伝言ダイヤル事件の底流

いま世間では厭な事件が続いている。 見知らぬ男に勧められた薬物を飲んだ女性が 昏睡中に金品を奪われ、二人もこの冬の寒空の下で 凍死した。容疑者の男とは伝言ダイヤルを通じて 会ったという。 加害者も加害者だが、被害者も被害者ではないか。 二十代の成人にもなって、甘いお菓子に誘われて 怖い大人に付いていく幼児みたいなことをしているから。 常識的な判断力が欠落しているとしか思えない。 (それだけ日本は犯罪ぼけしているのだろうか) しかも、電話によるメッセージのみという単純で 中身も何もない出会い方を、恋の冒険と取り違えて しまうのだから、想像力も不足している。 だいいち、自分自身をおろそかにしている。 でも、こういう若者は少なくないのだろうか。 おろそかにしているといえば、二十代の女性が インターネットを通じて入手した薬物で自殺した事件 にも驚いてしまった。 日本の自殺者は年間2万人ということである。 自殺率は先進国ほど高いと言われている。 物質文明の弊害であると思う。 薬物を使って、多額の保険金を騎(だま)し取って いた和歌山の事件にも物質文明が深く関わっている。 容疑者の自宅がテレビに何度も映しだされた。 大きな家も玄関の置き物なども、ひとつひとつを 取り上げればわれわれには手の届かないものなのだろ うが、心の豊かな暮らしとは程遠い光景だった。 まさに歪んだ物質文明の典型だった。 歪んだ物質文明は、身近なところでも目にできる。 たとえば、「イタリアのあのブランドのバッグ」とか 「ドイツのあのメーカーの車」といった具合に 一目でそれとわかる製品のことだ。 車にしてもブランド品にしても、一目でわかるもの に多くの人が飛びつくのは、そこに想像力も判断力 も必要がないからだ。 所有する側(あるいは欲しがる側)との関係は、 そのもの自体が持っている知名度だけで成立する。 つまり、一目でわかるものは、とても楽チンなのだ。 物質文明はこの楽チンを求める人々によって繁栄している。 楽チンが好きな物質文明人は、テレビは見るが、 本は読まない。せいぜい読む本はといえば、 自動車雑誌とファッション雑誌だけで、 その雑誌だって新製品を紹介している写真しか見ない。 楽チン物質文明人は、男女の出会いについて真剣に 考えたりはしない。考えようにも、本を読んだことが ないから、考えられないのだ。 楽チン物質文明人は、死についてもあまり深くは考えない。 死について老えようとしても、その手立てを知らない。 本を読んだことがないからだ。 インターネツトで手に入る薬物で楽チンに死んでしまう。 楽チン物質文明人は本を読む暇を惜しんで、エレベーター とエスカレーターで移動し、ブランド品を買い漁(あさ)って いるうちに、階段を歩くことばかりか、考えることまでやめて しまった。悲しいことだ。 ここで言う本とはパチンコ攻略法でも薬物の入手方法 を記載した情報誌でもない。小説などの文学作品のことだ。 一時期、僕は死ぬことばかり考えていた時、読書をする ことで救われた。偉大な作家たちの小説によって、 僕自身の心の奥深くを見つめることができたのだ。 人間の心の中には、いくつもの大陸と大洋がある と言った人がいる。この〈自分の心の中にだけ存在して いる自分の領海としての大西洋や太平洋〉を探検する ことは実際の航海よりも難しいのである。 自分白身の心の探究は、決して楽チンな道のりではな いけれど、歪んだ物質文明の殼を破るには一番の近道だ。 読書はその舵取り役を果たしてくれるだろう。

1999.1.14 地元新聞夕刊の「斎藤純:心の航海」を参考にしました。

作者は盛岡市出身です。おそらく言いたいことは、自分の頭でものを考えないと
いけないのである。安直にハウツーものとかファッション雑誌で情報を得ても
それらは付け焼き刃であるから、精神にとって真の栄養にはならない
ということなんでしょう。

しかし、インターネットでも自分で考えないで安直に情報を得る人間もいれば、
自分が考えたり苦労したりして、情報を探したり構築したりする
自己発展型、自己実現型の人間もいると思います。この作者の認識が足りないのでは
ないかと思う私です。

メディアは道具であり手段なのだから、賢く使えば人間は賢くなるし、
愚かにもメディアに使われるならそのむくいがくると思うのですが。
違いますか。