせないことを確認したら、
その部品のかわりを取り寄せ、部品あるいは、基盤1枚を取り替えて、
修理はおしまいということになる。

あるいはものによっては、安い時計だったら修理よりは、新しいものを買った
ほうが経済的になる。このように修理も購入も、考え方が変わりつつある。

どうして誰でも使える全自動カメラが普及したかというと、潜在的なニーズに対して、
自動計測のセンサーや、精密機械の製作・改良という技術が最近実現したことで
あろう。

もう一つの要因として、広い購買力があるから商売として成り立つのである。
いくら精巧な商品を開発しても、誰も必要性を認めずそれを買わなければ、工業は
成り立たない。

このような老若男女誰でも使える、器用さを必要としない商品の前には、日本人の
器用さはもう必要ではないだろうか。

しかし、考えてみるとやはり器用さは必要である。
さきにあげた全自動カメラでも、何でもそれでうまく写るわけではなく、
たとえば博物館の陳列室のガラスケースの中にあるものは、センサーの光線がガラス
の表面に当たってはねかえってくるから、距離が正しく測定できない。

また白っぽいものを写すときも、やはりうまく機械が距離を正しく測定するのは
難しい。どうしてもピンボケの写真ができてしまう。

そのときはどうするのか。目測で同程度の距離にある(同じ明るさの中にある)
別のモデルにカメラを向けて、一度正しく距離を合わせて、
その状態で軽くシャッターを押さえて(説明書には、半分くらい深くシャッターを押
すと書かれてある)、カメラのシャッターや絞りまで全部、その最適状態に
保存させ、本当に写したい物にカメラを向け直して、シャッターを最後まで押せば
よい。最後は人間の器用な動作が機械をカバーするのである。

家庭の中で、電化製品のはたす役割はしだいに大きくなっている。昔にくらべて、
洗濯機や炊飯器ができたために、家事労働の負担は減りつつあり、かつその分、時間
の有効的使い方が増えてきた。

炊飯器を使えば、経験の積まない子供や男でも、まちがいなく
おいしいご飯が炊ける。そして家事の分担を可能にして、我々を新しい
人間関係へと導く。

誰でもできて、しかも誰がしても同じ成果が得られるというが、
やはりコツはありそうだ。

洗濯機を使うにしても、水よりお湯がよい、洗剤も多すぎたり少なすぎたら、
うまくいかない。洗濯物によっても、お湯の温度を変えたり、
洗濯時間を調節することが望ましい。

炊飯器だって米の量が少なければ、おいしく炊くのはむずかしい。
時間がなくて、すぐ米をといで炊くときは、お湯を使って
とぐという知恵も必要である。新しい米と古い米では、水かげんが微妙に違う。

冷蔵庫だって低温にした空気を循環することで、中に入れた食品を冷やすのだから、
空気がよく循環するには、ある程度のあき空間がほしい。中に隙間もないくらい、
いっぱい入れないことだ。

冷凍庫ではなく冷蔵庫なら、中が外気よりは冷たくても、
マイナスの温度ではないから、食品だって少しづついたんでくる。ひき肉なら1〜2
日、トウフなら2日、牛乳なら5〜6日、ナットウなら1週間しかもたないという
知識も、冷蔵庫を使うときは必要である。

結局、家事労働の軽減をはかり、その質を高めるために、
家庭電化製品を使うわけであるが、どの様にして使えば本当の
豊かな生活ができるかということは、これはなかなかむずかしいテーマといえる
だろう。

手紙を書いたり文書を作ったりするのに、ワープロは便利である。1つや2つの文書
を書くなら、手書きのほうが簡単だ。しかし毎日何通も似たような手紙を書いたり、
公文書をたえず作らなければならないときには、ワープロはその威力を発揮する。

日付や宛先を直して、本文を必要におうじて変更すれば、どんどん新しい手紙が
できる。しかも、1度作った手紙はフロッピーディスクの中に保存されるから、
いつでも見たいときに読み出して確認できる。

この便利なワープロは、われわれ人間の生活の中に、すっかり入り込んできている。

しかし、この便利さの上にあぐらをかいていると、とんだ落し穴がある。

ワープロばかり使っていると漢字を忘れるといわれるが、日本語の力も油断すると
おちてくるようである。例として、「対照の妙」、
「二等辺三角形ABCも、蝶の標本も、カブト虫の標本も、左右対称である。」、
「子供を対象にした放送」、「隊商の一行はやっとオアシスに着いた。」の4つの例文
では、「たいしょう」に対する漢字はそれぞれ入れかえることはできない。

やはり
国語辞典(事典ではない)をかたわらに置きながら、ワープロを使うのが賢明のよう
である。

また、かなづかいについても、機械のおしきせに従うのが楽だから、つい
自分の個性を出しにくくなっているようである。

たとえば「歩きまわる」と書きたいところを、
そういう熟語がワープロの辞書に入っていなくて、「歩き回る」としか
出てこない場合がある。容量が大きなワープロになれば、熟語の数が増えるから
「歩きまわる」という熟語が使えるかもしれない。それでも使用者が自由に言葉を
選べるほどの用語のいっぱい入った、ワープロを作ることは難しいだろう。

結局普通
のワープロを使うときは、「歩きまわる」を自分で作って辞書に登録するか、「歩き」
と漢字でいれてから、「まわる」とかなでかくという二段階の操作の、使いこなしに
あたっての器用さが必要になる。同様な例として、「結び付く(結びつく)」、
「付け足す(付けたす)」などをあげることができる。

また別の例としては、「あさひ校」と入力したいときに、
「あさひ」とかなを入れてから、「校」を入力するには、
「こう」とまずかなで入力してから、漢字に変換するのであるが、校は「行、工、考、
項、幸、公、光、高、好、交、広、口、向、効、香、攻、巧、功・・・」の中から
探さなくてはならない。むしろ「学校」という熟語を入力して、表示された「学校」
の「学」を消して、「校」を残したほうが早いこともある。

文明の利器も工夫すればさらに便利になる。

これらはつまり、二重性とか重層性ということである。いいかえると、一つは表面の、
どんどん変わる時代の進歩を受け入れる革新的要素と、もう一つは基底部にある、
伝統的器用さを保持する能力とからなる、二重構造をさす。

日本人も進みゆく工業化の中で、
時代に合った便利さや技術革新に対応しながら、同時に本来持っている資質
を、必要におうじて使いこなしてゆかなければならないであろう。

(7)化石の国日本
日本には、生きた化石といわれるものが多い。たとえばムカシトンボというトンボは、
羽の形が化石のトンボによく似ていて、日本とヒマラヤにしかいないと言われる。

カブトガニも瀬戸内海にいて、古生代に起こり中生代に栄えた、古い形の節足動物で
あり、三葉虫によく似た生物である。またオキナエビス科の貝は、日本の太平洋岸の
深い所に生存している。

これらの生物は昔は世界中に広く分布していたが、現在は
日本とごくわずかの地域にしか、生き残っていない。

日本はアジア大陸の東のはずれにあって、その向こうは太平洋の海溝に落ち込んで
いる。つまり東洋のはじっこ、いわば地の果てに位置している。この地球物理学的、
地理学的位置が、そこに住む生き物の環境に大きな影響を与えてきた。

他の地域から移り住んできた生物が、このアジアの東端の狭い領域で、
しかし、そこは住みやすい環境であり続けたのであろう、
環境の変化が大きく、他の種族との生存競争にあけくれた、
他の地域にくらべて、長く生き延びられたのは幸せなことであった。

人間も、また人間の文化も日本列島は、もしかすると化石の国といえるかもしれない。

遠くインドで生まれた仏教は、現在はインドでは少数派の宗教にすぎず、途中たどっ
てきた中国でさえ、存在し続けるのはなかなか困難な状態であるのに対して、日本で
は数の上では仏教徒は多数派である。本家の仏教にはない日本独特の仏教さえ生み出
した。

現代ではドイツ本国では使われなくなった、古いドイツ文字(俗に、ひげ文字
という)を読み書きできる日本人がいるので、ドイツ人さえ驚ろいている。「やまの
あなたのそらとおく」で始まる詩の作者カールブッセも、日本で有名なほどには本国
では知られていないという。

漢字の音読みは、現代の中国の発音と違うものが多いが、
その漢字が日本に入ってきた当時の読み方が残っているのが、われわれが今使って
いる漢字の読み方である。呉音、漢音、唐音など伝来当時の中国の事情をあらわして
いる。

現在の中国では漢字の簡略化がすすんで、かえって日本において古来の漢字が
生きのびている。

中国の名所旧跡で古文で書かれた文章を、若い中国人は読めなく
なっているのに対して、日本人は読むだけは読める(発音は違うから、音読はできな
いが、黙読はできる)という現象が、観光地ではよく見られるといわれている。

水沢市の国指定史跡・胆沢城跡から出土した漆紙文書「古文孝経」の写本は、
奈良時代末のものとみられているが、世界最古の「孝経」写本であることを
中国の研究者も認めている。

ネパールに行った人がいみじくも語っていたが、ネパールには昔日本にあった良き
時代が、生活は不便でも心の豊かさがあったというが、現在のネパールこそ豊かな
精神の化石の国といえるかもしれない。

化石の国日本も文明が高度になろうとも、
心の豊かさを器用さとともに、いつまでも大事に守ってほしいものだと願わずには
いられない。

まとめ
器用ということの意味を、人間の手や体の働きから考え、器用さを日本人の特性と
してまとめた。

そして日本人の器用さとして表される技術の伝統にふれ、その秘密を
著者なりに整理した。

その日本人の器用さの理由として、模倣性、異文化に対する
強い好奇心と積極的な受け入れ、異文化理解のための手段としての日本語の優位性、
合理的なものの考え方、教育に対する熱意、良いものを熟成させうる極東の地理的
特性をあげた。

また、誰でも手軽に写せるカメラを例にとり、一見器用さが必要でないと思われる
最新の工業製品も、さらによく使いこなすためには、使い方の新しいコツが必要で
あること説明した。

そして、これからの技術革新時代における、器用であることの二重性を確認した。

つまり、一つは時代の進歩による、新しい便利なものをすすんで受け入れる革新的
態度であり、もう一つはその製品に対する知識を含めた、日本人として本来持って
いる、伝統的な器用さとしての、製品をさらによく使いこなす能力である。

参考論文目録
1、篠田雄次郎『日本人とドイツ人(カッパブックス)』(光文社 昭和53年)
2、佐貫亦男『ドイツ道具の旅』(光人社 1987年)
3、深田祐介『新西洋事情(新潮文庫)』(新潮社 昭和52年)
4、橘覚勝『手−その知恵と性格−』(誠信書房)
5、秦恒平『からだ言葉の本』(筑摩書店、1984年)
6、菊竹清訓『建築と記号論』(日本記号学会編、記号学研究5、1985年)
7、小山田了三『民族資料の技術史』(東京電気大学出版局 昭和61年)
8、謝世輝『日本近代200年の構造(現代親書)』(講談社 昭和52年)

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